2日目(2) 今日の晩ごはん in 異世界

 ざっ、ざっ、と草を踏みしめながら、月明かりが柔らかに届く暗い森を進む。手元で灯る魔導ランタンが黒茶に色を変えた木々を照らし出す。静かな森の中、気まぐれに吹く風がさやさやと深緑の青葉を揺らす。辺りには私の足音とささめく木の葉の音だけが聞こえる。

 落ち葉や枯れ枝をスーパーの袋に集めながら、きのこやりんご(仮)を食べられる場所を探した。



 さあぁ……

 地面に落ちていた細い枝を拾っていると、どこからか水の流れる音がした。ふっと鼻先を掠めたのは、澄んだ水の匂い。顔を上げ、音の聞こえた方向に目を凝らす。ランタンの明かりの届かない森は暗く、その先の景色は見通せない。でも、音が聞こえたということは水場が近くにあるのだろう。そこならば、焚き火ができるスペースもあるかもしれない。

 私は拾った枝を左腕に下げたスーパーの袋に入れる。右手のエコバッグを肩に掛けると、ランタンを持ち直す。足元に注意しながら、ゆっくりと音を辿っていく。


 しばらく森を行くと、そっと冷たい空気が頬を撫でた。次第に深まる水の気配に、不意に視界が開ける。じゃ、と踏み込む足音が変わる。

 目の前に現れたのは、ごつごつした岩場を流れる、小さな川だった。

 ふかふかの草に覆われていた地面は砂や砂利に均されて、土色や砂色が目立つ。転がる岩や石には所々に苔が生え、濡れた表面がてらりと光る。川の中には星空が落ち、流星のように白い光がさらさらと煌めく。不規則に吹く風が水面を揺らし、水中の少し欠けた月と細い三日月がゆらゆらと白金色を滲ませる。

 視界に広がる景色を前に言葉を失い佇んでいると、川の側で何かがきらりと光った。不思議に思いつつ慎重に近付き、ランタンをかざす。岩の合間を覗きこんだ。

 そこにあったのは、細い銀のチェーンに精巧な葉っぱの飾りが付いた、ブレスレットだった。月の明かりに照らされて、小さな銀色の葉っぱがぎらりと輝く。伸ばした手が触れると、ちり、と僅かに熱を感じる。躊躇いつつも拾い上げて、目の高さに持ってくる。

 飾り部分の細工は細かく、シダ植物のような小さな葉っぱに葉脈が規則的に刻まれている。落ち着いた色合いの銀色は長い時間の経過を感じさせ、ランタンの明かりを鈍く反射する。


「誰かの、落し物かしら?」


 零しながら、首を傾げる。攻略本には、この世界に住んでいる様々な種族の情報も書いてあった。きのこやりんごを採取していた時に確認していた地図は、森を中心に表示されていたから気付かなかったけれど、近くに街があるかもしれない。でも、なぜこんなところにブレスレットが落ちているのだろう。きのこやりんご狩りにでも来たのかしら。

 私はスーパーの袋を足元に置き、リュックからハンカチを取り出す。ブレスレットを包み、ファスナー付きポケットにしまう。この持ち主に会えるかはわからないけれど、このまま放置しておくのも気が引けた。鞄を背負い直し、改めて、周囲を見回す。

 丸や平らな石は転がっているが、この場所は比較的平坦になっている。岩もあるにはあるが、川の側だけだから、少し離れていれば問題はない。草がぴょこぴょこと生えているけれど、近くを避ければ燃え移る心配もないだろう。何より水の側ならば、火を使うにも安心だ。


「……うん。ここで、いいかも」


 私はランタンを地面に置くと、リュックからレジャーシートと小ぶりの折り畳みイスを取り出す。レジャーシートを広げた上に鞄を下ろし、その前に折り畳みイスを開く。浅く腰掛け、火起こしの準備に用意した着火剤の説明文を確認する。


「まあ、一欠片でいいかしら」


 シート状の着火剤は格子状に溝が付いていて、切り分けられるようになっている。思いの外柔らかい素材のそれを一欠片分だけぱきりと折る。確か、焚き火をする時に枝の組み方もあったような。お昼にさらっとチェックしてきたが、正直、ちゃんと覚えきれていない。攻略本にも焚き火のやり方までは掲載されてないし。


「……とりあえず、火が付けばいいわよね」


 私はスーパーの袋に集めた枯葉や枯れ枝をイスから少し離れた場所にばさばさと落とす。葉っぱを一番下に敷き、着火剤を乗せる。その上に枝を重ねた。それっぽく全体をまとめると、着火剤にライターで火を付ける。

 そこまでできると、イスまで戻り、エコバッグの中からきのこ類を取り出す。鞄からキッチンペーパーと厚手のBBQ用のアルミホイルも出すと、きのこを抱えて川に向かう。川できのこを洗い、キッチンペーパーで軽く水気を拭き取る。石づきを多機能ツールのナイフでカットして、アルミホイルに包む。エノキダケっぽいきのこはいくつか手で割いてから、他と同じように包んだ。個々で包んだものが三つ、まとめて包んだものを一つ持って、焚き火の前まで戻る。

