第32話 違和感。
それから、ノーカは、マリーに格納庫に鎮座した各メカの説明をした。
すると、大昔の戦闘用機体(?)を農作業に使っているというそれにまず爆笑し、その装備品は全て廃品の魔改造DIYという所業に、正規の純正品にこだわりを持つ彼女は企業目線での難癖を付けて来た。
彼女の技能は乗り物の操縦、特に戦闘艇の扱いに特化したものだが、それもあってか機械の信頼性についての比重が非常にデリケートな傾向にあったことを思い出した。
尚、キースは機能と構造の
そんな昔話をした後、
「……今日はこれからどうするんだ?」
「あ~それなんだけど、とりあえず近場で宿を取ろうとは思ってたけど、ここに来るまでの間にそんなものないって言われちゃって、悪いんだけど泊めてくれる?」
「……二、三個先の恒星系まで行けば気の利いたホテルくらいあるはずだが? その辺りから観光地程度に人の数も文明も整っているし、この辺りで遊んでいくなら不便もないと思うが……」
こんな田舎まで来るのだから、職場を空けるのならそれなりにまとまった休暇を取っているのだろうと踏んだノーカだが。
ふと、
「……いやまて、お前どうやってここまで来たんだ?」
「え? それはもちろん定期便に乗せて貰ってよ」
「――自家用車両は?」
「あるわけないでしょ? こんなど田舎までの超々超長距離――逆に面倒臭いわよ」
まさかと思ったノーカだが、自身が初めてこの土地に来た時に、同じ事態に陥ったことを思い出す。
家でも服でも食い物でもなく、この田舎に来て真っ先に貯金を切り崩したのは車だった。それがなければ惑星外へ出ることは疎か惑星内の移動すらままならず生活の全てが立ち往かないのだから仕方がない。
しかし、外の見える範囲にそれらしき車両が無いからどこぞの誰かに送って貰ったのだろうとは思っていたが、現状、元同僚は個人として遭難状態に等しいというわけだが。
おそらく、最初から寝床を
「……仕方がない、アンジェに説明して来る」
「――ありがと」
悪い笑みで感謝の辞を送ったマリーを背に、ノーカはアンジェの元へと向かおうとする。だが、そこで、
「マリー」
「なによ」
「さっきの襲撃……本当にただの挨拶代わりか?」
まさか、自分を差し置いて結婚したというそれだけで野蛮な挨拶をしたとはノーカも思わない。が、軍の演習と遜色ないそれであったと思うそれに、アンジェという余人が居た状況で……下手をすれば巻き込んでいたということには違和感を覚えていた。
「――ええ。もちろん? それがどうかしたの?」
「……いや、それなら別に良いが」
「そう?」
「ああ。……それと、十年前……ちゃんとした相談も無しに軍を辞めたこと……今は、済まなかったと思っている」
「ちょっとヤメてよそういうの。あのとき何も話さなかったわけじゃないし、あたしだってそれが良いって言ったでしょう? アレ本気よ?」
「ああ、分っている。……だが皆ともっとよく話していれば、たとえ辞めるにしてももっと別の……それなりの別れ方もあったのかもしれないと思ってな……。それだけは、俺は間違っていたと思う……」
それを告げると、マリーは一瞬呆けていたが、やがて笑顔を浮かべ――真っ直ぐ、それ以外何も表情を浮かべずスッと距離を詰めた。
そしてその笑顔のまま、ズドン! と、ノーカの土手っ腹に腰の入った渾身の拳を打ち込んだ。銃の衝撃より遥かに重く、分厚いその衝撃に体は微かに『く』の字に折れ曲がった。
次の瞬間、
「――気付くのが遅い!」
マリーは言って、それから柔らかくノーカを抱擁し、まるで母親が息子にするようにその背中をポンポンと叩いた。
「……この十年、ちゃんと生きてたんだね。よかったよ」
「……ああ、そっちこそな」
その感覚に、かつて、同じことをしてくれた女性たちの姿を思い起こす中、ノーカも、ようやく、どうにか抱擁を返した。
やがて、マリーから抱擁を解き、少しだけ眼に涙を溜めていたその顔を誤魔化すよう背を向け手でぞんざいに追い払う姿に、ノーカは、改めて踵を返した。
その背中を見送り、マリーはしばらく格納庫のメカとジャンク品をまたふと眺めた。どことなく、自分達が居た基地、それに似た空気のここは、彼なりにかつてのことを胸に留めていたからではないかと思った。
多分、それなりに居心地が良かったのではないだろうかと。
そして今、昔とは明らかに変わったノーカの事を思い、
「……流石に誘えないわよね……」
非常に困った顔をして、呟くのだった。
ノーカは母屋、裏の勝手口からアンジェが料理をしている台所に戻った。
新婚用、フリルだらけのひらひらハートマークの強烈なエプロンを身に着けたその姿を確認し、また酷く似合っていないと思いつつ、
「アンジェ、ちょっといいか?」
