6日目(2) 雨の森と現地民との再会
音もなく、雨が降っていた。細かな雨が不規則なリズムで、囲む木々の葉をぱちぱちと叩く。
見上げる空には、薄墨色の雲が濃淡をつけて流れていく。雨のせいか、水辺のせいか、そよりと頬を撫でる風は冷たい。
「それにしてもこんにゃところで会うにゃんて奇遇にゃ。久しぶりに会えて嬉しいにゃ!」
ニーナの声に意識を目の前に引き戻す。
下を向けば、思っていた以上に近い距離にあったアンバーの瞳と目が合う。にっと笑ったニーナのマントの裾から、尻尾が大きく左右に揺れるのが見える。
「それで、カミツカはここでにゃにしてるにゃ? もしかしてカミツカも探しにきたにゃ?」
ワインレッドのフードの上。ニーナの頭上には、幾何学的な図形が浮かんでいる。飴色の光を帯びた魔法陣が、傘のように広がって雨を弾いていた。
こんな魔法があったなんて知らなかった。傘を差さなくていいなんて、意外と便利かもしれない。雨なんて関係ないと思っていたから、全然認識していなかったわ。
私は掲げていた右腕をそっと肩の位置まで下げて、傘を持ち直す。
「探しにきたって何を? それに、ニーナ。あなた、なんで口調が前と変わっているの?」
結局、疑問をそのまま口に出すと、ニーナは、こてん、と首を傾げる。
……私の言葉、伝わっていないのかしら。
そう思いかけて、そういえば言語が違っていたと思い出す。でも、それならばなぜ、ニーナの言っていることがわかるのだろう。口調は……ちょっと、おかしいけれど。
もしかして毎晩聞き流している、攻略本アプリの異世界語講座(仮)のおかげだろうか。あれって意味があったのね。
「ニーナ。前にも言ったでしょう? 言葉つなぎの魔法を使わないと、カミツカさんに私達の言葉が届かないわ」
聞き覚えのある声がして、ニーナの背後の森に視線を向ける。
森との境目。背の低い草を踏み、やってきたのはアリアさんだった。ライムグリーンのマントを羽織り、フードを深く被っている。フードの隙間からは尖った長い耳と、シダ植物みたいな飾りの付いた、ピアスが覗く。
アリアさんの頭上にも、ニーナと同じ魔法陣が浮かんでいる。声を発するたびに、首元のチョーカーに付いた宝石が淡い銀色に輝くから、きっともう言葉つなぎの魔法とやらを発動させているのだろう。
「そうだったにゃ!」
ニーナはそう言うと、チョーカーの鈴飾りに軽く触れる。
「つにゃがーれ!」
ニーナが言葉を発した、その途端。指先に飴色の幾何学的な図形が描かれる。ぽわりと灯った光が急速に収束する。ちりん、と軽やかな鈴の音が響いた。
そこまで終わるとニーナが顔を上げる。私にずいと、さらに半歩近づいてくる。
「ねえねえ。それでそれで、カミツカはなんでここにいるの? ここで何してたの?!」
口調が以前聞いたものに戻っている……ような、気がする。勢いは変わらないけれど。
「えっと……」
「ニーナ。少し落ち着き……」
「あ、それ! もしかしてカミツカも、それを探しにきたの?」
アリアさんが止める前に、ニーナが声を上げる。真っ直ぐ私を見上げていた視線が、肩の位置まで下ろしていた右手に止まる。
ニーナの言葉に、アリアさんも私の手の先にあるものを見た。
「まあ。珍しいですね」
「珍しい?」
そろりと腕を動かし、自分の目の前にまで持ってくる。親指と人差し指で摘んだ先には、透明な丸い玉がある。先ほど露草色の花の中で見つけ、攻略本アプリには、雨の雫、とだけあった謎の結晶だ。
「何か、知っているんですか?」
そう聞けば、ニーナは、うんと大きく頷く。
「あたしたちもそれを探しにきたの! 雨の日だけ取れる魔石でね、ギルドの常設クエストにもなっているんだよ!」
「これって魔石なの?」
今まで見た魔石はガーネットのような赤い石や、サファイヤのような青い石、それにクリスタルとか、もっと宝石に近しいものだったから、結びつかなかった。でも言われてみれば、丸く加工された水晶のように見えなくもない。中に水が入っているかのような揺らめきはあるけれど。
「正確には魔法の発動を補助する、マジックアイテムになります。通常の魔石は魔素の結晶体ですが、雨の雫は透明な外殻で覆われた内側に魔素を帯びた水を溜め込んでいます。他の魔石よりも魔素伝導率が高く、どの属性の魔法でも高水準の威力を発揮できます」
「へー、マジックアイテム……」
マジックアイテムってなんだろう。攻略本に、書いてあるかしら。
アリアさんの捕捉説明に頷きつつ、首を傾げる。
「ええ。誰でも癖なく扱うことが出来るので、重宝されています。独特な揺らめきが特徴的で、魔道具の動力源だけではなくてアクセサリーとしても人気があるんですよ。ただ、入手方法が限定的、且つ、偶発的の為、数も少なくて希少性も高いんです」
「なるほど……?」
