第9話 嫁と婚姻届けを出したときのこと。

 昨晩、彼女を発見し診療所まで運び各種診察と検査を終えて、彼女が目覚めそれが決まったのはほぼ明け方――

 そして朝、今はその出発の準備をしている。

 普段のノーカなら寝ているどころか起きてとっくに一仕事終えているところだ。そこで不眠不休で一旦仕事をしてくるとしたノーカを女医がその健康を鑑み診療所のベッドを提供し、栄養剤と称して軽い睡眠薬を盛り仮眠を取らされた。

 起きた時既に日は昇っていて、メモ書きで『外で車の準備をしとけ』とあった。

 その間、本日野菜を出品する筈だった朝市と取り引きの相手に連絡を取り、ノーカは謝罪を述べた。人命救助とその状況説明と検査の付き添いという理由に、なし崩しの了承を得たがあとで改めての侘びと礼の品を送るべきだろうと思う中、

「役場が開くまでの間に出来る仕事だからと言ったのに、あの女医め」

 二十四時間寝ずの戦闘だって当たり前に在った十年以上前、若い頃にそれを経験しているのでそれくらい平気だと思っていた。

 反面、やはり自分は仕事中毒なのだろうかと疑問する。

 それはともかく。


 ノーカは愛車の骨董品で女を待っていた。今日、籍入れすることになる女だ。

 それが決まった明け方近く、ノーカは診療所で仮眠を取らされた。今アンジェは診療所の最奥で女医がその私服を彼女に着せている。

 流石に検査着で外を練り歩くわけにはいかない。難航していたそれが終わったのか、二人は揃って玄関から出てきた。

「――キツイところはないかい?」

「はい。サイズは過不足無く合っています」

 ノーカは目を向ける。有翼人種のアンジェはその妙に神々しい翼に白金色の長髪を腰まで輝かせながら、新たな衣服を身に纏っていた。

 二人は話しながら歩いてくる。それを見て、ノーカは、停止した。

「はは、そりゃ自動調節機能が付いてるからね、私がもうちょい若い頃に来てた奴だから少々型落ちでわるいんだけど」

「そうなのですか?」

 黒もテラテラしたホルターネックが背中を暴力的に開放するビスチェ、それと紐で繋がるガーターストッキングが彫刻のような足をダークに太ももを責め上げ、その間に、ハイレグローライズの剥き出しの黒のビキニを攻撃的に挟んでいる。

 とても黒くて、肌の露出の少なさの割りにその肢体を強烈に煽情的な印象イメージで締め付けている。

 それは服であって服ではない。

 その姿は、淫猥な拘束具ボンテージ――である。

 いや、それ寸前の、危険なパンクファッションであろうか?

 そう思いたい、そうでなければ明らかに極めて特殊な性癖向けのご主人様である。

 その禍々しさ、淫らさ、服としての際どさ。アンジェの翼が持つ妙な神々しさと彼女の体の造形が持つ神秘性、そして目の透明感すら全殺しだった。

 その下に透けるほど極薄のボティスーツ(生理的生体保護服)が全身を覆っているおかげで、辛うじて外装の尖った宇宙服と見れなくもないのが救いか。

 そしてノーカは思う、彼女が身に纏った服はかつて女医が来ていた私服だというが、それを着てどこで何をしていたのかといや、問うまい。やはり女の趣味は分からないと閉口し、あまり関わりたくないと運転席のフロントガラスから後方確認の振りをして一旦目を逸らした。

「やっぱり似合うねえ、若い子はこうでなくちゃ――あんたもそう思うだろう?」

 知るか。と一言で答えたいところをノーカはぐっと堪え、あくまで女医を無視し無言でノーカは愛車のエンジンに火を入れる。

「……じゃあ行くぞ。午前の役場は混むからな」

「かしこまりました」 

 その間に、アンジェが助手席側に回りドアに開ける中、女医が何やら運転手側の窓、ノーカに小声で寄り、

「――悪かったね。背中の翼に合わせるとどうしてもこんな外面のしかなくてね。さっそくアンタの甲斐性を見せてやんな」

 胡散臭いウィンクを決める女医に、ノーカはこの趣味の悪さはそういうワザとかと理解するが、これまでの彼女の言動と所業からそれを否定する。

 そうでなくとも、これがドローナの趣味であることは確かだろうと。

 その彼女はそしてノーカ越しにアンジェにも視線を送り、

「――じゃ、あとは折りを見て離婚しな。それまでの間はなるべく仲良くして、市民権だけ取っときなさい。……もちろんお互い気に入ったのなら結婚を継続してもいいんだよ?」

