第37話 ……天使!

 嫁がカルトな宗教だった。


 ゆっくり妻を見るノーカのその視線をなぞるように。

 ――うん? と。

 ええ? と。

 ええっと? と。

 え~? という視線が、今ここにいる全ての人に錯綜している。

 そんな中、ノーカははたと正気に返る。

 いや、まだ微量ながら彼女の空想という可能性はある。何分まだ科学的証拠はなにも無い、理論と実証さえ無ければこの宇宙超科学時代、まだ否定できる。

 彼女はまだ彼女なりの神に対する見解を述べただけだ、これで彼女がカルトな過激集団の一員であるという証拠にはならないだろう、だから周囲も困惑しているが幸い冷静でこれをいきなり言質扱いして確保に入ろうとはしていない。

 だが自分と同じくまだ妄想か狂信かとその間で判断しかねているのは間違いないとノーカは判断した。そして、その疑惑が加速する前にその可能性を始末しようと今最高に笑顔が輝いているキースにハンドサインで、コイツ、チョット、アタマ、爆発、シテル、と送り、そこから更に――コレ、オレノ、女、ダカラ、オレ、シゼンニ、情報、ヌケル、と超高速で提案した。

 と、キースは目でコクコク頷きグッとGoサインを出した。それから自分の部下たちに同じく手信号で自然を装わせると、それに応じた部下たちは即座に肩の力を抜き、

「――それにしてもいい景色だな」

「ああ、自然がたっぷりだ」

「今度の休暇はこういうとこにするか」

「観光地じゃないとこな」

「――いいね。リゾートはどうしても騒がしいからな」

 急にリラックスムードを醸し出し、各々景色を見ながらエア想像スポーツやらをする装甲歩兵たちをノーカは確認し、これでこの場におけるひとまずの主導権は握ったと一先ず溜息を吐く。これから彼女にそれとなく質問するが、いきなり核心を突いてはいけない――

 そう、核心を突いてはいけない。

 よし、と悪い決意を固め、疑惑の妻に向き直る。焦ってはいけない、何も真実を隠そうというわけではない。ただ自然に話を運ばなければ容疑者が真実を口にしなくなる可能性があるというだけだ。ここはいきなり証拠を求めるべきではなく、彼女の妄想を横に広げていくべきだろう。

 そこで、

「……じゃあ……天使は?」

「『天使』は神と同じく、かつて命の超越、精神の超越、そして世界の超越へと至った者達の一部であり――神の命により多元宇宙の内、特定の条件を満たした知的生命体、あるいは世界の可能性を監査し、その権限に於いて審判を下す――いわば神威の代行者です」

 アンジェのまた淡々としたそれを聞き、ノーカは静かに瞑目した。

 ……やはり、これはいわゆる青春の病、という奴なのだろうと。

 あれだ、ある日突然服装を黒一色で統一してみたり、妙に高尚を気取った理屈を偏屈こねてみたりするあれだ。あれが正しいこれが悪いとか、自分は特別だとか平凡だとか、俯瞰した視点や論拠を欠いた妄想染みた理論でその気になれば世界征服はできると思ってみたりするアレだ。

 つまりまだ正常――

 安心した、アンジェはカルトではない。これは間違いなく、ちょっと遅れてやってきた世間の常識や良識に対する反抗期のようなものだ。しかし、彼女が自分との生活の合間にそれに励んでいたのかと思うとこの田舎の娯楽の無さはいよいよ末期的なのであろうとノーカは察する。いや、田舎で生産業を営むにはそういう方向性もあったのかと感心もするくらいだ。ならと、今度は、

「……その話、この田舎にいる他の誰かに布教したりしたか?」

「いいえ? それが何か?」

「……いや、特に意味はないが」

 それを他人に語って聞かせ共有することを強要していたわけではない、と。

 オタク的布教家――そしてカルト宗教家の側面はこれで消えた。

 他人を巻き込んでいる訳ではない、あくまで一人静かに密かに楽しみ心のノートに書き留めるだけの、いわば善性のオカルト作家だ。その事実の認識をしているのかとキースに視線を向ければぐぬぬと苛立たしげな顔をしている。だが彼も分かったのだろう、彼女がいかに無害な田舎の人妻かということが。

 問題があるとすれば、それはアンジェがその妄想をかなり深刻なレベルで現実として認識しているということだ。そこで『それはお前の妄想か?』なんて聞いてはいけない、それは彼女の心の自由と空想という名の夢を侵害し侮辱する行為だ。

