4日目(3) 今日のご飯は弟と
「姉ちゃんが、米を研いでる……!」
「いや、私だって米くらい研ぐわよ」
驚愕して呟く弟の言葉に返しながら、お米の研ぎ汁を捨てる。
ウッドデッキの隅にある水道で、メスティンの中に水を入れると、また軽く米を研ぐ。
弟に預けた荷物の場所を聞いて、連れてこられたのがこの場所だった。
ウッドデッキは夜に変わった森の中でも十分に明るい。部屋から溢れる明かり以外にも、縁に沿うように取り付けられたライトから煌々と白い明かりが灯る。
中央付近には木で組まれたテーブルと四角いイスが置いてある。イスは座面が蓋になり、中に収納スペースがあった。預けていたのはほとんどがキャンプ用品だったからか、全てイスの中に入れられていた。
排水口に研ぎ汁を捨てると、また蛇口を捻る。
「でも、ここに水場があって助かったわ」
今日はお米を食べたい気分だったから、一応、ペットボトルを一本多めに持ってきてはいた。でも、お米を研ぐのだけに使うのも勿体ないし、湖や川の水を使うのもちょっと抵抗があったし、どうしようかとは思っていたのよね。
弟が言うには、この水道も魔道具? らしい。蛇口を捻る部分の中央には、サファイアみたいな青い魔石が嵌められている。
研ぎ汁を捨てると立ち上がる。テーブルまで移動して、メスティンを置く。イスの座面を持ち上げ、中にしまったリュックから缶詰と多機能ツールを取り出した。
「なにそれ?」
向かいのイスに座った弟が私の手元を見て聞いてくる。
「パエリア缶だって。焚き火台を買ったら、セットで付いてきたの。このお米もだけど」
答えながら、多機能ツールから缶切りを引っ張り出す。なかなか力が伝わらず、開けるのに手間取っていると弟が代わってくれた。蓋の空いた缶を受け取って、メスティンに中身をどばどばと注ぐ。
エコバッグからきのこを取り、メスティンの蓋に乗せ、水場に行く。さっと洗って、下処理を済ませる。ビハダケとスッキリダケは一口大に、ビハクダケは一つだけ薄くスライスして、残りは細かく切る。スライスしたビハクダケはそのままにして、残りのきのこをメスティンの中に入れると、蓋をする。
「火の準備はできてる?」
「うん。さっきやっといた」
テーブルの中央は窪んでいて、そこに焚き火台がセットされていた。本来、枝木や炭があるはずの場所にはシトリンみたいなオレンジ色の魔石が置いてある。
「なにこれ?」
「こっちの方が、火力調節できるし」
「まあ、ご飯炊けるなら、なんでもいいけど」
眉を顰めつつも、焚き火台の上にメスティンを乗せる。
「じゃあ、火、付けるね」
「ええ、お願い」
頷くと、弟は口の中で何かを小さく呟く。その途端、小さくて白い幾何学的な文様が魔石の上に展開された。焚き火台からじんわり熱が伝わってくる。
要するにIHのコンロみたいな感じかしら。これなら火も出ないし、ここだとこちらの方が安全かもしれない。
「こんなことも出来るのね。これって、ランタンに付いている赤い魔石でも出来るの?」
「まあ、出来ないことはないかもしれないけど……。どっちも同じ火の魔石なんだけど、色によって熱量が違うから、赤い魔石だと火力は弱いかもね」
「へー。そんな違いがあるのね」
しばらく二人で話していると、ぽこぽことメスティンの蓋が動き出す。
「ちょっと、火力弱められる?」
「わかった。ちょっと待って」
弟はそう言うと、また何事か呟く。さっきよりも小ぶりな白い文様が展開されて、伝わる熱の威力が弱まる。
私は隣の座席に置いてあったリュックから、スマートフォンを取る。タイマーを十分にセットして、そのまま待つ。
隙間から溢れる湯気からは、濃厚なトマトの香りが漂ってくる。微かにきのこの匂いも混ざる。
お腹が空きそうな匂いだけど、完成にはまだもう少し時間がかかる。
「そういえば、お箸とかどうする? 急だったし、広世の分は用意してないけど」
「大丈夫」
ふと気にかかって聞いてみれば、弟はそう言ってぱちんと右手の指を鳴らす。一瞬だけ白い光が弾けて、ぽんと手元にスプーンが出現する。
「……何、今の?」
「え、魔法」
思わず尋ねた私に、弟はさも当然とばかりにそう返す。
そうよね。この子は、そういう反応を返すわよね。でも、そうじゃなくて。
「どこから出してきたの?」
「ああ、これ? リビングの棚の中に入れておいたんだ。俺がこの家に来ることもあるし、姉ちゃんと合わせてとりあえず二人分」
「……なるほど?」
ひとまず頷いてみたものの、疑問が残る。
「それで、どうして出てきたの? 白い部屋でもやっていたけれど、ここは普通の森の中だし、魔素? の量も違うでしょう?」
「この家建てるのに、この近辺だけちょっと魔素の密度を濃くしたんだ。まあ、この距離なら調整をしなくても出来るんだけど」
……ん? どういうこと?
