第33話 彼女は愛を見つけ、そしてノーカは。

 マリーが来てから既に七日、彼女はレンタカーで個人の足を手に入れつつバカンスがてらノーカの家で泊まり過ごしていた。

 三日目の時点でいつまでいるのかとノーカはマリーに訊ねたが、休暇をまとめて消化してるからまだしばらくと図々しくも居座り続けているのだ。

 世間では既に“新婚夫婦の間に転がり込んだ昔の女”として広まっている。

 しかし非倫理的なそれに反し、クラゲ食堂にも顔を出せば邪険に扱われるどころか非常に友好的に、まるで馴染みの客のようそこに混じっている。

 下ネタ塗れの世間話にも軍隊仕込みの卑猥な会話で快く対応し、瞬く間に老人たちの年増な孫娘アイドルになり、ご婦人達とは今の都会の流行などを上品にお話し、その中で気前よく最新の化粧品を手持ちの分だけお裾分けしてキャッキャウフフとすぐ溶け込んだ様子だ。


 彼女の粗野な姉御肌はこの田舎の気風に酷く合っていたようである。

 いともたやすく住民たちと親交を深めたその様子に、ノーカがどうやったのかと訊ねると『期待にはなんだって倍返しするくらいが丁度いいのよ』と返された。


 その成果なのだろう――マリーは独り身のご老人たちから遅咲きの春の証だと幾らかの貢物を受け取っていた。どうも深夜の酒盛りに出張ってストリップをやらかし大盛り上がりした結果らしいが。

 そして、その中の一人に本気で口説かれることになった。

 それはクラゲ食堂で午前の軽い食事休憩していたときだった、その老人は正装で身なりを整え、その手に両腕で抱えなければいけないほどの花束を持ち、彼女の前に恭しく差し出しながら厳かに跪いた。そのまま頭を垂れ、衆目の最中臆面もなくマリーの美貌や気風の良さに賛辞を送り一目惚れの旨を伝えた。

 それは初デートへの誘いであり、正真正銘の愛の告白プロポーズだった。マリーも最初ははぐらかしたが彼は真剣に、ロマンチックで情熱的でとても素敵なセリフを恥かしげもなく正面から告白し続けた。

 懇切丁寧に――引かず、媚びず、顧みず、聞くだけで砂糖が耳から溢れ出すようなそれを、真摯に、真摯に、真摯に、ただひたすら真摯に真剣に、彼女に訴えかけた。

 そんな老紳士に、四十路の乙女心は爆散した。

 彼女がいかに素晴らしいのかその魅力を朗々と語り上げその多大な愛を証明した詩人に、誇りある軍人は四十路にして、純粋な少女の顔し陥落した。

マリーは赤面し猛烈に恥じらいながらも最後は潔く受諾した。


 そしてそのまま、二人は記念すべき初デートに手と手を取り合い出かけた。

 男達は唖然とし、女達は狂喜乱舞だった。

 

 尚――そのままご一泊して。帰って来て最初の一言は『やってないわよ!?』である。マリーは『せめて両親に挨拶を済ませるまでは!』と、どうにかその夜の老紳士の猛攻を潜り抜けたらしい。どうやら出会ったその日に精神的に完全に屈服させられることだけは免れたようである。

 ほぼ詰みの状態だが、そのお陰で今もなんとかノーカの家で寝泊まりしているのだが、

「……アンタら、全く声はしないのに、ベッドの悲鳴ギシギシだけがしてやたら生々しいのよ」

 最中も、遅くもなく速くもないそれ以外の音が全くしないせいで逆に目を覆いたくなると、次のデートまでお預けで悶々としている。ここまで計算して泳がせたのだとしたら恐るべき詩人である。

 ただマリー曰く、終わったと思って、しばらくしたら、またギシギシギシギシし出すその間隔が、非常に生々しいそうだ。あー、これ今絶対熱烈にイチャついている、と。それを知る男と女なら想像できてしまうらしい。

