第6話 かつての青年は、もう中年であった。

 ノーカは自宅に戻り、誰もいないドアを開けた。

 中に入り、しばらくして酒瓶とグラスを片手に、また一人、夜空の下に戻って来る。

 玄関先から横に広がる軒下のウッドデッキ、その隅に置かれたテーブルに瓶とグラスを置き、すぐ取れる位置に逆の手の宇宙ショットガンを置く。

 それからイスに腰掛けた。武器は常に手が届く場所に――それは軍籍以前からの癖である。

 そうして、農作業の合間に泥を落とさず休憩を取る為のそこで、ノーカは小さなグラスで琥珀色の液体を嗜もうとする。

 だが、そこでくつろぐのは、ノーカが好んで身に着けた癖ではなかった。

 師であるケンに言われるまで、ノーカは仕事中、地べたに何も敷かずに座り食事を取っていた。座るならまだマシで、億劫なときは農機を運転しながら片手にパンとチーズをそのまま喰らい、水分補給も水なんて飲まずその辺のトマトを歩きながら毟り取ってガブリである。それを見たケンが、


 ――ちゃんと休め。

 

 と言った。

 更には、野良犬なのか、蛮族か、それともバカの仕事中毒ワーカーホリックかと窘められた。

 その全てみたいなものだと。それが当たり前だった前職と経歴について掻い摘んで話すと、ケンはいぶし銀ではない渋い顔をした後、その自宅から余っていたこのお古のテーブルを無造作に設置した。そして、


 ――もう少しひまを持て。


 と、独り言のように言って、そこで、


 ――休め。


 と、今度は目を見て完璧に犬扱いで。

 そこに座らされた。

 最初は意味が解らなかったが、職業的上位者からの命令に従った。

 ただそれでも、また作業をするならこれまでの自分のやりかたの方が効率は良いと感じていた。

 が、それを見透かしたように人生の先達は、


 ――お前の人生は、そんなに急がなければいけないのか?


 言われたノーカは、その言葉に衝撃を受けた。

 自分は急いでいたのか? と。そこでこれまでの自分を顧みて、しかしそうとは思えず、しかし反論できず、しかし分からず、黙るしかなく仕舞いには自分の人生に於ける新たな師の言葉をただ順守するしかった。

 以来、そこがノーカが暇な時の定位置になった。そして、ここでこうして酒を飲むのは決まって、自分の人生について考える時だった。

若い娘が将来について悩んでいるのを見て、触発された。

 仕事の付き合いで貰った酒、それをテーブルの、置いた小さなグラスにトポトポと注ぎ……睨みつけるようにしばらく眺める。

 と、そのまま捨てるわけにもいかないと口に含む。

 琥珀色の液体を舌で転がすが、喜ぶような味はしない。

 旨くはない、むしろ不味い。常に思っていた、酒は味覚として合わない。

 だから人が目の前で飲むそれの一体何が楽しくて、何が嬉しいのか――何故皆で騒ぐのか、いったいそれの何が幸せなのかと疑問することが多かった。

 アルコールという味が自分の舌に合わない、単にそれだけのことなのか。

 だが、今日の様に温かな過程の騒がしい食卓を囲みながら、同じくそれを眺めながらちびちびと酒を嗜む師の姿にはほんの少しだけ感じるものもある。

 多分、美味い、不味いの問題ではないのだろうと。

 酔いたいのだろうと。

 ただそこに、良い酔いと、悪い酔いがあるのだろうと。

 しかし――

「……本当に美味いのか……?」

 何度も舌で転がしたが、その結果は変わらない、酔いを抜きにしても好む人間が大多数を占めるのは何故なのだろうか? やはり自分にアルコールは合わないのだと思う中、ノーカは今日を振り返る。

 にぎやかだった、騒がしかった。一仕事終えた。

 そこで何を感じたか――特別な何かは、何もない。

 それはここに来る前までと何も変わらない。

 ただ、穏やかではあった。その代わり自分自身に変化は何もない。

 そのことにノーカは何も無い宇宙でぼーっと遊泳しているような気分になる。

 どこに向かっているのかも分からない。当てのない漂流、宇宙でこれほど怖いものはない。ただそこを泳ぐ、という目的でも持っていない限り。

 上も、下も、横も、前も、何も無い、真っ暗なそこをただ漂うのだ。

 それと同じだとノーカは思う。目標も、動機も、理由も、目的もなく、兵士を辞め、開拓者になり、土地を開いて農業を始めたが、農業をしていなければならない理由もない。だからまた誰かや何か――運命のようなものに出会ったらそこでこの生活も止めてしまうのかもしれない。……それでは結局かつての親代わりに言われたそれと何も変わっていないのではないのかと思う。

