第10話 親しい娘の祖父に、結婚の保証人を頼んだこと。

  ――そうか、婚姻には保証人が要るのか。


 ノーカの心の声が、脳内に木霊した。

 これまで縁のなかった社会的知識との遭遇である。窓口職員が手元の画面から引き出した二枚の書面を見ると、婚姻届けには確かに保証人の欄がある。しかもどうやら二人必要な様子だ。

 それは知らなかった、なにせ人生初の結婚である。

 そのつまらない書類手続きが始まった瞬間、役場は役場として再起動し近所の住民もそれぞれ本来の自分の用向きに動き出した。

 そんな中、ノーカは一体誰を保証人に仕立てようかと講じる。なにせ保証人、それは自分を信頼し自分が信頼できる相手、多くは肉親か親類、残りは友人か仕事の上司かとなるのだが――

「……一人は診療所のDr.ドローナがなってくれるだろうが、もう一人は……」

 当然ながら血縁の類は居ない、友人は、そう意識している者は居ない、となると残りはただ一つ、

「ご記入の当てがあるのでしたら急がなくてもよろしいのですが」

「いや……今確認しよう。手間はまとめて済ませるに限る――」

 日取りから直接顔を合わせて了承を得るべき類の話だと思うが。状況が状況なのでノーカは一先ず婚姻届けの書面を自身の端末に入れるとアンジェを手を握り、窓口を離れロビーの片隅へと向かった。

そこでノーカは農業の師である銀色宇宙人に、腕の端末から通信を繋げる。

 その間、アンジェは周囲の様子を観察するが、既に騒ぎの熱は引いていて、さきほどまでの喜びようは何だったのかと首を傾げる。

 と、そのとき、宇宙を挟み、星から星へとその波は届き、接続された通信相手が小さな立体表示に名前だけその顔を出す。

『――ノーカか? どうしたんだこんな時間に』

「ケンさん、申し訳ないのですが名前を貸して貰えないでしょうか?」

 ノーカは自分の農業の師である彼にそれを頼むことにした。それを新たな土地や高額な農機具の購入の類かと想像したのかケンは、

『……ああ? 仕事の貸し借りか?』

「いいえ。昨日の夜拾った女性と結婚することになりました。その婚姻届けの保証人です」

 沈黙が響いた。聞き取り辛かったかとノーカは疑うが、

『――なにぃ!? おっ、おい、どういうことだ!? うちの孫娘は』

「詳しいことはDr.ドローナに聞いてください」

『ちょまて、おおい――!?』

 ことの首謀者に説明を投げ、ノーカは通信を切った。


 それからロビーの待ち合い席で電子書面の記入の済ませられるところは二人で済ませつつ、Dr.ドローナにも通信しそのままネット上で書面にサインを貰った。

 そのまましばらく待つと、役場の表から猛烈な宇宙船の停止音が響き、雄牛の暴走のような足音が地震を引き起こすよう役場の扉を潜った。

 銀色の肌に角のようなもみあげ、ケンは、そこで肩を怒らせながら、待ち合い席の中、振り向くノーカの顔を見つけ、

「……てめぇ、覚悟は出来てんだろうな?」

「……通信上でサインを入れて頂くだけで良かったのですが。それと……それで何をするつもりですか?」

 何故だか、彼は愛用のトレーニング器具であるブラックホールのように黒い鉄アレイを片手にしている。その筋肉は爆発寸前の血圧も引っ提げて白いタンクトップにぴちぴちと悲鳴を上げている、パンプアップは完璧だ、老齢にしてムキムキの筋肉がバキバキに怒り狂っている。

 そんな体に仕上げて、ボティビルの大会でもあったのかとノーカは疑問するが、

「不義理の馬鹿を捻り潰す為に決まってんだろう?」

 なにが? とノーカは思う。偽装婚とはいえ師には今まで面倒を見て貰った恩もありこれを無許可、無報告では出来ないと思ってのことでもあるのだが……何か行き違いがあるのだろうかと。 