「そのつもりはないが、確かに絶えず抱き合い触れ合っているか? ……特にキスだけは自然と絶やさない――」

「やめろよ」

 と、途中で自白を止められた。逆にどれくらいが普通の――熱くもなく冷めてもいない丁度いい温度なのか訊ねたいところだが、

「……やはり来客用の寝室も必要か」

 良く軋むのはベッドではなく床の防犯機能の一つだがとノーカは思いつつ、一先ず家の改築を思い描いた。

 土地は余っている、なら改築するより増築だろう、寝泊まり出来る客室を別棟として作り、ついでにアンジェの茶飲み友達用にガラス張りの談話室サロン、それらの周囲に景観も良く造園もした方がいいだろうかと、無表情に計画を練った。

 でも多分、この話自体をまず夫婦でするべきだなと考える最中、

「マリーさん、ちゃんと寝たいならウチくる?」

 レナがマリーに声を掛ける――彼女も意外に純真だった四十路と顔を合わせそして既に仲良くなっていた。

「それも悪くはないんだけど、さすがにどうせあと数日よ……。あ~、いっそラゴンさんのとこ行っちゃおうかなぁ……」

「おお!? 行っちゃえ行っちゃえ!」

 お互い、種族や性別、年齢差に物怖じしないからか、嘘偽りなく好く馴染んでいる。マリーのそれも含めて、女の社交力は男のそれと比べてある種の超能力だと思っていたが、もう本当の叔母か姪かというくらい仲が良い。

 『アタシも結婚してたら、これくらいの子がいたのかしらねえ……』と、自分より若いセツコが子供を産んでここまで大きく育てたそれに、都会の女に憧れを持つレナが、『お母さんより年上なのにワイルドでエロかっこいいよ?』と、自分がなりたい憧れの女として評価したからだが。

 マリーから見ても、やんちゃな年頃――幼年期のそれとは違う、自立心の強さと外の世界への好奇心が窺えるレナには身に覚えがあるらしく、中々放っておけないらしい。

 合致した、適切な思い遣り、その関係をノーカはドアの無い壁の入口、距離の無いそれ越しに耳で聞きながら、台所で一人洗った食器を拭いていく。

「……でも行ったら今度こそ最後まで……あぁっ! ……やっぱり我慢するわ」

「ええ? なんでなんで!?」

「――この歳で可愛い女の子になんてなりたくないの! ……なんかもう全部持ってかれちゃいそうなんだもの……」

 単純に見えて複雑な四十路の乙女心、憂鬱な顔で拗ねながら真っ赤に頬を染める、それが既に可愛いんじゃないかなと十五歳田舎少女は思う。最中、ソファーに座るアンジェの長い金髪を、手を止めずに後ろから新しい髪型にアレンジし遊び――されるがままになっているアンジェも、現在の状況を分析し、

「……やはり控えるべきなのでしょうか?」

 自身らの夫婦性活を、というそれを進言したが、するとマリーは色惚けを止めいつも通りの粗野な態度で、

「ああー、いいのいいの。新婚夫婦の家に邪魔してるあたしの方が悪いんだから」

「うーん、――我慢が効かない旦那様が悪いんじゃない?」

 ノーカは突き刺さる声を無視し、今度は乾いた食器を戸棚に片付けて行く中、ほぼほぼ毎日誘ってくる妻には全く責任はないのかとノーカは思う。

 ただでさえ、一度アンジェに溺れてからというもの彼女からの誘惑に逆らえなくなっているのだ。彼女の柔らかさを感じると、気付けば心の内にある言葉にならない何かが暴れ出し、溢れ出してしまう……それなのにだ。

 早く自分のものにしろ、してしまっていい――これは自分のものだ、自分のものにしろ――喰らい尽くせと、そんな自分に気付き正気に返り、恐ろしくなるのだが、彼女がその翼で抱きながらよし良しと撫でで来るので無言でスンスンと鳴く犬のように甘えてしまう。止まらなくなってしまう。

 その事は既に伝えた、アンジェに悪いから控えようと提案もした。だがその真逆に、それをいいことに、彼女は『では私が主導権を握ればどうでしょうか?』と、“彼女が上”という口約束と共に……。