 軍人、否、生まれてずっとから兵士であったことは、命以外何もこの人生にもたらさなかった。だがそれ以外になっても結果、特別な何かがこの胸に生まれることは無かった。

 なら、この十年は一体何だったのか? 無駄であったのだろうか。

 そうかもしれない、と思う。しかし、

「……」

 ノーカは、改めて、ここに来てからの十年の生活を振り返る。

 農業に従事して、狩猟に手を出して、昔の杵柄を振り回しても、命以外の何か、特別な誇りや、喜びらしい喜びはやはり何も得ていない。

 それにせいぜい、無感動に、無機質に胸をなで下ろすばかり。

 だが、昔と同じだ、生きる為に何かが一つできるようになった。

 だが、それだけでは、いけないのか。

 しかし、それだけだ。今日も一日が終わった、ただそれだけの感覚で、これまで通り、ひたすら動き続けているそれだけだ。

 その中で、ほんの少し、常識を弁えられるようになっただけ。

 これでは、ほんの少し、普通の人間らしく振る舞っているだけでないのか?

 十年前、軍人の資質――それが無いと親代わりのクライウッドは言っていた。だが暗にこうも言っていた、真っ当な人間にはなれない、と。つまり自分は、何でもない、普通の人間になれない、ということではないのか。

 普通とは何だ。誰にでも、当たり前に感じれることを感じる事か。

それが分からない、と、ノーカは思う。


 ――一体今、何のために生きているのか。

 一体何が変わったのか。


 兵士であったことも、今この土地で農業他していることも、全ては生きる為だ。

 それでいいのではないのか。それとも、人は生きていく上で必ずそれ以上の何かを手にしなければいけないのか。

 今、生きている、自分にそれ以上の理由はないとノーカは思う。

 だが、それ以上のそれがあれば、そう思わなくもない。

 だが、それ以外自分には何もない、そう分かってしまう。

 だが、それが貧しいという事には気付いた。

 人生の幅、ただ生きる以上の力。

 それを、ただ何も感じずにいる、それは心の余裕とは別のものだ。

 それが、ないということに……だが、最近は、それになんとなく空虚さを感じていた。

 だからなのだろう、ほんの少しだけ、どうして自分は何も変わらないのかと疑問には思うようになった。

 どうして自分は、どれだけ動こうと――趣味を持とうと、興味を持とうと何をしても、その中で余人があやかる特別な感情――いや、特別ですらない普通の喜びですら感じられないのかと、手の中にある琥珀色の酒がグラスの中で星明りと共に揺らめくのをじっと見つめ、またそれに口を着ける。

「……不味い」

顔を顰める。

 そのまま少しずつ、またちびちびと舌を湿らせるだけの量を、舐め、ゆっくりと味わうが、

「……やはり分からん。……茶かジュースならまだ分るんだが」

 念の為に、豊潤と言われるその匂いを嗅ぎ――犬のようにまた顔を顰める。

 やはり自分にとって酒は決して旨いものではないのだと認識する。

「……これにも資質が無いのは確かだな……」

 その原因は、おそらくこの喉の趣味ではないのだと。

 それでも何故、そんなものを飽きることなく何度も嗜んでいるのかといえば、それも試行錯誤だ。幸せな家族を見て、その晩年とも言える中でそれを嗜む者を見て、真似できればと。模倣訓練というべきものだ。 

 普通の人間の喜びを得る為に、普通の、何の変哲も後ろ暗い所も無い、普通の人間の普通の趣味を――他にも真似して、少しずつ、少しずつ試していた。

 それが自分に合うのか合わないのか、体を使う技術と同じだ。最初は意味が理解できなくとも模倣し、反復し、繰り返している内にカチリと何かが嵌り、途端勢いよく動き出すことがある。だから興味が無くとも本を読んで、映画を見て、ゲームをして、独り身でも出来るスポーツの類もした。