 また年甲斐もなく茶目っ気を見せよう賭する半機械の女医にノーカはぞんざいな顔をし、

「……そのときは善処します」

 そしてアンジェも助手席に座りながら、

「……それについてどう答えればよいのか分りませんが、お世話になりました、ドクター・ドローナ」

 義務的に、そして儀礼的にも恭しく頭を下げたところでノーカは愛車を発進させる。

 次の目的地へと宇宙に飛び立った二人を、地上で見送った女医は、

「……さてと――慶事はちゃんとお披露目しなきゃねぇ?」

 背伸びをし、肩の疲れを癒し、喜々として診療所に駆け込み通信機に手を伸ばす。

 そして、婦人会メンバーに片っ端からダイヤルするのだった。



 N87星雲、宇宙村役場――星系に存在する数少ない入植者達に対し地方行政的な管理を行っている彼らは、住民の定数が割れて以来本来の公的機関、行政からその運営を民間企業として一部委託されていた。

 やっている仕事はおおざっぱに土地と税金の管理、そして、この星域に住む数少ない住民の最低限の社会的生活の維持、公共事業の斡旋やその指導を行っている。

 その、それほど広くないロビー。

 受付カウンターを挟んだ事務所、そこから、その向こう側をしげしげと。

 入口、そこに入ったノーカと、それと一緒に居る全く見慣れない神々しいばかりの純白の翼を持つ輝くばかりのプラチナブロンドの美女をそこにいる職員たちは見ていた。

 特にその――どうみても特殊性癖向けのファッション。そんな格好で朝っぱらから村役場に何をしに来たのか、二人はいったいどういう関係なのかと。

 たまたま処々の手続きに来ていた数名の近所の住民も揃ってその極めて特殊な事態にその目を硬直させている、それら目の前を横切り、ノーカ達は二人揃って受付カウンター、その窓口の一つに入港すると、ノーカはいつもと同じ仏頂面で、

「済まない、二つ欲しい申請書があるんだが」

 簡潔に切り出す。

 その越えに、そこに立つ女性職員は、アンジェの卑猥な格好からどうにか目を引き剥がし、はたの自身の職務を思い出したよう、業務スマイルを浮かべ、

「――おはようございます。一体どのようなご用件のものですか?」

 しかしやや強張った笑顔で問うその眼は、どうにかアンジェの黒光りする立派な服(?)を眺めないようノーカを注視し努力している。

 対してノーカは、

「――婚姻届けの書面を。それとこの星系への住民登録の手続きと完全新規の戸籍――個人証明の取得も」

 その瞬間、女性職員は、

「…………、――え゛っ!?」

 刹那、そしてほぼ全ての机と椅子、それに心がガタついた。

 自然に個人証明の部分を聞き流し、その後、秒遅れでやはりそれ以外の部分を注視した。

 ノーカの血に塗れた経歴はとっくに知れ渡っていた。しかしその勤勉かつ実直な仕事と生活ぶりでその印象はとっくに『無害な野良犬ご当地犬』に軟化しているのだが。

 役場主催の婚活プログラムを十年間無視し続けている、結婚しないし、出来ない、であろう男が、結婚。

 何の前触れも噂も無く、女を――

 それも、この目の前にいるとんでもない(恰好の)美人を。

 事件であるその瞬間、隣にいる主婦と目配せをし合い弾丸のよう役場の外へ飛び出す主婦が居た。きっと現場での情報収集と第一報の猛烈な世間話に分担したのだろう。その上、残った住民と役場職員たちが各々の知己と目配せでありとあらゆる意思を確認し合い、受付の女性職員に『事実確認を!』と突き刺す視線が送られている。

