第34話 来訪する過去と。

 上空、四方八方の空――否、宇宙。

 大気圏内だけではない、惑星外にも見える。

 真昼の白い小さな星の数は、星域一つ容易に制圧できるだろう数だ。その中には親指と人差し指で輪を作れる大きさ――地表からハッキリと表面の凹凸まで視認できる衛星クラスの大母艦マザーシップすら多数視認できた。

 白い雲と空の青を押し退けるよう圧を掛けているそれは、大国の一個艦隊、もしくは小国における全軍規模だろう。そんなものがどうしてここへとノーカは思考を走らせる中、特に近距離にあるそれら艦隊と艦船に、見慣れた軍の紋章エンブレムを確認する。

 ノーカがかつて所属していたそれだ。

 そして未だ所属しているマリーに、強く目で刺し、

「……まさか」

 彼女は目を合わせず、窓から空に視線を逃がし、

「……マジで奇襲サプライズしに来たのかしら?」

「――裏切ったのか?」

「ええっと、……多分この星域から証拠動画を送ったからその通信履歴でバレたんじゃないかしらね?」

 マリーは白々しくおどけて肩をすくめるが、しかし彼女自身も予想外であるのか、余人には分らないレベルでつぶさに何かを観察するよう、険しく目の奥が動いている。

 何か想定外のことが起きているのか。確かに、結婚をする筈の無い男が結婚をしたそれを盛大に揶揄うか茶化すか邪魔するかど突くかするにしては大仰すぎる。

 とりあえず、ノーカの元同僚の誰か――出来るならば賭けに負けた誰か、もしくは全員であって欲しいと思う。

 勘のざらつきが拭えない、それはマリーも同じなのだろう、だからこそいつも通りの粗野な調子で、分かり易く大仰に溜息を吐いてみせ、

「……あ~、アタシらの昔のお仲間が大勢で来たみたい、多分全員と相当長話をするから、レナ、貴女はもう帰ったほうがいいわよ?」

「ええ~。……もう、仕方ないな~」

「悪いわね? その代わり今度アンタに似合うエロカッコいい服いくつか見繕って持ってきてあげるから」

「――本当? エグイの?」

「当然、パパが見たら卒倒するわよ?」

「おお! ――じゃあ約束!」

「約束ね?」

 レナはマリーとハイタッチして、うきうきとリビングを出て家の裏口から外へ出た。そして彼女の浮遊二輪車両に跨り、地表を横に、急がずに帰宅の路へ。できるならこの手で実際に無事送り届けたいところだが仕方がない。

 マリーにそれが見えなくなるまで背中を見送らせる中、代わりにノーカは腕輪の端末で自前の艦船と機体群の動力に遠隔で火を入れ、更には自宅周辺、畑に仕掛けた諸々の罠の状態を確認しておく。

 それらが既に無力化されている反応は無い。

 そしてマリーが戻ってきて、彼女からの頷きを得た。確かにレナは自宅へと向かったそれを確認して、ノーカは外に出た。



 玄関ドアを開け、アンジェを伴いマリーも連れて。

 周囲の農地、そして自身の私有地その周囲を囲う申し訳程度の木の柵――その切れ目、公道なんて呼ぶのもおこがましい土剥き出しの道に接する衝立の無い門。

 その内側、三歩手前の位置で、ノーカは空に静止する最も近い艦隊の隊列へとその視線を送った。

 と、その内の一隻――大型の揚陸艇が艦隊から離脱し、ノーカ手前、上空数十メートルの位置で停止した。

 その真下、来客用の発着場として整備された平地に、揚陸艇底面に配置された降下作戦用の速度重視の重力エレベーターが複数降り、その光の円柱の中から夥しい数の装甲歩兵が稲光のよう瞬時に降下し、整然と着地すると即座隊列を展開しその場に整列していく。最中、その装備にノーカは目を細める。

 各種対抗弾アンチバレッドに対応した大仰なライフル――対人用ではない、極めて強大かつ強靭な敵へのそれに、替えの弾倉、手で投げられる爆発物、兵種ごとのささやかな違いは在れど、どれも民間人に対するそれではない。

 ただ、彼らがその手に携えた銃口は、正確にノーカ達へと向けられてはいない。

 とはいえ、その射線をすばやく最短で取れるよう、常に対象の斜め下前方の地面に置かれている。万が一、敵ではないものが飛び出た際の誤射を想定した体勢で、同時に敵がいつ現れてもおかしくないことを前提とした姿勢だ。

 敵か味方かが入り乱れた状況を念頭に置かれている。その先に居るのは、ノーカであり、アンジェであり、少し下がった位置にいるマリーだが。自分達の事をそう見ているのだとノーカはその状況を把握した。

 一応、どう見ても自分の結婚を祝福しに来た様子には見えない。

 ノーカは、マリーはいったいどういう連絡を行ったのかと一歩下がった位置にいる彼女を疑問げに見るが、猫が悪いことをしたときの迫真の笑顔で誤魔化され、ウンザリとした溜息を小さく吐いた。

