7日目(2) 食事会の準備は全員で

 じゅくじゅくと鍋の底で砂糖が溶けていく。焦げ付かないように時々木のへらでかき混ぜながら、それをじっと見つめる。まだ時間がかかりそうね。


「えっと、次は……」

「何か手伝うことある?」


 鍋の様子を確認しながら次の手順を思い返していると、弟が聞いてきた。


「じゃあ、ちょっと鍋を見ていてもらえる?」

「わかった」


 木べらを弟に渡すと火の番を代わってもらう。冷蔵庫まで行くと一昨日アリアさんに掘り出してもらったレンコンと、今日持ってきた袋入りのガーリックスライスを取り出す。シンク横に立てかけてあったまな板を調理台の上に置く。


「包丁やピーラーってあるの?」

「包丁ならシンク下に収納してあるよ。ピーラーはその引き出しの中」


 レンコンの泥を洗い流してまな板に乗せる。シンク下の収納を開けて包丁を取る。ざく、ざく、と三連になっているレンコンを一つずつばらばらにしていく。一通り準備が整うと引き出しを開ける。


「本当にあるわ……」


 いや、聞いたのは私だけれど。まさかこんなものまであるとは思わなかった。意外となんでもあるわね、この世界。


 引き出しの中には、見慣れたものよりも少しだけ大きいサイズのピーラーが入っている。

 私はピーラーを取ると、さっと水で濯ぐ。軽く水気を払い、しゃっしゃとレンコンの皮を剥く。しゃく、しゃく、と薄くスライスした。


 本音を言えば、天ぷらにしたいところだけれど、揚げ物はちょっと私にはハードルが高い。片付けも面倒だし。


「えっと、フライパンは……」

「そこにあるよ」


 弟に言われた場所からフライパンを取り出し、空いているコンロにセットする。調味料がまとめられた棚からオリーブオイルと塩と胡椒を取る。


 かちり、とコンロに火をつければ、一気にフライパンが熱を持つ。

 ガーリックスライスの袋を開けて数枚を入れるとオリーブオイルと絡める。そこにカットしたレンコンを並べていく。本当は火加減が違うのだけれど、今空いているのは強火用のコンロだけだ。まあ、焦げ付かないように気を付けておけば大丈夫でしょう。……多分。

 そんなことを思いつつ、レンコンに焼き目がつくのを待つ。


 えっとあとは、パエリア作って……きのこやりんごもあるし、初めてこっちに来た時にやったホイル焼きみたいにしたいけれど、コンロで出来るのかしら。


 あ、でも弟がいるし、外で焚き火をして作ってきてもらってもいいかも。枯れ枝の準備はないけれど、落ち葉をかき集めれば出来るだろうし。それならきのことりんごをアルミホイルで包まなくちゃ。……意外とやることが多いわね。


「ねえ、これっていつまで見てればいいの?」


 飽きてきたのか、弟が話しかけてくる。


「砂糖が完全に溶けきるまでね。ネットに書いてあったレシピには約四十分ってなっていたわ」

「結構、時間かかるんだね」

「まあ、そうねぇ」


 じゅうじゅうと焼ける音にフライパンに視線を落とす。いけない。こっちに集中しなくちゃ。


 焼き目が付いてきたレンコンに軽くぱらっと塩と胡椒を振って、火から下ろす。ふわりとガーリックの香りが湯気と一緒に立ち上る。なんだかお腹が空きそうな匂いね。


「食器、取ってもらっていい?」

「はい」


 弟が食器棚から出したお皿にレンコンを盛り付ける。フライパンは水に浸け、ひとまずシンクの中に置いておく。


「それ、冷めないようにしないの?」


 そのままお皿を持っていこうとしたら、弟が声をかけてきた。


「え、そんなことできるの?」

「うん」


 頷くと弟は右手の指をぱちんと鳴らす。その途端。お皿に被さるように、ガラスのドームのような膜が現れる。


「え、なにこれ?」

「んー、ラップみたいな? それで、熱は逃げないはずだよ」

「こんな魔法もあるのね」


 恐る恐る表面をつついてみる。ほんのり温かい膜に食い込むように、指先がぐにゃりと沈む。でも破れる気配はない。なんだかシリコンみたいな感触で思いのほか柔らかい。半円型の膜からはゆるりと湯気と香りが立ち上る。……これ、どういう仕組みなのかしら。


 首を傾げて考えてみるけれど、答えなど出るはずがない。

 まあ、料理は冷めないらしいし……これはこれでいいか。何だか、よくわからないけど。


「ありがとう」


 一応お礼を伝えると、お皿を持ち直す。出来上がった料理を一旦、テーブルまで退避させる。ポケットからスマートフォンを出して時刻を確認すれば、現在、十九時四十分。……少し、森でのんびりし過ぎちゃったみたい。


