異世界帰還後(6日目)
とん、と硬い床につま先が触れる。閉じた瞼の向こう、眩しい光が消え去ると、しゅるりと風が止む。目を開ければ、見慣れた白い部屋が広がっている。
「きゅるる?」
私の肩の上で戸惑うように、リスが鳴き声をあげる。緊張からか、ぐっと掴まれる肩がちょっと痛い。
「大丈夫」
リスに向けて優しく声をかける。小さく微笑み。そっと頭を撫でる。ふさふさと柔らかな毛並みが心地いい。リスは目を細め、きゅっと一声鳴いた。安心したのか、肩を掴んでいた力が弱まる。
「姉ちゃん、おかえり」
弟は駆け寄ってくると私の肩に乗るリスを見る。
「どう? 魔法も悪くないでしょ」
「まあ、今回に限っては、そうね」
リスと仲良くなれたし、今日は魔法を使っても以前よりは疲れなかった。職業がどうとか言っていたし、それも関係あるのかしら。
「そういえば、この子を連れて帰りたいのだけれど、それって可能なの?」
リスの頭を撫でながら、弟に聞いてみる。本当にこれ、止め時がわからない。
「そう言われると思って準備してたんだけど、まだ終わってないんだよね。次に来る時まで待ってくれない?」
申し訳なさそうに返す弟の言葉に首を傾げる。
「そのまま連れて行ってはいけないの?」
「うん。こっちと向こうじゃ生態系も全然違うからさ。普通の動物なら、まだ何とかなるかもしれないけど。リースースクワラルって一応は魔獣だし。生きてくためには魔素も必要になってくるからね」
「なるほど……?」
確かに、異世界とこっちの世界では全く同じとはいかないかもしれない。現にこのリスにも角が生えているわけだし。弟の言い分には、とりあえずは納得できる、気がする。
「それより、テイムしたんだし、名前とか付けないの?」
「名前なんて付けたら、余計に離れるのが嫌になっちゃうじゃない」
そう反論はしたけれど、でも、そうよね。せっかく、ペットとして来てくれるわけだし。
私はリスと目を合わせる。つぶらな黒い瞳がじっと私を見上げてくる。……どうしよう。やっぱり連れて帰りたい。
「……やっぱり、連れて帰……」
「それは、ごめん。ちょっと待って。ちゃんとこっちにいる時の様子もわかるようにするからさ」
食い気味で返されて肩を落とす。慰めるようにリスがぺちぺちと頬を叩く。
「ありがとう」
お礼を言いつつ、頭を撫でる。するすると指通りがいい。
それにしても名前か。どうしよう。リスだし、見たところオスっぽいような気がするし……。
「りっくん、とか、どうかしら?」
「姉ちゃん……」
弟の視線はひとまず気にしないでおいて、肩の上のリスに聞いてみる。リスは満足気にきゅ、と鳴き声をあげる。よかった、気に入ってくれたみたい。
本当はずっとリスと戯れていたかったけれど、明日は仕事だ。後ろ髪を引かれながらもリスと別れを告げて、異世界から帰った。
×××××
「神束さん、何だかうきうきしてない?」
異世界から帰ってきた翌日。午前中の仕事が一段落した、午後十二時半過ぎ。自席でカロリーメイトを食べながら、スマートフォンで動画を見ていると隣席の同僚が声をかけてきた。
「……わかりますか?」
「全身に幸せオーラが溢れてるから。もしかして、彼氏でも出来た?」
好奇心旺盛な目で聞いてくる同僚に、私はスマートフォンの画面を向ける。
「実は、ペットを飼い始めたんです」
横向きにした画面には、白い部屋を縦横無尽に動き回るリスの姿が映し出されている。昨日、森で捕まえた、あのリスだ。時々、かくかくとした動きにはなるものの、短い手足でちょこまかと走る姿は、相変わらず可愛らしい。ふさふさの尻尾がゆらゆらと揺れる。
「わあ、可愛い! リス?」
「ええ。区分的にはそのはずです」
「区分?」
確か、正式名称があったような気がする。でも、まあ、リスはリスに違いないだろう。……ちょっと、額に小さな角が生えてはいるけれど。
私の返答に不思議そうにしながらも、同僚は楽しそうにスマートフォンの画面を眺めている。リスは木の実を掴み、かりかりと齧り始めた。
今ならペット自慢をする人の気持ちがわかる気がする。この可愛さは伝えずにはいられない。
「これって、神束さんのお部屋?」
リスの様子を観察していた同僚が顔を上げて聞いてくる。
「本当は、早々に家に連れて帰りたかったんですが……」
その言葉に、昨日の弟とのやりとりを思い出して、しゅんと肩を落とす。
「何だか、準備が必要とかで。今は、弟のところに預けているんです」
この映像も弟が頑張って繋げてくれているらしい。昨日の夜に確認したら、攻略本アプリに項目が増えていた。ただ、通信環境が整っていないせいか、たまに画面が固まりそうになるのが難点ではあるけれど。
「そっか。弟くん、見つかったんだよね。……あれ? でも一緒には住んでいないの?」
「はい。何だかやることがあるとかで。今は異世……遠いところにいます」
ぼかしつつ答えると、同僚は一応、納得はしてくれたみたいだ。スマートフォンに視線を戻し、リスの観察を再開させる。
その後は同僚と二人でリスの動向を見守って、その日のランチタイムは終わった。
お昼休憩で十分にエネルギーをチャージ出来たおかげか、午後の仕事はいつも以上に捗った。
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