第29話 今の話、昔の話。
基地を出た直後からのこの土地に来るまでの経緯、その後のこの田舎での開拓期からの活動、それから農業を始めた当初の生活。宇宙のゴミ拾いからのジャンク屋の起業と、それら経営が軌道に乗るまでの様々な創意工夫に四苦八苦、そして近所の住民のトラブルに巻き込まれたことと、いでに自身が巻き起こしたトラブルのこと……。
それらを、マリーは微笑まし気に聞いた、戦争しか知らなかった男が、きっと穏やかな日常に四苦八苦してるんだろうなあと聞いた……。
つもりだったが、
「……襲ってくる宇宙海賊をせん滅して、密猟者を
「知らん」
そこで限界が来た。嘆き、そして俯いた。
膝に肘を乗せ、手を組みその上に額を乗せ頭を支えてから、マリーは眉間に深い深い皺を刻み、疲れ切った溜息を吐いた。
それなりに心配していた、産まれてから戦争以外経験していない人間が一般的な平穏な世界でまともに暮らして行けるのかを。いや、生まれて初めてであろうただの一般人としての生活を、元同僚としてそれなりに祈っていた。だが――
なんか、違う。思ってたのと大分違う。自衛手段に銃を持ちいざという時に備えるのとそれを使って積極的に一方的に敵を殲滅することは天と地ほどの差がある。田舎暮らしってそんな大のハードな世界だっけ?
と。マリーはどうにかその心を建て直す。要するに、退屈はしていなかったのだろうと厚意で大目に見た。
そして聞いたことの七割は忘れることにし、その中でも一番おどろきなのはと、
「……それにしても、アンタがまさか田舎で農業生活なんて信じられないわ」
「そうか?」
「そうよ。戦場を離れるにしても精々武器商人とか警備会社に再就職とか考えてたわ。……まあ軍を退役した男の大体が? 大概家族の都合も顧みずにそれを目指すんだけどね」
「そうなのか?」
偶然、空港の受付嬢に紹介されるとかじゃないんだなと、そんな余計なことは言わずに。
「そうよ。そんで家族と『――まったく! もっとちゃんと報告・連絡・相談をしなさいよ!』って話になる話よ。……それをアンタがねえ……あ! そうそう、それで忘れかけてたけど。手紙には『結婚した。仕事も落ち着いてきた。一応報告しておいたが、他に何か知りたいことがあったら連絡しろ、もしくは直接来い』としか書いてなかったけどちょっとアンタ――もうちょい何か書きなさいよ?」
急に機嫌が斜めになられたが、ノーカにしてみればただ畑仕事に宇宙のゴミ拾いいジャンク屋業など、特に報告に上げるような内容では無く、それ以外の主だった生活……害獣や賊相手の
「……こちらとしては他には何も特別なことなどなかったしな。それを知りたいのなら直接来てもらうより他あるまい?」
「いや、あるでしょう!? 内容だけじゃなく頻度も! 仮にも親しかった人間に対して、てっきり一年か二年か半年くらいで連絡来ると思ってたのに十年、十年よ!? 一気に十年後よ?! 正直もう完全に忘れられたか死んだかと思ってたわよ!!?」
言われ、しかし宇宙の広さにおける『速さ』『時間』『距離』の問題を思い、
「……仕方ないだろう? 銀河を幾つも跨ぐとなると光の早さでも時間が掛り過ぎる。そう頻繁に連絡など取れるわけがない」
自身の感度が低い部分はさておき、物流や移動手段としては空間跳躍が解決したが、通信面ではまだまだ課題が大きい。銀河を飛び越えるとなると、否、その内側であっても何億光年という超々長距離の通信には、光の速さを駆使しても如何せん桁違いの誤差、遅延が当たり前になってしまう。
そこで、情報をワープで、
頻繁にやり取りする気が失せるくらいのその辺りの事情を指摘するも、しかし顔のモチベーションとリアクションが右肩上がりに派手になっていく元同僚に、ノーカは、自分はいったい彼女の何の地雷を踏んでいるのかと疑問する。
いくら縁があったとはいえ、仮にも辞めた職場の人間とそんなに密に連絡を取るものだろうか? 違うだろうと。やはり自分は決して間違えているわけではないと思うのだが。そんな眼で首を傾げるノーカにマリーは、
「――ちゃんと会話が出来ない男は糞だって言ってんのよ?」
そんな文脈が存在したか? と、懐疑的な目でマリーを見るが、しかしノーカも、それがいわゆる意識の違いであることはなんとなく察していた。
マリー自身が口にしていた家族間における報連相の問題と同様、彼女にとって自分はそれくらいの情報の密度を期待する間柄だったのだろうか?