 その女性職員は、猛烈な盛り上がりと緊張感に包まれながら、背筋を正し、

「……婚姻届け、は……そちらの女性とですか?」

「……ああ、そうだ」

 的確な業務を行った。

 それに周囲の観客はうん、うん、と外さない堅実な仕事に玄人目線で渋く頷き、同時にチラリと当のノーカをさり気なく確認する。

 男としては資産以外中々の事故物件であるご当地犬が――金髪ストレートのロング、毛先から前髪まで真っ直ぐ横に綺麗に切り揃え整えられたいかにも厳格げな女と、特殊プレイスタイルでの入籍を希望していると。

 これはまず罪を疑わなければなるまいと、厳格な視線でそこに居る大体全てが女性職員に更なる尋問を顎先で希望した。皆で証人になろうと聴覚に最大限の力が割かれ、職員に至っては全員が熱心に仕事をする振りをして放棄している。

 女性職員は、表情を動かさずゴクリと唾を呑み込んだ。しかしただ、委託とは言え一応公的職員として聞き捨てならない事もある。

「それから……個人証明の新規取得もですか?」

「ああ。順序でいうなら逆なのだろうが」

「……そうですね。その通りです」

 まず戸籍――国籍があるからこそ法に基づく結婚が出来る。人として、役場として彼女に処々のサポートが出来る。その、婚姻に伴う転居――移住による登録の移し替えではなく、完全新規の登録ということは――


 女性職員は卑猥な姿のアンジェを、別の理由でちょっと訝し気に見て、

「……どういったご事情ですか?」

 その個人が存在しているというデータ自体が、まだ存在していない、ということ。

 そこで、アンジェはそういう怪しい人物なのだと女性職員は認識を改めた。

 それまでの珍事に浮き立つその表情を戒め、真面目な目でで二人の事を見つめると、代表してノーカはその事情・・を説明した。

「……つい先日、自分の管理する土地に成層圏から彼女が落着した、それでかどうかは分からないが、記憶の大部分を喪失しているようで素性が全く分らない、遺伝子含め検査させたんだが、滅んだ星系の有翼人種であることまでは判明している。医者の見立てだがこれがそのデータだ。……おそらく気を失って長い間宇宙を彷徨い、流れに流れここまで来たんだろう」

「……そ、それは……」

 それは、女医と考案していた装設定カバーストーリーである。その診断結果や遺伝子データはほぼ作り物だ。

 宇宙から落ちて、の件に関しては嘘偽りなく本当であるし、その証拠となる落下痕は今もノーカの畑に刻まれているので、調べれば簡単に証明できる。

 その衝撃的ストーリーに、女性職員はリアクションに困った。

 疑う、疑わない以前に、はたして気を遣えばいいのか。そのトンデモ事実が真実であるなら中々の悪運ハードラックとの踊りっぷりであるが。先程からの彼女の視線が全く軸ぶれしない無表情と神々しさはその中でなにか悟りでも開いたと思えなくもない信憑性にも見える。

 ……その、卑猥な衣装の所為で幾分台無しだがと、目がつい上下の横道に逸れるが。

 しかしつまりは、それが真実だとして、

「……いったい、どちらからの遺民、棄民、難民なのでしょうか?」

「さあ? その辺りは分からん、何せ、長い宇宙漂流の所為か、本人の記憶が無いからな」

「……そ、それは……その……そう、でしたか……」

 どう言葉にすればいいのか、謝罪も励ましも追い付かない悪運を通り越した喜劇染みた不運である。宇宙漂流なんて、死刑が生温く感じる様な拷問だという。

 だが、その状況はどうにか納得した。現自治体に於ける戸籍を含めた個人証明を新規取得する理由も分かった。

 既存人種としてのデータも医者の証明書まで添付されているのだから疑う理由はあまりないと思いつつ、マニュアル的に、早速ノーカから受け取ったデータを手元の端末で確認すれば確かに、彼女の種族としてのデータは過去存在した星系ごと消滅した有翼人種と照合される。しかしこれではそこから先――彼女がそこに存在した、住民としての登録データはどうにもならず、精々落ちるまで脱出ポットで冷凍睡眠か、どこかでひっそり暮らしていたのかとしか分らない。