 じりじりと燻っていた火は、葉っぱや枝に燃え移り、次第に勢いを強くさせる。火が大きくなってきたところで、アルミホイルに包んだきのこを放り込む。イスに座ると、エコバッグからりんごを一つ取る。きのこと同じように、アルミホイルにくるんだ。できれば出来立てを食べたいし、これはもう少し経ってから入れよう。そう思って、りんごをエコバッグにしまう。

 私はランタンのスイッチに触れ、明かりを消す。幸い、今日は満月に近い月も出ている。焚き火の炎も、思っていた以上に明るい。それになんとなく、この景色を前に人工的な明かりを入れたくなかった。

 さあぁ……、と川が流れる傍らで、ぱちぱち音を立てて火の粉が舞う。アルミホイルの表面を赤く染めて、赤橙色の炎が揺らぐ。その様子をじっと眺めた。



 ぴちゃん、と何かが跳ねる音にはっとなる。少し先の川に視線を向ければ、ゆらゆらとさざ波立つ水面に、きらきらと星が瞬く。腕時計を見れば、きのこを入れてから三十分は経っていそうだ。私はトングを用意すると、少しだけ勢いを弱めた火の中からアルミホイルに包んだきのこを取る。今度はりんごを火の中に入れる。

 まずはきのこを食べようと、アルミホイルをトングで開く。小さな醤油を取り出し、軽くきのこにかける。湯気に混ざる香ばしい醤油の香りに、くうと小さくお腹が鳴る。

 箸袋からお箸を出す。拳大の真っ白なマッシュルームもどき(ビハダケ)をほぐしながら、一口食べる。ぎゅっぎゅっと噛むと、仄かに醤油の味が追いかけてくる。これは、バターが欲しくなる。

 でもバターを常温で持ち歩くわけにもいかなくて、買ってきてはいない。それにちょっと後悔しつつ、別のアルミホイルを引き寄せる。

 まだ熱のこもるアルミホイルを破くと、ぶわりと芳醇な香りが立つ。そういえば、真っ白なトリュフもどき(ビハクダケ)も丸ごと焼いてしまったけれど、果たしてこの調理方法であっていたのだろうか。よくテレビで料理の上に削られていたり、混ぜ込まれていたりするけれど、馴染みのない食材だけに食べ方がわからない。

 私はとりあえず、ナイフで薄くカットすると、醤油をかける。一つ取って食めば、強い香りが口の中に広がる。その後に微かに香る、醤油の匂い。ただ、食感は随分硬い。これは、他の料理が欲しくなる。

 ふと思い立って、薄く切った一つをビハダケに乗せてみる。一緒に食べると、より芳醇な土の香りが広がる。……これはこれで、ありかもしれない。

 別のアルミホイルを開けば、そこにはエノキダケもどき(スッキリダケ)が入っている。同じく醤油を垂らし、ぱくりと食べる。こりこりした食感とよく馴染んだ醤油の味に、ほっと息をつく。

 その後も黙々と焼いたきのこを食べていく。一通り食べ終わると、今度は火の中からアルミホイルにくるんだりんごを取り出す。少し冷ましてからアルミホイルを破いた。

 中のりんごは水分が抜けてしんなりとしているけれど、湯気とともに立ち上る香りは甘い。ナイフで皮を剥けば、黄身がかった白い色が顔を出す。広げたアルミホイルをお皿代わりに、四等分に切り分けたりんごを乗せる。多機能ツールに収納されているピックを引っ張り出し、りんごに突き刺す。しゃくりと齧れば、濃厚な甘みの後に、ふっと爽やかな酸味が香る。ここに、バニラアイスクリームがあったら完璧なのに。そう思いつつ、ふた切れめに手を伸ばす。

 流石にアイスは異世界に持ち込めないわよね。異世界でも、街では売っているかしら。でも、ここまで持ってくる間に溶けてしまいそうな気がする。あるいは魔法を使えば、作れたりするのだろうか。

 そんなことを真剣に考え始めていると、ぱきりと火中の枝が音を立てる。焚き火に視線を送れば、白い煙がゆるゆると空に上っていく。見上げた空は雲一つない。

 空一面を埋め尽くしてちかちかと瞬く星は、今までに見たことない輝きを纏って夜空に煌めく。白金色の月明かりが柔らかく、優しい光を地上に落とす。

 ふわりと少し冷たくも穏やかな風が頬を撫でる。さやさやと木の葉がささめきあい、たぷんと川面の水が跳ねる。ゆらりと水面の空が揺らいだ。周囲には風の音と火の粉が弾ける音だけが静かに響く。

 しゃくり、とりんごにピックを刺す。一口齧れば、少し冷めたりんごはまだ甘みが強く、仄かな酸味がふっと広がる。……あとで攻略本をチェックして、魔法でアイスクリームを作れないか本気で調べてみよう。そう決意を固めながら、焼きりんごに手を伸ばす。



 満天の星空の下、ばちばちと炎が弾ける。風の音と爆ぜる木の音。余計な物音が何もない。時折、さらさら流れる川の音が聞こえる。

 ここで食事をしていると、ただのきのこやりんごでさえも、いつもより少し特別なものに感じる。

 しゃくり。最後の一口をゆっくりと味わいながら、りんごの甘さを噛み締めた。

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