と――そこでアンジェの事を見る、家族としてそう在るべきか。
だが、お前とはちゃんと会話しているよな? と、目で確認したそれに、アンジェはなんとなくといった様子で無表情に頷きを返した。
本当に意思の疎通が取れているのだろうかと、やや疑問が残るが。これは自分の方が彼女の動向に気を付けなければならないだろうとノーカは逆に思わされ――ああ、つまりこういう事かとそこでマリーの云わんとすることを完全に理解した。
そして彼女らに交互に顔を向け、
「……これからは気を付ける」
マリーは、確かにそれでいいんだけどなんか釈然とせずガクリと肩で項垂れた。
素直で、理解力はそこそこあるのだが、タイミングがとことんずれている。
ノーカのそういう気質を……三十半ばのおっさんになってもそこは相変わらずなのかと残念な懐かし味を感じ、苦笑し、
「……まあ、こんなド田舎じゃそう簡単に連絡取れないのも仕方ないか。……でもなぁ~、それでもねえ~? 落ち着いたら連絡するって言ったのにさぁー?」
「それが落ち着いたのがつい最近だ」
それはそれ、これはこれと言った様子で、ニヤつきながらマリーはソファーに仰け反って寄り掛かる。
人の不手際に揶揄い交じりでマウントを取る四十路女の拗ねた様子に、現役時代であればこの後買い物の荷物持ちやら遊興に連れ出され顎で使われたそれを思い出すノーカに、
「――本当に? 本当はどうでもよかったんじゃなくて?」
「ああ。本当だ」
妙にしつこく絡む元同僚に、ノーカもいい加減鬱陶しさを覚える。しかし、職場を辞めて以降のその同僚との付き合いとして、やはり自分のした事は悪いことだったのかと疑問しないでもない。
しかしそこで、
「……ノーカ、マリーさまとは一体どういったご関係だったのですか?」
アンジェから疑問げに、否、やや懐疑的な視線でそう訊ねられる。
いつもの調子で淡々と――? 無表情の、だが彼女のほんの微かな違和感を覚えながらも、ノーカはそのいつもの知識欲かと思い、
「同じ隊の人間――というのはもう話したが……」
そう答える。それ以上でもそれ以下でもない。適度な距離感のある仲間、戦術上の自身と同じ、駒の一つ。そうではない範囲で言うのなら友人未満、家族未満の、しかし命を預け合う単なる仲間以上の存在、というところだ。
それをどう言い表せばいいのかと言えば、やはり戦友だろうか思うのだが、
「――いいえ。それだけではなくなにか特別な縁のようなものを感じます」
と、アンジェはそれでは納得できないようにマリーを見やる。彼女は余裕の顔で、どこか高みからの見物を決め込むかのような風情で、それに微笑み返す。
アンジェの言い分からして、まるで自分達が過去に男女の仲――恋人か何かのよう親密であったというようだが。実情を知らない者にはそう見えるのかと、ノーカは初めて俯瞰してその関係性を鑑みた。
……心当たりがあるにはあるが、しかしそこには恋愛感情など一切絡んでいない、もちろん性交渉もだ。
今のアンジェとの夫婦関係に後ろめたくなるようなことなど何も無い。たとえ本物のそれでなくとも、共に居る彼女に背く様なことはなにも。
だから何のためらいも無くノーカはアンジェにそれを説明しようと口を開こうとした。しかしそのタイミングで、それより先にマリーが、
「――ああ、それはね? こいつにプライベートでLessonしてたのよ、一般教養と学問の――いわば教師? 恩師っていうの?」
ノーカに替わるよう答えたそれに。
どことなく不満げに、アンジェの翼が威嚇のよう毛羽立つ。
何故だろうか、その瞬間、ノーカは一瞬リビングの空気が凍った気がした。
人の疑問に親切に答えながら、しかしその本人には口を挟ませない空気をマリーは醸し出す。だがアンジェはそこで一切表情を変えず――