 親類縁者なども絶望的だ。顔写真で捜索しても、広い宇宙での効果はたかが知れているだろう、だがなにより、

「……空から落ちて来た女の子と、それを助けた男……運命の出会いね……」

 ロビーで老女がうっとり呟いた。それにうんうんと、他の女性職員たちもカブりつくよう頷きを返す。

 ――疑い辛い。そう思うもの、しかしその受付女性職員は一拍だけ考え、

(……ま、いっか) 

 正直、そう偽装しているという可能性も視野に入れていたのだが、日頃のゆるい職場の雰囲気、退屈な仕事、そしてゆるい勤務態度も相まり判断力まで緩まっていた。

 むしろこの珍事をエンジョイした方がいいという勘さえある。

 娯楽の極端に少ないド田舎だけあって、正直彼女も気になっていたのだ。

 目の前にいる有翼人種の美女に、そんなナニ着せて、ここに来るまで一体ナニしてきたんだ。出会って一日経たず何をどうしてどうなったらそんな格好になるのか、むしろそっちの方が多大に知的好奇心が騒いでいる。

 その女性職員が職務的心構えを失い私情に走ったのをノーカはその目の爛々とニヤケたした輝きから読み取った。


 偽装結婚には最適な状況である。

 厳しい軍規の中で生きて来たノーカにとってそれは内心呆れたものであったが、これ幸いと素知らぬ顔で次へと話を進める。

「……それでどうなんだ? 手続きは大丈夫なのか?」

「あっ、――そうですね。そういったご事情でしたら手続き審査の類は短く済みますね。ご結婚なさるんでしたら、彼女の当面の生活費の工面を始め、こちらに移住する場合の様々な可能性など……たとえば、器物損壊犯罪等の何かをなさった場合の賠償等、問題解決に対し、伴侶となる貴方がある程度の保証になりますので――はい」

 保証ではなく、補償だろうとノーカは思うが、

「そういうことだな。なので手続きの費用は今ここで俺が。そしてこれからの義務と権利と――刑罰、賠償に関する事項は必ずその都度どうにかすると約束する」

「――かしこまりました。では、所定の金額の納付と、これから一定期間における所得と納税の証明は後ほどのご申告として……素行、信用調査は省かせて頂きます。それではご本人様からの意思確認を」

 ここで、これを法的拘束力として証明する、に当たっての、というやりとりで。

 当人たちは決して強制されていない――結婚に対しても、移住に関しても。書面を通す上で必要な意思表示の催促である。社会的弱者への婚姻というシステムを利用した人権の侵害行為、強制労働や不当な身柄と精神の拘束といったそれ防ぐための――最低限の確認だ。

 それを彼女の口から実際に表明させるべく、ノーカは静かにアンジェを前に押し出すと、彼女は非常に機械的に真っ直ぐな視線で女性職員を見つめ、そして軽く手を重ねて一礼する。

 すると、

「……初めまして、アンジェと申します。こちら方には命を助けて頂いた折り、大変お世話になり、これを感謝しております。この上、そこで好意を抱き、彼の生き方を知り感銘を受け、この度の婚儀の申し出を受けました」

役場に居た、ノーカ、アンジェ以外の一同は、一先ずそこに居るご当地犬の事を見た。

 ……感銘?

 と。この土地に来てからの彼の生活ぶりのみを知る者や、そうではなくその過去を知る者も、衝撃とか壮絶とかドン引きとかではなく――感銘? と。

「……なのでできるなら、この命と共にあり、可能な限り時を共にしたいと思いこれに及びたいと思っております。……それに、畑を台無しにしてしまって……出来るならその罪を濯ぎ、恩を返したいとも思っております」

 今度はアンジェを見た。

 本当に、マジで『死が二人を別つまで』というアレであるかとアンジェを見た。

 それをこんな辺鄙な村役場で、こんなご当地犬に対し恭しくも厳粛に言い放つかと。恩返しのくだりにしても――厚意に厚意を――という免罪符で、気を遣わせ合う背徳感が更に好意を燃え上がらせる、愛したい、けど愛せていない、という非常にビターなラブロマンスの模様である。