 小さい頃のレナとそれをしたこともあった、これはほぼ強制イベントだったが、子供が楽しかったのであれば無駄ではない。

 時間を無駄にはしない、と言い聞かせて。

 結果は良いものではなく、淡白な結論しか出ないが。それでも何もせずにいていいとは思わなかった。

 何もしていないわけではない。


 ――だが一体どうすれば、自分は変わるのか。


 普通の人間が持つ、情動や躍動、衝動に欲求、渇望といったものに、どうしてこの十年何一つ巡り合えないのか。

 それをどれだけ検討しても、努力らしいことをしても、何も分からない。

 何も感じられないまま、淡々と日々が過ぎてゆく。

 それでも目下継続中で、更に続行するしかなかった。

 そうしてもう十年目――汚れが目立つようになったテーブル。

 塗料が剥げたところから木材が朽ちつつあるが、ノーカも自分で修繕出来る為、度々朽ちた部分を剥がして取り換えて使っている。

 そのテーブルで、最近そればかりを考える。

 一体、自分には何が向いているのかと。自分の喜びは、一体なんなのかと。

 自分の半分にも満たない少女は、それを見つけたようだった。

 ああ、良かったと思った、この子は見つけられたのかと。

 そこで劣等感や虚無感に苛まれることも無いのは幸いだった。他人には喜びがあって、自分にはそれが無いから、それで他人の物を羨む――そんなくだらない人間にはなりたくないとはノーカも思っていた。

 とはいえ十五歳の、子供以上、大人未満が、人生の喜びを見つけているというのに自分はまだグダグダグダグダしているのか。

 一体何をどうすれば万人と同じありふれた感情に至れるのだろうか、それをグラス片手に物思いに耽ると同時、

「……分らんな」

 懲りずにノーカはまたグラスから酒を舐めて、不味いと思う。

 その手に持った嗜好品を見つめる。大人になったら分かるとよく言うが、大人になってもその味が理解できないと思う、これのどこが美味いというのか?

 既に三十五歳、大人どころか立派な中年な筈なのだがと内心管くだを巻く。

 

 大人になって変わったことはなんだろうかと疑問する。

 とりあえず、先程からのよう、独り言が口を突いて出るようにはなってはいる。

 そう、誰も居ないのにまるで他人に向けるように独り言を口走ることがある。それが年寄りならではの行為、老化現象の一部であるということは話に聞いている。

 地味にダメージを受ける。

 歳を取った、そう、歳を取ったのだ。

 その現実に度々衝撃を受ける、何分ヒシヒシと感じている。

 たとえば以前より走れなくなった、最大速度はまださほど落ちていないが持久力は減ってきた、走り方を気を付けないと息が上がり易くなる。その上ほんの少しだが次の日に疲れが残るようになった。他にも遠くのものにピントが中々合わなくなったとか、あ、白髪一本見つけたとか、何だ、光の具合かなどとかなり下らないことに地味に驚いている。気づくと同じ事を何度も考えていたり、ふとその考えていたことをいつの間にか忘れてしまったりなんてこともある。

 そんな、自分より大人だった傭兵や軍人たちの口癖的症状をこの頃酷く体感している、これが中年かと。

 だがしかし、代わりに体を使った技術の類は以前より緻密に精密になった。狩猟時は勘も鋭く、気配の断ち方などもより自然になった。これは成長したといえよう、年を取ることでも伸びる部分も確実にあるのだと知った。

 これはいいことだ。思えば周囲の老人たちは皆自分より優れた知識と技巧の持ち主たちばかりで、中年になったということはそれに近付いているのだと思えば悪くない、無為に年を取っていたわけではないのだ。

 とはいえ。向上した部分はどれも衰えた力を誤魔化すか補うそれだ、まかり間違っても全盛を更新しているとはいえないのも確かである。

 それを思うと――これでいざ、これから何か心を動かされるようなことがあったとき、そこで十全と動けるのかとも疑問に思う。仮に今からまた――三十五歳現在のそれから職を変え、安定した収入を得られるのはまた十年後だろうか? 

 今ただでさえ体力が落ちているのに、果たして今と同じよう生きる糧が得られるようになっているのか……それを思えば十年前のあの日、二十五歳で職を変えていて正解だったのかもしれないと思う。


 やはり十年前に職を変えていたのは行幸であったのだろう。

 そこはほっとする。そこでふと思い出したように酒を口にし、思う。

 そうして、このままもう自分は変わらないのではないのかと。

 

 なら、一体どうすれば、自分は何を変えられるのか――


 ……いや、思考がループしている。

 不味い酒の症状だ、悪酔いというのだろう。

 歳のそれではない筈だ、そう言い聞かせて。

 ノーカは飲酒を止め、酔いを冷まし思考を切り替える為に大きく息を吐く。

 冷えた夜空に、それは微かな白い煙となって散り、無に帰っていく中。

 そして椅子に寄り掛かりながら星空を仰ぎ、深呼吸した。

 最初は深く、次いで浅く、徐々に徐々に、短く。

 肺に入った冷えた空気が、血の中から皮膚感覚を研ぎ澄ます。

 知覚が鋭敏になる。最中、ほんの僅かな時間での緊張と適度な弛緩――血流を淀みなく上げ、集中力を高め静かに呼吸を繰り返すとシンと耳が静まり返った。

 極限の集中と呼ばれる世界。その一歩手前の、脳に広がるような平静。

 だらりと腕を下げたまま、意図して人差し指を動かすと、銃の引き金と同じ感覚が確かにそこにはあった。幻視と幻覚、それを意図的に引き起こすレベルでのイメージトレーニング。椅子にだらりと座りながら、実戦での精密射撃時と同じに、弾道をイメージし、また引き金を引く動作を、そして呼吸を再現する。

 余計な感覚が消える――獲物を撃つ――思い出す――鳥でも獣でも、これまでほふった宇宙人類でもなんでもいい。銃声、鉛玉、光子、荷電粒子、それらが標的を穿ち、穴から血を撒き散らし、赤熱化、炭化し、倒れていく姿を――

 撃つ。現実とイメージの銃の反動と、そして弾道の差異――

 何度も、何度も、撃つ。その度に、ズレを修正する。

 想像を、現実に寄せていく。

 それぞれ、昔の感覚と、今の感覚と、現実との差異を探り――

 そこで終わらせる。

 あとは実地で試した方がいいと、そこで時間が遅延するほどの極限の集中力の世界から、意識と感覚を目の前に引き戻す。

 酔い覚ましの中で、気付くと兵士としての感覚が錆び付いていないことを確認した。

 そこまでする必要のない、そんなことをついしてしまって。

 兵士でいた方がよかったのか――ノーカはそう自問する。

 が、すぐにそうではないと結論する。

 軍時代のそれには劣るがそうでなくとも今も訓練自体は続けている。

 兵士に戻りたいわけではない。この、長閑のどかな田舎生活が嫌いなわけではない。この尊さは分かる。この尊い生活を守るために戦う兵士たちが掲げる誇りがあるのだと、その意味も分かる。

 だが以前、その立場に居てそれを得られなかったのは、この尊さの中に身を置いたことが無かったからだろうか。いや、基地で過ごす仲間との日々はそうではなかっただろうか? 

 信用の置ける仲間と上官、後輩、そこに大差があったのだろうか? 共に戦う仲間と、共に生きる隣人、同じ飯を食ったこの二つに差はあるのだろうか?

 やはり、この二つに身を置いた上で、そのどちらにも喜びや拘りを見出せていないのではないか。それは兵士であった時とそうではないとき――今と昔の境目すら自分の中に存在しないということではないのか。

 それではこのまま、ここで生活を続けても何も変わらないのではないのか?

 なら、これからもこの生活と仕事を続けることは正しいのだろうか。

 ……このままでいいのだろうか?


 酔いは醒めた筈だが。

 そんな疑問がいつまでも頭の中で渦を巻いていた。

 夜の空気が体に染み込んで来る。

 もう、今日の予定は何も無い、と、ノーカは腰を上げ家の中に戻ろうとする。

 傍に置いた宇宙ショットガンを片手に、酒瓶とグラスをまたまとめて一握りにし、玄関ドアに手を掛けたそのとき、視界に違和感が映り込む。

 軒先の遥か彼方――見上げる星空に赤い星が一つ。

 自宅から見える星図上、徐々に大きくなる存在しない星の瞬きに、ノーカは玄関脇の床に酒瓶とグラスを置き宇宙ショットガンを両手で持ち直した。

 そして、それをよく確認しようとウッドデッキから外に出て目を広げる。

 赤い星はやはり徐々に徐々に大きくなっていた、流れ星だ。

 燃え尽きずに星空を滑空している。その輪郭は点のまましかし徐々に大きく『・』から『●』に見えるほどになる。これは落下軌道が真っ直ぐ自分に直撃するというそれにノーカは慌てること無く僅かに横に二、三歩移動する。

