7日目(1) 女子会の準備は念入りに

 新緑の森の淵。オレンジ色が滲むように藍色に消えていく。西の空には仄かに輝き始めた下弦の月が浮かぶ。一昨日見た空には確か、細い三日月もあったはず。今日はもう一つの月は新月なのかしら。


「きゅ?」


 私の肩の上でリスのりっくんが、至近距離から見上げてくる。こてん、と首を傾げる様はとても可愛い。


「そうね。早く採取しないと」


 頭を撫でながら返すと、りっくんはきゅるる、と嬉しそうに喉を鳴らす。するするとした指通りが気持ちいい。


 よくわからないけれど、一日ぶりにりっくんに会ったら、なぜか気持ちを読み取れるようになっていた。言葉は違っていても感情を察することができる。これもテイマー? の力のおかげなのだろうか。まあ、動物と意思疎通できることは便利だし、さしたる問題はないでしょう。

 足元に注意しながら、のんびりと森の中を歩いていく。


 前回の訪問から一日挟んだ、火曜日の十八時過ぎ。今日も仕事帰りに異世界にやってきた。なんとなく続けてしまっているものの、なんだかんだこれも、ここ最近の通例と化してきた。弟の様子も一応見られるし、食べ物も美味しいから当初よりはこの世界に無関心ではなくなってきたけれど、このままでいいのかしら。


 でもまあ、それはそれとして。今は、ニーナとアリアさんとの食事会に備えて、食材を集めよう。


「そろそろかしら?」


 一旦スカーチョのポケットにしまっていたスマートフォンを取り出す。

 通勤時に確認した情報では、この近くにきのこの群生地があるようだ。マップには小さなきのこのマークがある。以前はこんなマークなんてなかったはずだけど、弟のことだし、いつの間にかアップデートをしていたのだろう。攻略本アプリがどんどん充実度を増してきている。


 より精度が上がったマップ上のきのこマークの傍らには、別のマークも表示されている。ラズベリー? みたいな小さくて丸っこい形のアイコン。どうやらこの近辺に別の食べ物もあるらしい。


「この辺りのはずなんだけど」


 立ち止まって周囲を見回す。夕暮れ間近の森の中。目的のものをなかなか見つけられない。


「きゅ!」


 不意に何かを察知したのか、それまで私の肩で大人しく撫でられていたりっくんが、一声鳴いた。地面に飛び降りると、たた、と駆け出す。奥に入る手前で立ち止まり、振り返る。……なるほど? そっちに何かあるってことね。りっくんに先導されるまま、さらに奥に進む。


 しばらく歩いていくと、ふ、と甘酸っぱい香りが漂ってきた。踏み込んだ足元で、ぱき、と細い枝が小さな音を立てる。


「きゅ!」


 鳴き声を上げるとりっくんは、がさ、と手前にあった低木に飛び込む。私もゆっくりとその木に近付く。


 桑の葉みたいな葉が生い茂る背の低い木には、小さな赤い野いちごがたわわに実っている。よく見ると枝に無数の棘もあるみたいだけれど、りっくんは無事かしら。


 そのままじっと見守っていると、葉っぱが大きく、がさごそと揺れる。野いちごを三つ抱えたりっくんが、ぴょこんと顔を出す。そのまま、するすると私の肩まで戻ってくる。甘い果実の匂いがふんわりと香った。


 りっくんの頭を撫でると、マップに視線を落とす。きのこの採取予定地の手前、ラズベリー風のマークに重なって点滅する、赤い三角形。……うん。ここで間違いないみたい。今日行きたいと思っていた、もう一つの目的地。


 それだけ確認するとスマートフォンをスカーチョのポケットにしまう。

 屈み込んで、野いちごをじっくりと観察する。小さな果実はぷっくらと丸い。甘い香りの中には仄かな酸味も混ざっている。この棘、結構危ないわね。


「これ、どうやって採ればいいのかしら」


 えっと、いちごって収穫する時に、ハサミとか使わずに採っていたわよね。テレビでしか、見たことないけれど。


「きゅ?」

「そうね。ひとまず、一つ採ってみましょうか」


 もぐもぐと肩の上で野いちごを食べながらりっくんが見上げてくる。

 とりあえず、枝の棘に気を付けながら、そっと野いちごに手を伸ばす。優しく摘み、軽く捻ってみる。ぽろり、と案外簡単に赤い実が萼から外れる。予想外にすぐ取れてちょっとびっくりした。


「きゅ?」

「……ああ、大丈夫よ。思ったよりも簡単に採れたから……」


 不思議そうに私を見るりっくんに笑いかける。正しい方法かどうかはともかく、野いちごの収穫は可能そうだ。


「うーん、どれくらい必要になるのかしら」


 一つ目の野いちごをエコバッグの中に入れて、次の果実に手を伸ばす。棘に刺さらないように慎重に。そうっ、と野いちごを摘む。採った野いちごは、エコバッグの中へ。繰り返すうちに左腕に提げたエコバッグの重みが次第に増してくる。