細かいことはよくわからないけれど、要するに、魔法を使うのを楽にしてくれるってことよね。そんな便利なアイテムがあったのね。
「それにしても、雨の雫は結晶体になるまで時間がかかる上に、途中で雨や水に触れたらすぐにただの雫に戻ってしまうのに、よく見つけましたね」
「そうなんですか?」
割とすんなりそこにあったのだけれど、本来ならそんなことはないのだろうか。
「見て見て、アリア! ここ、すっごいよ!」
不意に、はしゃぐニーナの声が聞こえてくる。
いつの間にか私の横に移動していたニーナは、真っ直ぐ前を指差す。
勢いを弱めてきた雨の中、広がっているのは蒼い景色。
浅葱色の浅い池の水面を覆う、萌葱色の大きな葉っぱの上。ころころと雨粒が転がる。大輪の花を咲かせる露草色の花弁には、きらきらと輝く雨の雫。まだらな雲の隙間から差し込む薄日を受け、スワロフスキーを散りばめたように虹色を反射させて煌めいている。
「これ、全部、雨の雫!」
ニーナは池に近付くと、閉じかけた花から透明な丸い玉、雨の雫を取る。
「まあ、本当ですね。こんなにあるなんて珍しい。雨が止む前に、いくつか花も一緒に摘み取りましょう」
そう言うとアリアさんは、何事か小さく呟く。その途端、そよりと優しく風が吹く。柔らかな風が露草色の花を撫で、ふわりと大きな花が舞い上がる。薄布に包まれるようにしゅるしゅると中央にまとめてから、手元に運ばれてくる。
「花ごとですか?」
「うん。このレイニーロータスはね、花弁が薬の材料とかになるんだよ!」
両手に花を抱えたニーナはそう言うと、アリアさんの前にしゃがみ込む。持ってきた花と雫を手渡した。……これって、そんな名前だったのね。そういえば攻略本で見かけたような気もする。
「ただ、この花は枯れた状態だと、途端に魔素が濁って使えなくなってしまうのです」
アリアさんは花弁に包まれた雫を確かめながら、一つ一つ丁寧に、袋の中に花を入れていく。
全てしまい終わると、袋を持って立ち上がる。
「それにしても、ここは魔素が濃いですね」
袋を抱えながら、アリアさんは周囲を見回して、そう零す。
「わかるんですか?」
「まあ、感覚的なものですが」
「アリアは特に敏感だもんね!」
そういえば、弟がログハウスの周りの魔素の濃度を上げたとかなんとか言っていたわね。少し離れているけど、ここもその影響があるのかしら。私には爽やかな森の空気しか感じないけれど。
不意に、傘を叩く雨音がなくなり、空を見上げる。
薄灰色のまだらな空には、ところどころ青空が覗く。霞む太陽が雲越しに真っ直ぐと、放射線状の光を差す。
傘をずらし、雨が降っていないことを確認する。そのまま傘を下ろすと、閉じて軽く水を払う。
視線を前に戻した。
薄日に照らされた池のほとり。水面を埋め尽くすハスのような花がゆるゆると萎れていく。露草色の花弁が縁から茶色に染まり、しおしおと閉じていくのに数秒もかからない。
「この花は別名、一雨花とも呼ばれています。一雨降る間しか咲くことが出来ず、雨が止むと枯れてしまいます」
「へえ」
完全に枯れてしまった水面の花を見て、相槌を打つ。萌葱色の葉の上を転がる雨粒だけが、陽の光を受けてきらきらと輝いている。
「……ちなみに、さっき花を集める時に使っていた魔法って、根っこごと取れたりしますか?」
ふと思い立って、花からアリアさんに視線を移すとそう聞いてみる。そう、忘れかけていたけれど、私が欲しいのは、この花でも雫でもない。
「出来ないことはないですが、根なんて何に使うのですか? それも枯れた花の根っこなんて……」
訝しげにアリアさんが聞き返す。
「私も詳しくは知らないのですが、なんだか、枯れた後の根っこが食べられるみたいです」
「根っこが?」
「それに、美味しいらしいです」
「美味しい?」
「しかも、美容にもいいらしいです」
「美容に?」
言葉を返すアリアさんの眉間の皺がどんどんと深くなる。まあ、普通に考えたらそうよね。
でも、弟が教えてくれたものだし、ここまで来たら是非とも入手はしたい。……出てくるものには、もう予想は付いているけれど。
「一つだけでいいので、取ってもらえないでしょうか? この雨の雫? は差し上げますので」
「構いませんよ。それにお礼も必要ありません。ニーナ。申し訳ないけれど、この袋、少し持っていてもらっていい?」
「わかった!」
アリアさんはニーナに袋を渡すと、池の前に立つ。何事か小さく呟くと、今度は水底の土を掬うように風が巻き上がる。
水面をぶるりと震わせて掘り出されてきたのは、ぼこぼこと丸っこい塊が連なる根っこ。確か、レンコンってこんな感じだったわよね。
まあ、花はハスみたいだし、根っこだって言っていたし、出てくるものに予想はついていた。……あれ? レンコンって根っこだっけ?
