3日目(2) 湖畔の夜と現地民とのひと時

「……え?」


 一拍遅れて、声が出た。

 いやいやいや。ちょっと待って。

 急に聞き取れるようになった言葉に困惑する。それに聞かれた内容はもっと意味がわからない。え、この世界って、他の世界から来た人がそんなに一般的なの?

 なんでこう、次から次に理解の追いつかないことがやってくるのだろう。ちょっと考える時間がほしい。


「えっと、あの、どういう……」


 戸惑いつつも聞きかけた言葉を、はた、と止める。

 そういえば、私の言葉も、伝わるのかしら。

 不意に風が吹き、さらりとシルバーグレイの髪が広がる。その隙間で銀髪少女のイヤリングがしゃらりと揺れる。葉っぱの飾りに付いた宝石が、ほわりと光る。

 中途半端に途切れた私の質問に、ああ、と小さく頷いた。


「これは、言葉つなぎの魔法によるものです。こちらの魔道具と術式を用いて、私達の国の言葉と貴女達の世界の言葉を繋げました」


 銀髪少女は自身の身に付けた、首元のチョーカーに触れて答えてくれる。彼女の声に合わせて、ペンダントトップに付いた宝石が淡く光る。


「はあ、なるほど……?」


 わかったような、わからないような説明に頷きつつ、頭の中で言われたことを反芻する。

 要するに、魔法によって魔道具? に自動翻訳機能を付けたってことかしら。

 話す時にはチョーカーの宝石が、聞く時にはイヤリングの宝石が反応しているようだ。これも、魔石ってものなのだろうか。ランタンにはめた石とは違うけど、クリスタルを思わせる透明な宝石は月明かりを受けて虹色に煌めく。

 それにしても魔法って便利なのね。やっぱり今後のために、もっとちゃんと攻略本を読み込んでおいたほうがいいかもしれない。


「それと、この世界の神は、代々異世界の方が務めているとの伝承がございます。最近出会った、異世界からいらっしゃったという(自称)神様は、貴女に少し面影が似ておりましたし」


(自称)神様って、広世のことよね。そうか。そうよね。そういえば、この世界には弟がいたわ。あの子、あの白い部屋から出られたのね。自ら神様を名乗っているとか、何を考えているのだろう。

 銀髪少女の言葉に納得はしたけれど、なんだか、どっと疲れた気がする。


「にゃー!」


 銀髪少女と話していると、突然、間に割り込むように、猫耳少女が声をあげる。


「にゃーにゃ。にゃにゃにゃにゃ、にゃにゃにゃーにゃ!」


 猫耳少女は何か訴えかけるように、銀髪少女の腕を引っ張る。その言葉はやっぱり、猫の言葉のままだった。でもその表情から、なんとなく不満そうなのはわかる。


「ニーナ。この前も言ったでしょう。貴女も言葉つなぎの魔法を使わないと、こちらの方に言葉が届かないわ」


 銀髪少女は猫耳少女に視線を合わせると、言い聞かせるようにそう告げる。猫耳少女は一瞬、きょとんとして首を傾げる。


「にゃあ!」


 少し間を開けて頷くと、ぽんと手を叩く。がっと首元のチョーカーに触れる。


「にゃにゃにゃーにゃ!」


 猫耳少女は目を伏せ、呪文を唱える。その途端、指先に飴色の幾何学的な文様が浮かび上がる。ぽわり、とチョーカーを囲むように淡い光が灯る。光が収束すると、チョーカーに付いた鈴飾りが、ちりん、と小さく音を立てた。

 そこまですると猫耳少女は、ばっと顔を上げ、たた、と私に近付いてくる。


「ねえねえ!」


 大きなアンバーの瞳を好奇心で輝かせて、猫耳少女はにっと明るく笑う。その首元、チョーカーの飾りは仄かな光を帯びている。


「あたしはニーナ。こっちはアリア。一緒にパーティーを組んでるの! あなたの名前は?」

「えっと、神束、です……」


 猫耳少女————ニーナの勢いに押されながらも、なんとかそれだけ返す。ところで、パーティーってなんだろう。お祭りでもやるのかしら。


「カミツカ、不思議な名前ね! ねえねえ、カミツカ。昨日、南の川原にいたよね? 何してたの? 急にいなくなったみたいだったけど、どうして? ここにはなんで来たの? ヒロセとはどんな関係?」

