第21話 切っ掛けの切っ掛け。

 新婚夫婦・失格――!

 と、年若い少女にダメ出しされた偽装夫婦の二人は、ベテラン夫婦であるその娘の両親に夫婦の何たるかを教えて貰う為、娘を通じてアポイトメントを取った。

 というか、強制的に取らされた。そして、

「――で、俺らに聞きに来たと?」

 当日、本人からも事の経緯をざっくり説明されたモヒカンの銀色宇宙人、レナの父親であるバンに――メンチ切られながら言われた。

 怒り心頭、そのモヒカンの強面に真っ赤な隈取が浮かぶような血圧を溜め込みちゃぶ台前で腕組みしている。さもありなん。何分、娘を振った男の結婚生活の指導をしろ、との暴挙である。それを言い出した娘も娘だが乗ったバカもバカだと。

 その元宇宙プロレスラー、そして現宇宙の運び屋トラッカーの体は、未だ筋骨隆々としている。舞台リング化粧もしていないのに白いマット対角線にいる対戦相手を迎え撃つ闘志と万全の戦闘態勢だ。

 当然、そうなるだろうなと。

 それでもこのままだと偽装結婚だとバレかねない今、のっぴきならない状況だからと内心ちょっと侘びを入れたいがノーカも覚悟し、

「――ああ。レナからの指摘で、夫婦として指導を受けろと」

「……てめえ、なに人の娘を振っといてまだ親し気に呼び捨てにしてんだ」

「……逆に聞くが、ならこれから他にどう呼べばいいんだ?」

 喧嘩腰に話の腰を折るそれに、ノーカは至極冷静に聞くが、

「クソガキだろうクソガキィ。何距離感保ってんだちゃんと突き放せよ、まだ気を持たせようってのか、ああん?」

 確かにと、一理ある口汚さに反して真っ当な意見に、ノーカはその隣に座っているその娘本人に目で確認を取った。……が、本人に期待溢れるあざとい笑顔で首を横に振られて、

「……本人に子供扱いしないと約束した手前、それは無理だ」

 敬称を用いる、というそれもあるが、元よりそういう間柄ではないので――しかし距離を置きたくないという小さな本音が透けて見える。

 漢気があるんだか無いんだか微妙な大の男二人に、同席したレナの母セツコは呆れ笑いで肩を落とし、

「もう、そういう話じゃないでしょう? ……それで、何を教えればいいのかしら? 一応あの子から話は聞いているんですけど……」

 速やかに横に逸れた話を戻す、とてもこなれた様子にこれが妻の嗜みかとアンジェが静かに観察する中、

「チッ……、はぁ……まあ確かにねえよ、結婚初日から夫婦そろってほぼ働き通しの休みなしで働いて食って寝てのそれだけで……目立ってイチャついてねえとか本当に一目惚れしたのか疑いたくなるぜ」

 夫が、手綱からの指示に渋々従い言ったそれに、ノーカは別角度で目を逸らした。

 やはり、世間の常識的にはそうなのかと。

 繊細な感受性に乏し気な野蛮なバンでさえこれだ、このままでは周囲の住民には相当怪しまれるかもしれない。……しかしやはり両親には偽装のそれまで伝えていないのかとまたレナに目で確認を取ると、

「そこはなるべく迅速に、ここでの共同生活の足掛かりを作る為――と、被告人は申しておりましたが」

 言っていないんだな? と、ノーカはレナが浮かべた意味深な笑顔から察した。単に彼女の恋心を台無しにした自分への当て擦りにも聞こえるそれに目を窄めつつ、

「――お前、絶対何も考えてなかっただろ」

「……いいや?」

 父親もその人間性を見透かしたようそう言及して来るが、しかしノーカとて異議を唱えたいと思う。

 アンジェの将来、生活面での自立を視野に入れて、市民権がもはや不動になった後の独立を視野に入れて、まともじゃない人工生物っぽい彼女に手に職を着けさせようとの行為であったのは本当だ。加えて夫婦としての当面の生活に馴染む為というそれも本意である。

 ただそこにそれが夫婦として自然かどうかは全く頭になかっただけで……もっと言うなら、人間として常識的な生活とか、幸せとか、心の豊かさとか生活サイクルにおける余裕まで完全に忘れていたのは確かに夫婦どころか人としてどうかと思うが物事には優先順位がありまず生活ありきでそこは後回しにせざるを得ず――

 いや、もう悪あがきは止そう、レナの言う通りまさに自供にしかならない。

 ノーカはひっそり脳内討論で弁明を諦めた。

 そして視線が集まる中、速やかに素直になり、

「……とりあえず、なにもかもこれからと思っていた。まず目先の問題、一緒にこの土地で暮らしていくなら、自分の仕事を知ってもらおうと思っていたんだ。……が、お前の娘に指摘されて、一日の中に夫婦として働く以外の時間が存在していないことに気付いた次第だ」

 自供し、

「……それで、働いて食って寝て休む以外に、夫婦はどうすればいいんだ?」

 殊勝だが、開き直り居直った物言いに、バンたち一家は前を向いたまま心で真っ直ぐ項垂れた。正座した膝に手の平を揃えるその真面目さがどうしてそういつも変な方向に行くのかと。


 ノーカも呆れられていることは空気で分かった。

 しかしそれ以上何をどう問えばいいのかも分からない。

 そんな様子の不器用で不愛想な夫の友人に、なんとも気遣わし気な吐息を胸に溜めセツコは、その鎌のような角も優し気にしならせながら、

「……あのね? ノーカさん。夫婦がお互いを幸せにするって、そういうことだけだと思う?」

「……言われてみれば、それだけではないのだろうとは思います」

「おい、なんでこいつには敬語なんだよ」

「――あなたはちょっと余計な口を挟まないでくれる?」

 凛とした姿勢で、剣呑な声で。妻が夫にハッキリと向けたその怒り中に冷気が漂う横顔に、さっと口を閉ざすバン。その様子にアンジェはこの世帯の身分構造ヒエラルキーがかなり女性上位であることを察した。

 それが自分達の参考になるのかはさておき、世間的の夫婦のごく一般的な姿の一つだということは否めないノーカは、その姿を補足も否定もせず黙認した。

 その所為あってかやや畏縮したようなノーカの背筋を嗅ぎ取り、そんなに私は怖いのかとセツコはやや居丈高いたけだかな妻の顔を彼にも向け、しかし冷静に、

「じゃあノーカさん、一先ず夫婦ってことは置いておいて、人として、アンジェさんと接していて何かこう――特別でも普通でなくてもいいから、何かしてあげたいことってある?」

 あえて普通と常識という言葉を避けた――それを知らなさげなノーカが答えやすいようにと配慮した問い掛けに、ノーカもスラリと思案し、

「……家事の分担です」

 ――よし。そこは押さえているのかとセツコは胸を撫で下ろした。

 力強くうんうんと頷き微笑む。各世帯によってその割合は違うが、外での仕事も内の仕事も含め分担は家族の鉄則だ。

 さあこの調子でもう一つ行ってみようかとまた朗らかに微笑み、

「他には?」

「……特には?」

 束の間、即座にセツコは頭を抱えたくなった。

 本当に最低限の夫婦観に絶句である。そこは楽しいこととか、幸せとか、出てくるもんだろうとバンも小さく「おまえ、マジか……」と呟いている様子から、ノーカも自分が新婚夫婦として異常であると初めて実感した。大ざっぱにどんぶり勘定で生きていそうなバンにまでその視線を向けられて、流石にである。

 精神的にはともかく、傍目には問題ないだろうと高を括っていたのだが。これはヤバイかもしれないと背中に冷たい汗が浮き始める。

 前向きに、一先ず危機感は持ったかとセツコは思いながら、今度はその相方であるアンジェに、

「――アンジェさん、あなたはその……そういう生活についてどう思っているの?」

 ここまで沈黙と静観を貫いていたアンジェも、夫婦の責任としてその一端を担おうと、翼を改めて畏まった正座のよう折り畳み、

「……私は、夫の判断は適切であると判断しております。夫婦の夫婦らしい営みにつきましては、その気になった時いつでも、という状況に既にありますので。……それよりも、彼について、彼とこの世界の通念に通じることがなによりも優先されていると思っております」


 言動に含まれた新婚夫婦ならではエロいやる気は極力スルーし。

 閉口。

 仰々しく堅苦しく礼儀正しいそれ含めて、セツコは喉でるのを必死に堪えた。この夫をこの夫にしたのは貴女でもあるの? というそれ。本来安全弁ストッパーである筈のアンジェがこれかと。

 これは嫁にも間違いなく責任の一端がある。いや、このクソ真面目さはある意味お揃いのお似合いの夫婦なのだが――

 セツコは自らのガッツに火を入れた。アンジェの至極真っ直ぐで透明な瞳にそういう他意が全く無いことは察し――噂話、役場で相当特殊な性癖を披露しつつの披露宴だったというそれに、いや、まさかそんなね? と思いつつ。

 どこかの箱入りのお嬢様だったのかな? 自分に常識が無いことは把握しているようであると。ともかく、二人とも火急的速やかな教育対象であると認識した。

「……これは、大変ね……」

「……でしょ? だからお父さんとお母さんに相談させたの」


 シニカルな表情を見せる娘の顔に。

 両親は揃って、うん、と頷いた。

 これは外からのテコ入れが必要だ、このままではこの二人、夫婦の幸せどころか一般的な夫婦の形それにたどり着くまで何十年と掛るんじゃないかと。

 そう思いながら、

「……しかしまあ……」

 モヒカンの根元をぽりぽり掻き、父親、そして真っ当な一人の夫であるバンはノーカの隣に慎ましく姿勢を正して座るアンジェを改めて見る。

 美人だなあ、と。傍目こんないい女がこんな野暮天に一目惚れするかねと。

 しかし、先程からピクリとも愛想笑いすら浮かべない、置き物も置き物――勤勉と言えば勤勉に見えるそれだがと。

 ノーカの顔付きと見比べ――似た者同士、セツコと同じようお似合いの夫婦に見えなくもないと思いつつ、今度はそれと並べずに。

 彼女単体で見ると……その作り物染みた整った表情に、段々、なんとなく、頭が引っ掛かりを覚えたように、

「……そっちの……アンジェ? って言ったっけか? おまえの嫁さん」

「ああ」

「――はい」

「……アンタ、どうしてこいつと結婚したんだ?」

 何か嘘をついていないか? と問うようなそれに、

「――必然と言うべき事象です」

 バンはその眉間の皺を深く歪めた。一目惚れってそんな固い言い回し出来たの? とセツコが半ばほうける中、娘は父親のその顔に若干背中に嫌なものを感じた。バンから見て、ただの純然たる他人であるアンジェは信用できないのかとノーカは思うが、しかしバンは再度アンジェの顔をノーカのそれと見比べ、そしてノーカの目をよく覗き込むと……その銀色のモヒカンごと前に項垂れるよう、大きく呆れた溜息を吐いた。

 なんだ? 何か? と両家が見守る中、バンは顔を上げ、ボリボリとモヒカン付け根の銀色の頭皮を掻き、

「はぁー………………じゃあ別にお前等らしくやればいいんじゃねえのか? ガキにとやかく言われたからって結論変わんねえくらいには納得して傍に居んだろ? ――それでいいじゃねえかよ」

 厳つい筋肉質の男は、非常につまらなさげに言った。

 それに、えっ? と母娘は揃って疑問符を浮かべた。

 要するに、何もしない、手を出さない、と決めたのだ。それが一家の長として結論だということは、彼女達でなくともノーカも察し、半ば懐疑的に、

「……それでいいのか?」

「ああ。……まあ、それじゃ色々と足らない所はあるだろうからよ……だからちょっとこっち来いや」

 バンは言いながら立ち上がり、もう既にそれが決まっているよう外に向かって居間の掃き出し窓を開けた。沓脱くつぬぎでサンダルを履き既に外に出ようという身勝手なその背中にセツコは堪らず、

「ちょっとあなた――」

「いいから。俺とおめえだって他人様の意見や真似じゃどうにもならなかったろうが」

「……それはそうかもしれないけど……」

「まあそっちはそっちで女の世間話でもしてろや。こっちはこっちで男同士の話だ」

 要するに、夫婦としてではなく、一個人として話せと。それに渋々だが、ああ、と納得している様子のセツコの顔を見て、ノーカも特に異論はなくすぐに席を立った。

 最中、アンジェを見ると彼女も頷く表情で、しかしその表情の隅に“置いていくのか? ”という微かなそれを見つけるも、言い聞かせるよう頷きを返す。

 よく分らないが、とりあえず、といった様子で頷きを返したアンジェに、不愛想ながらもしばらく眼を交わし合って、今し方とは別の、それなりの感情の波が返って来たのを確認してから。ノーカは既に外で待つバンの元へ向かった。



 すぐそこの居間の掃き出し窓、下、縁台のような四角い石の上に並ぶサンダルを一つ借りて出て行く。

 相槌も愛想も話も全く無い、去っていく男たち二人の背中を見ながら、セツコは鎌のような二つの角も仕方なさげな溜息を吐き、

「……じゃあアンジェさん、私達は私達で女同士、お茶でもしましょうか?」

「――よろしいのですか?」

 目の前にあるそれと別に、お茶をご馳走になることが、ではなく。

 なにやら秘密の話をするらしい男たちを。知らぬふりをするのかと。

 アンジェは今何が起きているのかと疑問げにし、スカートの裾を丁寧に整え、既に立ち上がるセツコを見るが、

「いいのよ。男同士の会話なんて大概下らない話なんだから」

「……そうなのですか?」

「――ええ。それはもうアクビが出るくらいなんだから」

 ついてくる、と決まっているように先に発つ人妻に、アンジェもようやくと立ち上がり、その背中に連れられ家の内側、居間から廊下へと向かう。

 そんな二手に分かれた大人たちを見て、レナは今そのちょうど中間の位置で、左右に首を振り目を向けながら、慌てて、

「えー!? ちょっとお父さんお母さん!? これから新婚夫婦のイチャイチャのあれやこれの指導は?!」

 既に外の遠くから、

「――うるせぇ! レナ、人様の家の事情に首突っ込んだバツだ、後で足揉ませんぞ!」

「げぇ!? なんでそんな!」

 父親の、長距離ドライバーの分厚く臭く固いそれを想像し、

「――やかましい、さもねえとジジイとババアにもこの件チクるぞ――また“大しゅきなノーカおじちゃん”のこと玩具にしてたってなぁ?!」

 母からの返事は来ない。多分無視しているのか父と同意見なのだろう。それに危機感に

「ちょ、そんなつもりないし! それにもうそんな呼び方してないんだからねっ?!」

 娘と父親のやり取りを聞きながら、母は、品もクソも無い内輪のそれに心底恥ずかし気にしつつ、余所の妻を自身の私室への案内を進めた。

 遠ざかっていく男たち、そして既に見えない女たちを見比べて、慌ててレナは大人の女子会の方へと踵を返した。

 男と女ならこっちだろうと、自分の属する世界を弁えた。

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