異世界帰還後(5日目)

 ぽしゅん、と光が消えて、とす、と硬い地面に着地する。

 強い光と風が去り、ゆっくりと瞼を開く。目の前に広がるのは、白い部屋。細い輪郭線で描かれていたはずの家具やパソコンは、普通の家具やパソコンに変わっている。


「何これ」


 弟の部屋と家のリビングをドッキングしてトレースしたような部屋の様子に、思わず声が出た。ただ周りは相変わらず白いままだから、物はリアルなはずなのに、どうにも現実感がない。


「いらっしゃい」


 部屋を見回していると、たた、と弟が駆け寄ってくる。


「帰る時にこっちに寄りたいって言ってたけど、どうしたの?」

「それもあるけれど、どうしたの? この部屋。前とだいぶ雰囲気が変わっているけど」

「ああ、これ?」


 弟はくるりと周囲を見る。


「頑張った」


 それだけ言うと、満足気に胸を張る。でもすぐに姿勢を崩すと、へらりと笑う。


「それに最近、魔法にも慣れてきて、だいぶ安定して使えるようになったんだ。ここは魔素の量もたくさんあるし、なんでもできるから楽しくなってつい、やりすぎちゃって」

「ああ、そう……」


 要するに、調子に乗ってやりすぎた結果が、これなのかしら。でもそれだけでここまでのことをできるものなのだろうか。


 改めてぐるりと部屋の中を見てみる。

 デスクやパソコン、ゲーミングチェア、タオルケットがめくれたままのベッド、無造作に漫画やライトノベルが並ぶ本棚、ゲームソフトが乱雑に積み上げられたパイプラック。

 黒光りするパソコンのモニターも、つややかに銀色が輝くパイプラックも、てらりと鈍く光を反射させる漫画やライトノベルの背表紙も、見慣れた弟の部屋の景色そのものだ。


 木製のダイニングテーブルやイスは、リビングにあったものと変わらない。どれもそのままこの部屋に持ってきたかのように、妙なリアルさがある。

 そういえば、物体をコピーする魔法陣も、攻略本に書いてあったような気がする。でも……。


「一回使っただけであんなに疲れるのに、よくやるわね」

「そう、それだよ」


 思わず感心して呟くと、弟がずいと近付いてくる。反射的にのけぞる私に構わず、弟が続ける。


「ちょっと見てたけど、姉ちゃん、魔法使う時に力入れすぎ。どうせ、綺麗にしたい、くらいにしか考えてなかったんでしょ。どう綺麗にしたいかとか、もっと具体的にイメージしなくちゃ」


 弟の勢いに押されながらも、とりあえず、距離を取って言われた言葉を頭の中で反芻する。確かにあの時は、綺麗にしたい、としか考えていなかった。


「……そうなの?」

「うん。あれだと、身体の中にある魔素、ほとんど持ってかれちゃうよ。疲労感、半端なかったでしょ?」

「……まあ、そうね」


 正直に言うと、まだ疲労感は抜けていない。早くお風呂に入ってゆっくりしたい。


「でもそんなことメールのどこにも書いてなかったじゃない」


 弟から受け取ったメールには『気持ちとイメージが大事』とはあったけれど、具体的にイメージするなんて話は一つもなかった。それならそうと、ちゃんと書いてほしい。


「それに、メール。何あれ? なんでメールが受信できるの?」

「電話よりも文字として残ったほうがいいかなって思って。送信テストも兼ねて、送ってみた」

「だからなんで、メールが送れるのよ」

「頑張った」


 頑張って……どうにかなるものなのかしら。

 首を傾げかけて、すぐに左右に振る。


「いやいや、そう何度も誤魔化されないわよ。それに、メールを送るのだってあんな細切れにしなくてもいいじゃない」

「実際はネット環境を整えるために、魔素でどうにかできないか、頑張っている最中なんだけどね。まだ電波自体は微弱で、あまり負荷をかけられなくてさ。あれくらいならスパッと送れるんだけど、あんまり長いと送信中のまま止まっちゃうんだ」


 弟の言葉に眉を寄せる。


「なんでこんなところでネット環境なんて整えようとしているのよ?」

「ネットがあれば、もっとやれることも広がるし。それにここ、ゲーム機は使えるけど、オンラインになると何もできないんだ。そろそろイベントが始まっている頃なのに、ずっとログインもできないし。上位ランカーだけがもらえる限定アイテムとかも、ゲットしたいじゃん」

「え、そこなの?」


 なんだか途中から話の論点、ズレてない? ゲームの話なんてしていたかしら。

 まあ、この子はこういう子よね。なんだか、考えるのも、心配するのも無駄な気がしてきた。

 私はこめかみに手を当てると、小さく息をつく。


「……よくわからないけど、わかったわ。それより、電話やメールって、こっちからはまだできないの?」


 私の質問に弟は困ったような笑顔を見せる。


「うーん……今は魔素を通じて、俺が姉ちゃんの携帯に有線で繋いでいるみたいな感じだからな。ネット環境がもっと整えば、双方間のやりとりもできるようになるんだけど。あとは姉ちゃんが、もっと細かい魔素の操作を覚えるとか」

「じゃあ、ネット環境が整うまで無理ってことね」

「なんだか選択肢の一つを流された気がするけど……。まあ、そうだね。あと少しだとは思うんだけど」

「なるほどねぇ」


 ひとまず、電話をかけるのも、メールを送るのもできるのは弟からだけ、ということはわかった。弟には、一刻も早く通信環境を整えてもらいたい。

 なんの気もなしに、ふと腕時計に視線を落とす。十八時はとっくに過ぎている。


「まあ、とりあえず、今日は帰るわ。帰る時は、来る時にいた公園に送ってくれる?」

「家じゃなくていいの?」

「ええ。この時間だと急に家に帰るのも違和感があるし。それに買いたい物もあるから」

「わかった。明日も今日と同じ時間でいいの?」


 ……なんだか、明日もこっちに来るのが前提みたいになっているのだけど。二日に一回って言っていたの、忘れられているのかしら。

 まあ、明日も特には予定がないから、断る理由もないけれど。


「……そうね。それでお願い」

「わかった。じゃあ、また明日」


 弟はそう言うと、左手の指をぱちんと鳴らす。

 その途端、足元に白い幾何学的な文様が展開される。下から風が吹き上げて、眩い光がスパークした。何度経験しても慣れない感覚にぎゅっと目を閉じる。


 瞼の向こうで光が去り、吹き上げる風が止む。ゆっくり目を開いた先には、少し黄ばんだ白い壁。暖色の電灯がちかちかと灯る。

 外に出れば、群青色の空を縁取って、朱色が広がっていく。夕暮れ間近の公園には、人の姿は少ない。


 そのあとは、コンビニに寄ってバターとバニラアイスを購入する。そして予定よりも少し遅くなった十八時半。家に帰った。

 その日の夜は魔法を使ったことで適度な疲労感を得られたためか、ぐっすりとよく眠れた。

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