「……Drから事情は」

「聞いた! がっ! ……それとこれとは別問題だ……」

 ケンは隣にいるアンジェを見て、更には役場内にいるご近所の他人様の目を感じて平静さを取り戻したのか、上がり切った危険な血圧を一旦治める。

 どうやら報連相ほうれんそうの食い違いではないらしいとノーカは理解した。銀色の筋肉をまだピクピクさせているが、その真っ白なスプーン型の目には知的な怒りが宿っている。

 そのケンは、そして、偽装結婚相手であるアンジェ、妙に神々しい翼――黒革風のボンテージ衣装に気付き、硬直し、

「……おい、正気か?」

「? それは私に話し掛けられたのでしょうか?」

「……」

 アンジェは何を問い掛けられているのか分らず、ただ疑問した。ファッションの事だと思うノーカだが、それが女医が若かりし日の趣味だと説明しようかと思い――止めた。ここでの言及がのちに自身にどう響くか分らない、あのマッドでBadな女医に健康診断の際何をされるのか分らなかった。

「……まあ、服の趣味にとやかく言うつもりはねえが……」

 ケンは今度、容姿の吟味か上から下へ、アンジェのその器量を確かめる。

 一体何と比較してか、まずその端麗な美顔でなんとも言えない苦渋の表情を浮かべ、その端正な肢体――過不足無く山があり谷がある風情の、儚くも静謐とした肉感漂う女性美を確認し――やはり、何と何を比較したよう無念げに目を逸らした。だが芸術的透明度、しかし無機質で無感情を湛えた瞳には安堵を覚えたよう小さく小さく吐息する……。

 だから一体何と比較しているのか。全体の評価を終えたのだろう、総評としてはアンジェはノーカの結婚相手として合格点に到達したのか。どことなく仕方なさげな雰囲気を身に纏い、ケンはノーカの肩をとても力強い握力でガッチリ掴んだ。

「あー、ちょっとこいつ借りるぞ」

 顔話仕方なさげに笑っているが、肩を掴む腕はガッシリ痛いほど力が込められている。

「? はい。……ですがどうなされるのですか?」

「――ちょっと。――すこしだけな?」

 何がちょっとで、何を少しだけするのかと。

「……かしこまりました。壊さない程度でお願い致します」

「……お、おう、ありがとうよ、話が分るお嬢さん」

 アンジェに許可を取ると、ケンは鉄アレイを彼女にポンと預けて、またそれを軽々楽々と受け取る彼女に仰天し、面白げに笑みを深めると、それからそのバキバキの筋肉でノーカを連行した。


 ケンはノーカを更なるロビーの奥片隅に移動すると、そこで壁に向かって腰を屈めて二人肩を組み、密談スペースを確保する。

 と、聞こえる内緒話とは違い、本当に聞こえないよう配慮した小声で、

「……おめえアレと、いやあれ――、……あのあれ、本気でアレか?」

 分らない。しかしどことなく何を言いたいのかは分った気がした。

 要は本気でノーカがあの宇宙生物の面倒を見る気かと。決して服飾の趣味の異常それを指摘しているのではない筈だと。

 そういうことならばと、そこでノーカも、

「……アレです」

「……そうか、アレか……まああれだな、アレなら仕方ねえな……」

 何故伝わるのか。

「ええ。仕方がありません……」

 何も分っていないが。

「……レナの事はまあ、気に病むなよ?」

「? ……なんのことですか?」

 ノーカが本気で聞くと、

「……おいおめえ、本気で気付いてないのか? ……アイツおめえに本気で惚れてるぞ?」

「……父親の過保護を気にして子離れの耐性を付ける当て馬でしょう? それに将来ここを出て行くようなことも言っていました」

「は? ……あ。ああ……あーあーあー、……あああ~~。……あー」

 ケンのみ、色々と拙い応酬をしていたことに気付くが、

「……知らなかったのですか?」

「……おめえはそれ、……アイツの口から?」

「いえ、そういうわけではありませんが……ここ最近将来についての独り言、ぼやき? が多かったので、多分そうかと」

 この土地をもはや定住地としているノーカは、自分にレナが恋愛感情に囚われているとは思っていなかった。そうでなくともただでさえ父親と同じ年代で、彼女の小さな頃からの付き合いで、子守りモドキの遊び相手として認識されていると思っていた。

