第18話 新婚生活⑤ 何も無いけど、あったかもしれないこと。

 昨日回収した宇宙資源ゴミの再生作業をする。

 朝食後にノーカはそうアンジェに告げると、巨大お魚貨物船を収容した格納庫へ彼女と共に入った。

 そこでまずお魚の機関部を動かし、簡易的な無重力場を船体周辺に発生させ、それから貨物室カーゴベイの腹を開く――そうしないと開けた瞬間貨物が勢いよく落ちるか、開口部が損傷する危険がある。

 宇宙での活動、無重力下での運用が主軸となる船舶である挙句、設計者がデザインを重視し、貨物室の開口部を船底に設置してしまったが為だ。

 設定上では全領域――惑星の内外、宇宙から水の海まで対応なのだが、利便的な運用は無重力圏の宇宙ステーションまでである。

 お陰で安く買えた――その不便な床と天井に、極力隙間なくベルトや爪で固定されたそれらをノーカは同じく格納庫内に鎮座する汎用パワーローダーで、簡易的な無重力空間を行き来し、人の手には余るそれら重量物を船体から格納庫の床に降ろしていく。

 そんな中、アンジェは自前の翼で難なく狭い無重力圏を浮遊し、そして自前の腕で、超重量のそれを重力下の床まで難なく降ろした。

 それを見て、ノーカは密かに夫婦としての殴り合い喧嘩だけは絶対に避けようと心に誓った。

 降ろしたそれら収穫物は、格納庫隣にある中規模の倉庫……ノーカが運営するジャンク屋工房、その前のコンクリートで舗装した敷地へと運んだ。


シャッターの横。

 その前に、並べた比較的壊れていない電化製品の類を整理して並べる。

 そこで、ノーカは同じく並んだアンジェに、これからの作業を説明する。まずはジャンク品の検品だが。 

「まず機械の類は故障しているかいないか、同一規格の動力に繋いでスイッチを入れ確かめる、だから入り口付近の作業場に置いてくれ。そこで動作確認、故障してるならその症状を見て隣の工作室で分解、修理する。

 どうにもならなそうなら完全に解体して、無事なパーツのみ洗浄してジャンク品として扱う。残ったゴミにしかならないゴミは分別してもう一度格納庫――貨物船の隣へ、あとでまた処分場に運ぶ。

 それと今回は無かったが、艦船の武装、対人レベルの携行武器もここでは確かめず、一番奥の特殊防爆室でやるからそのときはそこに運んでくれ。ここまでで何かわからないことはあるか?」

「いいえ。問題ありません」

 聞くと早速、ノーカは一先ず運んだ廃品――おそらくは艦船の備品か貨物であったであろう機械類の点検をアンジェを伴い始めた。

 張られたラベルに付いた記号を見て、使用する動力――電力、重力子、量子等、該当するそれに繋ぎ、スイッチを入れ動作を確認していく。それが付いていないものは、ノーカの見識に従い、大よその中りを付けて低出力から徐々にやらせた。

 アンジェはそれを教えられ、一通りの経験したら、その作業をノーカに任された。その間、ノーカは近くで他の作業を始める。

 機械以外のジャンク品はやはり宇宙船の残骸が多い、装甲版や内壁材、それに機器に繋がる配線などだ。それらは動力チェック、動作の確認などは必要ないので、パワーローダーを使いそれらの解体を始める。

 搭載された工具を使い外せるボルトを外し、金属板や骨組みを出来るだけ無駄が出ないようレーザートーチで溶断、熱に弱いそれは単分子ブレードで切断し、壁の中に埋まった配線、配管、途中で引き千切れたそれらを引き抜き、繋がっていた機器、そして基盤を外し更に分解し、集積回路の類を規格、種別ごとにナンバーを振った箱に淡々と入れていく。

 ガラクタどころか本当にゴミの一歩手前――少なくとも今の時代もう使われていないパーツが多々ある。そうでなくとも壊れた見た目から、一通りの動作チェックが終わったのか、やってきたアンジェは甚だ疑問げに、

