第16話 新婚生活③ 将来の展望と、小さな変化について。

 ――新婚生活、三日目。

 一番大きな格納庫の裏手、そこにある小さなドーム型の建築物。

 入口から二つの扉を開き入るそこは、簡易的にではあるが空気を隔離できるよう配した間取りの、どこか化学工場染みた清潔さが漂う施設だ。

 にも拘らず、さして衛生管理をしているようではないいつも通りの野良着姿で、二人は一つの作業台と数々の木箱、そして、何やら家電にしては少々大きな金属質の箱とパイプが幾つも繋がる――謎の機械の前に立ったそこで、ノーカはアンジェに振り返り言う。

「今日は品種改良と原種への回帰、の研究をする」

「どのようにするのですか?」

「基本的には育てた作物から特定の要素――甘さ、大きさ、色、形など、求める部分が特に強い……画一的ではない突出した種を採取し、それを次の季節に栽培、増産や交配させるなどして求める味に近づけていく……基本はこの繰り返しだ」

 甘さ×甘さ、大きさ×形、他、掛け合わせで長所をさらに伸ばしたり、欠点を補うなど様々な調整を試みる。……いつでも同じ味、同じ形というのは商業的利用価値の上で大切な信頼性だが、品種改良は狙ってその生産品としてのエラー、イレギュラーを出し続ける技術ともいえる。

 手段として他にも試験管の中で直接遺伝子を組み替える手法もあるが、交配能力を極力落さない、安定した生産性、自然に存在する形に近づけるには、通常の受粉を介したそれが一番確実である。頼まれた仕事上、ノーカは原種への回帰というテーマもありこの種の選別と自然な掛け合わせによる調整を選んでいるが。

 しかし、

「……では、時間が掛るのではありませんか?」

「そうだな、年に二度、三度と採れる品種なら多少マシだが……一代限りの変異種かられっきとした品種として安定するまで、最低十年は見込まなければならないらしい」

 その自然界に存在する形――仕組みを利用してというのは、酷く気長で根気の要る挙句の運任せともいえる仕事だ。

 とりあえず三代、同じ物が作れれば一先ず新品種として確定と見て良いらしいが、そこを越えた先、それがまた別の品種に変貌してしまうこともある――そこからは変異種をはじき防ぐ作業なども必要だが――例えばミツバチなどによる自然交配でどこぞの誰とも知れぬそれと交わるなどで、ブランドがいつの間にか喪失されてしまう危険もある、惑星上の自然栽培の一番の危険だ。

 これは完全な箱入り娘――徹底した工場生産やハウス栽培で可能だがそれはさておき、 

「……まあ、その品種改良――もしくは回帰を、疑似的にだが可能にする機械がある」

「……それがこちらですか?」

 アンジェは、謎の機械――その中央、一見して古びた電子レンジのようなそれをみる。

 しかし、その電子レンジは両脇から怪しいパイプが左右に伸びており、その左右には二つの箱、中央の電子レンジもどきより少し大きめの箱――錆の浮き出たガスオーブンのようなそれに繋がっている。

 背後にはさらに複雑に絡み合ったパイプや装置に繋がる。

 まとめて一つの機器なのだが。

「……どういう機械なのですか?」

「食品植物の合成装置だ」

 部屋の一角を占めるそれを見上げながらに、アンジェは、先日の巨大人型重農機具と脳内で比較して、

「……これも大分古い機械のようですが」

「中古だ。最新型なら専門家でなくとも必要な遺伝子だけを抽出し、どちらか一方に狙って組み込み品種改良することが出来る。……だがこれは二つ、三つ……四つまでの品種の実物を、この中で遺伝子レベルで全て掛け合わせて新たな品種を生む……改造どころか文字通りの合成だな。その場限りの一個体だが、全く別種の野菜や果物を品目科目を選ばずに融合出来る機械だ」

 キャッチコピーは、これまでの品種改良では創造しえない野菜を、ということだ。

 しかし、遺伝子どころか実物丸ごとの合成物なので、食べるだけならともかく種が育つかはかなり低い確率である。そこが生産者向けにしてはかなり微妙な性能で、どちらかといえば家庭やレストランなどでその場限りの味作りを楽しむ道具になってしまっている。挙句、機器としてサイズが大きく置き場に困り発売から半年経たず生産中止と相成った。

 だがノーカはこれに別の使い道を見出していた。

 使い勝手の悪い調理器具でも、いつ当たりが出るか分らない確率の低い宝くじとしてでもなく、簡易的なシミュレーション機として。

 やり方は、全く別の野菜ではなく、同じ野菜同士の違う品種を入れ、合成先の味だけを注視すれば、大ざっぱにだが交配の結果に中りがつけられる。

コンピューター上の計算、データ入力や情報採取も要らず、実物でこれを計れるのは独り立ちしたとはいえ農家としてまだ日の浅いノーカ、農業初心者が品種改良に手を出すにはうってつけの機械と見ていた。

 実物でしか分からない味を、育てる手間と時間を掛けずに大よそにでも確かめられるのなら交配の候補を絞り込む事が出来ると。それは製造メーカーが推奨する製品の個性――長所と機能の使い方ではないのだが。

 ノーカは、アンジェといつまでも見上げているだけでは始まらないと、

「……とりあえずやって見せるぞ? 今回は実際に一通りの機能を実感してもらう。まずは単純な合成からだが、」

 近くのかごから収穫した野菜と果物を一つずつ取り、それぞれナイフで一片切り取り、アンジェに渡した。

 それぞれ、トマトのような赤のハート型と、キウイのよう毛の生えた茶色の楕円を描く、その一部である。

 一体何をするのか、機械に実物をそのまま入れるのではないかと、その切れ端を指先で抓んだまま見つめるアンジェだが、

「……その前に味を確かめておけ」

「……? どういうことですか?」

「合成前の味を覚えて、合成後の味と比べ、舌に物差しを作る」

「――物差し?」

「変化の度合いの――手を加える前と後、そこで何が変わったのか、そこを見ないとこの作業は進捗しない」

 眉唾であるが、料理も調味料を全て入れた後ではなく、その前、一つ一つ追加されるそれぞれのタイミングで味見をした方が良いという。

 調味料を入れたそのときだけでなく、加熱の経過時間なども同じで、何かの変化が起こる都度、味や匂いや食感まで確かめた方が、これから作る料理の味の想像が付け易くなるそうだ。

 科学の実験でも言えることだろう、どこでどの情報を記録するのか。

 その密度、情報の量と正確さによってその後の効率や出来が段違いになるのはノーカも銃の照準補正、その感覚で分かることだった――そこを農業でも応用しているのだが。

 言われ、アンジェはナイフの刃の上に乗った二片の野菜と果物を、それぞれ一つずつ、口に含んでは、咀嚼し、味わい、そして無表情に呑み込んだ。

 それぞれ、酸味と甘みが主体で、食感は、赤い方が柔らかくグチュッとして、毛の生えた方がサクッと、種がプチプチ、カリカリとしている、が、強烈に酸っぱい。

 ……というそこまでを無表情に記憶したアンジェは、ノーカにしっかりと頷きを返した。

 それを見てノーカは、

「じゃあ合成に入るぞ」

 言うとノーカは箱から同じ野菜と果物を取り出し、合成機の右と左の箱に入れ、それから真ん中にある箱横にある赤いレバーをガコンと下ろした。すると中から、


 ――ギュインギュイン、ぎゅいん……ガガガガガ!

 ――ピー、ピー、ガシュン!

 カン! カン! カン! ボヨヨンボヨヨン。

 ――うぱうぱうぱぱ、ン~ィヒふッ!


 ……中から、おおよそ植物から響く筈の無い、怪しい音、が聞こえてきた。

 アンジェは一瞬、眼を硬直させ、中で何が起きているのかを想像するが目算が着かず、そしてやがてゆっくりと、隣で平然と機械を見上げているノーカに、いつになく無機質な目を向ける。

「……これは、中で、何をしている音なのですか?」

「ただの合成音だ」

「……合成とは、こんな、奇怪な……」

「……いや済まない、今のは言葉が足らなかった。この機械が作業中であることを示す警告音――警告灯ランプのようなモノで。効果音として外に流す、機械的な合成音という意味だ。

 この機械、作動中の静粛は完璧らしいが、完璧すぎて動作しているかどうか分からず途中で開け確かめた結果――分子崩壊光線と量子融合触媒で、合成途中の野菜を体に被って自分が新種の植物系宇宙人類になったらしい……その防止策だ」

 なんて危険な道具を使っているのかと、アンジェは眉を動かさないまま眉間にほんの少しだけ皺を寄せるという高度な表情をノーカへ向けた。

 抗議らしきそれに、ノーカはほんの少し気まずげに一瞬目を逸らし、

「……この話は開発途中の事で、これには何があっても途中で開かないようロックも掛けられているから安心しろ。……それと効果音は何種類かあるし、インストールで市販の曲も増やせるが……変えるか?」

「――いいえ」

「……そうか」

 その返答に、どことなく素っ気なさを感じるノーカだが、後ろでドドドドドドゴゴゴゴゴ! 鳴っている機械のBGMの所為か――その効果音と同じ心理的効果が彼女の中で起こっているのではないかと想像した。

 そして、そっと彼女の眼から目を逸らした。

 ややあって――チーン! と、終わったらしい音がした。

 ノーカは中央の箱を開け、中に鎮座した合成野菜を、この空気を誤魔化すよう手早く取り出しそして作業台の上に置いた。



 アンジェの透明感溢れる無機質な瞳の先。

 トマトっぽい野菜と、キウイっぽい果物の合成物が置かれている。

 その見た目は、毛の生えた心臓ハート型の茶色の何か――

 野菜とも果物とも付かない植物X、である。アンジェはまたどことなく漂うその胡散臭さを、どことなく冷気溢れる視線で眺める。

 これからこれを試食するのかと、その心の声が響く視線をノーカは察していたが、気を遣うことは無く。

「――では、試食してみようか」

「……」

 また無表情でありがら、その眼光はいつになく強い。

 抗議であることは分かっているが、ノーカはナイフで茶色い毛に包まれた皮を剥き、切り分けた中身――暗褐色の血が詰まった滴る仄暗い果肉をアンジェに有無を言わさず差し出した。選択権がないアンジェは珍しく渋々――けったいなのか汚らわしいのか、指先でソッと抓み、その流麗な唇の内側にハクリと入れた。

 そして、そっと、そっと……咀嚼する。

 次いで、ゆるやかに目を見開き、

「……甘い? いえ……果肉がサクサクとして、赤いのより酸味が爽やかで軽い……ですが味は何倍も濃い――? ……不快ではない? 果実のような?」

 割と普通げに、眉間の皺が伸び、ふにゃりと眉がしな垂れた。

 そこで人知れずノーカはホッとした。成果としては、

「……比較的当たり部類の合成だからな」

「……知っていたのですか?」

「食えないものは他人に出さない」

 トマトとして使うなら、加熱調理には使い辛い酸味と甘みとのバランスだが、生での口当たりは鮮烈で、アンジェが言う爽快さの所為か嫌味が無く、食感も、種を包み込むゼリー状の液果えきか漿果しょうか部分も全てさっくりとした果肉に置き換わり食べやすく、平べったく食感として邪魔になる固さの種も、キウイのプチプチと噛む度に微かに香ばしさが弾ける食味になっている。

 元となったこの惑星原産のそれぞれ野菜と果物の、良さとも欠点とも言える部分がそれぞれ好転した、野菜でもあり果物という結果であるが、

「……このように、全く別種の物を掛け合わせるときは、最低限同じ味の要素を持つものか、短所を弱める組み合わせた方がいい。……おまえがやるとき、参考の一例にでもしておけ」

「……私がですか?」

「興味が――、……やってみたいと思ったらだ。材料は、無駄にしなければあるものを好きに使っていい。出荷予定のものでなければだが」

 アンジェは、今日の予定が、自分のそれの為に組まれたものでもあることに気付いたのか、その目をほんの少し見開き、そしてどこか申し訳なさげに羽根を窄めた。

 いや、厳密には今日のそれだけではない。先日までのそれも、ただ単に、自分のこの土地での生業を紹介し、それを習わせ、付き合わせていたわけではない。

 どの道しばらくはこの土地で、夫婦として暮らす。彼女がどのような生き物でも、人間でも、時間を無駄にする必要はない。

 仕事には合う合わない、向き不向きがあるが――現在、その選り好みが出来る状況と環境ではないが。それでもその中で少しでも彼女に向いたもの、健全に心が動かされるものをと、そういう意図もあった。

