6日目(3) はじめてのテイム
「それにしても、ニーナはどこまで行ったのかしら」
雨上がりの陽光を受けて、新緑の葉がきらきらと煌めく。青い花が咲いていた池のほとり、アリアさんと並んでニーナの帰りを待つ。
「じきに帰ってくると思いますよ」
親指と人差し指で作った輪を覗き込み、遠くを眺めるような仕草でアリアさんが言葉を返す。輪の中には、仄かに銀色に輝く小さな魔法陣が浮かんでいる。
「ああ、これは遠見の魔法です」
「遠見?」
「はい。直線上の範囲内に限られますが、百メートルから数キロメートル先の景色まで見ることができます」
私の視線に気づいたのか、アリアさんはこちらを見てそう教えてくれる。
そんな魔法もあるのね。攻略本に書いてあったかしら。……覚えてないわね。
「あ、もうすぐ帰ってきそうですよ」
アリアさんがそう言った途端、がさりと草を踏む音がする。
「見て見て! 捕まえた!」
ニーナは森の木の間から出てくると、たん、と目の前までやってくる。その手のひらに包まれるようにちょこんと乗っているのは、リスみたいな小動物。
「まあ! リースースクワラルですね。珍しい」
アリアさんはニーナに近付くと、そっと屈み込む。
「珍しい?」
「ええ。この魔獣は基本的に木の上にいることが多く、こうして姿を見られるのは稀なのです」
言葉尻だけを拾って尋ねれば、アリアさんがそう返してくれる。
なるほど。この子は魔獣なのね。言われてみれば、よく見ると額に小さな角が生えている。
「でもニーナ、駄目じゃない。テイマーでもないのに、勝手に森の魔獣を連れてきては」
「カミツカとアリアに見せたくて。それに、ちゃんとあとで逃すよ!」
手のひらの上でリス(仮)は短い手足を必死に伸ばして毛繕いをしている。……何かしら。この可愛い生き物は。
アリアさんの背後から、遠巻きにリスをじっと見る。
ニーナの手に収まるほどの小さな体は、滑らかな白茶の毛で覆われている。ふさふさとした柔らかそうな尻尾には、栗色の縦線が二本入っている。丁寧に整えていく尻尾を真っ直ぐに見つめるつぶらな黒い瞳は、真剣そのものだ。
どうやらニーナの手の中は居心地がいいらしい。
「カミツカは見たことある? リースースクワラル」
「いえ。うさぎみたいな魔獣? は見かけたことはありますが……」
そう返しながら、数日前の出来事を思い出す。
あの時はりんごで餌付けをしようとして、逃げられてしまった。でもほんの一瞬だけ触れたうさぎの手は柔らかかった。
「うさぎ……響きが似てるし、ウサラビットのことかな」
「ああ、確かそんな名前だったような気もします」
リスは毛繕いが終わったのか、大きく伸びをする。くあ、と口を開けてあくびをした。……何だろう。この可愛い生き物は。
「カミツカも触ってみる?」
じっとリスを眺めていると、ニーナがリスの乗る手を差し出してくる。
「いいんですか?」
「うん、いいよ!」
「ありがとうございます」
ニーナの前で屈んでいたアリアさんも場所を譲ってくれる。私はそろそろとリスの正面に立つ。エコバッグと傘をまとめて持つと、あいた手をゆっくり伸ばす。
動物には基本的に触る前に逃げられてしまうのだけれど、今はニーナの手のひらの上。くつろいでいるようだし、きっと大丈夫だろう。
そう思っていると、不意に、リスがすっくと立ち上がる。窺うように、辺りをきょろきょろとしだした。その視線が、私の指先を捉える。
「キッ!」
甲高い声で鳴くと尻尾を逆立てる。ニーナの手から飛び降り、そのまま近くの木をするすると登っていく。一瞬のことすぎて、止める間もない。
……結局、今日も触れなかった。どうしていつも、逃げられてしまうのだろう。私だって動物と戯れたいのに。
行き場の失った手を力なく下ろして、呆然と木を見上げる。
「……すみません。逃げられてしまいました」
「それは別にいいけど」
ニーナはそこまで言うと、ずいと私に近付く。
「それよりも、カミツカ。顔が怖いよ! なんでそんなに必死そうなの? それじゃ魔獣も動物も怖がっちゃう」
私を睨んでニーナが言う。
「そう……かしら?」
自分の頬に手を当てて、首を傾げる。あまり意識したことはないのだけれど、指摘されるほど顔が強張っていたのだろうか。初めて動物と触れ合えるかもしれない、この状況で。
「うん。すっごい緊張しているの、あたしでもわかるもん!」