 と、流れ星は赤い丸から炎と煙を尻に生やした箒星へと明確に変わった。よし、直撃軌道から外れたと、そこでノーカは待機した。

 断熱圧縮で燃え上がる超音速のそれが家のほんの僅か上空――

 間もなく、ノーカ頭上を……今。ゴヒュ! と横切った。

 わずか数秒、やや離れたノーカの畑へ――ズ、ゴォォオオオオオン!


 と。


 落着した轟音と衝撃波が。

 遅れて土煙が噴き上がった。

 豪風が吹き荒れたその瞬間、ノーカは大地の激しい揺れに咄嗟の低姿勢で体を固定した。刹那、オレンジのベストが淡く発光し、その体の周囲に球形のバリアを張りその体に当たるであろう飛礫を弾いていく。

 土石だけでなく、それにはノーカが育てたお野菜が幾らか混ざっていた。

 無念。そして横ではなく上へと跳んだ飛礫が弧を描き、時間差で雨のようパラパラと辺りに降り注ぐそれらが落ち着いた頃、小さなものであれば光速に達する宇宙塵デブリの衝突を余裕で防ぐ生命維持装置ライフジャケットが、安全を確認し、バリアを消した。

 そこでノーカは周囲への警戒を保ちつつもようやく一息、体を起こしながら土煙がまだ濛々もうもうと渦巻いている方角を見つめる。

 そして今度はそれが通過してきたであろう宇宙を見上げて、

「……自動迎撃システムの故障か?」 

 疑問に思いながら、危険ではないと判断され肩に積もった土埃を手で払い落とす。

 この惑星の周囲には、攻撃キラー衛星群が設置されている。

 例えば宇宙海賊、または隕石、それに付着した微生物、ウィルス等の不法侵入を防ぐそれが仕損じたのか。だがそれは無重力圏の内に対象を跡形も残らず破壊する仕様で、ちょっとやそっとの隕石ならば軽く物質以下の大きさにまで分解する。

 それを潜り抜けるとなれば、それなりの能力を秘めた――多くは宇宙海賊の艦艇か、強力な宇宙害獣の類である。


 ノーカはズボンのポケットから緊急用アルコール分解タブレットを口に入れる。

 そしてベストのポケット、その片方に入れっぱなしのペンライトを取り、光を照らした。

 これは面倒なことになりそうだ。

 そう思いつつしかしノーカはその落着が予想される地点へと足を向ける。この星域の開拓者――そこに棲む住民の一人としての業務だ。年間、周辺宙域を隕石がどの程度通過しまた惑星に落ちるのか、それは宇宙地価にひどく影響する。

 そう毎日何か・・が落ちるような惑星なら居住自体が出来ないだろう。

 そんな落着物の確認へと向かう。後ろの自宅は壁も屋根も窓も穴だらけだが、水やガス、汚物や火花等は噴き出ていないので行動の優先順位からは外した。

 幸い予想落下地点は直近の出荷予定の畑ではない、だが畑は土自体からまた作り直しだろう、生物汚染を鑑みれば下手をするとこの周辺一帯を封鎖し原子レベルで分解消毒する必要があった。

 それを思い、警戒し姿勢を低く宇宙ショットガンを構え歩きながら、ノーカは先程のよう気を引き締める。

 それが落ちたのはやはり家から一kmも離れていないノーカの畑だった。

 周囲の畑は、爆心地から外へ向かって殴られたようなぎ倒されてしまっていた。

 そこで土煙はまだモウモウと煙を巻きその周囲を分厚く覆っていた。

 目標ターゲットに近付いている筈だが、夜の闇に加えてのその視認性の悪さでまだ何が落ちたのか分らない。

 宇宙ショットガンの安全装置を外し、縦二連の下、実弾は薬室にシャコンと音を立て送り、上の光弾はエネルギーパックを発射手前の充鎮状態にして、トリガーを引けるように指をその近くに置く。