 何より、ノーカ自身、レナの事を完全に女として見ていないその様子に、同じ男であるケンも合点が行ったのか、

「あ、ああ~。……うん、……まあ、聞かなかったことにしとくわ」

孫娘の巣立ち――それも遠くないそれを実感し、挙句それが身内からではなく他人からというそれに、ケンは気まずげに頭を掻いた。他にも何かに納得した様子だが。これはノーカも言ってはいけないことを口にしてしまったかと危険な汗が滲んだ。

「……いや、まあ気にすんな……俺もバカ息子には言わないようにしておく」

「お願いします」

 実の親を差し置いて、その大事な一人娘の希望を知ってしまった。

 それについての談合は決まった。

それからケンは何事か思い悩むよう肉体的手作りの密談スペースから首だけで振り向きアンジェの事を見やった。そこにある美貌はケン直近の女性陣――妻、息子の嫁、孫娘と比べてみてもいわゆるジャンル違いの飛びぬけた美人であることは彼も確認している。そんな絶世の美女と偽装とはいえ一つ屋根の下の結婚生活をして。 ……むしろノーカの方が別角度で大丈夫なのか――

 どうにかなってしまうんじゃないだろうか。ある日突然理性が途絶えるか、ゲージが溜まって爆発するんじゃないか。

 そうなったら責任だ。もう偽装どころじゃない、痴情の縺れに発展することは火を見るより明らかだ。……お互い本気になってしまったのならそれはそれだ。

 最悪孫娘を巻き込むことは頂けないが、

「……まあ……がんばれよ?」

 いやむしろ、その場合彼女の方こそこれ・・でいいのか? 

 とアンジェの方を微妙な顔をして見つめ、しかし何か用かと首を傾げる彼女に思うが、言うとノーカの腕を招き、その端末から彼が婚姻届けの書面を表示するとそれに直筆でサインを入れた。


 それから、ノーカのその肩をやおら痣が付くほど強く握り込んだ後、来た時とは打って変わってしぼんだ筋肉と曲がった腰で、ケンはのんびりと役場を出て行った。

 ……と思ったら引き返して、アンジェの手に預けた黒い鉄アレイを彼女から受け取り、その隣に立つノーカを一瞥した後、彼女に向かい、

「――この野郎のこと……まあ、よくしてやってくれや、お嬢ちゃん」

「……それはこの方次第かと思われます」

「ははっ、確かにな」

 うちのかあちゃんを思い出すなあ、と呟き、今度こそケンは帰って行った。

 それを見送ってから、ノーカは再び窓口へアンジェと二人して行くとそこで待ち侘びていた受付女性職員が速やかにサインの入りの書面を受理し、その間に作成していた、アンジェの個人証明のデータと合わせて役場で管理する戸籍データに登録した。

 そのコピーデータでノーカの端末、その個人証明のデータを更新する。

 そして個人端末を持たないアンジェに簡易的にそれが入っただけの認識票のチップと、公的機関が新規戸籍取得者に配布する本当に簡素な端末の腕輪を渡した。

 そこでチップをはめ込み、ノーカはアンジェにその場でそれを身に着けさせる。

 見ようによっては、ひどく味気の無い結婚式、指輪交換の代わりとも見える手続きが滞りなく完了したことを確認し、それに女性職員は丁寧に頭を下げる。

「――おめでとうございます、当役場はこれからお二人で歩まれます人生のご多幸をお祈り致します」

「ああ。なるべく努力する。……行くか?」

「かしこまりました」

 不愛想な夫は、しかし嫁の手を面倒見よくその手で彼女の手を引き、表情筋を一つも動かさずに頷く嫁も、しかしその異常なファッションセンスに違わず従順に彼について行った。

 それが当然と言うように、堂々と、淫らな拘束具姿の嫁を連れていくノーカと、また平然とその格好をして隣を練り歩くアンジェが結婚した姿に、

「……なんか、すごいものを見たな……」

「ああ……」

 頷く職員一同。

 本格SM夫婦の爆誕。あれがまことの変態――その愛かと。そして二人の生活はどうなるのかと。

 その夜の営み、その内容が、役場のお昼の話題を席捲するのだった。

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