「えっと……」


 ぐいぐいと一気に距離を縮められて言葉に詰まる。矢継ぎ早にやってくる質問に返せないでいる間にも、ニーナは次々に疑問を投げかけてくる。

 猫の鳴き声っぽい感じで話しかけていた時も思ったけれど、勢いがすごい。言葉を挟む隙間もない。あと、やっぱり広世が来ていたのね。


「あとあと!」

「落ち着きなさい」


 なおも詰め寄ってくるニーナのTシャツの襟を後ろから掴み、銀髪少女————アリアさんが止める。ニーナは不満そうにアリアさんを見上げる。

 終始押され気味だった距離が離れて、ほっと息をつく。私は体勢を整えつつ、二人を見守る。


「でもでもー!」

「カミツカさんも、一気に沢山、質問をされたら困るでしょう?」


 反論しようとしたニーナに、アリアさんはため息混じりにそう告げる。初対面での距離の詰め方に戸惑っていたから、正直助かった。

 じっと私を見つめるニーナと目が合う。反応に困って、とりあえず曖昧に笑っておいた。


「うー。わかった……」


 ニーナはアリアさんの手をするりと抜けると、ざん、と私の目の前に立つ。


「ごめんなさい。色々とお話を聞きたかったの」


 しゅんと肩を落として、頭を下げる。心なしか尻尾がだらんと垂れ下がっている気がする。


「いえ、大丈夫です」


 そんな姿を見たら、なんでも許したくなってくる。私の言葉にニーナはすぐに顔を上げて、笑顔になる。


「ありがとう。それで、なんで昨日は河原にいたの? 今日はなんでここに来たの? あとあと、えっと」


 好奇心を抑えられない様子で、また詰め寄ってきた。その勢いに、思わず一歩、後ろに下がる。


「えっと、取り立てて話すようなことは……。広世はただの弟だし」


 河原では焚き火をしてご飯を食べて、この湖畔にも夕飯を食べにきただけだ。きっと彼女が期待しているようなことは何もない。……どんな期待をしているのか、わからないけれど。


「でも、なんで昨日、私が河原にいたってわかったんですか?」


 昨日、うさぎには会ったけれど、猫耳少女にも銀髪少女にも出会わなかった。帰る間際に、話し声も聞こえなかったし。


「アリアのブレスレットを探しに河原に行った時に、嗅いだ匂いと同じ匂いがするから!」

「匂い……」

「うん。なんだかよくわからない匂いと、リンゴーアップルの匂い。あ、今日はモーモーピーチもあるんだね!」


 ……そんな、匂うのかしら。思わず自分の匂いを嗅いでみる。猫って嗅覚がいいのね。

 りんごや桃はいいとして、よくわからない匂いってなんだろう。ファンデーションとか、化粧品とかだろうか。きっと、そうよね。そうであってほしい。

 ニーナの発言に若干のショックを受けていると、大きく揺れる尻尾が目に入る。きらきらと輝くアンバーの瞳は、真っ直ぐエコバッグに注がれている。……お腹、空いているのかしら?