「今日こそは、触れるかと思ったので……」
どきどきして、緊張はしていた。そういう感情が、伝わってしまうのかしら。
「もっとこう、わあ、とか、やあ、くらいの気持ちで行かないと!」
「わあ? やあ?」
眉間によりかけた皺をほぐしながら、聞き返す。どうしよう。ニーナの言葉が、一つもわからない。アドバイスをしてくれようとしていることは、辛うじてわかるのだけれど……。
「動物や魔獣と触れ合いたいのならば、魔法で出来ないこともないですよ?」
戸惑う私に、アリアさんから声がかかる。ただ、その言葉もすぐには頭に入らない。
「……えっと、どういうことですか?」
数拍の間を開けて尋ねれば、アリアさんは、真っ直ぐ私を見る。
「魔獣や動物をテイムすればいいのです」
「テイム?」
テイムって何だろう。聞き慣れない単語に首を傾げる。
「テイムは魔獣や動物達と絆を繋いで、従える魔法です。主にテイマーの方がよく使うのですが、それ以外の職業でも使えないことはありません。ただ、本職と違う魔法だと、魔素の効率は悪くなってしまいますが」
「なるほど……?」
何だか、わかったような、わからないような。
それにしても魔法ってそんなこともできるのね。例え魔法で繋がれた関係だとしても、動物や魔獣たちと触れ合えるのであれば、魔法の行使もやぶさかではない。多少の疲労感は享受しよう。
「でも、どうやれば……」
「そのためにもまず、魔獣か動物を見つけましょう。ニーナ。この周辺に気配は感じる?」
「えっとね、えっとね」
ニーナはフードを取ると、ぴくぴくと耳を動かす。何か音を拾ったのか、ばっと一本の木を見上げる。とん、と踏み切ると、軽やかに枝に飛び乗った。
「ちょっと待ってて!」
そう言うと、ひょいひょいと木を登っていく。呆気に取られて、それを見送る。
「あちらはニーナに任せて、こちらはこちらで準備を進めましょう」
「はあ、準備、ですか?」
「ええ」
頷くとアリアさんはきょろきょろと周りを見る。細い枝を手に取ると、地面に何かの図形を描き始める。
「それは?」
「これは、テイムの魔法陣になります。慣れれば自分の魔素で描き出すことも出来るのですが、見たところカミツカさんは魔法にあまり触れていないようですので。今回はこれで代用しましょう」
幾何学的な図形を描き終わると、持っていた枝を地面に置く。
「魔法行使の方法は分かりますか?」
「えーと、魔法陣に触れて、言霊を唱える、でしたっけ?」
「その通りです。魔法を使う際には、魔法陣や魔法陣が刻まれたものに触れることで、自分の魔素との繋がりを作ります。言霊は何をしたいかを告げるものなので、何でも構いません」
アリアさんは首を巡らせる。小さな木の実を拾ってくると魔法陣の中心に置く。
「おそらくニーナが連れてくるのは、先程のリースースクワラルでしょう。本来なら必要ないのですが、今回は地面に描いた魔法陣なので、留まらせる為にも好物を置いておきましょう」
その時、がさりと木が揺れて、たん、とニーナが地面に降り立つ。両手に優しく包み込むように抱いていたのは、予想通り、先程のリス(仮)。
「ニーナ。そのリースースクワラルを魔法陣の中に放してくれる?」
「わかった!」
アリアさんの言葉に頷き、ニーナは魔法陣の側に屈み込む。そっと、リスを下ろした。リスはきょろきょろと周りを見回すと、そろりと中心の木の実に近付く。両手で木の実を掴むと、かりかりと齧り始めた。どうやらお気に召したらしい。
「それでは、カミツカさん。今のうちに魔法陣に触れて、言霊を唱えてみて下さい」
「わかりました」
私はふう、と息を吐く。極力魔法は使いたくないのだけれど、今回は例外だ。
私はしゃがみ込むと、アリアさんが描いてくれた魔法陣に軽く触れる。言霊は、どうしよう。それに具体的なイメージも必要なのよね。そんなことを弟が言っていたような気がする。
とりあえず一番は、リスに触りたい。私だってたまには動物と触れ合いたい。でも、何より。
「仲良く、なりましょう?」
途端に、ふわり、と指先から乳白色の光が溢れて、魔法陣が淡く輝き出す。柔らかな風が吹き、そよそよと草木が揺れる。光と風が去った魔法陣の中心には、一匹のリス。
私は立ち上がると額に浮いた汗を拭う。そっと息をつく。よかった。今日は、昨日よりも疲れていない。でも、これ、成功したのかしら?