 ――ダメだった。

 妻には逆らえない、それが身に染みた。

 本当に酷い性欲だ。そう思いつつ……これは本当に性欲なのかと思う。

 そして多分、そう・・なのだろうとも思う。

 その度に、それは言い訳ではないのかと自身を諭そうとし、そしてまたその度に、それでいいのかと自問し、そしてただ今は、いつまで悩んでいるのかと思い悩む。

 そして、果たしてそれを彼女に告げていいのかと思い悩む。

 ノーカは、それは約束を破ることにはならないかと思った。もう少し、このままで居たいというそれも、その時が来たら、離婚するというそれも。

 ここ数日、そうしてふと耽ってしまう物思いに、しかし作業の手は止めず、ノーカは台所をあらかた片付けた。


 ピカピカの台所を確認する。

 もはや自分だけがこの場所を使っているのではない、それどころか、この台所の主人はもはや彼女であると自覚しつつ。ドアの無い扉の向こう、リビングで寛ぐ三人の女共に向け、ノーカは訊ねる。

「――茶でも淹れるか?」

 すると、三人は、一旦会話を止めて

「コーヒーもどき、アイス、砂糖抜きミルクで」

「同じくでミルクと砂糖たっぷりがいい」

 マリーとレナは、しっかり自分達好みに注文を利かせ、そんな中アンジェはただ一人、数瞬だけ悩み、

「……申し訳ありません。私もレナさんと同じものを」

「――わかった」

 本当は紅茶がいいのだろうと思いつつ、彼女の手間を取らせまいという気遣いを尊重し、今度、二人だけのときは彼女の好みの紅茶を入れようとノーカは心に誓う。

 それから、インスタントのコーヒーもどきを三人分注文通りに、そこから更に個人で味を調整できるようミルクと砂糖を、ついでに適当な焼き菓子も追加でまとめて添えて持って行く。最近、柑橘系に近い香りと酸味とさっぱりとした甘みのそれがブームらしいアンジェの為、それも。

 リビングに行くと、粗雑な感謝をするマリーに、愛嬌たっぷりの笑顔をくれるレナ、アンジェからはいつも通り無表情ながら恭しい目礼をされる中、早速彼女が柑橘系果物を手に取る。そのソファーの隅に少し距離を置いて腰を掛けた。

 建前として、今は女三人の時間なのだから。

 気を抜くと、知己二人の前でも、自然に、偽装という建前抜きにして甘えてしまうからだ。断じて飼い慣らされた犬になり可愛がられない為にではない。

 そこで砂糖を一匙さじに、ミルクをたっぷり入れた自分のアイスコーヒーに口を着け、隣の妻に臆さず――否。

 そうじゃない、そうじゃないと、ノーカは長閑な日常からふと冷静に、

「……マリー、水を差すようで悪いが、仕事はどうするつもりだ?」

 状況の変化を鑑みて、マリーにそう訊ねた。

 結婚を祝福に来た――それはいい、その厚意と好意は普通に有り難く思う。

 ついでに田舎でバカンス――それもいい、休暇の使い方なんて個人の自由だ。

 しかし元同僚のスピード結婚(?)、これはどうか?

 この田舎で結婚するのか? それならこれから彼女はどこでどう生活するのか。自分の生徒たちを放り出すのか? それもついこの前ちゃんと向き合うと決意したばかりのそれを反故にして?

 男に対し真剣だというのなら、割とこんな風に暢気に駄弁っている場合ではないのでは? と思う。自身との約束などどうでもいいが、彼女に関わる人間にはかなりどうでもよくないことだろう。