「きゅるる!」


 野いちごを食べ終えたりっくんが、楽しそうに尻尾を揺らす。その度にふさふさの尻尾がふぁさりと優しく首元に触れる。なんだかとても、くすぐったい。


「これくらいで、いいかしら」


 エコバッグの中を覗けば、底にぎっしりと摘んだ野いちごが敷き詰められている。……ちょっと、採りすぎちゃったかもしれない。


「まあ、今日はニーナもアリアさんもいるし……」


 これくらいの量でも、きっと大丈夫なはず。……多分。


「さて、と」


 私は立ち上がるとエコバッグを持ち直す。ポケットに入れたスマートフォンを取る。表示させた地図に視線を落とす。とりあえず、次の目的地に向かおう。

 顔を上げるとナビを頼りに歩き出した。



 その後はきのこを数種類採取して、ログハウスまで戻ってきた。二人が来る前に料理もしておかなくちゃいけないし。あ、そうだ。それにログハウスの周りにも果物が色々あったし、採ってもいいかも。

 そんなことを思っていたのだけれど……。


「あ、姉ちゃん、おかえり。ログハウスの周りの果物は採っておいたよ」


 リビングに足を踏み入れた途端にかかってきた声に自然と眉を寄せる。部屋の中心にある一枚板のテーブルの前、カゴを抱えた弟が立っている。カゴの中にはりんごやみかんやぶどう、たくさんの果物がある。それをよいしょ、とテーブルに下ろした。


「え、なんでいるの?」


 思わず、疑問が口を出た。今日のことは特に何も話していなかった、はずよね。

 あ、でも弟はこの世界の神様? らしいし。この世界のことを見守っているとか言っていたような気もするわ。それでたまたま、二人を誘った様子を見ていたのかしら。

 首を傾げる私に弟は、ああ、と頷いて笑顔を見せる。


「今日の昼間、街に行った時にニーナから聞いたんだ。今夜、姉ちゃんに食事に誘われてるって」

「そうなの?」


 なるほど。それで知っていたのね。

 私としては、今日はニーナとアリアさんの三人で女子会なるものをやってみたかったのだけれど。……まあ、そんなこと前回全く話してなかったから、ニーナが弟を誘ったのであれば、それはそれで仕方ない。


「そういえば、りっくんはどうしたの?」

「包丁とか火も使うし、危ないから外で遊んでもらっているわ」


 弟の問いかけに答えながら、テーブルに近付く。エコバッグをひとまずテーブルの上に置き、背負っていたリュックを椅子に下ろす。そこまでして、はた、と動きを止める。

 思わず流しかけてしまったけれど、そうじゃない。


「それで、なんでいるの?」

「ニーナたちが来るならいつもの焚き火台での調理じゃ足りないでしょ? キッチン使うにしても軽く説明必要かなって思ってさ。それに準備するなら人手はあったほうがいいだろうし。あと、なんだか美味しそうな気配がしたから」

「美味しそうな気配……?」


 まあ、でも確かに人手があると助かるのは事実だ。せっかくの申し出、無下にするのも申し訳ない。若干、食べ物に釣られているようにも思うのだけれど。


「それより、何か作ったりするんじゃないの? 時間、大丈夫?」


 弟の言葉にスマートフォンを取り出して時刻を確認する。現在十九時十分過ぎ。二人との約束の時間は二十時ちょうど。今日作りたいものは煮詰めるのに時間がかかるみたいだし、そろそろ急いだほうがいいかもしれない。


「そうね。早く準備を進めなくちゃ」


 スマートフォンをポケットに戻しながら、弟の手元に目がいった。


「ところで、そのカゴってまだあるの? あと、お鍋も」

「カゴならそこにあるよ。鍋はあっち」


 弟に教えてもらった場所からカゴと鍋を取ってくる。カゴの中にエコバッグの中のきのこ類を避け、鍋には野いちごをどさどさと入れる。


「今日は何を作るの?」


 鍋を覗き込んで弟が聞いてくる。キッチンのシンクでざっと野いちごを洗うと、調味料が並べられた棚から砂糖を取る。


「バニラアイスもあるし、食パンも持ってきたからジャムでも作ろうかと思って。ネットで見たら、意外と簡単に出来そうなのよね」


 野いちごの水気を切ろうと思ったけれど、キッチンペーパーってウッドデッキの方にしまってあるんだっけ。わざわざ取りに行くのも面倒ね。


「そういえば、魔法で水切りって出来るの?」


 弟が以前、メスティンを乾かすのに魔法を使っていたことをふと思い出して、聞いてみる。


「まあ、出来るんじゃないかな。その野いちごの水を切ればいい?」

「ええ、お願い」


 鍋を差し出すと、弟はぱちんと右手の指を鳴らす。その途端、ふわりと僅かな風が鍋を包み、表面の水滴共々、中の野いちごの水気が消えた。……やっぱり魔法も便利かもしれない。ちゃんと攻略本で確認しておくべきかしら。

 そんなことを考えながら、鍋に砂糖を入れていく。


「それで、火をつけるにはこのつまみを回せばいいの?」

「うん。魔石が二つ取り付けられててさ。右側のコンロは強火で一気に調理したい時、左側のコンロは中火から弱火でことこと煮込みたい時用ね」

「そんな面倒くさい感じになっているの?」


 コンロを見れば、中心部分に色味の違う赤い宝石がそれぞれ設置してある。これ、一つにまとめられない? まあ、とりあえずは使えればいいけれど。


「ひとまず砂糖が溶けるまで煮詰めたいから、こっちかしら」


 鍋を左側のコンロに置くと、かちりと火をつけた。

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