5日目(3) はじめての魔法

『件名:RE:

 お疲れさま。

 なんかできそうだったから試しにメール送ってみたんだけど、届いてる?』


 メールの受信ボックスに表示されていた弟の名前をタップしたら、それだけ書いてある。


「……ここって電波あるの?」


 メールが届くってことは、そういうことよね。それなら、魔法陣一覧の最後にあったQRコードを読み取って、リンク先に飛べるのだろうか。

 そう思ってスマートフォンの右上を確認してみる。そこには「圏外」の表示がある。何これ。どういうこと?


 ブブ、ブブ ブブ、ブブ


 首を傾げかけた時、また、メールが届く。


『件名:RE:

 魔素が発するエネルギーを電波に代替できないか今調査中でさ。一回の通信で大きなエネルギーが必要になるから、実際に使えるようになるにはまだ先だけど。』


 メールの文面に自然と眉間にしわが寄る。弟は一体、何をやろうとしているのかしら。眉間のしわを伸ばしながら、ため息をつく。

 色々と言いたいことはあるけれど、とりあえずメールに返信しておこう。でも、こっちからメールって送れるのだろうか。


 ダメ元でひとまず、弟のメールに返信を試みる。案の定メールは送信できず、送信エラーのアラートが表示される。


「……まあ、そうなるわよね」


 うん、予想はしていたわ。だってここ、圏外だし。

 こう、電話でもメールでも、一方通行でしか受け取れないのは、どうにかしてほしい。弟に要望を伝えれば、改善してくれるのかしら。今度、言うだけ言ってみよう。


 密やかにそう決意すると、ブブ、ブブ、とまたメールが届く。一つにまとめて送ればいいのに。字数制限とかあるのだろうか。

 首を傾げながら、メールを開く。


『件名:RE:

 ちなみに、魔法を使う時の言霊はなんでも平気だよ。重要なのは気持ちとイメージだから。あと、魔法陣の正確さとかね。』


 確かに言霊ってなんだろうとは思ってはいたわ。でもこんなタイミングでアドバイスが来るとか弟はエスパーか何かかしら。そういえば、神を自称する弟は、この世界を見守っていると言っていた。……ということは、これも見ているってこと?


 ブブ、ブブ ブブ、ブブ


 スマートフォンが小刻みに震える。私は表示されている画面をタップする。


『件名:RE:

 安心して。たまにモニタリングしてるだけだから。

 あ、それと魔法陣はスマートフォンにダウンロードすれば使えるようにしてあるから、よかったら試してみてね。』


 弟からさして安心できないメールが届く。でもアドバイスはありがたいし、それだけ受け取っておこう。


 私はQRコードに視線を落とす。

 表示上は圏外だけど、これアクセスできるのかしら。でも、データはダウンロードしたいし。

 ブブ、ブブ、とメールが届く。


『件名:RE:

 あ、でも通信速度遅いから、ダウンロードは戻ってからのがいいかも。魔法陣なら魔紙に模写しても使えるし。紙は引き出しにあるよ。

 じゃあ、よろしく。』


 何がよろしくかわからないけれど、ダウンロードを始める前に連絡がきてよかった。

 なるほど。紙への模写でもいけるのね。それにしても魔紙ってなんだろう。

 ぺらり、と攻略本のページを進める。


【魔紙】魔素を繊維化させたものを漉いて紙にしたもの


 用語一覧のページを確認してみたら、端的にそれだけ記載がある。

 漉いて紙に……和紙みたいなものなのかしら。というか魔素を繊維化とか、どういうこと?