「――本当に使えるのですか?」 

 検品をした機械の内、動力が入り支障なく動く物は全体の一割未満で、今日運び込まれた超電子レンジ、固有振動数を利用した汚れ分解・洗濯機、古い箱型コンピューター端末以外はどれもうんともスンとも言わなかった。それを眼の端で確認していたノーカも、その言い分はもっともだと思うのだが、

「中古品を修理する際に必要なパーツは、現行で生産していないものが多い。再生産しようにもレシピや設計図が無かったり、新品を買って欲しいメーカーが、それを嫌って拒んだりしてな。そこでこうした漂流物や各都市から出るスクラップから確保しているんだ」

 まだまだ需要のある古物を修理するには、そこでこういったガラクタが必要とされる。

 ただでさえ文明が広がり過ぎた所為で技術が繁雑化、複雑化し過ぎた面もあり、最新、最先端のそれを扱える者は少なく、結局広く普及したロートルの商品や技術が必要とされ愛されるケースはままある。

 古びた船体の残骸の解体を終えて、今度はそのパーツごとの洗浄に移ろうとするノーカに、

「……これも、アナタが必要として始めたのですか?」

 可哀想と思って――という先日のアンジェの言葉が思い浮かんだ。

 ノーカはそれを、くだらない、と一蹴しようか逡巡して、しかし彼女なりに何かを感じ、考えているのだろうと思い、無下にすることが出来ず、また、自分の内面を再確認するように、一つ一つ丁寧に思い返しながら、

「……そうだな……これはもう話したと思うが、最初は役場で請け負ったただの漂流物ゴミ処理だった……それは単に金の為だな。が、その中に自分で修理すれば使える物があった、そこで実際にやってみた……これは自分の為だ。

 だが、そんなことをしていると、噂を聞いた近所の人間から修理が出来ないか替えのパーツが無いかと訊かれた。困っているのか。それからまた修理を頼まれたときにと考え、必要なものを他人の分まで集めて溜め込んでみた。――そして、これ・・で金が稼げるようになった。 ……これは他人の為でもある、だがやはり自分の為にもなっている。……これをなんと言えばいいと思う?」

「なんと言うのですか?」

「――仕事だ」

 動機や心情の問題ではない。

 先日は、自分に無意識にもアンジェの言うような心があるのかと思いもしたが、こうしてちゃんと振り返ってみれば、本当に実用と実利一直線で、精神的な充足感とは程遠かったということをノーカは思い出す。

 ……必要としたのは生活費で。家電を修理したのは生活費が浮くからだ。

 他人のそれはもののついでだ。困っていて、同じ集落で暮らしていて、彼らに手助けされたことがあるから、こちらも手助けをし返す。これは道理と道義の問題だろうか?

 ただ、ジャンク屋の修理業は効率が良いものではなく、一世帯につき年に一度か二度あるかないか。壊れた家や工房の修繕資材だけは何故だかどの世帯からも定期的に求められるが。結果、この星系だけでは捌き切れないジャンク品は通販サイトに載せて度々売りに出し小金を稼いでいる。

 他人から本当に必要とされる物、喜ばれることをしようというのなら、もっと別の仕事を本業としていただろう――自分は他人の為に本腰を入れる様な人間性はしていない。

 生活としては、既に農業一本でもやって行こうと思えばできるだろう、狩人業は害獣に常に脅かされる農業には必須で、これは外せない事業でもある。

 だが……完全な余剰であるジャンク屋を今も続けているのは何故だろうか?

 確かに、今も継続している宇宙のゴミ掃除とこのジャンク屋業のお陰で、少々の小遣い程度の収入と極稀のボーナスには恵まれる。

 

 必要といえば必要だが、やはり、必要ないとも言える。

 農業は、開拓業後の生業に、根気と根性と土地さえあればと勧められて、今の生活の主軸で、狩人は、食うに困って食料を求めて、それが農業の為になると知って、ついでに生活費の足しで。ジャンク屋業もほぼ同じで。しかし、主軸から離れたそれを今も何故続けているのだろうかといえば……色々な要素が絡まり過ぎてよく分らないという結論が出るのだが。

 アンジェの問い掛け、自分が必要としているのかどうか――おそらく実利ではなく、精神的な意義についてであろうそれを。

 仕事という、有耶無耶な言葉ではなく、それぞれの事の始まり、その傾向をノーカなりに分析して、

「……だが動機は、概ねその場の勢いだろうな……」

「勢い、ですか?」

「……自分の思い付きや、他人の思い付きに、その場で感化されて、流されて……あとはその中に実利があれば……続けていくには十分な理由になるからか?」

 そうした方が良い、と、理屈ではなく、感じたままに動いた結果だろうかと。

 そこに信条や理念、目的意識などはなく、継続の理由こそ実利に傾いているが、それをやるべきことと感じたから、という理由に気付く。

 しかし、

「……では、ノーカは本当はどうしたかったのですか?」

「……本当は?」

 まるで、本当は他に何かあったみたいな物言いだがと、怪訝にアンジェを見ると、

「はい。なにか、そのとき、他に考えていたことはなかったのですか? あれをやりたい、これをこうしたい、などという、欲求のような何かが」

 彼女自身もそんな確信など無く、あくまで手探り、そして、好奇心、というよりは、何かの探求心……その質問自体に目的があるような表情をしている。

 それに、ノーカはまた静かに自身を振り返り、

「……特にはない、……なかった筈だ。……思いつかんな、そういうことは」

「……」

「……何か気になっていたのなら済まない」

「いいえ。ただ……」

「なんだ」

「……いえ。なんでもありません」

 アンジェはそれきり沈黙し、まるで心ここに在らずというような無表情になり、棒立ちになる。

「……大丈夫か?」

「……」

 ノーカが問うと、アンジェは、どうすればいいのか? と問い掛けるような瞳で、初めて、感情的な揺れを帯びた視線をノーカに向けて来る。しかし言葉の無いそれに、ノーカも返せる言葉が無く、

「……少し休め。いつも通り動けると思ったら指示を聞きに来い」

「……かしこまりました」

 言うと、アンジェはジャンク屋倉庫を出て、自宅の玄関方面、おそらく、ウッドデッキのテーブルと椅子へ向かった。

 それを見届け、ノーカは予定していた仕事に戻った。



 ――しばらくの休憩を挟んで。


 午後、また二人は、ジャンク屋倉庫で仕事をしていた。

 艦船用の装甲板を切断する特殊円盤ノコギリから、文字通りの金切り音が響く。

 その間、ノーカも考える。アンジェが本当は何を問いたかったのかを。

 そして、自分がどうしてまだこの仕事を続けているのかを。

 当初の目的――目標であろう、以前までの生業には無かった、やりがい、誇り、喜び、人としてのまともな感情を見つけるつもりなら、このまま惰性で仕事を続けるべきではないのかと。

 それは彼女がここに来る以前にも考えていたことだが。だが……今手にしている仕事を放り出せば、それに関わる人間にそれなりの迷惑と損失を与えることになるだろう。

 それほど重要な役回りでないとはいえ、それは無責任である。

 加えて収入面でも、考え無しに仕事を放り出せば、貯蓄を残して今度こそ生活の全てを失うことになるだろう。別の場所に行くのなら土地の類は邪魔だ。

 今からの再出発は正直キツイ。ならもう、いっそこのまま何も無いままでも良いのではないかと思う。

 何せそれでも何の問題も無く生きていられる。他人に、そして自分に誇れるような喜びが無くとも十分生きていける。ただ単純に生きていく上で生きる喜びなど全く関係ない――ということぐらい、いい加減気付いてはいる。

 はっきり言って、この田舎には、そんな立派なお題目や目的を掲げて生きている人間は一人とていない。隣人たちは、皆に自慢できるでもない小さな趣味や、人には誇れない生き様、社会や世界に寄与しない小さな生き方で慎ましく生活している。

 そこに誇りが無いとは言わない。

 しかし、過大な期待や、生き甲斐なども抱いてはいない。

 皆、苦笑いや、失笑や、ため息や――なんでもない表情を浮かべながら生きている。そんな毎日に、満足したように生きている。誇りとかそういう価値観は、付加価値という程度のもので、無ければ生きていけないというものではない。

 ――それで困った様子は見られない。

 ――それでいいのではないのか?

 ノーカは、切り出した装甲版の切断面――削れ、ささくれだった面の乱れを、研磨機グラインダーで均し、火の粉を散らしながらそう思う。……ひょっとして10年前から、自分は他人の言葉に惑わされていただけで、特に考えなくていいことを考えていただけではないのか?

 理屈として正しいから。なんて理由で他人に従わなくともよかったのではないのか。では一体、今自分は何をすればよいのか。……だが……これから先、人と同じように、何の喜びも見出さなくていいとも言い切れないものもある。

 優しい人たちが――羨ましくはない、そう感じていた筈だが――あの輪の中に入りたい、そう思わなくもないこともあるのだが――似つかわしくない、そこにいる自分を想像するとひどく違和感を感じる。

 ふと、ノーカは嘆息した。また、自分は、いったい何を考えているのか。やはり老化か、これが老化か。やはり中年の脳は色々と衰えているのか。彼女の言葉のニュアンスに迷走して、大して役にも立たない哲学的なことを考え迷走して――

 自分はいつも他人の言葉に簡単に自分の心を惑わされる。

 ……要するに、馬鹿なのだ。

 思い、眉間にしわが寄った。無学であることは分かっていたが、自分をバカとは思っていなかった――それがバカだ、と気付いた気分はこういうものなのか。


 地味な屈辱。

 だがそれと引き換えにほんのり人生の道が明るくなった気はする。

「……」

 しかし、それだけだった。


 それは、これまで悩みに悩んでいた問いへの回答ではない。

 が、これ以上考えても栓の無いことだ。

 それはそれ、これはこれ。そうノーカは感じるままに割り切ることにした。他人の言葉に悩まされるのはもう止めようと。

 ノーカは地味に解脱ながら黙々と仕事をこなし、運び込んだ漂流物のあらかたの手入れを終える。

 選別して、ジャンクパーツとしてそのまま使えるものは確保し、予備としてダブついているものは少しまとめてネットに出品することにする。あとは機械として修理が必要な物――しかしそれをやるには時間が足りない。

 持ち越しの仕事になるだろうと今日のノルマを切り上げようと、アンジェに声を掛け、道具の片づけとジャンク屋倉庫の戸締りを始める。

 その最中、

「――ノーカ、こちらはどうしますか?」

 アンジェが、倉庫の入口脇、廃品でもなんでもない、後回しにしていたコンテナを指差した。

「……それもあったか」

 箱に入っているし、破損も無い、そのまま野晒しでも済むのだが。

 役場で手続きをしたところ、タグの登録確認と、センサーによる病疫と収容物の検査だけで、中身はこのまま引き取って問題ないとされた。

 中身はやはり装飾品の類で、ジャンク屋で扱う品ではなく完全に忘れていた。

 そこで、アンジェが見上げる無機質な箱を同じ様に眺め、そして彼女の横顔を見つめて、

「……見るだけ見ておくか」


 先日の漂流物の当たり――ちょっとした幸運。

 気分転換にと。その開封と詳細な品定めをすることにした。宝飾品の類で目を輝かせるような女性には見えないが。

 ノーカは動力を有線で繋ぎ、コンテナの電子錠を再起動させるも、蓋を開けるのに必要なカードもパスコードも分からない為、工具で強引に封を開けた。

 ペンライトで照らしながら、中に入る。

 金と銀が散らばった、煌めく石がござっぱりと投げ出されている。

 随分贅沢な子供のおもちゃ箱ともいえる。武骨なコンテナの宝石箱は、中のケースは漂流当時の衝撃か何かで何もかもがバラバラで、箱の中に箱が散らばり、砂粒を撒くような感覚で透明な赤、青、緑、黄色、ピンク、と、絵の具を溶いたような小さな結晶が多く、貴金属のそれが台座かオブジェのような加工をされ――散乱したごみ置き場のような感覚だ。