「えっと……いる?」


 エコバッグからりんごと桃を取り出して、ニーナの前に差し出す。


「いいの!?」

「やめなさい」


 りんごと桃を受け取ろうとしたニーナをアリアさんが止める。


「くれるって言ってるんだし、いいじゃん。アリアだってモーモーピーチ、好きでしょ? それに、こんなにいい匂いしてるんだよ!」

「だからって人から物を強請ってはダメ」


 諭すようなアリアさんの声音に、ニーナはしゅんと表情を曇らせる。たらん、と尻尾が垂れる。


「えっと、あの、少し多めに採ってきたので、大丈夫ですよ?」


 りんごはまだ三つあるし、桃も一つ残っている。家に持って帰る分は、また明日にでも採ればいいだろう。


「ほら!」


 ニーナは嬉しそうに顔を上げ、私が差し出したりんごと桃を受け取る。


「ありがとう」


 にっと笑顔になると、桃をホットパンツのポケットにしまう。りんごの表面を磨くと、かぷ、と一口齧る。ふわりとより濃密なりんごの香りがした。


「すみません、ありがとうございます」


 申し訳なさそうにアリアさんが頭を下げる。


「いえ、大丈夫です。それよりも」


 そこまで言うと私はリュックを下ろす。ファスナー付きの内ポケットから、シダ植物みたいな葉っぱの飾りのついたブレスレットを取り出す。


「これ、昨日、河原で拾ったんですが、アリアさんのもの、ですよね?」


 ブレスレットの飾りは、アリアさんが付けているイヤリングの飾りとよく似ている。

 それを見たアリアさんの目が、一瞬だけ大きく見開かれた。瞬きをすると息をつき、表情を元に戻す。


「ええ。ありがとうございます。探していたんです」


 ブレスレットを受け取ると、そっと優しくチェーンに触れる。慈しむような指使いで右手首に着ける。


「見つかってよかったね」


 りんごを齧りながらニーナが言う。アリアさんの様子に、どことなくニーナも嬉しそうだ。


「そうだ! カミツカは、魔物を見た?」


 指先に垂れたりんごの蜜を舐めながら、ニーナはふと思い出したように聞いてくる。


「魔物?」


 聞き慣れない単語に首を傾げる。

 そういえば、そんな言葉を攻略本で見かけた気がする。えっと、なんだったかしら……。


「うん。ギルドに調査の依頼が来たの。普段はおとなしいんだけど、最近調子乗ってるのがいるらしくて。このオッキーナの森周辺で目撃されてるみたいなんだ」


 ここ、オッキーナの森っていうのね。確かに、きのこも、りんごも桃も、見たことあるものより大きかった。……いや、そこじゃなくて。


「調子に乗る……?」

「うん。なんかね、聞いた話だと遭遇した冒険者や商人とか、子供とか、手当たり次第でマウントを取ってくるんだって。急に襲ってきたりとかはないんだけど、道ふさいだり、ちょっかい出してきたり迷惑行為をしてくるみたいで、さすがにどうにかしなきゃってなったみたい」


 なんだか、本当に迷惑そうな魔物ね。

 えっと、攻略本の浅い知識によると、この世界に住む魔物という種族は他種族とも友好的な関係を築いていたはずだ。でも、なかにはイキってしまう人もいるってことかしら。遭遇しなくてよかった。


「その魔物の主な生息地が、水辺なのです。こちらにいらっしゃった時に、何かお見かけしませんでしたか?」


 アリアさんが説明を引き継いで、聞いてくる。

 私は後ろに振り向き、湖を見た。エメラルドグリーンの湖面には、相変わらず静かな星空と白金の二つの月が浮かんでいる。


「……いえ。今と変わらない景色だったと思います」

「そうですか」

「もう、ここにはいないのかなぁ」


 考え込むように下を向くアリアさんの隣で、りんごを食べ終えたニーナは満足そうに指を舐める。


「他にも水辺はあるし。もう少し探してから、別の場所に行きましょう」

「うん。そうだね! そうだ!」


 ニーナは私の目の前に立つと、笑顔で見上げてくる。


「カミツカも一緒に行こうよ! 基本的には話し合いで解決するし。依頼達成したら、報酬も山分けできるよ! 情報提供にも、多少の報酬はあるし!」

「え?」

「そうですね。ブレスレットのお礼もさせていただきたいですし」

「いや」


 名案が浮かんだとばかりにニーナが言うと、アリアさんも頷く。

 いやいや。ちょっと待ってほしい。

 魔物がどんな姿をしているのかはわからないけど、正直、今日はニーナとアリアさんとの出会いで一杯一杯だ。これ以上は、気持ちが追いつかない。

 ……これ、断ってもいいのかしら。

 二人は私抜きで私を含めた作戦を立て始める。それを遠い目で眺めつつ、視線を空にそらす。

 きらきらと瞬く星は、星座を繋ぐのも難しいくらいに藍色の空に散りばめられている。高度を落した白金の二つの月は、森の縁から柔らかな光を落とす。

 二人が話している隣で、私は断り文句を必死に考え始めた。

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