 手を伸ばしてコップを取る。アップルティーを一口飲む。

 ……まあ、わからないことを考えても仕方ないわね。とりあえず今は、紙を探してこよう。


「えっと、引き出しってことは、部屋の中にあるのよね」


 そう結論付けると、攻略本を閉じる。飲みかけのアップルティーをそのままに、スマートフォンを手に取る。他に誰も来ないだろうし、このままでいいわよね。

 立ち上がり、ウッドデッキとの境にある窓に近付く。サンダルを脱ぎ、部屋の中に戻った。



 リビングにはいくつか棚が置いてある。キッチンの食器棚。部屋の中にぽつぽつとある本棚。本棚には小さな引き出しも付いている。


「紙と……模写するなら、ペンも必要よね。これかしら?」


 その中の一つにクリーム色のメモ帳とボールペンタイプの万年筆が入っていた。見つけたそれらを持って、ウッドデッキに出る。

 元々座っていた席まで来ると、攻略本を開く。探していたページはすぐに見つかった。


「模写って普通に書き写せばいいのよね」


 メモ帳から紙を一枚剥がし、空に翳してみる。

 少しむらはあるけれど、見た目では普通の紙と違いはない。割と薄手なその紙は、太陽の光を受けて白く透ける。


 紙を下ろすと、攻略本に視線を落とす。

 魔法陣とされるものは円形を基本に、三角や四角など幾何学的な図形が組み合わさって形成されている。図形を見ながら描くとしても、フリーハンドでは流石に厳しそうだ。


「重ねても下の図形、見えるかしら」


 試しに攻略本の魔法陣の上に紙を置いてみる。


「!」


 その途端、紙が淡く発光した。

 慌てて紙を摘んでいた手を離す。乳白色の光の中、しゅるしゅると黒い線が浮かび上がる。

 光が収まった紙に描かれていたのは、攻略本にあったものと同じ図形。


「何これ?」


 重ねるだけで模写できるとか、聞いてない。こういうことは、事前に教えておいてほしい。

 まあ、とりあえず魔法陣は用意できたから、よしとしよう。これで、魔法が使えるのよね。


 私はコップに入っていたアップルティーを飲み干すと、残りの紅茶を注ぐ。りんごも全部コップに移す。攻略本を開いたまま少し横にずらして、メスティンを目の前に持ってくる。

 ……これで、どうすればいいのかしら。


 弟やニーナ、アリアさんが魔法を使っていた時のことを思い出す。火を起こした時は魔石に、言葉を変えた時はチョーカーに触れていた、ような気がする。と、いうことは魔法陣に触ればいいのだろうか。


 ブブ、ブブ ブブ、ブブ


 机の上のスマートフォンが小さく震える。手前に引き寄せ、届いたメールを開く。


『件名:RE:

 魔法陣はかざしたり、対象物の下に敷いたりすれば使えるよ。魔素との巡りを繋げるためにも、魔法を行使する時は魔法陣をトレースしたものに触れてね。』

「……なるほど?」


 メールの文面を読み終わると、魔法陣を模写した紙を机に敷く。その上にメスティンを置く。そっと紙に手を添える。


 言葉は……なんでもいいのよね。気持ちとイメージが大事って書いてあったし。えーと、メスティンを綺麗にしたいから……。


「綺麗になれ」


 端的にそれだけ呟く。

 瞬間、魔法陣が淡く輝き、乳白色の光が弾ける。咄嗟に腕を引こうとしたけれど、魔法陣に触れた手がぴったりと張り付いて動かせなかった。


 え、ちょっと待って。何これ。

 疑問は声に出ず、風が舞い上がる。ぱたぱたとカーディガンの袖がはためく。


 弟やニーナ、アリアさんが魔法を使っていた時はどんな感じだったかしら。光と魔法陣は出現していたけれど、ここまでではなかった気がする。ちょっと待って。何これ、どういうこと?


 身体中の血液が一気に駆け巡る。体温が急上昇して、急速に冷めていく。ただ、指先だけは熱いままだ。

 つう、と頬を伝う感触に、自分が汗をかいていたことに気付く。無意識で止めていた息を、は、と吐き出す。


 魔法陣から弾け出た光と風は、花びらが閉じていくように収束していく。中心に残っていたのは、つややかな鋼色を反射させる、メスティン。新品みたいに、ぴかぴかと光っている。


 ぱたた、と机の上に汗が落ちる。そこまできて、ぴくりと中指が反応する。腕を引き、イスに座ったまま姿勢を崩す。


「魔法って、こんなに疲れるものなの?」


 荒い息を整えて、ぐったりと呟く。指先に視線を動かす。そこにはまだ、仄かな熱が残っている。


 心臓がばくばくと波打って、心音が耳奥に響く。全力疾走をした後みたいに、どっと疲労感が押し寄せてくる。なんだかもう、今日は動きたくない。


 私はのそのそとコップを掴むと、アップルティーをごくごく飲む。少し冷めたこのぬるさが、今は丁度いい。ほ、と息をついた。

 お箸を取り、りんごをしゃくり、と齧る。紅茶の味が沁みたりんごは甘くて美味しい。ああ、生クリームが食べたい。


「こんなに疲れるなら、魔法なんて使ってみなければよかった」


 恨めしげに零して、机の上を睨む。

 メスティンは確かに綺麗になった。……これ、買った時よりも綺麗になっていないかしら。


 ふと、下に敷いていた紙が視界に入り、引っ張り出す。ぴらりと出てきた紙には何も描かれていない。ただのクリーム色のメモ帳に戻っている。


「使えるのは一度ってこと?」


 だとしたら、なんて非効率的なのだろう。その上、すごく疲れるとか。

 こくり。アップルティーを飲む。

 攻略本を引き寄せる。ぺらり。ページを捲る。他の魔法を試す気にはなれず、その後の時間はひたすら攻略本を読んで過ごした。



 そして、約束の十八時。

 弟からの電話を受けると、私は異世界を後にした。

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