 心が動かなければ体も十全と動かない。ノーカの様に、それを度外視して動ける心身も養えるが、そこは強制する必要もないと思っていた。

 何かを命じられ、心を閉ざした作業に徹することは誰でもままある。そうした人間は、多大な才能でもなければ本意気でやり込む人間に劣る。

 それが視野を狭め、可能性を狭める事にもなれば、スタートの遅れにも、到達点の劣りにもなる。……見切りをつけるなら早い方が良い。

 そんな自身の経験からと、そして、誰かに何かを言われて、体験したそこで何かに初めて気付く者は多く――少なくともノーカ自身はそういうことが多かったことからの、ここで生きる上での彼女の心の自由と、狭いながらの職業選択の自由をどうにかこさえようと思っていた。

 それを言われて、アンジェは先程までけったいな物扱いで抓んでいた新品種を、それを掴む自身の指先をじっと見ていた。

 それに、彼女が何を感じたのかは、ノーカには想像もつかず、

「……次は品種改良寄りの合成、原種への回帰作業だ」

 仕事をするぞ、とノーカが暗に言う。

 と、アンジェは、これまでのただ観測者であるというようなそれから、ほんの少し前に出た態度で、ノーカの手元に注目した。

 そこでノーカは小松菜――っぽい既製品の葉野菜と、小松菜っぽいこの惑星原産の野草を箱から取り出し合成機に掛けた。

 その間に、原材料それぞれを、作業台の調理器具で同じ時間茹で、水に晒しただけで二人してその味を確かめ、作業を同時進行して時間を圧縮する。

 野草の方でノーカは顔を眉間を狭め、アンジェは無表情に口を一文字に引き結んだ。

 レバーを下ろし奇怪な擬音がしばらくした後、中央から取り出した――見た目変わり映えしないそれを、同じ様調理し、また味を一切着けずに箸で口の中に入れ、

「……」

「……っ」

 調味料を着けず、茹でただけで口に入れた結果――

 一先ず、ノーカは水で口をゆすぎバケツに吐き出し、アンジェにもそれを薦めると、彼女は表情が無いまま、向こうを向き、まるでそれを見せるのを拒むよう――そして、スッキリした無表情で戻って来た。

 ノーカは、徹頭徹尾無表情なアンジェの思いがけず女性らしい部分に気付き、しかしそれが酷く下らなく、感慨深く目を細めていると、

「……何か?」

「いや、なんでもない。……それで感想は?」

「……これは失敗なのですか? 成功なのですか?」

「……失敗以外とするなら何だ?」

「……多様性、でしょうか?」

 言外に、本当に必要とされている仕事なのか? という意図を感じたノーカだが、事実需要の間口として存在するそれなので、

「……この試作は間違いなく失敗だが……まあ、そういうことだ」

「……そうですか」

 文句が有り気に見てくるアンジェをノーカは無視し、作業台、手元での紙ノートに品種改良――原種回帰への見立て、掛け合わせの表に味の感想を書き加えた上で×印を入れる。

 これを食べられるレベルで、且つ、味のバリエーションとして捉えられる風味になったとしても難がある珍味だろうが。

 なんでも天然自然であればいいというわけでもなく、かと言え、人工、人造のそれだけでも満足せず、食品原材料の取り扱いは、生産者、加工者に限らず消費者まで常に頭を悩ませられる問題であるとノーカも農業を続けて分かっていた。

 なので他人の意見は重要と、ついでに『アンジェの反応、悪し』と欄外に添える。それを堂々と覗き込んだアンジェに、咎められる様な無表情をされつつ、その研究ノートをアンジェにポンと手渡した。

「興味があるなら見てみるか?」

 薦めると、彼女はそれを一枚、一枚、過去に遡って捲り始めた。

 そして同じ部屋、既に棚一つを埋め尽くすようなその試作ノート、『アレルギー』『人種ごとの毒物、薬害』などのテーマごとの改良らしきそれを見つめ、ただ口に入れることの大変さを、人知れず、先程のエグミと共に思い出していた。

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