「……恩師、ですか?」
一度ノーカに視線を向ける。そして、これに一体何を教えたのかと、疑惑が――むしろただの純粋な興味に変わったように、目と翼で疑問符を掲げ始める。
目の前の女との真実より、ひたすらに自分の夫への興味が優先されてしまう。
その純粋な顔にマリーはしょうも無さを感じ、苦笑を漏らした。
実直で素直というそれを、マリーはその隣に並んで座るノーカと見比べ、まるで同じ犬種が並び合っているような、似たもの夫婦の気配を感じ、昔馴染という立場を気取ったそれを止めた。
そしてあっけらかんと、当時、かつてノーカと同輩であった時の全容を開示する。
「そう、恩師よ。――こいつ、スカウトで軍に採用されたんだけど、学歴、学位どころか高等教育に義務教育すら一切受けてなかったのよ。おかげで学術知識が偏ってるわそれどころか普通の社会での常識――クレジット端末の使い方や預金とかそういう社会常識も、あたしが隊の先輩としてプライベートで教育と生活指導をするよう任されたの」
それにアンジェは一瞬目を細めるが、しかし次の刹那にはそれを伏せた。そしてマリーが言うことを嘘か本当かとも疑わず、ただ信じるというように、
「――なるほど、そういうことだったのですね?」
目の温度を柔らかくし合う女たち。その間に、一瞬、目に見えない火花が散る気配をノーカは感じていたが。
マリーはアンジェに対し、同じ女として――一人の女として接するのを止めた。
アンジェも、一人の女として見ず、同じ女としてみるような気配を滲ませた。
気のせいか、いや、それは間違いなく
男が立ち入ってはいけないだろう領域、それを動物的勘で、ソファーの上で置き物になり素通りしていた。
もうアンジェに対して畏まらず、姿勢を崩し前のめりにマリーは、
「……あの時はホント苦労したわぁ……なにせ勉強だけじゃなく、ただの私生活の仕方を教えなきゃなんないとか……なに? あたしは人じゃなく動物に何を教えてるの? ってねえもう……」
確かに過去、その非常識さを嘆いたクライウッドとケリーから足りない常識と教養を埋める為にと、軍務の傍らの通信教育で学歴取得を勧められ、個人では追いつかないそれの教師役としてマリーに世話されたのは事実だ。それどころか食う、寝る、壊す、殺す、鍛える、それ以外が存在しない、私生活どころか人生の割合の破綻ぶり――常人に於ける文化的、社会的な人間らしい生活……生きる喜びが『その他』で『一%以下』のそれをどうにか二、三割くらいまでには引き上げられないかと彼女がその面倒を
しかし、まるで示し合わせたよう視線を向けてくる二人に、ノーカはどうやって目を逸らすかを思い悩む。
そして、いや、それだけか? ――それだけではないなと。単に恩義だけではないく、むしろ彼女から多大な迷惑を被ったそれもあると思い出す。その一例としてだが、
「……その代わり、買い物の荷物持ちや、外での飲酒後の送迎、他か、何か役に立つことがあったら便宜を図ることを約束したし、その役目も果たしただろう」
「――それで足りると思ってんの?」
「……それはたとえ極めて癖の悪い酒(脱ぐ、絡む、叫ぶ、暴れる)の相手とその後始末まで度々させられていてもか?」
自分も大概非常識であったが、目の前の同僚も大概なほうだろうと。
むしろ、生い立ちや経歴を差し引けば、常識や分別を弁えた上でその手の事を全く悪びれずにするマリーの方が悪質ではないかとさえ思うのだが、
「ああうんそれはね? 悪かったと思ってるわよ? ――でもね?」
「なんだ」
「――十年間、心配してたって言ったらどうよ?」
自分の悪行を全く気にした様子は無く、気軽に、真摯なそれを――隠した風にじっと見つめてくる元同僚に――臭い演技を感じる。
