第25話 要点をまとめると、そしてダイジェストへ。

 夫婦の寝室が一緒になった。

 起きる時間はずれるもの、それからは毎日同じ寝床で寝起きするようになった。

 休養日は、なるべく夫婦として同じ時間を過ごすようになった。

 そしてアドバイスを参考に、となりの恒星系の、最寄りの街に出掛け、買い物をし、食事をし、映画を見るなどをすることもあれば、何をするでもなく家に居て、時間を潰し、肩で寄り添うこともあれば、趣味を見つけようと集めた遊具を二人で試すこともあった。

 自分たちなりに。人の意見や足りない知識を取り入れたりしながら。

 これで傍目、普通の夫婦に近づいただろうかと疑問しながら。

 一人で暮らしていた時にはしなかったこと、出来なかったことをした。

 どれも特別な喜びはないことには変わりはない。が、ただ一人でしていたそれとは違い、自分の隣にいる人物の観察をしていれば退屈ではないとノーカは自覚していた。

 それは有意義に思えた。お互い、泣きも笑いも怒りもしないが、二人でいるときは、ゆっくりと物事が巡った。

 相手の事を考え、考え、考えて、立ち止まって、自分の行いや、相手のそれに思いを巡らせる時間だった。

 その所為か、ただあくせく今日明日という毎日の事を考えなくなった。

 次第に、近所の住民にもそれなりに夫婦らしく見えるようになったのか、下手な野次や揶揄やゆが絡むこともなくなり、やがて二人でいることが自然なそれとして周囲に受け入れられていた。

 そんな住民たちと、二人そろって軽い挨拶をした。

 車両までの短い時間を、二人で手を繋いで歩いた。

 同じ格好をして、畑の手入れや見回りと仕事に精を出し、気遣い合った。

 他家と食卓を囲むときは、二人で考え何か持参品を提供した。

 ゆっくり、ゆっくりと、夫婦としての歩調を覚えて行った。

 

 ――仲の良い夫婦は毎日キスをするという、それを取り入れた。

 それに二人して、本当か、何故だ、と首を傾げたが、一種の記号ということで試してみた。

 もちろん自分たちなりの進捗で……したのは唇を避けてのそれだが、それだけでも、決まった時間、決まった場面、決まって、お互いに感謝をする瞬間に、それを表現する手段として。

 彼女の元に帰って来たのだ、という事と、これから離れる、というそれを知覚するようになった。

 しなければ、何かが足りない、忘れている、と思う位には。

 それが当たり前になってしまっていた。

 唇と唇ですることを覚えた時には、何故だか、それをしていなくても、一日中離れられない日があった。


 アンジェとの偽装・新婚生活は順調に進んでいった。

 朝起きて、仕事して、家に帰って、夫婦として過ごす、それが毎日。

 あくせく働きながら、夜に一緒に寝る間だけ、穏やかな夫婦の時間を持つ。

ただそれだけの時間。何の変哲もない、人間で、夫婦で居られた。


 アンジェも畑の手入れは一通り出来る様になり、収穫に多大に影響する、取り扱う野菜ごとの摘芯や切り戻し、芽かきをなどを覚えた。

 種から世話させた、短い期間で取れる宇宙二十日大根を、彼女は自分の手で収穫して食べ――何かしらの感慨を覚えたのだろう、その後ジッと自分の育てたうねを見つめていたそれに、試しに一枚畑を持ってみるかと薦めたが、首を横に振られ、まだ覚える仕事があるなら、そちらを優先したい、と言われた。

 そこで、農協での取引と手続きや、朝の業者市に同席させ、一通りの流れを見せながら、個人取引のある顧客にも初顔合わせの面通しをし、夫婦になったことと、妻であることを報せ、どれもこれも顔に驚きしかなかったが、祝福を貰った。

ノーカは、彼女の自立に関しては、気長に構えることにした。

 その内、各種車両の取り扱いも完璧に覚えた。特に巨大人型重農機具では、遭遇した宇宙害獣との格闘戦も難なく乗り越えたが。次の遭遇時、こちらを使わなくてもよろしいですか? と彼女は自前の翼で浮遊しそれを軽くトンと手の平で突き飛ばすと、20m級のテントウムシの風の亀はあっけなく爆散し森が血に染まった。

