4日目(2) 異世界建物探訪

 ベニバナや白百合、サルビアやアスターが咲き乱れる小径を弟に続いて歩いていく。ぽつぽつと低い位置に配置されたライトが、景観を邪魔しない程度の明るさで足元を照らす。

 檜皮色の木目が印象的な一軒家は、近付いてみると思いの外大きい。

 ……これ、本当に弟が作ったのかしら。

 ログハウスのような二階建ての家を見て、首を傾げる。ずれかけたリュックの肩紐を直し、眉間に手を添える。いけない。また、しわが寄りかけていた。


「さ、入って入って!」


 開けたドアを押さえて、弟はまるで宝物を自慢するかのように私を家の中へ招く。私は仕方なく玄関に足を踏み入れた。その途端、ふっと立ち込める木の香り。そして、ぱっと明かりがつく。


「え、人感センサーまであるの?」


 思わず声が出た。天井に嵌め込まれた照明を見上げる。中に赤い魔石が入っているのが見えるから、機構としてはランタンと同じみたいだ。


「うん。何代か前の神様が仕組みをこっちの世界の仕様に改良して、完成させたらしいよ。まあ、まだ値段が高いからそんなに普及はしてないみたいだけど」


 そういえば、この世界の神様って代々異世界……というか、弟みたいにこっちに招かれた人がやっているんだったわね。それならば、そういうこともあるのだろうか。

 そう思いながらも眉を寄せて、首を傾げる。

 今のところ森を歩いているだけだからいまいち実感がないけれど、この世界は思っていた以上に発展しているのかもしれない。

 弟は私の隣を抜けて、家の中に上がり込む。


「まあ、立ち話もなんだし、中、上がってよ」


 玄関に備え付けられたシューズボックスに靴をしまうと、笑顔で弟が言う。


「ああ、まあ、そうね」


 とりあえず頷くと、スニーカーを脱ぐ。

 気になることは色々とあるけれど、考えても答えは出ないし、ひとまず今は大人しく弟の言葉に従っていよう。玄関ホールに上がると、脱いだ靴を端に寄せる。

 それにしても、なんだか家に上がる前から疲れた気がするのは気のせいかしら。


「じゃあ、まずは二階から案内するね」


 弟は嬉々として、入ってすぐにある階段を上っていく。その背中を見送りながら、そっと廊下を見渡す。

 外観と同じく、家の中も木の温もりに溢れている。光沢のある木目の床は柔らかく、ストッキング越しに伝わる感触は滑らかだ。家中に広がる香りは檜かしら、欅かしら。


「姉ちゃん、こっち」

「今行くわ」


 弟の声に、板張りの床をぎしぎしと踏みしめながら二階に向かう。


「二階にはね、とりあえず部屋が三つあるんだけど、作りはどれも同じで、どの部屋からもバルコニーに出られるようになってるんだ」


 そう言いながら、弟は一番右端の部屋のドアを開ける。

 部屋の中はとてもシンプルで、木で組み立てられた机とベッドが置かれているだけだ。部屋の奥には大きな窓があり、そこからバルコニーに出られるらしい。


「ここは?」

「俺の部屋」


 私の問いかけに、弟は端的に答える。


「なんで広世の部屋もあるの?」

「え、来ちゃダメなの?」


 部屋の真ん中くらいまで進んでいた足を止めて、きょとんとした表情で弟が振り返る。


「いや、だめじゃないけど……。あの白い部屋はいいの?」

「あそこは観察用の部屋だし、この世界の様子はスマホでも見られるから大丈夫!」


 そう言うと弟はスマートフォンをジーンズのポケットから取り出すと、画面を見せる。アプリの一覧が表示されている画面には『神様ナビ』と書かれたアイコンがある。そのデザインは、攻略本アプリのものとよく似ている。


「え、何それ?」

「作った」


 ……作った?

 一瞬反応が遅れた私を気にせず、弟は続ける。


「ちなみに姉ちゃんが使っている攻略本アプリはこれを元にして、必要な情報だけまとめて組み立て直したものだよ」

「いや、そこは聞いてない」

「まあ、まだ観察可能エリアが限られているし、改良中ではあるんだけど」


 そう言いながら弟は、スマートフォンをポケットにしまう。バルコニーに繋がる窓を開いた。促されるまま、外に出る。


「ちなみに、真ん中が姉ちゃんの部屋ね。ベッドもあるから、次の日が休みの時とかはさ、ここに泊まってもいけるよ」

「いや、泊まらないけど」


 バルコニーから見えた部屋には、弟の部屋と同じような家具のシルエットが見える。

 でも、私の部屋があるってことは、色々と荷物も置いていけるし、便利ではあるかしら。


「で、その隣が客間ね。あとは、このバルコニーで二階は全部かな」

「なるほどね」


 弟の話を聞きながら、あらためてベルコニーからの景色を眺める。

 濃藍の空には瞬く白銀の星。暗緑色の池の水面には、星空と家から溢れるまばらなオレンジ色の明かりが沈む。水辺の風は涼やかで、薄手のジャケット越しに包む空気はひんやりと心地よい。

 池を囲む野花が揺れるたびに、池の縁取りをカラフルに染めていく。

 その向こうに広がる深緑色の森は静かに葉を震えさせる。


「次は一階を案内するね」


 しばらくしてかけられた弟の声に引き戻される。


「ええ、そうね」


 名残惜しくはあるけれど、時間も限られていることだし、後でまた来てもいいだろう。部屋に戻る間際にバルコニーを見渡せば、角にちょっとしたテーブルとイスが設置されている。テーブルの中心には小さなランタンが置かれている。

 今度、あの場所で読書をするのもいいかもしれない。

 そんなことを考えながら、弟に続いて、バルコニーを後にした。



「ここは、水回りをまとめていてね、お風呂もあるよ」


 階段を下りて裏手に回ると、弟はそう案内する。

 お風呂場を覗き込めば、一人で入るには十分すぎる広々とした湯船の先。額縁に縁取られたかのように、四角い中に夜の森と池の景色が広がる。


「ちなみにこれは、魔法でマジックミラーみたいな加工を施してあるんだ」

「へえ。そんなこともできるのね」


 お風呂場や洗面台があるならば、こっちでクレンジングやお風呂をすませてもいいかしら。向こうに帰ってからとなると、いつも遅い時間になってしまうから、少し気にはなっていたのよね。

 帰ったら色々と道具を準備しておこう。


「あとはリビングだね」


 玄関の方に向かい、その手前のドアを開ける。

 真っ先に飛び込んだのは、大きな窓。その向こうに広がる、深緑色の深い森。暗い空を煌めかせる無数の星々。窓は左右にもあり、左側にはその先にウッドデッキが張り出している。

 オレンジの明かりが灯るリビングに、足を踏み入れる。

 壁の檜皮色と相まって、室内は温かな色合いを醸し出す。

 部屋の中心には、綺麗な年輪が入った、大きな一枚板のテーブルがある。セットのイスも丸太タイプや座面が歪曲したデザインのものなど、形違いのものが四脚置かれている。


「すごいわね」

「頑張った」


 思わず呟けば、誇らしげな声で弟が入ってくる。

 ……ん?


「もしかして、これも作ったの?」

「時間が足りなくて、一部はクイダさんに手伝ってもらったけど」

「ああ、そう……」


 もう深く突っ込むのはやめて、部屋の中を見回す。

 リビングの奥には暖炉が備え付けられている。まあ、まだ時期的に使う予定はなさそうだけど。

 入り口側の壁には本棚もあるし、ここに攻略本を置いてもいいかしら。

 部屋を確認していると、なんとなく違和感を覚えた。

 森と池の風景と部屋の中を映し込む、大きな窓。一枚板で作られた、大きなダイニングテーブル。暖炉に壁際の本棚。手前側の角には冷蔵庫に似た家電? が置いてある。次に来る時はバターとアイスを持ってこよう。……いや、そうじゃなくて。


「この家、キッチンがないの?」

「え、いる?」

「いや、いるでしょ」


 右側の手前の角には冷蔵庫っぽい白い小箱はあるけれど、シンクやコンロの設置はない。どう考えたら、キッチンがいらないという発想になるのだろう。


「だって、姉ちゃん、料理しないじゃん。それにちょっとしたものなら、焚き火台もあるし」


 私の反応に弟は不思議そうに首を傾げる。

 確かに家だと料理は滅多にしなかったから、その言葉も否定はできないけれど……。


「私だって、煮たり焼いたりくらいするわよ。ここだと他に作る人もいないし」

「ああ、確かに、焼いたり、煮たりはしていたか」


 先日ここに来た時のことを思い出したのか、弟はすぐに納得したように頷いた。……と言うか、弟に見られていたのね。そうよね、この世界を見守ってるって話だし。


「じゃあ、次来る時までに追加しておくよ」


 へらっと笑って弟が言う。


「それは、助かるけど、そんな簡単に作れるものなの?」

「まあ、キッチンだけだし」


 なんてことないような弟の言葉に、今度は私が首を傾げる。でも弟なら半日くらいで作ってしまいそうな気がする。


「なんか話してたらお腹空いてきたな。姉ちゃん、今日は何作るの?」


 ダイニングチェアに座った弟が聞いてくる。その自然な動きに、反応が一拍遅れる。


「……食べるの?」

「え、ダメなの?」


 私の疑問に弟が即座に返す。


「いや、別にいいけれど。元々、一人分だし、そんなに量はないわよ?」

「ちょっとで大丈夫だよ。俺が急に言い出した事だし」


 一応、その自覚はあったのね。弟の言葉に、私は、はあ、とため息をつく。


「わかったわ。ところで、預けていた荷物はどこにあるの?」

「それならこっちだよ」


 弟はそう言うと先導して左側にある窓に向かう。私もその後に続いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る