謝らなくていいだろう、謝らなくていいよな、と思いつつ、だがノーカは迷った。
過去十年のそれ、上官から
狂犬紛いの野犬を、軍用犬にまで仕立て上げるその労力、それを思い出せば軍を抜けて初めて一般人になったその後の経過報告を怠ったのは……ああ、確かに、何の音沙汰も無いのは恩知らずだったかもしれないと……ここに来てようやくハッキリ認識する。自分にとって本当に結構な恩人であり、不服ながら、こういう女が世間でいう“いい女”であることくらいは分かる。軍籍時代に於いて最も付き合いが深い――ただの同僚ではないのは間違いないと流石にノーカも思う。
のだが、今揶揄っていることも、その十年間というそれも――両方、嘘ではない、というそれを感じる。せめてどちらか一方なら、素直に恩義を示すなり、マウントを取った揶揄を払い落す事も出来たのだが。
その所為で、いい女ではなく、ある意味で“とても面倒臭い女”でしかない。
社会で素直な善人をやるわけにはいかないにせよ。これをどうしたものか?
渋面で思い悩むノーカに、アンジェがその手を強くきゅっとした。それをじっと見て、ノーカは、ややあって許可のような、同時に指示であるような、叱責であるような何かを受信した気がした。
そして、
「……悪かった」
ちゃんと連絡を取っていなかったことを、素直に謝ることにした。
尻尾を丸める様なその姿を見て、
「……あんた、意外と女の尻に敷かれるタイプなのね?」
マリーは愉快痛快と頬を緩め、夫婦の平和を改めて、からかい交じりに祝福した。
今度は、照れ隠し交じりではないそれを踏まえた上で、ノーカは否定しようとは思わない。ここでの生活の主導権こそあるが、最近はアンジェをその生活の主軸に回っているようなもので。今のように、彼女の言動にそれとなく示唆を受けることが多い。
隣にいる彼女の、そんな言葉尻、目尻などを思い出し、更には今ソファーを下に敷いているそれを見て、
「……むしろ悪くはないが?」
女の尻を、そう評する。
それが、夫婦間の上下関係――それを利点と魅力と感じ、相互理解としか思っていないことはマリーも分かったものだが。色恋どころか性欲すらあるのか疑わしかったノーカのそれが、ある意味でここ一番の驚きだった。いや、ちゃんとオスもやれているのかと。
その実在の尻――撫で心地も、掴み心地も、形も良い、慎ましくもふっくらとしたそれと好評したその持ち主、アンジェも少し翼をそわそわと震わせる。
夫の視線には、今、明らかにそれが含まれていた。キッチンで料理中の背中に感じたそれや、ベッドの上で、上で背中向けて励んでいる時の動物的視線だ。
起き抜けのやり取り含めて、今夜は尻主体だろうと。今、眼で無言のうちに確認し合う二人の満更ではないその様子に、この夫婦相当上手く行っているなとマリーはいい加減バカらしくなった。
だがやはり――呆れながらも感心した。野犬上がりの軍用犬がよくぞここまで立派な家犬に更生したものだと。それもこんな美人の若奥様まで貰って、これは一般人として多大な戦果ではないか。
なら、言うべきことは一つだろうと、今度こそ含みなしに、
「……まああれね……、――結婚おめでとう」
脱帽、と肩を竦めながらに、年老いたオカンの小皺のような、屈託のない祝福に、
「――ありがとう」
しかし、まるで昔のままの不愛想な礼が返って来る。
それなりに老けたものの、やはり根本的なところでは十年前と変わらないのかとマリーは懐かしさを感じた。そしてそれを感じる自分に、自身もまた歳を食ったのだと肩を竦めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます