第8話 空から落ちて来た嫁と、結婚を決めた日の事。
カツ、カツ、カツと、女医の足音に置き去りにされながら。
正体不明、有翼宇宙人仮称アンジェ、渡航目的、言語に不安アリ。
を前にして――自分が拾った、拾ってしまった。背中に翼が直生えした妙に神々しい光を放つそれに無言で向き合った。
まず席に着く。ベッドの脇、彼女の隣に、つい先程まで自分が座っていたそれに、武器を握れるポケットからあえてその手を抜き取り自身の無用な緊張を除いた。
警戒している、と相手に悟らせない為だ。あくまで普段の自分を引き出し、力を抜いて彼女に話しかける。
「……で、何が知りたいんだ」
「……あなたのことを」
「…………ああ。俺はノーカ、今は農業をやっている元兵士で、アンタが宇宙からうちの畑に落ちて来たところを保護してここまで連れてきた、種族はただの人間だ。歳は三十五」
「……」
「……他に何か知りたいことは?」
「……アナタは、何を為しているのですか?」
「……何を為す、と言われてもな、特には何も……仕事ぐらいだが」
「しごと……のうぎょう、ですか?」
「ああ。それ以外にも
「……それで、なにがなされるのですか? なにをなされるのですか?」
「……他にこれといった目的はない……金を稼ぐ為、生きる為、それだけだ」
「……」
「……他に何か気になることは?」
「……いえ」
アンジェは、感情を窺わせない、無色透明な無表情一辺倒で。ノーカは、確かに口で会話をしているのに、目と目でテレパシー、通じないそれをしているような気分に陥る。
ノーカはそうでなくとも拷問や尋問は苦手だという自分のスキルを思い出しやや後悔しつつ、しばらく時間を稼がねばと他の話題を探す。身元不明の彼女にとって今この状況で自然な話題はなにか、と、
「……これから、あてはあるのか?」
「あて――?」
「仕事や生きる上での糧、食料を得る手段や住む場所などだ」
「……ひつようなのでしょうか、それは」
「……必要ないのか?」
「はい、ありません」
「……そうか……」
ノーカの中で、目の前の有翼宇宙人がかなり怪しい生き物になってきた。
極限サバイバルに長けたノーカでも衣食住は必要とする。最悪それを自分で手に入れる、作れるという意味でなら確かに必要ないとも言えるのだが、しかしそこでこの宇宙生物は眉一つ、毛筋ほども表情筋を動かさなかった。
これはもう飲まず食わずの野晒しでOKという気概――もしくは事実そういう生態だということだと仮定する。そんなもの、
ノーカの灰色の人間性で見てすら、かなりやばい生物だ。
いや、翻訳機の不調と言っていた。ならどこか根本的な所で会話が成り立っていないという可能性もある――
「……どうかなさいましたか?」
「――いや」
……その割りに丁寧な言葉遣いは、本当に翻訳機の不調なのだろうか?
自身に対する質疑――つまり知的好奇心はある、しかしまるで知識だけが肥大した大人のような歪さは、出来上がってすぐのAIの学習過程に通じるところがある。
人格移植を受けた生物兵器のような。
しかしノーカはそこで彼女を判断しようとはせず、しばらく途切れた会話に、不自然ではない会話として言葉を継ぎ足そうとし、
「……気分はどうだ?」
「? きぶん……体調、のことでしょうか?」
「ああ。それと医者の診断内容とは別に、これから先の不安とかそういうのだ」
「……わかりません。ですが――やくめは果たします」
「……役目?」
「はい」
アンジェを一瞥する。それが何なのかについては口を割る気が無いのか、自ら語ろうとはしない。ノーカは、その役目とは一体なんなのかと彼女に再度問い掛けようとしたそこで、
「――ノーカ! ちょっとこっち手伝ってちょうだい――っ!?」
溜息一つ、ノーカはなけなしの苦労が水泡に帰すのを感じながら、アンジェに断りを入れ席を立った。
声がした方へ向かう。ドアを開け診察室から出ると、その裏――診療所における備品倉庫、そして直接医療に関わらない研究設備――女医の趣味の領域に立ち入る。
一つのドア、鍵の施錠が外れている緑のランプ、人がいるサインのそこにノーカは足を踏み入れる。
自動で開いたその部屋は、女医の研究室なのかビーカーに試験管等の実験器具に数多くの薬品類が戸棚に並んでいた。
そしてその隅に女医を確認し傍まで行くと、そこで彼女は一台の古びた机とコンピューターに向かい、表示されるデータファイルを見つめている。
ノーカはその傍まで行くと、
「それは?」
「あの娘の遺伝子と国籍――市民権。……どっちも未登録かもしれないよ」
ドローナが僅かに退き、脇からノーカも覗き込む、そこには先程採取したのであろう今日の日付入りの彼女の遺伝子データ、それを高速で検索を掛ける%の目盛りが現行で動き続けている。
「市民権に関しては生身での移動ってことも鑑みて、この近隣の銀河に存在するデータだけだったけどそれでもヒットしないのはちょっとおかしいわね。で、既存種族かどうかを照合中だけど……ダメだね、まだ出ない……」
市民権――公的機関が保証する国籍、戸籍のそれがないというそれは簡単だ。
既に目の前にああして存在している人間が、記録上では存在していない、というケースで、それは幾つかあるが一番多いのはどこかの星の遺民、棄民、難民だ。
戦争が多いこの宇宙時代、何かしらの理由でそれを喪失してしまうことは多い、住基ネットへのサイバー攻撃や、戦争でそれこそ住む星、星系ごと登録データを失くすなどだが。
市民権、戸籍はいい。生き辛い、生活が困難というだけの話だ。
ドローナは椅子に座ったまま懸念する。それは遺伝子、この宇宙に新たな生物が確認されたという話で、概ね自然発生のそれの新発見か、人工的に新たに作り出されたそれの登録にわけられる。
前者は図鑑の登録とそれに絡む利権、後者は主に商品としての特許が絡むのだが。
遺伝子が未登録――そこに登録が無いということ。自然発生のそれならあまり問題は無いが、もし後者であった場合が面倒だった。
失敗作を違法投棄するなんてざらで、それが事件を起こすことも多くある。仮にそうだとしたら宇宙から落ちて来た状況を鑑みるにアンジェは廃棄された可能性が高いだろう、しかし彼女の状態を見るに生物として表面上はおそらく不備はない。
なら、何らかの完成品であったとして、それが何かの意図で製造されそれを登録せずに運用、または使用しているのだとしたら――その目的ななんだろうか?
そこにいったいどんな如何わしい理由があるのか、という話だが。
特に人型の知的生命の場合、これが人権などの問題にも波及する。
物であるか、命であるか、人であるか、という問題だが。
ここで重要なのは、市民権にせよ、遺伝子登録にせよ、そのどちらも存在しない場合この宇宙に存在する上での法的保護、保障が適用されないということである。
つまり彼女は今、他人に何をされても人としてその罪を問えず、逆に彼女に何をしてもその人間は人として罪に問われないということだ、これがどれだけ危険なのかはいわずもがなだ。
が、しかしそれ以上に、彼女は今――
法的に、遺伝子として登録、保証されていない存在、生物は、危険と判断されればすぐその場で
ノーカにも、これがどれほど危険なのかは想像に難くなかった。
「……とりあえず見た目からして有翼人種であることは確かなんだろうけど、それにしてもこの見た目で
学者としてのマニアな見識はこの際どうでもいいと、ノーカは、
「……で?」
「――ま、戸籍はここで取得すればいいし、新人種としての登録もすればいいけど、それまでの生活が問題だね……情報を聞きつけたバイオ企業や裏社会に確保されなければいいけど」
最悪、殺処分、ということは分かる。と、表情を動かさずにいると、
「……あんた、心は痛まないのかい?」
「……そのときは運が悪かったとしか」
自分がこういう人間性をしているというのを知っていて、このニヤケた女医は何が言いたいのだろうかとノーカは訝し気に彼女を見る。
法的に保護されない、という部分を差し引いても未知の生命体、その遺伝子情報の管理は厳密にされるべきだろうと思う。現状で問題のある遺伝子、菌、ウイルスの保有者ではない事は確定していてもそこから更に多種と交わり伸びしろとして危険があるかもしれない。
その所為で様々な事件、惨事、種族間戦争が何度となく起き――増え過ぎた人口を減らす為に殺人ウイルス爆誕、逆に減り過ぎて増やそうとしケモ耳が大増殖。あげく触手、鱗、粘液人間まで当たり前で、もはや人体に拘らず電子生命化や物質に依存しないとして純知的生命を名乗る光る玉、行き過ぎた文明に追随する精神を得る為の心と心で分かり合う超能力者計画など……その凄惨な歴史は推して知るべしで、そんな中残ったのが今の宇宙と、異様に多様な宇宙人類種である。
その内何割が生き残ったのかなど心の問題以上に“時の運”としか言いようがないだろうと。
そこでノーカは眼で見て物を問うのだが、機械人種の医者は文字通りその無機質な眼と頬でケタケタと相好を崩し、
「……まあなんにせよだ、その審査を受ける間アンジェちゃんはこの近所に居る誰かの世話にならなくちゃいけない。――しかし彼女には頼れる家族や友人知人なんてものは今ここには当然居ない、もちろん手持ちの現金もマネーデータもね? さあ、あんたならどうする?」
「一先ず自治体からの生活保護を勧めます」
「それはどうだろうね? ここの自治体、住民が定数集まらなくて参加した企業に処々の権利ごと運営丸投げされたほぼ独立運営自治だよ? すぐに親企業に検体の一つとして売り渡されて終わりだよ? ――ああ! 可哀想に! アンタが助けたお姫様は放置プレイで無慈悲に血肉を啜られその生涯を終えるんだねぇ?」
むしろこの女医の方が如何わしく邪悪ではないかとノーカは思うのだが。
「……どうしろと?」
「――アンタが世話をするんだよ」
「何故ですか」
「この辺りの人間で余人を抱えられる家がどこにあるんだって言うんさね。みんなのんびり貯金と年金切り崩して生活してんだからね? そうじゃないとこも将来の積み立てでてんてこ舞いさ。――人様に恩を売る余裕のある比較的まともなのは一体どこの誰だと思う? なによりそんな面倒臭いのを拾っちゃったのはどこの誰様なのかしらぁ?」
他人様であって欲しいと思うが。確かにその通りだと思う。
ノーカは近隣の住民たちの姿を反芻する。その姿は、自分の人生を、時間と金と、生活の余裕とをトレードオフで謳歌するので精一杯――
そこに、自分が拾ってしまったものを自分が放棄しぶち込めるかと言ったら、心理的に抵抗がある。
挙句、自分はあくせく毎日働き、比較的良い収入を持っている。それも用心深く必要のない浪費はしない生き方をしている為、貯蓄はここに来た当初のその上限額をかなり大きく更新し、もう一人くらいなら余裕のそれだ。
「……」
「更に言うならアンタ元軍人だろ? 万が一、怪しい生物が敵対したとしてそのときすぐ的確に対処できるのは誰さ」
確かに、ノーカには他の住民たちと違って軍歴――戦闘技能と、それを行使すべき正しい知識、それを持つのはノーカだけだ。
他はどう足掻いても素人に毛が生えた趣味の格闘術や護身術程度。
それに的確な対処が出来るのは自分だけであろうと。
「…………むぅ」
ノーカは
だから――呻ることしか出来なかった。
二人して診察室に戻った。
女医はアンジェの脇、ベッドの隣に置いた丸椅子に座り、遅れてノーカは部屋の入口隅に若干眉間に皺を寄せた表情で佇んだ。
そして女医は口を開く。
「――あんた、よかったわね? こいつがこれからアンタの面倒見てくれるってさ」
「……それはどういうことなのでしょうか?」
「どうもこうもないさ。あんたはこれからこいつの家で生活するって話」
「……左様なのですか?」
「……ああ。そうなった」
ノーカは、不承不承やむを得ず、という言葉の羅列を読み取らせないよう顔に努めさせたそこでしかし、
「じゃあ、あとはこの娘の戸籍作りに役場で入籍してきな」
「……」
一呼吸、
「………………入籍?」
ノーカはまた――何か聞き捨てならない言葉を聞いた気がした。
そしてゆっくりゆっくりと女医に振り向く、すると彼女は確信犯の顔でニタリと笑った。
一体どういうことかと、女医に目で訊ねると、
「それが一番手っ取り早いんだよ、新人種でも人工生命でも遺伝子登録して戸籍を作るにしてもどっちみち審査の段階でその情報があちこちに漏れるだろうし身内の居ないそれなんてすぐに周りを危険な輩に取り囲まれて終わりだよ。 ――分るかい? 眼に見えて分かりやすい身内が要るんだよ」