 落ちて来たのは一体何なのか、攻撃衛星を潜り抜けるほどの――宇宙害獣か。あり得ない固さのレアメタル隕石か。

 警戒するに越したことは無い。

 そんな中、ようやく夜風で視界が明き始め、うっすらと、夜空の星明りがちらちらと辺りを透かしていく。そこに見えたのは、夜闇に萌える青草が、所々焼け焦げた歪な楕円形。隕石か何かの落着時、土が捲れた跡だ。――その寸前から超音速の落下物が大地を擦って削った短い通り道と、落着した直後の衝撃と慣性を肩代わりした土を深く沈め、同時に外へと弾き飛ばしたそれだ。

 そこから先に、煙が立つ様子はない。なぎ倒されている作物の上も、何かが弾み転がった跡もない。落着地点の畑の柔らかい土にそのまま潜り込んだのだ。

 ノーカが全周囲の音に耳で気を配る中、くすんだ煙が更に夜風に煽られ消えていく。

 そして、ノーカは鋭く目を細めた。


 夜闇の中、星灯りのよう、微かに瞬く不可思議な光が見える。

 それは、ふわふわ、ふわふわ、と、まるで羽毛のような。

 光――光を纏った羽根が、いや、羽根の形をした光が、淡い燐光のように夜風とくすんだ煙に混じり、あちこちから舞い降りて来る。

 長らく風で舞っていたそれが、ようやく落ちて来たのか。白金色に輝いているそれに一瞬だけ気を取られたノーカだが、またすぐに別の方向へ眼を鋭くする。

 歪な楕円のクレーター中央、まだ底に溜まった土煙に何かが揺らめいている。

 警戒しつつ、近づいて見る。一見して、それは複雑な布のように見えた。

 焦げた土で汚れているその合間から、か細い手足が伸びていた。半ば畑の土に埋没している布のようなものがやがて力を失ったようふわりと綻びを見せ、その奥に、更に人の頭らしき陰影をノーカは確認する。

 刹那、更にはらりと崩れたその内側――輝く様な純白の羽根が広がった。

 複雑な布だと思ったそれが、真っ白な翼であることを思い知る。

 翼はどうも、その人らしき存在の背中から生えているようだった。

 翼の生えた、人っぽい何か――翼の生えた、人。

 つまり、空から翼が生えた人が落ちて来た? とノーカは自身の真上を眺めそしてその状況を鑑みる。

 つまり――

「……なんだ、ただの宇宙人か」

 つまりはそういうことだ。宇宙から落ちて来た――ただの鳥型宇宙人である。

 何分、生身で宇宙を渡航し成層圏を突破する宇宙人はいる。攻撃衛星がこれに反応しなかったのはそれら純善たる宇宙人を撃墜しないよう設定しているからだ。

 原因は分った。妙に神々しい翼が生えた人が宇宙から畑に落ちてきただけだ。その空から落ちて来た宇宙人は角度としては半身、手を使わないクロール泳ぎの姿勢で土に埋没している状態だが、海で泳ぐ夢でも見ていたのだろうか? 

 それはどうでもいいと、

「――おい! 意識はあるのか!?」

 ノーカは縦二連の砲身をその暫定鳥型宇宙人に向けた、慈悲はない。

 無許可で他人の土地に入ったのならそれはもう立派な領土侵犯だ、しかし単なる宇宙漂流者が落着したのなら要救助者である。

「おい! ――起きろ!」

 威嚇射撃を鳥人間の女の脇に二発連続で叩き込んだ。これで狸寝入りなら大したものだが反応はない。

 となると本当に意識不明の重体なのか既にただの屍かだ。

 その確認に、抓める程度の小石を拾って投げつける――コン、とその頭部にいい音をしたがこれでも反応はない。ここまで来たらとノーカは接触為の最大限の警戒をしながらその背後から宇宙ショットガン片手に片膝を着き、空いた手でその首筋で脈を取った。

「……生きているか……」

 顔つきからして、どうも女性らしいその存在。

 それをようやく、ノーカは宇宙からの来訪者として救助活動へと移った。

 面倒だと思うが、広い宇宙、手の届く範囲の要救助者を無視するつもりもない。犬の穴掘りのように、両手を使って手早く人体を掘削し、ある程度土が軽くなったところでズボッと豪快に引っこ抜く。

 慎重になり過ぎて死なせたのでは、話にならなかった。

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