 しかし近隣の趣味の工芸人たちに買い取って貰い、その費用分の加工を頼み、それを現物で支払って貰えば量を減らし売値を上げ管理も楽になるだろうと踏む。

 傷がつくと売値が下がるので、流石に足蹴あしげにはしない。

 うっかり踏み潰さないよう、慎重にコンテナ入口付近の物から外に、倉庫の中へ、床に広げた柔らかいシートの上にアンジェと確認しながら並べていく。

 やはり古いアクセサリー、既に壊れ、傷だらけの物もあれば、運よく時間を飛び越えたようキレイなまま物もあった。好きな者からすればそれはもう恍惚と正気を失うする量だろうが、やはりノーカには子供のおもちゃほども価値が無く、表情を変えることは無い。

 それより幾らかマシな態度で、アンジェは一つ一つ丁寧にそれを手に取り眺めていた。その、女の欲も好奇心の一欠片も見えない視線に、しかし、それを真摯に一つ一つ見つめる彼女にノーカは興味を覚え、これまで見た彼女の性分、それを害さないであろう聞き方を鑑み、

「……何か気になるものでもあったか?」

「いいえ。……こうしたものの何がいいのか、必要なのか、よく分らないもので」

「ああ……それは同感だな」

 女の生活必需品を買い物をしたときも、そんな態度であったことを思い出す。

 それからアンジェは、やはり無表情に、宝石類をシートの上へと並べていく。

 だがそこで、ノーカは、目ぼしいものがあれば彼女のものにして良いという、先日の自身の言葉を思い出した。

「……」

 ノーカは、アンジェと宝石、アクセサリー群をじっと見比べる。

温かい家族、家庭、それに自分は見合わないと思う。

 しかし、この装飾品たちは、彼女に似合わなくはないと思う。

 その中で、彼女の性分にそぐわなくはないであろうものを選ぶと、作業をしていた彼女の手を取り、その手の平に強引に握らせた。

 そして、

「――取っておけ」

「……意図が分りません。……何か意味があるのですか?」

 既に、必要ないと己の意思を示しているからだろう、それ以外の何か別の意図があるのかというそれに、ノーカは、アンジェがまさか物で口説いているなどと思うことはないと思いながら。

 特に意味はない。それを感じる、ただそうしたいからそうした。そう感じるそれを、だが、これまで見て来た彼女の性格……向学心溢れるらしき原動に合わせて変換し、

「……意味などさしてなくとも……別に構わない。何かを切っ掛けに、これを好いもの……今日これを、いいことだと思うこともあるかもしれない」

「……いいこと、ですか?」

「ああ。いいこと……あるいは、いい日、か? ……」

「好い日……」

 何の喜びも無くとも、というそれを言い包む。

 それにアンジェは、自身の手の平にあるノーカが渡した銀のブレスレット――何の宝石も無い、しかし傷付くことなく不可思議な光を纏ったそれを見つめる。

 何で出来ているのか、傷だらけの宝石や装飾品の中、唯一とも言ってもいい無傷のそれは、何の意匠も感じないただ細身の腕輪だ。

 黙って、しばらくその簡素さをみつめていたアンジェだが、不意にその銀色の腕輪を手首に通そうとする。が、手の甲でつっかえ、ここからどうしたものかと首をひねり停止し試行錯誤するその姿に、ノーカは黙って手を貸し、

「……ああ、多分こうだろう」

 見えない継ぎ目を外し、開いた銀の輪、それを身分証が填められた腕輪型端末とは逆の手首に填めてやる。

 と、アンジェはそれを眼の前に掲げ、恒星の光に当て、銀に煌く手首を裏、表と確認し……何故だかそのあと、腕輪を手で握り込み隠すよう体の前に提げ、

「……ありがとうございます」

どことなく所在なさげに。

 ほんの少しだけ、目尻を下げた。そして、

「……今日は、いい日です。と、言えばよろしいのでしょうか、この場合」

「……お前がそれでいいのなら、それでいいんじゃないのか?」

 義務感、というそれを漂わせる女に、釈然としない物を感じつつ。

 だが、それから何度となく自身の手首に填まったそれを撫で、時折り見つめる姿に、まあ、こちらも間違ってはいなかったのだろうと、ノーカは思った

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