リスは相変わらず、かじかじと木の実を食べ続けている。
恐る恐るリスに近付く。ゆっくりと手を伸ばす。気配を感じたのか、リスは一瞬、ぴくっと反応した後、真っ直ぐ私を見る。くりくりとしたつぶらな黒い瞳と目が合った。それでも、逃げる様子はない。
ふさり、と指先がリスの頭に触れる。初めて触った滑らかな毛並みは柔らかく、温かい。真っ直ぐに私を見つめる瞳は愛らしい。動物ってこんな触り心地なのね。ふさふさと柔らかな感触が心地よい。どうしようこれ、止め時がわからない。
リスは木の実を食べ終えると、たた、と私の腕を上って、肩に乗る。何これ。夢かしら。
今まで動物には逃げられてばかりだったから、こんな経験、どうしていいかわからない。戸惑う私に、ニーナが、に、と笑いかける。
「成功したみたいだね! よかったね、カミツカ!」
「ええ、ありがとう」
笑顔のニーナにお礼を告げると小さく微笑む。その隣でアリアさんはなぜか難しい顔をしている。
「アリアさん、どうかしたんですか?」
「いえ……。あの、つかぬ事をお伺いしますが、カミツカさんの職業は何になるのでしょうか?」
「職業、ですか?」
職業……そういえば、こっちに最初に来た時、弟が何か言っていたわね。……なんだったかしら。
「えーと、確か、テイマーとか、言っていたような……」
どうにか記憶を辿ってそう返す。
「やっぱり……」
「やっぱり?」
アリアさんの反応に首を傾げる私に、いえ、と言葉を続ける。
「魔素の巡りが滑らかだったので、少し気になって……。テイマーなのに、魔獣には懐かれないのですね」
「えっと……そういう性分でして」
「性分、ですか」
眉を寄せ呟くアリアさんの言葉に頷く。
それにしても、テイマー? ってそんなに魔獣に懐かれるものなのかしら。そもそもこの職業? 自体、弟が勝手に決めたものだからよくわかっていない。きっと弟のことだから、いつも動物に逃げられる私が動物たちと触れ合えるように、選択してくれたのかもしれないけれど。
「何にせよ、成功、おめでとうございます」
アリアさんは私を見ると、にこりと笑う。
「ありがとうございます」
肩に乗ったリスの頭を撫でながら、笑顔で返す。それにしても本当にこれ、止め時がわからない。
「そういえば、この子って連れて帰れるんでしょうか」
「はい、出来るはずですよ。そのリースースクワラルが嫌がる場合は別ですが」
なるほど。でも、それはそうよね。無理強いはよくないし。この子は……どうかしら。大人しく肩に乗っているし、撫でるのも嫌がる様子もない。きっと大丈夫だとは思うのだけれど。
「……一緒に来てくれる?」
試しに聞いてみれば、きゅきゅ、と小さく鳴き声を上げる。これって、了承した、てことよね。多分。
私の肩の上で、リスは大きく尻尾を揺らしている。至近距離で見るリスは、とても可愛い。この子、元の世界にも連れて行けないかしら。弟なら、どうにかしてくれるだろうか。
そんなことを考えていると、不意に着信音が鳴り響く。仕方なくリスを撫でる手を止めて、ガウチョパンツのポケットからスマートフォンを取り出す。弟から電話がきている。
ロック画面の左上にある時計は、十七時五十分を表示している。いつの間にか、帰る時間が迫っていたようだ。空がまだ明るいから、全く気がつかなかった。
「すみません、そろそろ時間なので、帰りますね」
ひとまず電話は置いておいて、ニーナとアリアさんにそう伝える。
「うん、わかった! またね!」
「お気を付けて」
お辞儀をしてその場を去ろうとして、ふと、エコバッグが視界に入る。中には、アリアさんに掘り起こしてもらった、レンコンが入っている。リスの件といい、今回は二人にお世話になりっぱなしだ。このまま帰るのは何となく、申し訳ない気がしてくる。
私は、ふう、と大きく息を吐く。
「……ニーナ、アリアさん。明後日の夜って、予定空いていますか?」
視線を下に向けたまま、少し緊張しながらも、二人に聞いてみる。
「空いてるよ!」
「今のところ、予定はありませんね」
すぐに返ってきた返事に、ほっと胸を撫で下ろす。顔を上げて、ニーナとアリアさんを見る。
「あの、よかったらその日、この先にある家で一緒にご飯でも食べませんか? 今回のお礼もしたいですし」
ニーナとアリアさんは顔を見合わせる。同時に表情を崩す。
「もちろん!」
「有難うございます。是非」
その言葉に私も小さく微笑んだ。
その後は、明後日に開催予定になった食事会の詳細を決めた。二人に改めて今日のお礼を告げるとその場を後にする。
少し森を進んだところで、ずっと放置していた弟からの電話に出る。
『ちょっと。電話に出るのが遅くない?』
「ごめんね、色々と予定を擦り合わせていて」
少し拗ねた様子の弟に謝りながら、元の世界への帰還はログハウスに着くまで待ってもらうことにした。
そして予定よりも少し遅くなった、十八時過ぎ。ログハウスの冷蔵庫に一旦レンコンをしまうと、異世界を後にした。
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