 彼女の戦闘力、危険なその一部を知ってしまった。

 しかし素直に、子供の様にすごいなと思った。その時の顔をアンジェは何故だか訝し気に眉をひそめて見ていた。だがミンチより細かく散ったそれを見て、収穫部分まで吹き飛ばさずに出来るか? とダメ出ししたら、やはり次からはお任せします、となった。

 職場の上司的に間違ったか不安になったが、そこは置くことにした。

 宇宙ゴミの回収とジャンク屋業については、アンジェはそれほど興味が無いらしく、早々と作業に徹するようになった。その作業中、レナとの会話を嗜む方がその翼が上機嫌に膨らんでいる様子から、むしろそれを主目的としている様子であった。

 女の上下関係には疎いが、レナは親し気にアンジェに対しお姉さんぶっていて、立場だけのそれを恋敵とは思わないらしい。でっかい妹のような気がするというその女心を、ノーカは理解できなかったが。

 それでいいと思った。




 一ヶ月、二ヶ月と時間が過ぎた。


 十年前、新しく始めた人生は問題なく運行しているといえよう。

 偽装とはいえ嫁が出来、夫婦として私生活は安定している。

 そこで――予てからの約束であった同僚への手紙をようやく出すことにした。

 今も変わっていないか分からない宛先アドレスに、近況、特に目覚ましいそれを認めた手紙を、郵便物として食堂のクラゲ夫人に託した。光の速さではもはやどうにもならない距離だが、宇宙の運び屋たちの確かな腕なら元同僚まで必ず届けてくれるだろう。どんな返事が来るのかと少しだけ興味をそそられながら、きっと忘れたころに唐突にやって来るだろうと、それを待つことにした。

 それからも、何度となく訪れた休養日は、それまで以上に自然に、夫婦として時間を過ごすようになった。

 誰に見せるでもなく腕を組むのが当たり前になった。

 隣に座れば自然に寄り沿い体のどこかで触れ合うようになった。

 人前で挨拶のキスをすることにも抵抗が無くなった。

 それから、今まで使うことのなかった貯蓄の一部を使った。

 初めての高級な料理、ドレスコードありのそこは、食事を楽しむ場ではなく、それ以上にそれ以外の目的を主としていると聞いていたが、いつも良くしようとしてくれるアンジェに何かしたかった為なので、そう間違ってはいないだろう。

 そこで食べた異国の料理は、確かに、複雑なのか繊細なのか淡白なのか薄いのか分らない味で二人して首を傾げるばかりだったが、彼女と飲む果実酒だけは、そう悪くは無かった。彼女自身も、そう悪くはなさそうに翼をそわそわとしていた。

 帰り道に物足りなさから入った屋台の、素朴な家庭料理風のそれに、二人して黙々と舌鼓を打った。

 そして目に入った本屋で、アンジェはそれに似た真新しい料理本を手に取った。


 アンジェは、セツコと個人的交流を持つようになった。

 そこで何に目覚めたのか、新しい知識を求め、近所の考古学者の元を再び訪れ、彼女が選んだのはお茶にハーブ、それらに類する花木かぼくの関連書籍だった。

 どうもセツコとお茶を飲みながらその関連文化を布教され、関心を寄せたようだった。そこで農協でその手の苗やタネのカタログを取り寄せると、それお仕事系ではないと不躾がちな視線を向けながら、しかし一応丁寧に、静かに視線を落としていた。

 最初は不機嫌がちだった眉根も、次第に興味深げに目線が彷徨い――もしかしたら野菜ではなくそちら方面に行くのかもしれないと、ノーカは空いてる土地の運用を鑑みた。


 そして――


「起きたのか?」

「はい……行くのですか?」

「ああ」

「では、お気を付けて」

「ああ。気を付けて行ってくる」

「はい。朝食を用意しておきますので」

「わかった。……いつもと変わらないだろうが、なるべく早く戻る」

「かしこまりました」

 ノーカは、裸から衣服を身に着ける。

 アンジェはベッドの上、まだ横たわりながら毛布を手繰り寄せて、裸身を隠していた。床やその上には、彼女が昨晩身に着けていたそれらが散っている。

 誘惑に負けた――わけではない。

 理性が折れたのでも、欲望を隠し切れなくなったのでもない。

 ただ、自然とそうなったのだ。

 アンジェとは寝室を共にするようになってからずっと、ただ一緒に寝るだった。

 しかし、それに彼女は決まって煽情的な就寝着を身に纏ってきた。情熱的な赤に、蠱惑的な紫に、淫猥なピンク、高貴な黒も神聖な白もあれば、最初の夜の記念日的それもあった。どれも決まって極薄で、アンジェの芸術的な肢体を浮き彫りに、毎晩毎晩ノーカの隣に横たわってきた。