レンコン(仮)を掘り出した後、アリアさんは他の魔法を使って水洗いをして乾かすと、そのままふわりと私の手元に届けてくれる。枯れてまだそれほど時間は経っていないはずなのに、丸々と太っていて、立派に育っている。
「それ何? それ何? 食べれるの?」
ニーナは預かっていた袋をアリアさんに返すと、好奇心に満ち溢れた目で私の前に、たた、とやってくる。
「こっちでの名前は分かりませんが、これはレンコンっていう野菜です。天ぷらや煮物などにして食べられますよ」
ニーナの疑問にそう返すと、改めてアリアさんに向き直る。
「ありがとうございます。わざわざ綺麗にしていただいて」
「いえ、気にしないでください。それに、土がついたままでは、持ち帰るのも大変でしょうし」
「すみません、ありがとうございます」
そんなことまで考えてくれていたのね。私は重ねて感謝を伝えると、リュックからエコバッグを取り出す。レンコンはひとまずそこに入れておく。
その時、不意にがさり、と草が揺れる音がした。
「何かいる!」
気になって確かめようとするよりも早く、ニーナが飛び出して森に入る。呼び止める間もなかった。
私の隣でアリアさんが大きく息をつく。
「えっと……追いかけなくていいんですか?」
「まあ、そのうち帰ってくるでしょう。それより、それは乾かさないのですか?」
エコバッグとは反対の手で持つ、私の傘を指差して、アリアさんが聞いてくる。そういえば、そんな魔法もあったわね。……覚えては、いないけれど。
「私には、ハードルが高くて……」
「ハードル?」
訝しげにアリアさんが首を傾げる。……この世界に、ハードルって言葉はないのかしら。
「まあ、それはともかく、乾燥魔法は汎用性が高いので、覚えておくと便利ですよ」
アリアさんはそう言うと口の中で何事か呟く。途端に私の足元に銀色の幾何学的な文様が浮かび、そよりと柔らかな風が吹く。靴や服、閉じた傘も優しく撫で上げ、空へと上っていく。
見上げた空には、雲が流れてすっきりと晴れた水色が広がっている。
かさかさと足首をくすぐる草の感触に下を向く。
魔法陣が消えた足元。ぐしょ濡れだった靴がすっかりと乾いている。ターコイズ色の傘も、表面を転がっていた雨粒が消えている。
「すごい……」
思わず零して、全身を見る。こんな簡単に服も傘も乾かすことが出来るのならば、ちゃんと覚えておけばよかったかもしれない。こっちでやるか分からないけれど、洗濯の時も重宝しそうね。後で魔法陣アプリを確認しておこう。
「ありがとうございます」
「いえ。お役に立てて光栄です。以前はお礼も碌に出来ませんでしたから」
アリアさんはそう言うとそっと腕を上げる。覗いた手首には、シダ植物みたいな飾りの付いたブレスレットがある。私がそれを確認すると、小さく微笑む。
「あの時は、ありがとうございました」
重ねてお礼を言われて、反応に困ってしまう。ただ落とし物を持ち主に届けただけだし、大したことはしていないのだけれど。
「いえ……」
熟考の末、それだけ返すと、森に視線を戻す。
それからアリアさんと二人、ニーナが帰ってくるのを待った。
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