 それは受付女性職員も感じているのだろう、だからこそ、さあ、もっと具体的に! と大変盛り上がったその視線にノーカは、逆に彼女が余計なボロを出す前にこれを打ち切ろうと、

「……聞いただろう、だから出来るなら、静かに、ここでの穏やかな生活を送らせてやりたい……」

 いかにも、彼女は酷い目に遭って心が擦り切れ疲れ果てている、と。

 この話――騒ぎ立てるもんじゃないと。

 雀、五月蠅い、と言ったつもりだが、そしたら今度は沸き立たずにOh……、という感嘆の表情と熱に当てられた眩暈を表現し静かに盛り上がった。

 それは期せずして、口下手な男が口数少なく女を庇う――需要あるロマンであった。挙句その直後、

「……いいえ。私はせめて、あなたにこの身一つ、全てを捧げたいと……」

 放たれた、拘束具ボンテージ姿の女性からの献身且つ従順なセリフに、と奥の男性職員が一人鬼気迫る顔で立ち上がったが上役の一人がそれを手の平で差し止め、まだだ、まだ手を出すなと席に着かせた。法に触れたという明確な証拠はまだ無い、ノーカがそれを示唆したわけでもない同意の上、まして自発的なそれであるなら完全に合法である、精神の拘束を主張し逮捕権を主張するにはまだ早い――

 しかしあまりに従順で献身的過ぎるアンジェのそれに、先程まで喜色満面だったロビーの年増の女性陣も、

「――そんなの気にするな、くらい言いなさいよ、ケツの穴が小さいわね」

「バカ逆でしょ? そうやって何でもない理由でお互いにお互いを縛り付けてるに決まってるじゃない!」

「やだっ! ズブズブじゃない!?」

「ズブズブってナニがよ」

「ナニによ!」

「いやぁあ!?」

 と意図的に聞こえる小声で内緒話をしている、それを聞こえないふりをするノーカだが、――チラリと、これでいいのかとまたノーカを見やるアンジェに、彼は何故ここまで自分達の言動で盛り上がったのか、そこは全く分かっていないが、当人の言動を無視し勝手に沸くそれに眉間に皺を寄せつつ、静かに頷きを返した。

 

 少々予定外の反応リアクションで観客が進行しているが、台本は滞りなく消化している。なにより書面を取る為の意思確認として問題があるわけではない。

 ノーカは今度こそこれで話を終わらせるべきだと、受付女性職員にいつも以上の仏頂面を向け、

「……というわけだが、何か問題はあるのか?」

「い、いえ……ええっと……、な、無い、ん、ですよね?」

 念押しされたそれに女性職員は、しかしアンジェのボンテージ衣装をチラチラと見て、本当にこれで倫理的に何の問題も起こしてないの? と目で問う。

 それにはノーカも、アンジェの卑猥な姿を上下に眺め、諸悪の根源を思い返し、

「……察してくれ」

「何がですか!?」

「趣味の問題だ」

「そ、それはそうですが……」

 女医の、というそれを削除したその言葉を職員はどうにか察しようとし――やはりその拘束具を見て、

「……ど、同意はあったんですね?」

 直接的過ぎだ! と職員の上司が慌てるがしかし、

「……とてもやさしくしていただきました」

 もうハッキリ言ってただのSMコスチュームであるそれで――逆にどういう意味プレイだろうかと! とても、やさしく、とは!? と。

 それに先程この世の理不尽に怒髪冠を衝いた一人の男性職員は机を全力で殴りつけた直後、額を掻きあげながら天を仰ぎ床を蹴って部屋を出て行った。

 挙句アンジェはそこから全てを語らず、あとは『この人の本当の気持ちを聞きたい』という一心に見える、ノーカを見つめる挙動をした。ただ無表情のそれ、期せずしてその感情を耐え忍び必死に隠しているように見え――続けてまた一人、独身男性の職員が席を立ち給湯室へと行き、思い切り水を流す音を立てながら張り裂けんばかりに人外の奇声を上げた。