『――ダメですか?』

『――お嫌ですか?』

『……私には魅力がありませんか?』と。

 それがノーカの胸を打ち、雄を爆発させたのではない。

 ただ……毎日、お互いに、誠実であろうとした。

 夫婦として、夫として、妻として。人として、身を寄せ合って来たのだ。そこで誘惑に駆られて手を出すことなどできるわけがなかった。

 考えもしなかった、密かにアンジェの美貌と肢体を愉しんでいるとかも全くなく、誠実であろうとした。アンジェも同じよう誠意的で、そういう欲があるとか篭絡してやろうとか、むしろ単なる献身というそれを貫いていた。

 本当に夫婦であったら、本当の夫婦であったら。

 本物の、夫婦らしくするために。

 お互い、それを全く疑った様子も無く、相手がどういう人間であるかということを信頼して身を預け合っていた。

 だから、彼女が嘘を吐かなくても済むようにと。許し合える範囲でお互いの体を撫であった。動物の自然な親愛表現のよう、そこに下卑た気持ちは無かった。

 一つ、一つ、一つ、また一つ、と。夫婦として出来ることを、時間を、場面を、感情を増やしていった。

 その月日、日々、自分たちなりに努力していた。そのうちの一つの出来事でしかなかった。

 毎日、毎日、お互いに、自然に夫婦で在ろうとして、互いに、その腕の中で、安心して目を閉じていた。

 心を許し合っていたのかもしれない、そうして、日を追うごとに馴染んでいく腕の中、他人の体温に、アンジェが自身を誘う言葉に――。

 つい、――分った。と言ってしまったのだ。

何故、そう言ってしまったのかは分らなかった。

 何が分ったのか。

 だがどうしてか、ノーカはその時そう言ってしまったのだ。

 うっかり口を滑らせたように見えたかもしれない、アンジェもそれを予期していなかったのだろう、ほんの少し驚いたよう目を丸くしていた。だが、すぐに、いつものような無色透明な顔をして。

 彼女からも、頷きを返してしまったのだ。


 その日からノーカは、アンジェに誘われるままに、アンジェに許されるままに、それを欲しいままにした。


 互いに、そういうことに興味は無いつもりだったが、悪くないと感じた。

 そこに愛があるかどうかはもはや問題ではなく、当たり前の日常になった。その状況を一言でいうなら要するに――ハマった。

 互いのヘキに合致していた。

 愛はないがセックスはある、それを地で行っていた。

 結果、男と女であることには抵抗はなくなっていた。

 それで問題無かった、対外的には衝撃的かつ運命的な一目惚れの新婚夫婦だ、むしろ真実味が一つ増えた程度、これで本当に嘘を吐かなくて済む。問題が一つ解消された――

 そのつもりだった。



「――ようよう兄ちゃん、イカした女連れてるじゃねえか? 俺にもちょっと味見させろよ、あぁン?」

 通りすがりの不良娘に絡まれた。

 レナだ。彼女はノーカの肩に手を置いた後、正面に回り込みながら、凶悪な上目遣いをし、ポケットに手を突っ込み通せんぼしている。

 そのどことなく父親の血筋薫る不良娘は、更にメンチを切りノーカの周りをカツアゲの品定めのようジロジロ、ぐるぐると下から上に睨め上げ、

「……このケダモノがよぉ……いい子ちゃん面しやがって、結局やることやってんじゃねえかよ、ええ?」

 本当にどうしたのかという変貌ぶりだが、仕方がない。

 休日の朝、昨日のなごりを二人してシャワーで流しあっていたところ唐突な訪問で、バレた。二人同時に濡れた体にバスローブで、かなり新婚夫婦っぽいことをしていたその直後の瞬間をスクープされた。そのとき『確かに仲良くしろって言ったけどそこまでしろとは言ってないから!』と叫ばれて以来、度々この調子である。

 そして今日は、

「愛が無くてもセックスできるんなら私ともしろ」

 命令口調で迫られた。

 感情的にはともかく、理屈としては今反論し辛かった。

 しかし、レナとそういう関係になる将来についてはちゃんと断りを入れているのでそういうわけでもないと思うノーカだが、半ばあきらめる様子も無かった彼女に『それでいい』とも『ダメ』とも言わなかったのは不誠実だったとも思う。

 そこで、なにを思ったのかアンジェは、

「ノーカ、レナさんとセックスしてください」

 ――え? 今なんて? と二人はゆっくりアンジェへと振り向いた。

 耳を疑う度肝発言に、しかし、

「ただし、私と離婚した後に、という条件が付きます」

 ノーカはほっとした、そういう意味かと。

 レナはハッとし、偽装結婚である実情、それがレナにとってかなりの勝算を持った公算だと気付くが、その微妙にポジショニングが高い位置にあるアンジェにむっと因縁めいた目を向ける。

 しかし動じず、アンジェはまたすぐに、

「……でないとレナさんが自分達の間に入り、邪魔して不倫していることになってしまいます。何よりレナさんは、ノーカから本当の愛を得たいのではないのですか? それならば、それ無い行為をしてしまって、本当によろしいのですか?」

 指摘され、レナはぐぬぬ、と後退るよう呻り臍を噛んだ。

 確かに、それは外聞が悪い。

 バレて以来この口調と態度で絡むのも、ヤケクソの八つ当たりの半ばネタとして揶揄っていた――それが分っていないのかと主観的に鑑みていたが。

 確かに、愛の無いエッチなんて嫌だ。

 いや、そもそもしたいのはエッチじゃなく、最後の恋の成就だ。

初恋への未練のつもりはない。あれだけストレートに玉砕した失恋、幼いころからの好意は確かに終わりを告げた。からの、仕切り直し。

 誠実に、自分に合わせて不器用にも距離感を合せようとしてくれるノーカに、再萌え否、惚れ直し。女の子として改めての再スタートとアピールに、お色気ゼロ、女の子らしさゼロの格好は止め始めて、一般的な男と女のそわそわした距離感をちょっと愉しんでいたところからの――今回大爆死だったわけだが。

 だから条件的にはやぶさかではない。この約束で、二人が離婚するまで、自然なそれを装うのならレナが丁度年齢的にも成人、大人とみなされる年頃になる辺りまでノーカをキープできる。その間、約束の都合、ノーカがレナをセックスすることが前提の相手として見続けていれば、意識、してくれるかもしれない。

 しかしと、ここ最近の二人の様子を見ていたレナは、

「……本当に離婚する気ある?」

 その問いに、アンジェは視線を逸らさず、

「はい。最初からそれを前提とした契約行為ですので。自然な流れに見せるには、しばらくの時間がかかるでしょうが」

 しかし何故だかアンジェはノーカから貰ったらしきアクセサリーの腕輪に手を置ているのを見て、

「……なーんか、言い訳してない?」

「はい。していません」

「――どっち。……もういいけどさ……」

 なんとなく悟りを開いたような、拗ねた溜息を吐き出し、そしてノーカに向き直り、

「……ヘンタイ!」

 動物ケダモノから人間に昇格した。

 進化したのか、劣化したのか、よく分らない評価だった。



夫婦のプライベート中のプライベートが他人にバレた。

 それにまつわる珍事はここで終わりかと思った。

 しかし、この田舎に来て十年、ノーカはまだ田舎という世界の恐ろしさを見誤っていた。

 それは、

「本当に仲がいいわねえ」

「愛が深いわぁ~」

「一目惚れなんだから、当たり前じゃない?」

 それは田舎の女子会――その密な情報伝達である。

 否、これは女性に限った話ではない。それは田舎の壁の薄さというべきか。隣の家までの距離の遠さに反して人の少なさ、遮るののの無さが他に話題を許さない。世間の衝撃的なニュースとか他の住民の慶事とか色恋沙汰とかが全くもって無いそのお陰で。この田舎にノーカとアンジェの情痴的行為はすでに広まるところまで広まってしまっていたのである。

 しかしそれも当然と言えよう、ご近所さんと仲を深める為に招かれた婦人会で、レナではなく、当の本人であるアンジェがその証言をしてしまっていたのだ。

 これは嘘ではないのだから、まして偽装工作の一環――と。手を繋いで歩いているのを見たとか、人前でキスをしていたとか、そういうレベルではない。最中のノーカの仕草、手管や持久力、その回数と空白の日数インターバルまで、赤裸々に、それを問われるままに堂々と語ってくれていたのだ。

 どうりで、ただの祝福以上に照れられそして、目を逸らされるわけである。

 おそらく訴訟を起こせば勝訴に持ち込めるであろう、ノーカの太い神経でなければ夫婦喧嘩を通り越し即離婚か引き籠ってノイローゼだったかもしれない。

 それが仕事先やノーカ個人の顧客にまで伝わっていないのは救いだ。

 だがお陰で、ご近所さんからは、概ね半笑いの、照れ笑いの、生々しい笑顔の、逆に恥ずかしがられながらの挨拶される始末で、

「――オレはいつかやると思ってたね」

「まぁアイツはやるときはやる男ってことさ……分ってたよ」

 まるで立派な何か――逆に犯罪のそれのようだが。やれ童貞、未経験と揶揄していたエビと犬の宇宙老人でさえ手の平返してこれである。

一応、侮辱されている訳ではない、むしろ尊敬とかある種の敬意とかだが、しかし積極的に真似したくはない――芸術的全裸ヌード、それをどう見るかという評価だろうか?


 許可なく描きそして流布するそれは立派な犯罪である。

 が、その記事の発信地である現地編集部は今日も好調な様子で、


「それで、彼はなんて言ったの?」

「終わった後、私が問い掛けると、ノーカはただ一言、……綺麗だ。と」

「あらあらあら」

「で? 次はなんて?」

 対象を囲んでの取材に、記者たちは爛々と声を掛けている。

 対象は少々緊張しているのか、無表情な声で、しかし記者たちに誠実に対応し、それが好む嘘の無いリップサービスを提供している様子だ。

「あとは、ご満足頂けましたか? とお聞きしたら、何も言わずに、ひしり、と、ギュ、と、したあと、それから、優しく、何度も、唇を求められました」

 そこで記者たちは、歓喜のフラッシュを焚くように、

「――まあまあまあ!」

「――やるわね!」

 そこでアンジェも、表情こそ変えていないが翼は力こぶを作るよう自慢げに膨らんでいるのは想像できるが、ご近所さんたちはノーカの普段の不愛想さに反しベッドで繰り出す豊かな礼儀作法マナーに色めき立っている様子だった。

 それを、ノーカは音だけで確認していた。

 家の外、レナ家の玄関でチャイムを鳴らすそのタイミングをずっと待っていた。

指でそれを押そうとした、そのとき、その瞬間から、ずっと硬直していた。何故か。――今日はアンジェが手元にある目ぼしいレシピを一通り覚えた為、本には載らないような家庭料理の手習いに、レナの祖母マリの元を訪れていたからだ。

 そしてそのついでにとセツコが彼女を午後のお茶会アフタヌーン・ティーにも誘っていた。ただそこに長距離運転中のバンはおらず、ケンも敬老会(食堂で管を巻いている)で居ず。そこでノーカはただ一人待つわけにもゆかないと所用として周辺の害獣駆除、畑の警備と見回りにそれが終わるまで出掛けることにしたのだ。

 所用を済ませている内に話題も干上がるであろうと、予定されていた時間にアンジェを迎えに来たのだが、そこでこれに遭遇した。

 下品な表現こそ用いていないが、要は他人のセックスの品評会である。

 セツコとマリとお茶を楽しんでいる筈が何故、こんな話になっているのか? しかもどうして食堂のクラゲ夫人と雑貨屋の蝶の夫人というデカい拡声器スピーカーが追加で完備されているのか。

 すると今度は記者同士の討論が始まる。

「……でも、話を聞くに相当に女性の扱いがご紳士様でいらっしゃいますけど……いったいそんな扱いあの人誰に教わったのでしょうか? 経歴的にそんなお上品な女性と触れ合う機会はないと思えるのですが……」

 蝶の夫人がお上品に疑問を挟むそれに、クラゲ夫人の自信有りげに、

「――こら、過去の女の影なんて無理に持ちだすものじゃないの。技巧なんて理念とか意気込みとかから生まれるものなんだから――愛があれば、最初から好くしてくれるのよ」

「天才童貞理論?! そんなもの創作物にしか存在しない筈ですわ!?」

 蝶・興奮しているが。

 全員、比較的この田舎ではまともな良心と品性を携えている女性である筈が、それに興味は尽きないといった様子で華を咲かせるなんて、一体他人のセックスの何がそんなに火を点けるのか? ……流石に祖母マリは、あらあら、まあまあ、うふふ? と繰り返して若いものは若いものと巧妙に静観している様子だが。

 そんな女性たちのアンニュイな会話にノーカの脳の尻尾はペタンとしていた。

 バンが言った通り、男は待ち合わせには少し遅れて来るくらいが良いというそれを無慈悲に実感していた。


 そんな中、

「あの、そろそろ戻ってくる頃でしょうから、この話はそろそろ……」 

 辛うじて会話に積極的参加をしていなかったセツコが良心的な対応をしてくれている。

 そこで溜息を吐き出した。

 知らぬふりを決意をした。

 そしてノーカは力強く呼び鈴のボタンを押し、チャイムを鳴らすと一瞬、家の中で声が鎮まり、即座にテレビの音量がやや上がり一応見ていたらしきTV番組の話を夫人たちは始めた。

 それらを聞き流して無視していると、パタパタと早足で響くスリッパが、三和土たたきでサンダルに履き替える音がした。

 そして直後、

「――ごめんなさいお待たせして! お義母さんの料理教室の方はもう終わってるわよ?」

 玄関が開き、セツコが早足で顔も熱そうに出迎える。何を焦っているのか、慌てているのか一兆度の火球が出そうだが、まさか自分とアンジェのEnjoyとPlayingを想像してはいないだろう。その顔がノーカの目から目を逸らさないよう必死なことからも、セツコが年増と年下の妻たちのあけすけな会話に困っていたことは想像に難くない。

 これ以前の付き合いからも、セツコはこれまで出会った女性の中で最も一般且つ良心的な女性であると思っていたノーカは。

「――いえ、今来たところです。遅くなったのならこちらこそ申し訳ありません」

「そんなそんな! 今みんなでお茶会をしていてね? メンバーも増えたからアンジェさんと一緒に作ったお菓子の品評会みたいなこともしてたのよ。だから平気よ?」

「そうでしたか」

 やはり、必死に感情が顔に出ないよう努力しているのだろう、声色がいつになく機敏で溌溂している。

 ノーカは早くお暇すべきかと愛車へ一度振り返り、その追加メンバーの宇宙車両を見て、自身がまだ挨拶していない面々がいることを再認識し、

「……簡単に挨拶だけさせて貰おうと思うのですが」

「ああ~。……ええっと、でも……」

「問題ありません。ここ最近、いつものことなので」

 先程まで話題の中心であった人物が顔を出せば、どんな目に遭うのか。それを懸念したセツコだが、それがもうとっくに初めてというわけではないということに、非常に申し訳なさげながらもノーカを先導した。

 靴を脱ぎ、それについていく。しかしノーカも、そんなセツコが様々な夜のレスリングテクニックをアンジェに度々ご教授していることは当のアンジェから筒抜けなので、そこは何も言わず、顔にも出さないようこれ以前に努力していた。

 誰だってしていることはさして変わらないのであろうと、納得していた。

 ノーカはセツコと廊下を通り過ぎ、そしてアンジェ達がお茶会の場、居間に入った。


 


 それから、祖母マリには改めて料理指導の礼を言った――。

 そこでアンジェに改めて声を掛け、帰宅を打ち出す。

 周囲と共に了承し、立ち上がった彼女は、教わりながら作ったのであろう脇に置いた今日の献立を、見せたいというようその手で包みごと差し出してくる。そのどことなくそわそわとした翼から、料理の出来栄えそれ自体よりもアンジェが嬉し気であるそれを察し、ノーカは目尻だけの微かな笑みを零した。

 アンジェ以外の一同が仰天し、が、しかし瞬時にいつもの不愛想に戻る。

 幻だったのかと目を擦る者が続出する中、ノーカはその手荷物を受け取ろうとした。が、アンジェは何故だかそれを素直に渡してくれず、ただ見つめて来た。

 何か言いたいことがあるのだろう――と、じっと見つめ、そして彼女の腰を抱いた。荷物を持たせてくれないのならと、彼女自身を手荷物扱いしたそれを咎めず、アンジェは無表情に半身を委ねた。

 その姿を、本当に微笑ましいという表情のご婦人方に見送られた。

 


 帰って、玄関を潜った後、アンジェは台所で今日の料理修業の成果を広げ、皿に盛り直し、温めるだけにしてから冷蔵庫に収納し直していた。

 その脇で、彼女が作り置きにした茶のボトルを取り、ノーカはテーブルにコップを二つ用意し、二つ注いで、二人で小休止しようとする。

 ほんの少しだけ、まだ、レナの事を思いながら、やはりどうにもできないと理解し、時間がどうにかしてくれると諦め。

 そこでアンジェが、これまで通りの無表情で、

「ノーカ」

「なんだ?」

「……ノーカはどのような女性から、女性に対する知識と経験を賜わったのですか?」

 コップの中にお茶が逆流しかけるのを、ぐっと堪えて。

「……それは聞けと言われたのか?」

「はい。――いいえ。……、両方。純然たる興味です。困りますか?」

「……何故聞きたいのかは気になるが」

「今後の参考のためです」

 言いながら、彼女の翼がその視線から隠れるように背中の後ろに折り畳まれるのを見て、下品な好奇心ではなさそうだ――女性として嫉妬か何かを感じている、というわけではないと見ながら、

「……なんの参考にもならないと思うが、あまり面白くない話になるぞ?」

「はい。それで構いません」

 そう返事をするアンジェに少しだけ溜息を吐き、少々長い話になるだろうとノーカは台所からリビングへ、そしてそこにあるソファーとテーブルに彼女を促し、二人して腰を落ち着けた。

 さて、昔話を、何から話そうかと。コップから色のついた液体を飲み、喉と舌を湿らせ、滑りを良くする。

 それから、件の詳細を思い出していく。

 それはもう大分昔だった、と、自身の記憶に注釈をし、舌の上に今も広がるほろ苦さに少しだけ目を細めながら、

「……確か、その土地、いや、集落の慣例、慣習だったか? それで男が男になったとき――ようは精通を迎えたら、そこで年上の女が、男性としての役割の手ほどきをする……そういう話だったはずだが……そこでだな」

 世間一般的に、推奨されるシステムではない、それを思い出す。

 だが、文化圏の違い、それであると分別し、

「それは、どのような女性だったのですか?」

「……面倒見のいい、普通の女性だな。いや、女性という程の歳でもなかったか……まともな文明圏では間違いなく倫理に触れていただろうが、星全体が、いや、その銀河自体が戦争圏の真っただ中で生まれた価値観だろう。男として使えるようになった男に、その役割の手解きをするわけだ。少しでも多くの命を、残す為にな。……死が隣にある場所で、女が、認めた男に、思いを残さないようにという所もあったらしいが」

 また記憶の中――今まで忘れていた事を思い出す。

 忘れようとしていたわけではない。ただ思い出す必要が無いから、思い出していなかっただけの、今も色褪せてはいなかったそれだ。いい意味でも、悪い意味でも。

「……随分昔の話なのですか?」

「ああ。俺も子供だった」

「……愛は、無かったのですか?」

「……そうとも言えるし、そうではないとも言える。……それがなければ、そんなことまで面倒をみたりしない……そういう意味では、ちゃんとした、立派な行為だったよ」

 しかし、姦しい女が期待する様な話ではない。

 もっと切実で、純粋で、残酷な世界の出来事であったとも思う。そのどこかに言い訳があったかもしれないし、どれもが本当であったと思う。

 いつか終わる、ということを彼女は実感していたのだと思う。それが当たり前の世界で、正常な世界とやらが、正義を説かれるような世界ではないそこをアンジェにも分りやすいようにと。

 ノーカは掻い摘んでだが、少しづつ、少しづつ、自らの過去を昔語りをすることにした。

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