異世界帰還後(1日目)
「これで、大丈夫かしら」
翌朝、弟の部屋で掃除機をかけ、床の汚れを綺麗にした。
昨日はあの後、しばらく弟と電話で話した。それから軽く床を掃いて、お風呂に入ったり、スキンケアを一通りしたりして、夜を過ごした。ただ、ベッドでうっかり攻略本を開いてしまい、寝る時間がいつもより遅くなってしまった。私はあくびを噛み殺す。
攻略本の奥付にはQRコードがあった。まだ全てではないが、本の内容をアプリに移植したらしい。攻略本アプリは、夜のうちにスマートフォンにダウンロードしておいた。弟の用意周到ぶりには感謝するけど、無理していないか少し心配ではある。
そこまで考えて、はあ、とため息をつく。
弟のことだけは、一晩経ってもうまい説明が思いつかなかった。でも、母や父のことを思うと、弟と連絡がついたことは話しておくべきだろう。異世界云々の話がなければ、すんなり話せるのに。異世界なんて、私もまだ整理しきれていないから、説明のしようもない。
私は僅かに眉を寄せる。掃除機を持つと、重たい足取りで一階に向かう。
そろそろ朝食の時間だったから、掃除機を片付けるとリビングに入る。ダイニングテーブルを囲み、母と父は向かい合わせでいつもの席に座っている。トーストをかじる母の前で、父は食後のコーヒーを飲みながら新聞を読んでいた。私はキッチンに向かうとガラスの器にフルグラと牛乳を注ぐ。それとスプーンを手に取り、母の隣の席に腰掛ける。砂糖が溶け出した甘い牛乳とザクザクしたグラノーラの食感を味わいながらも、頭の中は弟のことをどう両親に伝えるかで一杯だった。
でも結局まとまらないまま、最後の一口を食べ終わる。
「……昨日ね、広世から連絡があったよ」
悩んだ末、私は端的に今話せる事実だけを伝えることにした。私の言葉に、母も父も驚いたように息を飲む。堪えきれずに母が私の肩を掴む。
「あの子は無事なの?!」
「うん。元気そうだったよ」
母の勢いに押されながらも私は頷く。
「それで、あいつはどこにいるんだ?」
コーヒーを飲みながら、ぽつりと父が聞く。読みかけの新聞の端にくしゃりとしわが寄る。
「えーと、なんか、今、すごく遠いところにいるんだって」
……うん。間違いでは、ないはず。異世界だし、世界を隔てているからきっと遠い場所だろう。
「そうか」
父はそう言うと静かに新聞をめくる。私の言葉に二人とも一応は納得してくれたみたいだ。連絡がついたことで、母も父も少しほっとしたような顔をしている。それを見て、私も安堵の息をつく。
その後は母からの質問に答えられる範囲で答え、仕事に向かう準備のため自分の部屋に戻った。
「今日、いつもと雰囲気が違うね。パンツスタイルだ、珍しい!」
会社に着いて席に座ると、挨拶もそこそこに隣席の同僚から声をかけられる。
昨日の反省をふまえて、今日はいつものスカートではなくアンクル丈のパンツにしてきた。スニーカーを履いているのも、同僚からしてみたら、見慣れないものだろう。
「あー。今日、仕事終わった後に、ちょっと予定があって……。て言っても、弟と会うだけですが」
「そっか、弟くん見つかったんだっけ。ほんと、よかったね。……でも、それでなんでパンツ?」
弟のことと私の服装が結びつかないのか、同僚は不思議そうに首を傾げる。
「ちょっとした、アクティビティー? みたいなものがありまして」
「へー。どこか行くの?」
「えっと、ちょっと遠くまで……」
異世界と言うわけにもいかず、言葉を濁す。同僚の視線から逃げるように前を向くと、パソコンを立ち上げる。同僚はそれを咎めることもなく、別の話題を振ってくる。
「そういえば、女子トイレで誰も入ってないのに、鍵がかかったまんまのトイレがあったんだって。無事に開けられたみたいだけど、今朝ちょっとした騒ぎになってたの。誰がやったんだろうね」
「た、たまたまじゃないですか?」
動揺を隠して、とりあえずそれだけ返す。やばい、それ、私のせいだ。
昨日、弟からの呼び出しで異世界に行った時、人に見られないようにトイレの個室に入ったのはいいけど、鍵のことまでは考えていなかった。そうよね。中にいた人が消えたら、そうなるわよね。帰ってきたのは弟の部屋だったし。今日はそこも気をつけないと。……他に、人目につかない場所ってどこかあるかしら。
そんなことを考えながら、社内システムにログインして、今日のスケジュールをチェックする。黙々と仕事に取りかかって、お昼過ぎになると今日も同僚からランチの誘いがあった。でも予定があるからと、それを丁重にお断りする。私は簡単にお昼を済ませると、オフィスと同じビルの一階にある百円均一の店に向かう。
昨日の夜に弟から聞いた話では、両手で持てる範囲に収まるならば、何を持ち込んでもいいとのことだった。夜のうちに通販で注文した一人用のアウトドアグッズは間に合わなかったけれど、他にも使えそうなものを百均で購入する。
そして午後もつつがなく仕事を終えた、十八時過ぎ。昨日と同じ場所で、ドアが開かないように寄りかかって、弟からの電話を待つ。結局、電話を受ける場所だけは、代替案が思いつかなかった。
でも、今日はできる限りの準備を整え、事前にしっかりと攻略本アプリで予習もしてきた。昨日見かけた、あのうさぎっぽい動物についても、ちゃんとチェックしてある。
少しして弟から電話がかかってくる。それを受けると、昨日と同じように白い光と文様が展開されて、異世界へと召喚された。
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