 レナがあからさまに空気が読めてないと眉間にしわを寄せ冷たい視線を送り、アンジェもいつもの無表情の中に冷たいそれを忍ばせているが。

「……本気なら避けられない問題だろう? それともただの遊びのつもりか?」

 ――状況だけを読み、楽しい女子会の空気を読んでなかったことは分かったからその目を止めろと尚も眼で抵抗する駄犬に、当のマリーだけが快く相槌を打ち、

「そりゃあもちろん――本気よ? 今度、キメるわ」

 彼女は甘くないコーヒーミルクをゴクゴクと喉を鳴らしながら一気に飲み干し、テーブルに自信たっぷりに置き、その舌舐め擦りを隠すかのようその腕で拭い言った。

肉食獣の笑みで、狩人の目をしているそれに。

 つい最近、隣にいる妻に、仕事以外のありとあらゆる主導権を猛烈に奪われつつあるそれと同じ――危険を感じ、

「……何についてだ?」

「当然、アタシについてくるのか、それともアタシについて来させるのかをよ」

 それは本気で高みマウントを愛する登山家の目だった。

 いわゆる、人生のステージの問題だ。卑猥な暗喩など無かった筈。

「……放棄するという選択は無いんだな」

「当たり前でしょ? あんな情熱的で素敵な老紳士がこの宇宙にあの人以外いるとは思えないしね? ……わたしなんかのことをあんなに好きだって言って下さるんですもの……ここに留めさせるつもりなら、それでもその時だけは三ヶ月待ってもらうけど、きっと待ってくださるはずだわ……」

 後半から口調も顔も恋する乙女の淑女になった――それを微妙な気持ちで見る。

 戦友が、色恋に溺れて女の顔を醸し出した、それを見たかったわけではない。

 どちらかというと、普段の姉御肌の方がノーカは接しやすく好みだった。

 しかしこれは彼女をこうさせる考古学者の詩人を賞賛すべきかとノーカは思う。

 それにしても、まさか彼女の恋のクリティカルが軍人とは真逆の畑に住まう人種だったとは。それも酒乱の素人ストリップ劇場の素っ裸を見た次の日きっちり身嗜みを整えポエム染みた口説き文句で女神とまで讃え花束持参でその慈悲と愛を乞う包容力たっぷりな老紳士――

 これが男だらけの最前線とヒヨッコだらけの軍学校に居るわけなかろう、それはもう四十歳まで秒読み残り0.2秒まで見つからない筈だ。

 彼女が人生の伴侶を見つけられなかったのは単に狩りの場、否、それ以上に自分の獲物好みを分かっていなかったせいだったのか。

 そのロマンチストの考古学者をノーカは思い、二人がどんな夫婦になるのか、全く想像できず、やんわりそこでその思考を打ち切る。

 さておき、仕事と旦那の両方を手にする気しかない骨太な決意には感心を禁じ得ない。

 仕事を捨てる捨てないではなく、そこまで人を好きになったことに対してだ。

 それをノーカは――なんとも言えない表情で、

「……この短い期間でよくそこまで決意したな」

「いや、アンタラほどじゃないでしょ」

「……そうか?」

そういえば、一目惚れで即日結婚――という表向きだったなと。

 だがいつものように思う、それは偽装だと。そして伏せがちにアイスコーヒーに眼を落した。その元同僚が思い悩む姿には見覚えのあるマリーは、

「――なあに? アンタまさか自分の女だけじゃなくまだお姉ちゃんわたしにも甘えたいの?」

「――いいや」

 力強く言いながら、ノーカは髪型を弄ばれているアンジェを見た。

 疑問する。これまで彼女に掛けた言葉、彼女と歩んだ日々、そして弛まず寄り添い合う努力は決して嘘ではない。しかし、マリーとラゴンのほんの数日、数瞬のほうが遥かに色濃く、輝きを放っているような気がする。

 そして、それで当然だと理屈では分かる。あちらは本物、こちらはどれだけ努力しても偽りの間柄で、そもそもが比べるものではないと。

 そう納得し掛けるのだが、では何故、そこに見劣りなどというものを感じているのかと言えば――

 そこでまた自身の気持ちに気付き、なら、自分はそうなりたいのだろうかと、そしてまた何故、そう思うのだろうかと疑問を感じる最中――


 ――空気が、震える様な圧を感じた。


「……なんか、揺れてる?」

 レナがそう疑問する最中、ノーカとマリーは気づく、それが多数の艦船が大気圏内での航行時、その重力偏向が周囲の気圧に複数干渉して起る、独特の鳴動であることを。

 それも一隻や二隻の戦艦では引き起こせない、艦隊クラスであるそれにすぐさま二人は窓へ駆け寄り、そこから雲一つなかった筈の青い空を眺めると、上には夥しい数の軍用艦が浮かんでいた。




 



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