いつもより多めの昼食を調理していたアンジェは、そこで手を止め、隣にマリーの姿が無いことを確認し、
「どうされたのですか?」
「ああ。実はマリーが自分の車が無いから手頃なホテルまで行けないようなんだ。……それですまないが、彼女をここに泊めてやってもいいだろうか?」
「そうなのですか? ……では、夕食も三人分ご用意することになりますね」
あくまで仮定というそれなのか、微妙なニュアンスだ。既に決定事項というそれにも聞こえる。
アンジェもこの家の機器や家電を使いこなせるようになり、当初、家仕事の割合はノーカが七、アンジェが三であった頃から逆転し、今では三と七で落ち着いている。だからこそ、無理をしていないかと訊こうとし、しかしアンジェの立場上、そうでなくとも頼まれたら断れないであろう状況を思い、
「……いいのか?」
「はい。夫の旧知のご友人を、蔑ろにするわけにはいかないと思われます」
偽装のそれを務めよう、という意図を強く感じる。
それが何故だか、罪悪感ではなく心苦しく思い、
「……そうか。そうだな。……俺は何をすれば一番助かる?」
一瞬、自身を直視することをためらったようなノーカの顔をアンジェは怪訝に見て、
「……では、マリー様のお相手を」
「分った」
更に、自身をよく観察しようと一歩近づき凝視して来るアンジェに、ノーカは極力無表情に頷いた。
それでアンジェはまた怪訝な視線をしながら、しかし昼食の用意に戻った。
その姿をノーカは見つめていた。
物静かに料理に
それを思うと、得も言われぬ疼きのような感覚が胸先でした。
そのまま、彼女の背中を見ながら、その虚しさに似た感覚に突き動かされて、
「――アンジェ」
「――はい。……まだなにか?」
「……いや……。……」
言った後、しかし迷いながら佇み、そして吸い寄せられるようアンジェに一歩、歩み寄ると、止まらず、二歩、三歩と、恐る恐る幽霊が消えないことを確かめるよう近付いた。
やはり何か用があるのか、なんなのかと、アンジェは再び調理から手を放してノーカに向き直り目で問い掛けてくる中、そっと、また消えてしまわないそれを確かめるようノーカはそれを引き寄せた。
「ノーカ?」
腕の中、名前を呼んで来るが、気付いたまま無視した。
その形を、なぞる。髪の長さを、肩の華奢さを、背中の薄さを、腕の細さに――抱擁を緩めて、ノーカはその頬に手を添え、顔の形も、睫毛の長さも、瞳の色も。唇の柔らかさも、その目で、指先で、覚え込ませるよう一つ一つ確かめて行った。
そのうち、もう一度というようノーカはアンジェの方にあごを乗せ、首筋に首筋を絡めるように深く埋めた。
理由は分からないが、甘えたいのだろうか。アンジェはその理由を確かめようと身動ぎし――別の女の匂いが微かにしたそのことに刹那眉を顰める。
理由は分からない、だがそこで――しかしそこにあるノーカのいつになく動物的な、否、人間的な気配に、その顔を見ぬまま、
「……何かがあったのですか?」
真摯に問われて、ノーカは、またゆるゆるとアンジェの体から腕の抱擁だけを解き、そして目の前、耳を傾けるそのまっすぐな瞳に視線を落として、
「……もし……これから……」
「はい」
「……、……いや……。……もう少し、……このままでいいか?」
アンジェの袖を弱く引き寄せたそれに、アンジェは無言で目を閉じ、ノーカが目を閉じる間もなくキスを寄せ、その胸板に身を乗せるよう自然と寄り添った。
「……それで、いつまでこうしていればよろしいのですか?」
「……分からない」
出来るだけ、長く、というそれを、ノーカは言葉に出来なかった。
「……では、そのときがきたら、おっしゃってくださいますか?」
この生活の、元々の約束をノーカは思い出す。
「……ああ。それまで、……そばに居て貰ってもいいか?」
「……分かりました。では、そのときに。……それまでは、このままで」
本当にそれでいいのだろうか、分らぬままノーカはアンジェを見る、と、しかし引き寄せられたように、今度はノーカからキスを寄せた。
腰も強く抱かれ、背伸びをせざるを得ず、アンジェのそれより強く、長く求められるそれに、時折り苦しそうに喉を鳴らすアンジェだが、寛容と従順が入り混じった態度で、ノーカの気が済むまでとしばらく受け入れた。
終わって、
「……ところで、それはマリー様にもですか?」
「……いや。お前にだけだ……」
「……マリー様は今、お待ちではないのですか?」
「……そうかもしれないが……」
しれっと、冷や水を浴びせて来たアンジェに、なんともいえない罰の悪さを覚えるノーカだが。
似たようなやり取りを今朝した気がしたが、それとは違う気がした。
その、ほんの微かな、今どうにかしたいどうしようもないもどかしさに、ノーカは、待て、がもうできない犬のよう忙しなく眼を泳がせた。