「そっちはどんな感じ?」


 振り返って聞いてみれば、弟は鍋に視線を戻す。


「うーん。まだもう少しかかるかなー」


 アイランド型のキッチンの向かいから中を覗き込む。砂糖はだいぶ溶けてはきているけれど、弟の言う通りもう少し時間がかかりそうだ。


「ちなみにこれ、砂糖が溶けたらどうすればいいの?」

「蓋をして、弱火で三十分だったかしら」

「ふーん」


 そう返しながらも弟は時々、木べらで中身をかき混ぜてくれる。こっちは、ひとまず大丈夫そうね。


「じゃあ、もう少し見ていてもらえる?」

「わかったー」


 弟が頷くのを見て、ウッドデッキに続く窓まで歩いていく。窓を開けると、隅に寄せてあったサンダルを履いて外に出た。


「きゅ!」


 頭上から鳴き声が聞こえて、とん、と肩に軽い重み。首筋には、ふぁさりと柔らかな毛並みが触れる。外で遊んでもらっていた、りすのりっくんが戻ってきたようだ。反射的に頭を撫でると、きゅるる、と嬉しそうな声をあげる。


 そのままウッドデッキに備え付けられているテーブルに近付く。手前のイスの座面を開ければ、中にはキャンプ用品が収納されている。そこからメスティンを取ると、ひとまず机の上に置いておく。

 蓋を閉めて別のイスの座面を持ち上げる。


「キッチンペーパー、アルミホイル、お米にパエリア缶と……他に必要なものってあったかしら」


 机の上に一つ一つ広げながら、頭の中のチェックリストに照合していく。


 焚き火台は今の所使う予定はないし、オイルポットが必要になるとしても片付けの時だ。トングを使うとしても弟が用意すればいいだろうし。えっと、あとは……。


「カミツカ!」


 指折り確認していると、不意に名前を呼ばれた。聞き覚えのある声に視線を向ければ、予想通りのニーナの姿。その後ろにはアリアさんもいる。


「こんばんは。本日はお招きいただきまして、有難うございます」


 アリアさんは柔らかに微笑んで謝辞を述べる。チョーカーの宝石飾りがぽわりと淡い光を帯びているから、もう魔法は発動済みなのだろう。


「いえ。こちらこそお越しいただき、ありがとうございます。えっと、それは?」


 二人が持つ、籐で編まれたバスケットを見て首を傾げる。仄かに、香ばしい香りとチーズの匂いがする。


「ああ、これは馴染みのレストランで食事を作っていただいたんです」

「前に話していた、リンゴーアップルのパイもあるよ!」


 私の疑問に、アリアさんとニーナがバスケットの中身を見せてそう返す。


 確かに、以前湖畔で会った時に、街にあるお気に入りのレストランとか、りんごで作ったパイがおいしいとか言っていた気がする。思わずウッドデッキの端、二人に近い場所まで移動する。


 バスケットの中を覗き込めば、アップルパイの他にもパスタやピザなどイタリアンっぽい料理が詰め込まれている。バスケットには先ほど弟がレンコンを盛りつけたお皿に被せた魔法と同じ、ガラスのドームみたいな膜が張られている。


「わあ、わざわざすみません。ありがとうございます」


 顔を上げてそう言えば、ニーナが肩の上のりっくんに視線を合わせる。


「りっくんが食べられるものも、作ってもらってるから楽しみにしててね!」

「きゅるる!」

「りっくんの分までありがとうございます」


 まさかりっくんの分まで用意してくれるなんて。お礼の言葉を伝えて、そこで、ふと疑問が湧いてくる。


「……あれ? なんでこの子の名前を知っているんですか?」

「今日の昼間、街でヒロセさんとお会いした時にお聞きしました」


 首を傾げて尋ねれば、アリアさんが教えてくれる。そういえば弟も昼間に街でニーナから今日のことを聞いたって言っていたわね。その時に話題に上がったのだろうか。


「きゅ?」


 りっくんをちらりと見ると、くりくりとした目で見上げてくる。……とりあえず、頭は撫でておこう。ふわふわさらさらな毛並みが気持ちいい。


「あ、すみません。ついこんなところで立ち話を。玄関はそちらにあるので、どうぞ上がってください」


 ひとしきり撫で終わった後、はっとなって玄関の場所を手で指し示す。思いがけず、家に入る前に話し込んでしまった。


「わかった! ありがとう」

「有難うございます」


 ニーナはしゅばっと俊敏な動きで玄関まで駆けていく。アリアさんは軽くお辞儀をしてから後を追いかける。


 二人の背中を見送ると、テーブルまで戻る。並べられた道具とお米、パエリア缶を抱え上げる。ちらりと目に入った腕時計の時刻は、二十時少し前。


「結構時間かかっちゃったわね」


 二人が来るまで、準備を終わらせておきたかったのだけれど、結局間に合わなかった。

 ……まあ、でも出来立てをすぐに食べられると考えれば悪くはない、と思うことにしておこう。


 抱えていた荷物を持ち直して、どうにかリビングに続く窓を開ける。

 中に入ると、不意にぐっと肩に力がかかる。りっくんを見れば、何か探るように鼻をひくひくさせている。目標を発見したのか、とっと、と一目散にリビング中央の一枚板のテーブルまで走っていく。果物がたくさん入ったカゴから器用にぶどうを一粒取ると、もしょもしょと食べ始めた。なにあれ、可愛い。