 この世に一つの獣、否、悪魔が影を落とした。

 どうやら彼は女性のアブノーマルな嗜好には否定的な思考であった様子だ。

 それを見たひとりの婆が、

「分ってないわね……女は愛する男にだけは狼を求めるのよ……」

 いかにも経験豊富気なその言葉に一部女性陣が大きく頷きを返す姿に、男性陣は目を逸らしたり、瞑目し、黙って一回だけ頷いたりした。

 それを何故そんなに盛り上がるのか、ノーカは脳内で問うが次の瞬間――で? と言う視線を役場職員とご近所さんたちに向けられる。なんだ、何を催促されているんだとノーカは数秒戸惑うが、これまでの彼らのその挙動を読み解けば、それが自身からのアンジェへの何らかの回答アクションを待ちわびているように思える。

 だがなんだ、一体何を言えばいいのか、というその問いに、ノーカ自身の脳内の知識、そして経験がそれを捉え一瞬の閃きを与える。

 自己開拓の為に見ていた様々な文献、そしてサブカルチャー、その中の一節、映画と本の世界における愛する者への告白の一例――その数々の中から、

「……こんな俺でいいのか?」

 役場が大きくざわついた。かなり、沸き立っている、しかし静かだ。まだ何か言葉を臨んでいるような。ゴクリと固唾をのんで見守っている――

 それにアンジェは、

「――はい。あなたしかいません」

 奇跡的に、アンジェもその中にある何かを引き出し、そう答えた。

 そして、

「……」

「……」

 そこから先が続かなかった二人に、周囲が消沈気味の嘆きリアクションを取った。

 何が足りなかったのか。何が、何が足りなかったのか。

 ノーカは全くそれが理解できないが、

「――だから狼よ!? こういうときは狼になりなさい狼に! 男でしょう?!」

 ぐわっ! と行くのよと先ほどの婆が猛烈にそう叫ぶが、まさかその慣用句的なその意味そのままにこの場で彼女を性的に食えという意味ではあるまいとノーカは思い、散々思案した挙句、口パクで必死に何かを伝えようとしてくる奥の年配男性職員の唇を読み――それが四文字の単語を模っていることに気付いた。

 ああ、それかと。そしてまたアンジェに向き直って、

「……愛してる、……俺と結婚してくれるか?」

「――はい」

 『LOVE』ここにその当人たちのその意思が証明された。

「――おめでとうございますっ!」

 それを確認した受付女性職員が大げさに賛辞を贈ると同時、他の職員はいつの間にか握っていたクラッカーを一斉に撃発した。


 火薬と紙テープ、そして小さな紙吹雪のライスシャワーが役場の中に飛ぶ。

 そして、

「――おめでとう!」

「おめでとう!」

「いやあよくやったよ!」

「この歳になってどエライもんが見れた!」

「ああ、すごいもんだ!」

「……信じられない」

「本当にすごいわ……」

「これから幸せにね」

 歓声が涌いているが、何故だか一部、他意も感じる。

 そして最後の一押しをした男性職員が一番称賛を浴び肩を叩かれているのは何故か? やはり、一体なぜ他人の慶事そんな熱狂的に心から喜べるのかノーカには意味が分からないが。

 隣人として割と親切に、人間として不器用だが誠実に生きているノーカに皆割と気を揉んでいた。確かに娯楽にも飢えているが、だからこそのバカ騒ぎでもあった。

 それにおざなりに礼を返すが、ノーカはそのことには依然として気付かず。

 遅れてアンジェも、何事かとそんな住民たちを見回して、

「……これはこういう文化なのかですか?」

「……いや、かなり特殊な事例の筈だ」

 多分――とその特殊な事例本人であるノーカは自身の心の中に付け加えて。

 確かに、二人の意思を確認した受付女性職員は一時騒ぎから席を外し、カウンターの内側、端末に各種書面を揃えて戻り、二人の前に差し出した

 そして、

「――ところで保証人の都合は付いておられますか?」

 新たな壁にぶつかった。

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