 なのでやんわりと、この場に居る皆に、彼女をアマチュア作家として認知させ彼女の容疑を晴らす為にはと、ノーカはそのささやかな趣味を傷つけない言い回しを考え、

「……それを今この場で証明できるか?」

「証明ですか?」

「ああ。……なんでもいいんだが」

 つまりは、理論の実証――現実に証明してみせろ、と。

 彼女の空想と妄想を避難しようというわけではない、ただ悪意なく確認しようというだけだ。

 これで何も起きなければ晴れて彼女の身は潔白だと証明される。

 その要望に、アンジェはやや思案したように周囲――キースら部隊と、その上空に佇む艦隊、更には惑星外に静止し最悪の状況に備えている大艦隊に目をやり、

「……では、ご覧いただけますか?」

 背中の翼で後光のよう輪を描き、薄っすら、それを青白く発行させながら手を翳した。

 そして、

「おい、ちょ、待――」

 嫌な予感がしたキースがやや遅れて叫ぶも、アンジェは自身の視界の中にあるそれらをその手で・・・・退けるようスッと横にスライドさせた。


瞬間、それに合わせアンジェの視界の中、彼女の手のひらと重なったそれら艦隊らが其処から消えた、それは彼女の目の中だけの出来事ではない、ノーカを始め他の者の視界からも同時に消失していた。

 ワープではない。光速航行でも、カメラワークによる手品でもない。

 唐突にそこにある空、そして宇宙から、静止していた艦隊がまるで二次元の絵のよう忽然と姿を消した。

 彼女の手に重ならなかった艦隊だけがそこに残り――ノーカが、マリーが、キースが、その部下が、上空の艦隊が、その異常事態に付いていけず、全てが思考停止し、列を全く乱さぬまま艦隊が騒然となる寸前――

 アンジェはそれを見ていた者の前で、また手を翳し、今度は逆にスライドさせると、そのまま逆再生されたよう消えた筈の艦船がそこに復活していった。

 ギクッ、とした肩が、ビクンとして、ピタリとし、そしてまた、ビクンとした。 その間十秒にも満たない時間の出来事の後、

「……キースさん、でしたか? 彼らの所在をご確認頂けますか?」

 背筋を硬直させポカンとしていた一同だったが。

 アンジェに声を掛けられ即座、彼女に銃を向けたキースが、その引き金を引く一歩手前でどうにか堪え、そのまま視線を外さず通信設定を、指定された発令所のみに繋がるそれを全回線の受信設定へと切り替えた。


『一体何があった!? なにが起こった!?』

『――状況は!?』

『ワープじゃない?! 重力震! 空間震は!?』

『観測手なにやってんの!?』

状況報しらせ!』

『――分からない! 分らないって言ってんだろ!?』

『光でも、闇でもない、何かが、何かが渦巻いて』

『う、宇宙が見えた! 宇宙が……とてつもなくデカい宇宙が!』

『小さい! 銀河の、まるでビー玉みたいなのが、そこら中に浮いてて!?』

『てが、てが! とてつもなく大きな……女の手が!』


 獣のよう構え、アンジェに飛び掛かれるか逃げられる位置に退いたマリー、そしてその常軌を逸した現象を彼女に向け銃を構えながらどうにか把握したキースは、

「……おいてめぇ、……今何をした?」

「上位次元からこの宇宙の外側、多元宇宙の海に――この手・・・を使って一時的に移動させました。これと同じことが今のあなた方に可能でしょうか?」

 理屈じゃなく力でぶっこ抜かれた。

 理論がどうとか技術がどうとかの問題ではない――非常識を目の前で現実にしてみせた。ヘルメットの通信機能の中、バカみたいに怒号と混乱を撒き散らし騒然と情報が飛び交うが、今、目の前にいるこれ・・以外に今起きた現象を可能とする何か――怪しい大掛かりな装置などを見つけたなんて報告は無い。

 大規模な空間操作なら予兆がある。光学的な欺瞞も。

 キースは、不可能だと冷静に判断する。

 観測手が今も周辺、五光年先まで情報を取りその解析を行っているが何の推論も立てられず何も分らない・・・・・・の一点張りである。つまり――今の現象は自分達の持つ技術と知識の遥か上にあるということだった。

 そこで、先程までは一応元同僚の妻として見ていた目を――異常な脅威、恐怖の対象として切り替える。

 手持ちの兵器が通じるか否か……それを可能性だけで試すつもりは完全に無くなった、機嫌を損ねたらどうなるのか分らない。

 命令に従って死ぬべき場面は多々あるが、それは今この時の無駄死にではないと、自分が構えた銃を即座に、そして部下のそれを、既に再三に渡る指示を送り続けることでようやく下げさせた。

 こちらの敵意、害意が不動と理解すれば最悪、瞬く間に安っぽい手品にしか見えないそれで全滅する。次、同じことをアンジェが敵意を以って向けていたらと。

 そこに居る兵士たちは、マリーも含め全身に夥しい汗を掻きながらもそれを撃つという判断を冷静に止める事が出来た。

 最中、翼の後光ポージングと発光を治め、普段のよう背中へコンパクトに折り畳んでいるアンジェを――嫁がバケモノであったノーカを慮り、マリーは青褪めた顔でその胸中をうかがい見ようと彼に目を向けた。

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