アンジェは無表情に瞬きを一つした後、溜息を吐くよう目を閉じ、仕方なさげにノーカをエスコートするようその手で引き寄せる。
まるで怯えたよう目でワタワタするノーカに、本当に仕方なさげに、アンジェは何もかも包み込むような慈愛染みた手つきで、ノーカの頭をヨシヨシと優しく撫でた。
その温かさにノーカは硬直しながらほっと、だがやはり恐る恐る動物的に目を細める。
――そこでふと、焦げ臭い匂いに気付き、正気に返ったよう二人して体を離した。
見ると鍋から、ジュ~~~~! っと黒ずむ煙のような酷い音もしている。
アンジェはしかし慌てずノーカの腕から離れ、火を入れっぱなしの動力内臓型フライパンを切る。その中にはひどく水気を失った、何らかの元液体が炭としてのっぺり張り付いていた。
ノーカは、本当に悪いことをしたと思った。
「……すまん」
「いえ。作り直せば済みます。――ですが本当にマリー様はまだお待たせするのですか?」
「――いやすぐ戻る」
「――はい。昼食ももうすぐ出来ますので」
「分かった」
ノーカはぎこちなく裏の勝手口に向かった。しかしまたアンジェの立ち姿にひどく目を奪われそうになる。
彼女の機嫌が気になる、昨日から重ね重ね調子がおかしく――彼女に甘えてしまっている。そして甘えたいという衝動がある。それから逃げるように外に出て、ドアを閉めた。
ノーカは動揺する胸奥を強制的に閉じるよう気付けのよう何度も拳で叩いた。
ゆらり、ゆらりと、歩きながら、ふと立ち止まる。
先程、アンジェとの
自然に、したいと思い、した。どうしてか、どういうことか、分からないが、なぜ、あんなことをしてしまったのか。そんなに性欲でも拗らせているのか。考えながら歩みを進め格納庫に戻ると、マリーは人型重農機具の前で今丁度腕輪の端末を閉じたようにノーカへ振り向いた。
ノーカはマリーに、
「……どこかに連絡していたのか?」
ゆったりと走るような歩調で、マリーはノーカに歩み寄り、
「ちょっとね? 大分いじった跡があるけど見たことのない機体だったから、
ノーカは、先程の情痴的な行動を思い出し眉間に微かな皺を寄せつつ、
「……ああ。許可は貰った。後でお前からも礼を言ってやってくれ」
「それはもちろん。悪かったわね~?」
「最初からそのつもりだったろう」
「あは、分かる? ……あっ、そうそう、ついでにもう一つ悪いんだけどさ、あなたたち二人の写真、取ってもいい?」
「……そんなもの何に使うつもりだ?」
「――賭けよ。賭けの証拠。本当に結婚してました、ってアイツらに送ってやるの」
なるほど、とノーカは思う。
曰く大穴の大穴、誰も予想だにしなかった自身の結婚生活だ。その結果だけ、言葉だけで報告しても誰も信用しないだろう、その確たる証拠を確保してからの賭け金の配当となるはずだと。
しかし、自分のことながら、
「……写真で信じると思うか?」
たとえ画像の中、自分の隣に嫁が居て、それで信じられるかといえば、というそれにマリーも、
「まあ八割がた『嘘だろ!?』『クソッタレ!』『死ね』『こん畜生!』『ヤラセだヤラセ!』だと思うわ。ここの住所知ったら強襲し掛けるんじゃない?」
だろうなとノーカも思う。ついでに、バカ騒ぎの為だけに妙に手の込んだ計画を立ててきそうだと。同隊だけでなく基地の面々を思い出せば、それが善意からの祝福だけでなく、言葉通りの野次と罵声に賑やかしと、嫌がらせも明らかに含まれるだろう、誰かが一言でも八百長疑惑を呟いたら真実などどうでも良くそれだけで強襲に及ぶ輩が来るだ筈だと。
それを踏まえて、
「…………居場所をリークしないと約束するなら構わないが」
そうでなくとも、目の前の女に手紙を送った時点でそれが吹聴され、既にどのみち諜報部隊が証拠固めに動くのは時間の問題である。ならばと、
「いいわよ? その代わり配当の酒、アタシが貰っても良いわよね」
「――全く構わない。
その一筆に、配当はみんなで豪勢に飲み乾してほしい、と書き加えておけば自身への襲撃の可能性は減る。仮にあっても相当穏便なものになるはずだ、と。
同僚に対し不穏な事を考える傍ら、それでも軍の諜報能力を駆使しマリーが辿った航路から自身の居場所を洗い出しかもしれない可能性が存在することは否めないと思う。そこで、ノーカは早急に対人、対軍用の罠を多数設置する事を決めた。
その後、自宅周辺と畑に、何か怪しげな箱を埋めているノーカをアンジェは目撃するが、歓迎の花火というそれを訝し気に翼をはためかせるも、夫のすることだからと彼女は物分かりの良い妻の振る舞いに務めた。
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