分らないわけがない、だかしかしニュウセキ、にゅうせき、入籍――結婚、婚姻に相当する法的行為の筈であると脳に確認を取る。……家族になるということだ。
こんな人格破綻者にそんなこと無理だろうと思うその状況下で、女医は更なる邪悪な声でその脳をパンクさせるよう論理を積み上げる。
「だったらもういっそ――遺伝子データだけアタシが偽装して完全に滅んだ星系の遺民なり棄民ってことにしておけばその辺データ漁られたとしても
それに近所のジジイ共があんたの要らん嫁の世話焼こうとしてただろう? そういうアンタの嫌いな面倒事も一気に諸々省けるよ? アンタだって面倒臭いのは少ない方がいいだろう? 役場に出す遺伝子データは私がでっち上げておくからさあ?」
確かに、幾分そういう緩い法律がある。それは今日、戦争で遺民、棄民、難民が増えた結果の人道的救済措置だ。だかしかし、と思う反面、
「あとそれからねえ……なんだかんだここにいる連中は気がいいから、この子の事を知れば結局放っておけないと思うんじゃないかねえ……特にあのお人よしのライト星人の一家は……」
ノーカの脳は、もう、そうか。と脳内で相槌を打つことしかしていない。
結局自分が彼女を放り出せば、恩人たちに迷惑を掛けるのかと。
それともう一つ、
「さあ――伸るか反るか」
「…………一つ確認が」
「なんだい?」
「……アンタは、こいつの体に何の興味も無いって言うんだな?」
「――無いとは言わない。けど研究者以上にあたしは医者なんだよ」
この女医が利己的な理由で彼女を手元に置こうとしているのではないか、というそれだったが、真剣に、医者として仕事をする時の目で言われノーカは納得した。
だからこうまでしつこく、そこにある命を助けようとしているのかと。
それから渋面で思案した。だがこれは歴とした不法行為、しかし信用できる
確かに、安定収入が増えたからと近所の老人は疎か役場まで所帯を持たせよう婚活プランを提案され面倒ではあった。
そう思えば、悪くはない。面倒ごとを一つ背負い込むことになるが、自分のそれも一つ片付きそれ以降は平穏な暮らしが待っている。
それは悪くない……そう思い、渋面のまま頷きを返し、
「……いいだろう」
「ていうことで、アンタ、この野暮天と入籍するからね?」
「……ニュウセキとは、なんなのでしょうか?」
「――それは夫婦になることさね」
「フウフ……」
「人間社会における野生動物の番、精神面や経済面を支え合い、セックスをして交配を行い子孫繁栄――人生という名の共同体を築く間柄だよ。まあ偽装だからそこまで本格的にしなくていいんだけど」
「……それでよろしいのですか?」
ノーカを見て意思確認してくるそれに、同じく意思確認をする。
「……それはむしろこちらが訊きたいことなんだが」
「……私の行動が保障されるのであれば、望むべきことです。ですがなぜ、アナタはこれを了承したのですか?」
また、逆に問われたノーカは嘘偽りなく、
「良いも悪いも無い、俺は俺なりに利益があるからだ。そっちは……せっかく生きているんだ、真っ当に生きたいならこの女のいうことを聞いておけ。そんな世話にならなくても生きて行けるのなら一人で生きればいい」
ノーカは一応、省かれているだろう選択肢も提示し、それから、
「だが、俺と生活するなら苦労するぞ?」
「……それはどのようなところにでしょうか?」
「……おおよそ全てにだ。それはお互いさまかもしれないが……」
結婚し同じ居に構えるのならと、彼女に前提に置かなければならない懸念も告げると、アンジェは感情を窺い知れない瞳で真摯に思案したようノーカを見つめて、
「…………構いません、それでよろしく御願い致します。私も出来る限りの事はいたしますので」
「――分った。俺も出来る限りのことはする」
ノーカもまたそれに真摯に応じた。自身とはまた別方向で無感情なそれ――アンジェの眼に、しかしどこか誠意のような、一抹の良心のようなものを感じた。
そして、それを傍目見守る女医は、不器用ながらも真っ当な結婚直前の会話に、二人の相性の悪くないものを感じる。
案外、このまま本当の夫婦になってしまうのではないのかと。
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