「あ、姉ちゃん。やっと戻ってきた。とりあえず、砂糖は全部溶けたよ。今は蓋をして、弱火で煮詰めてるとこ」

「ありがとう」


 弟の声に、キッチンに向かう。リビング側から鍋を覗き込んだ。隙間からふわりと溢れる湯気に、微かに甘い野いちごの香りが混ざる。蓋が曇って少し見えにくいけれど、とりあえずは順調に工程が進んでいそうだ。


 お米とパエリア缶、メスティンとついでにキッチンペーパーも調理台の側に並べて、一枚板のテーブルを振り返る。りっくんが二粒目のぶどうに手を伸ばす隣で、ニーナとアリアさんがバスケットを下ろすところだった。


「すみません。まだ準備が終わっていなくて」


 テーブルまで近付き、きのこや果物が入ったカゴの近くにアルミホイルを置く。


「大丈夫! 準備も楽しいよ!」

「私達も何か手伝いましょうか?」

「ありがとうございます。それじゃあ、お願いしてもいいですか? 少し待っていてください」


 ニーナの言葉とアリアさんの申し出にそう返すと、一旦キッチンまで行く。シンクで手を洗うと、調理台の上に出しっぱなしになっていたレンコンと、冷蔵庫の中からバターを取る。そこまですると二人のところに戻る。


「お待たせしました。申し訳ないのですが、きのことりんごを二、三個と、あと、このレンコンもアルミホイルで包んでもらえますか?」

「あるみほいる? なにそれ、なにそれ?」


 興味津々な様子でニーナが私の手元のアルミホイルを見つめる。……あら? こっちの世界にはないのかしら。


「えっと、調理する時に食材を包んだり、下に敷いたりと色々使えるんです。こうやって引っ張って中身を出して、箱を閉じて手前に引けば、必要な量をカット出来ます。箱の縁に刃が付いているので、怪我をしないように気を付けてください」

「わかった!」


 簡単に使い方を実践しながら説明をすれば、ニーナが元気よく返事をする。尻尾をぴんと立てて、目を輝かせるニーナの視線を感じつつ、少し考えてから、アルミホイルはアリアさんに手渡す。がっかりしたような顔をしていた気がするけど、怪我でもしたら大変だ。


 あ、そういえば、このとりあえず切ったアルミホイルはどうしよう。後のことを考えていなかったわ。


「それで、あとは、このように……」


 ひとまず、手近にあったスッキリダケをアルミホイルで包んでいく。完全に閉じる前に、バターの箱を開けて、銀紙を開く。カットしてある一欠片を取り、きのこに添える。前面、左右と完全にアルミホイルを閉じる。


「それは、バター? ですか?」


 銀紙の中のバターを見て、アリアさんが聞いてくる。あ、バターはこっちにもあるのね。


「はい。カットしてあるものを買ってきました。きのこやりんごを包む時に全部でなくていいので、一、二個だけこれも一緒に入れてもらえますか?」

「わかりました」


 そう言うとアリアさんは慎重にアルミホイルを出してカットしていく。ただ、開始して早々にニーナに箱を奪われていた。楽しそうに、ばっ、びりっと破かれるアルミホイルはすでにぼろぼろだ。……大丈夫かしら。


 りっくんのぶどうはすでに三粒目に差し掛かっている。はむはむと必死に頬張る姿はずっと見ていたい。


 ニーナとアリアさんも心配だし、りっくんとももっと触れ合いたい。けれど、こっちの準備もまだ終わっていない。後ろ髪を引かれながらも、大人しくキッチンまで戻る。


「野いちごの様子はどう?」

「うーん、もう少しかなぁ」


 弟は湯気で曇ったガラス越しに鍋を覗き込んでそう返す。

 私は調理台の上に置いたメスティンを取る。軽く洗ってから、一合分のお米を入れる。ざっとお米を研いでから、パエリア缶を開けて中身をどばどばと注ぐ。


「今日は何味?」

「シーフード」


 メスティンの中を覗いて聞いてきた弟に返しながら、スカーチョのポケットからスマートフォンを取り出す。タイマーをセットして、コンロの前のカウンターに置いておく。かちり、と火にかける。


「ところで、こっちのコンロでも火加減を変えられるの?」

「まあ、多少は」


 ニーナとアリアさんを見れば、アルミホイルはアリアさんの手元に戻ってきている。時々ニーナが手を伸ばして奪おうとしているけれど、アリアさんはがっちりと死守している。何だかその様子が微笑ましい。


 少しほっこりした気持ちを感じつつ、メスティンに視線を戻す。途中火加減を調整しながら、パエリアが炊き上がるのを待った。

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