「端的に言うと、この場所だけ擬似的に『神の間』と同じような空間を作ったことになるのかな」
首を傾げた私を見て、弟はそう付け加える。……それって、どうなのかしら。
その時、ピピピピピ、とタイマーが鳴る。
私はひとまず思考を放棄して、スマートフォンの画面をタップする。タイマーを止めると、メスティンを焚き火台から下ろす。テーブルの上に置き、タイマーを表示させたままの画面をタップした。
「これで、あと十分間蒸らせば完成ね」
「おお、ようやく」
待ちきれない様子の弟を宥めつつ、先程の会話を反芻する。
「それで、擬似的にあの部屋に似せて、問題はないの?」
ここには果実もあるし、近くにきのこも生えているかもしれない。口にするものだし、悪影響がないといいのだけれど。それに魔素が濃い場所? って、人体に影響はないのだろうか。
そう思って、ひとまずの懸念事項を確認する。
「うーん、多分大丈夫なんじゃないかな。通常より魔素が濃い場所は『魔素溜まり』って呼ばれていて、他にもあるし。植物の発育はよくなるかもしれないけれど」
……それは、問題ではないのかしら?
まあ、他にも同じような場所があるのならば大丈夫か。それに弟もあの白い部屋にいることが多いだろうし、魔素が濃い場所に常にいるわけよね。それで身体の不調は特になさそうだから、本当に問題はないのかもしれない。いや、でもどうなのかしら。
ピピピピピ。
考えることを放棄したくなってきた時、タイマーの音がした。
疑問の残滓を隅に追いやり、メスティンの蓋を開ける。ずっと漏れていたトマトときのこの香りが、湯気とともにぶわりと立ち上る。自然と鳴りそうになるお腹を必死で堪えながら、リュックの中からお箸を取り出す。
本日の夕飯は、チキンときのこのパエリアだ。元々あったパエリア缶に、きのこをプラスしてみた。
「うわ、美味しそう」
漂う香りに、我慢しきれない様子で弟が零す。私はメスティンの蓋に半分だけパエリアをよそる。お米が思いのほかさらさらしていて、お箸だとやりづらい。
どうにか分けると、最後にスライスしたビハクダケを乗せる。軽く小山が出来た蓋を弟の前に差し出した。
「ありがとう」
弟は笑顔でそう言うと、いただきます、と手を合わせる。スプーンで一口掬い、はむりと食べる。
ふ、と零れた満足気な表情にほっとしつつ、私もいただきます、と一口食べる。
爽やかで濃厚なトマトときのこの香りが口の中に広がって、咀嚼するほどに旨味が増す。チキンも柔らかいし、パエリアに入っていた赤ピーマンの苦味もいいアクセントになっている。
「美味しい……」
思わず、声が出た。
お米がさらさらとしていてお箸では掴みにくいけれど、それさえも気にならない。向かいの席では弟がひたすらにパエリアを口に運んでいる。
そのまま二人して黙々と食べ進め、パエリアはあっという間になくなってしまった。それだけでは足りなかったから、今日は果物を多めに用意した。途中で採ってきたりんごと桃の他に、近くに生えていた梨も添える。手を加えるのも面倒だったから、カットしただけだったけれど、どれも美味しかった。
「それにしても、魔法って便利なのね」
食事が終わって、後片付けの最中。焚き火台に置かれていたオレンジ色の魔石を取り、ふと呟く。
火を簡単に起こしたり、物を手元に引き寄せたり。そういえば、翻訳もしていたわね。
「うん。媒介になるものが必要になるけど、汎用性もあるしね」
たった今、魔法でメスティンを洗い終わった弟がそう返す。
今まであまり興味はなかったのだけど、本格的に覚えてみてもいいかもしれない。弟に言えば、魔石や魔道具も用意してくれそうだし。それとも、道具はなんでもいいのかしら。
そんなことを考えながら焚き火台を畳み、黒いポーチにしまう。置いていくものと持って帰るものを仕分けて、リュックを整理する。残りはイスの収納スペースに戻す。
「そろそろ帰る時間?」
「ああ、そうね」
弟の言葉に腕時計を見れば、もうすぐ二十三時になる。なんだかんだでそれなりに時間を費やしていたらしい。
「準備できたなら、行くよ」
「ええ、お願い」
私が頷くと、弟はぱちん、と左手の指を鳴らす。その途端、足元に白い幾何学的な文様が浮かび、強い風と光が巻き起こる。
「じゃあね、また明日!」
弟の声に送られて、異世界から帰還した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます