第19話 新婚生活⑥ 知らなかった女の気持ち。

「私という女の子が居ながら、この裏切り者ーっ!」

 例によって、未明の朝市からの畑仕事の後――ノーカはアンジェを伴い、先日の内に修繕リペアしていなかった生活家電類の修理をしようと、ジャンク屋工房のシャッターを開けたのだが、そこで仁王立ちする銀色宇宙人を発見した。

 ぷんすか激怒なレナだが、しかしノーカは慌てることなく腕輪の端末で時刻を確認し、

「――時間通りだな」

 バイト社員が働いている勤務時間きっかりにやって来た、それ以外何を気にする必要があるのかと。いやと、バイト社員にも必要な業務連絡を思い出し、雑な態度でレナの顔を確認しながらそのまま素通りして中に入り、

「――掘り出し物の宝箱はもう見たか?」

「――ああ! そうそうそうなにアレ! めっちゃ光物! めっちゃキラキラ! 過去一の当たりだよね――ってそうじゃない!」

 中身を確認した後それごと倉庫内の入口付近に置いたコンテナ、それを後ろ手に指差し女心と同時に物欲に塗れた瞳を全開からのツッコミに、ノーカは首を傾げる。

 なんだろうかと。その後ろに続いていたアンジェも、この騒がしい若い娘は誰なのかとノーカの紹介待ちだが、それに気付く事の無いノーカと目が合い、二人して疑問符を掲げ合い、首を傾げ合う。

 ある意味二人だけの世界を展開した愚鈍な二人に、レナは乙女心が猛烈に燃え上がるギラつく視線をアンジェに向け……そして一目で。

 その顔の、均整の美貌に衝撃を受け、更には祖父と同じ挙動で上から下に、特に女性の起伏に目を止め、くっ、と敗北感を零し、そしてまたじわじわとそのモデル体型の美人偏差値の高さに羨望の眼差しを送り、やがて徐々に項垂れた。

 そしてすっかり光が消えた眼に、ひどく小刻みな涙声で、 

「……こ、……こ、……こち、こちらの方、が?」

 そういえば食堂で大集合した時居なかったな、と、今更レナがアンジェと顔合わせをしていなかったことを思い出し。その祖父が、偽装結婚であるという犯罪的それを孫娘に話したかは未知数のそれに配慮し、

「……ああ。そう……結婚した妻だ」

 半歩下がった位置にいる彼女を、レナの前、自分の手で隣に立たせ、それとなく腰を抱いて寄り添った。

 そんな、妙に現実感漂う事後報告をした瞬間、

「――――うわ~~んッ!!」

 レナはベタな泣き真似で目を隠しながら工房を出て行った。そして、はるか遠くの山々に『こんちくしょおぉぉ~~~~っ!』という叫びが響き、足音が戻ってきて。幾分しょぼくれた顔をし、

「……ただのバイトのレナです。奥様、今後とも、どうか、どうか……社長をよろしく……ヒック、えっぐ……」

 なにかが堪え切れず、レナはトボトボまた倉庫の外に出て行って、そして、ずばばばばっ! ぶぴっ! ずびび! と鼻水を咬む様な音がして。

 ズシーンと、肩に重い何かを背負ってきたよう戻ってきて。

「……あ、もう大丈夫ですんで……ここから先はいつも通りお願いします……」

極めて平常な声で、しかし感情が死んだ顔で復帰した。

 それを確認しノーカは、

「……なら今週回収した廃品の再生だが――」

「――ちょっとは気にしろよ! この人だれ!? どうしてこんなポッと出の超絶美人と結婚してるの!」

 キレた実父の口調が混ざり、そして別の意味で何かが砕けた態度でローキックを入れながらポカポカ胸板を殴る、二周近く年下の娘。

 そのけったいな生き物の詰問に、ノーカは面倒臭げに、いつも通りの不愛想で見つめながら、更にこれみよがしの大きな溜息を吐く……自身に対するそれとは違い、明らかに肩の力を抜いたぞんざいな接し方をするノーカに、アンジェが今度は興味深げに首を傾げながら目を細め、それが脇に控えていることを察し、

「……これにはわけがあってだな……」

 浮気がばれた男の常套句から、ノーカは状況説明を始めた。

 

 ……。

 ………………。


 ノーカから一通りの経緯を知ったレナは、元気百倍になった。


「――なーんだ! そうだったんだぁ! それならそうと早く言ってよもう~」

 レナはオバちゃん臭く相好を崩し、べしべしとテーブル代わりの作業台を叩く。

 休憩用のカップにミルクたっぷり砂糖少しのコーヒーミルクが揺れた。

 贔屓目に、レナが自分より常識のある人間だ勘定に入れて。

 それと、なんだかんだ、自分を慕う子供に、嘘をついていることが出来なくて、レナにも本当の事情を話すことにした、その甲斐があったとノーカは思う。

 そして何故だか、ノーカに対面するよう対岸に座らされたアンジェの前で、馴れ馴れしくノーカの隣から胸に駄犬のよう飛び込み、頬をぐりぐり摺り寄せ愛玩を願うような仕草をするレナを。それまで公正な判断を願っていたノーカは、ここぞとばかりに頭を鷲掴みにベリッと引き剥がし、

「ケンさんからはいったい何をどう説明されたんだ」

「え? なんかおじいちゃんは、『あのバカが空から落ちて来た女引っ掛けて膜無しで? 膜無しにした』とかなんか御下品なこと言ってたよ?」

 あのジジイ、子供になに説明してんだと。ノーカは初めて心の内で師を罵った。

 それからレナは、ノーカの隣で椅子に腰掛け、

「おかげでおばあちゃんが耳引っ掴んで折檻始めちゃってさ、中々話が進まなくて、詳しく聞いたら聞いたで、空から落ちて来た美女と一目惚れ、 え? もう籍入れまでしちゃった? 法的手続き済み? なんなら初夜を越えてる? あはは……って。……アハハ? 私もダウン入っちゃってさ? 家族総出で慌ててさ? アハハ? ウフフ?」

 いや、これはあのジジイなりに子供を犯罪に巻き込むのを嫌った、煙に巻く為の家庭内セクハラかと思うことにし。そして、目の前に居るこの少女を含めジジイを除いた一家全員が自分に睨みを利かせる図を想像し、仄かな寒気を覚えた。

 次に訪問するときは、菓子折りか手土産の一つでも持参しようと固く誓い、いや、そんなことすれば心にやましいことがあると証明する様なものだとあえて手ぶらで行くことを心に汗を掻きながら決意し直した。

 しかし……落ち込んだのか?

 ――何故? 自分の結婚で? というスルーすべきだった疑問に気付き、そのまま眼に、態度に表してしまった。

 その姿に、ほんのちょっと困ったように、笑い、いつも通りの無邪気な笑顔を平然と浮かべようとレナはし――

 その、無垢なそれとは違う、感情が渦を巻くそれを見つめ、そのまま無言でノーカは自分より二回り近く歳の離れた少女を見つめていると、その少女は気まずげに困ったような顔をし、苦笑いを浮かべ一度眼を泳がせながらも、やがて真っ直ぐに……やはり、ちょっと目を逸らして正面からは見られないといった様子で。

 誤魔化すように、屈託なく苦笑を浮かべ、

「……あはは……私ね? ノーカさんのこと好きだよ? もちろん女の子として? いや、男の人として、っていうのかな、ね?」

「……そう、なのか?」

「うん。あはは。だから……ええっと……好き、だよ?」

「……ああ。」

「ちょっと、ちょっとだけね? ……でも気にしないでね? 私ノーカさんが私のこと……その、そういう? ……女の人として見てないってことくらい分かってるから。……うん」

「……そうか……」

 ノーカは、少女なりの好意――真剣な、異性への、恋愛感情……というものに、共感できないまでも。自分がこれまで何を求められていたのか、これから彼女に対し何を求めたらいいのか、というそれだけは理解でき、

「……すまない」

「……うん。そう言うって分ってたから、大丈夫。――言わないようにしてたんだけど。……ああもう何で言っちゃうかなぁ私。……嘘だって分ったんだし、もっとあざとく? 狡猾に周りから囲い込んで、ノーカさんが逃げられないようにする筈だったのになぁ」

 正面、隣から真っ直ぐに目を見据えるようにしつつ、本当の表情を隠すような弱った苦笑いに、目を逸らさず、

「……レナ」

「うん?」

「……これからも、ここに来れるか?」

「……それどういう意味で言ってるの?」

「そのままの意味だ。別にお前の事が好きだと言っている訳じゃない」

「はは、ヒドくないそれ?」

「重要な事だ。……それとももう、ずっとここに来ないつもりか?」

「……そ、それはぁ……」

「安心しろ。さほど気にしていない。お前に言われたことも、言ったことも悪いと思っていない。……お前にはひどい話だと思うが」

「……それはホントにひどいね?」

 レナは怒っているのか笑っているのか泣いているのか分らない顔をし、顔を赤く染め、

「……うん……来る……」

「なら、気にするな。俺も気にしない。これまで通り、今まで通り、気にせず家に来い」

「うん」

「……今日はこのまま仕事に入って大丈夫か?」

「……ううん。ちょっとだけ顔洗ってくる……あっ、それから……」

 席を立ち、一度背中を見せたそれが振り向いたそれに、

「なんだ」

「……もう、子供扱いしないでくれる?」

「分っている」

 ノーカは、その手をそれとなく背中に引っ込める。頭を撫でるか否か悩んでいることがバレたのかと、所在なさげに。

 そしてジャンク屋倉庫から自宅の勝手口の方へ向かったレナの背中が――何故だかまた小走りに戻って来て、自身の眼前、耳を貸せと手招きするレナに、ノーカは椅子に座ったまま彼女に向け頭を横にすると、その愚鈍な耳に内緒話で、

「――めっちゃ綺麗だよね?」

 離れると、ニヤニヤ笑いでアンジェを眼で指差すそれに、不愛想に、

「……どうだっていい」

「アハハ!」

 なぜだかそこで今日一番スッキリした顔をして、レナは全力疾走で自宅裏手から、勝手口に飛び込む音がした。


 

 しばらくして、レナは仕事場に戻ってくると、本当に顔を洗ったらしき水気が残るそれで。

 彼女は改めて、神々しい翼と美貌を持つアンジェの正面に立ち、風呂上がりに瓶牛乳を飲む予備動作のよう、堂々と腰を両手で保持した。

 アンジェも席から立ち上がり、それに堂々と、粛々と前で手を組み、どこか恭しい態度で。

 それを、レナは下から上へと見上げて、

「私、レナと言います。聞いての通り、片想い中です……貴女は?」

 ノーカを前に、改めての正々堂々の宣戦布告を受けたアンジェは翼の筋肉を膨らませるよう、それに応えるよう更に背筋を伸ばし向き合った。

 そして、レナを上から下に見おろし、

「アンジェと申します。……ノーカには大変お世話になっております。いまのところ偽装夫婦の関係ですが、今後は離婚する予定でもありますので、どうかご安心ください」

「……予定? ……本気で?」

「その予定です」

「……ふうん? ……本当に本当に?」

「はい。その予定です」

「……ふうぅん?」

 無色透明な無表情を漂わせつつもどこか毅然としたアンジェに、疑惑の眼差しを向けるレナは、既に女の長話が始まった予感に既に仕事に取り掛かっていたところで、ノーカの元に来るとその耳元に小声で、

「……本気で口説くつもりなら相当苦労するよ?」

「……なぜそうなるんだ?」

「え? 偽装にかこつけて独り占めで口説くんじゃないの?」

「どうしてだ」

「……ああ、うん。……ハァー……」

「……なんなんだ一体」

「――別に?」

「やはり今日は休むか?」

「いいえ? 社長」

 社長と呼ばれたノーカは、昨日分解した超電子レンジに作業台の上、テスターの端子で部品各所の通電を見つつ、そこであることを思いつく。

「……そうか、じゃあお前はこれから先輩らしく、後輩に指導をしてやれ」

ノーカは言う、社員に新入のそれの面倒な面倒を見させようと。

 レナはその平然とした悪巧みの真顔を見て、それから自身の素朴で愛嬌ある顔を指差し、惚けるように首を傾げた後、

「……先輩?」

 ノーカはその顔を見返し、

「違うのか?」

「……そっか、ワタシ先輩、先輩かぁ……、先輩なんだぁ……」

 ムフ、と、こちらは分かりやすい悪巧みのしたり顔をした、それに少しだけ警戒心を抱きつつ、

「……じゃあ、アンジェに付いて基礎的な修繕を教えてやれ」

「――ハイ! 任されました! それじゃあこれからよろしく後輩さん?」

 早速マウントを取ったレナに、アンジェは一度ノーカに何かを求めるよう視線を送るが、ただ頷きを返してくるノーカにやむなしと、自身より背丈の低い先達に目を向け、そこに立ったまま行儀的な会釈をした後、

「……はい、よろしくお願い致します」

「じゃああっち行くよー? ほら、はやくはやく!」

 アンジェの手を引き、でっかい妹でも連れていくようグイグイ作業室の奥のデスクへ、体格差を無視して引っ張っていく。

 どうやら、恋敵とかそういうことにはならなそうだ。二人の間に火花が散ったように見えたのは主観的先入観のせいだ。

 その二つの背中を見送り、ノーカは、人知れず大きな溜息を吐いた。

 

 平然を装っていたが。

 まさか、自分の膝に乗ってジタバタし、背中に絡み付いて登頂していた少女が、もう既に、自分より遥かに、人として大人であったとはと。

 彼女の好意に応えられないそれに、一抹の申し訳なさ以上に、ノーカは、その成長を少なからず見守って来た人間として、途方もない何かを感じていた。

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