と、そこに更に――今度は降下作戦用ではない重力エレベーターが展開される。

 すると、大量の戦闘員を排出するそれとは別のその中から、見覚えのある安っぽい金髪がゆっくり降りて来た。


 見慣れない、新造の軍服と徽章きしょうを襟に着けている。

 おそらく新設された部隊なのだろうが、一体どういう機能コンセプトをもったそれなのか。ノーカが警戒する中、その視線の先で、彼は更にその威厳を見せつけるよう静止した隊列の前に着地し、その背中にいる隊員たちを一瞥もせず、

「――気を付けぇっ!!」

 威圧するよう叫び、ほぼ同時に一糸乱れぬ彼ら踵の音が一斉に響き、彼らは整然とライフルを肩に掛けた。その男は、眼で確認を行わない、それをしなくとも問題ない練度であることを更に示威するよう、

「――敬礼!」

 顎で命令すると、彼らは装甲服のマスク部分を開け、それぞれ顔を見せた上で機敏な仕草で綺麗に手刀を額の右に斜めに当てていく。

「……休んでよし!」

 肩にライフルを掛けたまま、軽く両足を開き後ろ手に腰で腕を組ませる。するとノーカへ、挑発的で挑戦的で、そして好戦的な安っぽい笑みを浮かべて、

「……よう、結婚したんだってなあ?」

「……。ああ。その通りだが……」

 言いながら、ノーカは身体の前で片手で手首を握り、軽く腕を組む。

 キースは、尖った語気こそ変わらないが、泰然とした視線はただのチンピラ紛いであった十年前とは大違いで、腰の据わった雰囲気も年相応の落ち着きを得ていた。

 あれから更に場数を踏んだのだろう、ちょっとやそっとの難局では動じない胆力が窺える顔付きである、彼もまた年を取ったのだとノーカは感じた。

 だが、中々その名前を口に出せない。

 ただ、ぼんやり忘れていた顔を思い出しているのではない。

 しかし、その顔と名前がイマイチ一致しない。

 その――特に変化した、体のある一点を凝視し、ようやく、

「……………………キース……か?」

「――てめぇ、どこ見て言ってんだ」

 分っていても訊かざるを得なかった――ぷよぷよの顎である。

 たぷんたぷんだ、生え際も後退が目立つし加えて軍服の下腹とてベルトの上、贅肉でブヨンと顔を出して、地味に嫌な中年化をしている。

 額の汗は、その豊富な脂肪分の所為か? それで戦場に出ているのか、訓練をちゃんとしているのかと訊きたくなる。

 だがノーカは、それをぐっと堪えた。部隊長ともなればデスクワークも増えているのだろう。その脂肪分はきっと彼の仕事量と比例しているに違いない、ストレスも相当な筈だ――おまけに鼻下に綺麗に切り揃えられたちょび髭まで追加され、これがまた割とあっさり目な顔のキースには似合っていなかった。

 思い浮かべまいとしていたがもう限界だ――ダサイ。

 カッコ悪くなった。野暮ったい、いや、チンピラぽさが抜け親しみ深い一般人顔になったとしよう。あえて一言でいうなら、残念なおっさんだ。

 だが丁寧に整えられたちょび髭はきっと本人は様になっていると思っているに違いない、それを笑うことなどすまい。なら見なかった振りをして自然を装うべきか。

 そんな風に、ノーカは無遠慮にちょび髭を見つめながら、割と長い逡巡をした。

 それから、少し開き直って、彼に少しだけ気を遣い、

「……いや、すまない。……今の仕事はそんなに大変なのか?」

「このクソ畜生! テメエと違ってこっちはもう責任放り出すわけにはいかねえんだよ! テメエもいずれこうなるからな? 首洗って待ってやがれよ!?」

 その首で言うかとそれを見ながら、

「そうか、気を付ける様にしよう。まあそれはどうでもいい何の用だ? こんな田舎に大所帯で」

 そのマイペースさに本気の殺意が漲るが、キースはどうにか堪えた。

 そして、嫌に真剣味の溢れる顔をし、額に滲む汗を一筋垂らす。

 一体何にそんなに緊張しているのか。

 怯えているのかのよう、彼はそれを抑え込むよう大きく溜息を吐くと、片手を上げ、

「……簡潔に言うぞ。お前の脇に居る危険生物を引き渡せ」


 言うなり、こなれた手つきでその背後に展開された装甲歩兵たちに改めて号令を送った。構えろ――と。

 刹那、兵士たちは多機能ライフルの安全装置を外し、二秒も要らずにその銃口が今度こそ正確にノーカ達へと照準された。

 装甲服を着こんだ歩兵のそれだけではない。合図を皮切りに、空に浮かぶ数多の艦船、それらの砲口まで向けられている。

 更には、大気圏外に佇む複数の大母艦からも――

 その内部では、地上の情報を観測しつつ作戦の段階フェーズに合わせた上からの指示と、下の現場からの報告を発令所で待っているであろうことをノーカは察する。現状、古巣の仲間に睨まれている、と。

 やはり自身の結婚をサプライズで祝福しに来たわけではなかったのだと――しかし緊張せず、ノーカは自身の両隣――アンジェとマリーにそれぞれ一度ずつ振り返った。

 種類の違う美人が二人……一人は神秘的な翼付きスレンダー美女で、一人は野性的で筋肉グラマーな四十路乙女だが。

「……どっちだ?」

「左のだ左の」

「こっちか?」

 向いた瞬間、その危険生物が前を向いたまま目視せずの腰の入った平手打ちでノーカの顔面を元の向きに戻した。

 マリーが危険生物であることを物理的に否定された。

 正面を向いた、やや悲し気な視線を浮かべるノーカに、キースは呆れながら、

「自業自得だ自業自得。こっちから向かって左、つまりお前の右だ。……分っててやってんじゃねえよ」

 いや、どちらが危険かに関して割と本気であったが――云えばまた殴られるのでもちろん言わない。

 ノーカは不服気に今度こそ右隣のアンジェを見る。

 記憶にある彼女の要素を並べ立る、彼女は料理が自分よりうまくてスタイルも秀逸で。嘘が吐けない体質で、勤勉で生真面目で、最近茶を趣味にした自分の女房だ――偽装だが。それでもやはり危険な生物としての要素を、やはり全く見出せず、

「……こっちは俺の嫁だが」

「知ってるよ! ――お前の左隣に居る糞女からのアホみたいな動画で殺意覚えたわ!」

「――ああ。それは悪かった」

 静止画では加工が容易で、更には二人でただ並んで映っているだけでは説得力が無いとのことで、夫婦らしいキスをと挨拶の軽いそれではなく、セックスの前にする本格的な奴をと撮影者から要求され、そして実演した動画だ。……一時間くらいの長さを記録したそれをノーカは思い出す。

 しかし、早送り編集で五分の長さに短縮したので、無意味に長尺で迷惑それでもないだろう……それに何故殺意レベルでの怒り心頭なのか?

 ノーカは、ふと、その理由をもしかしたらと思い付き、ゆっくりとした勢いでだが着実に進む推論にふわっと口が滑り、

「……まだ女としたことがないのか?」

 部下の手前、顔面を崩壊させないようにしているがキースは腰の銃に手を置きそこで発砲を必死に堪えようとしていた。マリーは腹を抱え前のめりに爆笑を堪えている。

 その反応だけで、真実は明らかだった。ノーカは済まないと思う。

 だが、他人のキスシーンに怒りを覚えるなどという心の余裕の無さ、まともに女性と付き合ったことがあるのならとの推論が、まさか彼の心臓を抉るとは思わなかったのだ。常日頃から行き付けの風俗嬢の自慢などをしていたが、きっと彼は本物のキスというそれにとても憧れそして真剣だったのであろう。商売での疑似的な恋愛と性交渉など数として数えていなかったのだ。

 つまりこの男は、|示威的にうわべを取り繕うその実、敬虔で貞潔で純真的な価値観ツンデレの持ち主であったのだろう。雨の日に捨て猫を拾う姿を目撃されるタイプだ。

 だが、何もおかしなことは無い。彼を嗤う者の方が文明社会におけるキスに求められる精神的意義、倫理観に反する者の筈だ――

 と、しかしノーカは、キースのその目が殺戮マシーンのごとき無表情になっているのでフォローを入れようと思う。何分、恋愛どころか女に興味も無かった自分が偽装とはいえ結婚出来た。ならばと、

「……気にするな。きっといつかできる」


 奇跡は起こるとしたそれに、マリーは声を出さずに膝を猛烈に何度も叩いて爆笑した。何か的外れな事を言っただろうかとそれを見るノーカを見つめ、キースは、

「……そうだった、こいつらバカだった、それも地雷踏んでも死なないと思ってるタイプのバカだった」

「いや、死んだら死んだでそれまでと思っているだけだ」

「――余計タチ悪りぃんだよ!」

 どれだけ注意を払っても、初見では見抜けないようなそれもあるのだ。注意に越したことは無いがダメな時はダメと割り切らなければならない。

 と、それを見つめる兵士たちは。

 そんな自分達の上官に対する敬意ゼロ、多数の銃口どころか対艦兵器を向けられながら緊張感も全くの皆無で、完全にオフの酒場で会話をするようなノーカに、ある意味戦慄する。

 自分なら、こんな状況下で絶対そんな態度には出られないと。

 同時に、それは自分達を何ら脅威と受け取っていない――云わば侮辱であると、誇りが過剰搭載された一部の兵士は、苛立ちに歯噛みしていた。

 ノーカは退屈だと言わんばかりに姿勢を組み直し、再度手首に手を置く。

 そして悪戯に、ノーカのそれを敵対行為とし、銃口を下げたまま気付かれぬよう静かにトリガーに指を置き、そこに力を込めようとした。

 その瞬間、キースは振り返らずに、

「――やめろ。こんなでもこいつは俺と同じお前らの前身――対軍人専門の特殊暗殺部隊『生きる屍リビングデッド』の元トップエースだ」


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