第5話 他人の家族とその団欒。

 彼の好みに合わせたコーヒーをサービスした後。

 レナは、続けて温かな笑顔を向けノーカに給仕する。

 厨房内で彼が注文していた半切れ二枚のトーストを皿に、一緒に添える小分けのバターをディップボウルに、バターナイフは四角い篭に揃えて、喜々とまたわざわざカウンター席を回ってホールから隣から置く。

 老人たちへのそれに対し手厚い仕事だ。そのバイト中は、顎から首元に掛る長さの銀髪を二本のおさげに括って落ちないようまとめている。その軟質かつ鉱質的な銀色の瑞々しい肢体は小柄で、エプロンを盛り上げている非常に慎ましい陰影、いや、ただのよれであるその胸元を見て、エビ型と犬型の老人は、露骨に静かな溜息を吐き、

「……レナちゃんにもうちょい色気があったらなあ」

「せめて下着ぐらいセクシーなのを着ててほしいもんだわ……」

 それには流石に顔を顰め、

「……おい、人の孫娘になに言ってんだ。……この歳でそんなのまだ早いに決まってる! それにレナにはカワイイの方が絶対に合うんだからな!」

 その瞬間、銀色の宇宙人少女は目から怪光線を発射し三人まとめてをビビビッと痺れさせた。

「もう……そんなだからいつまで経ってもおばあちゃん達の尻に敷かれるのよ」

 老人たちはテーブルを汚さないよう律儀にベンチシートに背を預け、天井を仰ぎ白眼を剥き、そして沈黙している。

 レナは辟易と溜息を吐き、視線を戻す。

 するとノーカは黙々と、トーストと茶色と乳白色の香ばしい液体を口の中へ入れていた。不愛想だが幾分目が細められ、味が喜ばしいらしいそれを彼女は弾むような笑顔で隣の席に着き、

「――ノーカさん、今日これから機械の工作とか整備、私に教えてくれる?」

 ノーカは口の中の食べ物を飲み干し、今の時間のバイト雇い主であるクラゲ店主に眼で確認すると、しゃがれた穏やかな声で、

「ああ、今日はもう上がりだからね」

 それから、彼女の直接的な保護者――祖父であるケンにも念の為確認を取ろうとするも、三人はまだベンチにもたれ掛かり更にはずるずると床に沈んでいく。

 しかしその内、ケンの屍がどうにか背もたれを掴みぞんざいに手でノーカを追い払うよう、行ってよし、と告げて来た。

 過保護な保護者の一人かれも許可を得たのだが、

「……構わないが、いいのか?」

「いいのいいの。――ね!?」

 アレは? と暗に安否確認をしたノーカに、少女が未だ麻痺から回復しない宇宙老人たちを見るとこれ以上光線で撃たれたくないのか気絶から復活しシャキンとした背筋と笑顔で手を振って来る。……その眼は白く完全に死んだままだが、

「……分かった」

「じゃあおじいちゃん、夜には送って貰うから、お父さんとお母さんには言っといてね?」

 孫娘からの要求にグッと親指を立てる銀色宇宙人に、それでいいのかと思うがいいのだろうと納得すると、ケンに見えているか分らないが、その孫娘の身の安全は保障するよう頷きを返した。

 そして、ちょうど食べ終わったトーストとコーヒーの支払いを済ませ店を出た。


 急ぎエプロンを取り払い、完璧な私服――ひらひらの付いたブラウスにほどほどのミニスカート姿になったレナが遅れて追い付き、ノーカが車型宇宙船の鍵を外す。

 と、彼より早く彼女は助手席に飛び込んだ。

 そこでシートベルトをしたのを確認しながら、乗り込みノーカもそれを着け、しっかりとした手つきでエンジンを掛ける。

 骨董品の車両は危なげなくその場で浮遊し、軽く高度を上げそこで半回転、真っ黒な宇宙空間へ飛び出した。

瞬く間に点の大きさにまで食堂は小さくなっていく。

 その直前、バックミラーでのそのそ起き上がる三人の宇宙人たちを確認した。

 何やら銀色の宇宙老人を、二足歩行の犬型と海を着たエビ型が肘で小突き囃し立てているが、ノーカはその意味が分からず、もう安全運転に徹しようと無表情にフロントガラス、眼前の宇宙を向く。

「はぁ~、……ごめんね? おじいちゃんたちがまた変なこと言って」

「いや、いつものことだ。聞いている分には問題ない」

「そう? ……でもあの調子だとあたしと結婚しろとか言ってくるよ? 多分」

「……そうなるのか?」

「――そうよ。ああもうウザったい……」

 三人も言っていたが、この近辺で結婚に向いた若い女は助手席に座るこの少女しかいないとはノーカも知っている。が、しかしそれだけである。

 五歳児の頃から彼女を知っているノーカとしては、幾ら大きくなっても彼女は子供のままである。

 その事を理解しているレナはそれでも目くじらを立てず、好意的にノーカを見る。

 男として鈍感かどうかそれよりも、口数少なくも自分の意見に対し必ずその言葉を熟考するという誠実さを好いていた。

 ノーカは彼女を子供扱いしているが、ある意味で子供扱いしていなかった。

 そしてレナは指先を一つ立て、何事か、その爪先に光の粒子が蛍火のようキラキラと集まり始める。

 それは次第に彼女の周囲に渦を巻き、プツプツとその肌に付着していくと銀色の肌、顔、それどころか体の造形や衣装までを変貌させる。

「――どう? 似合う?」

「……ああ。便利なものだな」

 変身、と呼べる現象を身に纏い、レナは、ノーカと同じ純人間種ノーマルの少女――白シャツに紺のオーバーオールを着た屈託のない田舎娘に変貌していた。

 顔つきは、素朴よりで、スリーサイズは、原型にほどほどの上乗せした肢体だ。

 そしてベタにうっふ~んと言いたげなポーズを取り、自慢の綺麗な脇を見せ、

「光子、光学操作はライト星人のお家芸だからね~? 服代が浮いてレーザー兵器要らずだけど、都会に出るときは問答無用で制御装置リミッター付けなきゃだから面倒なんだよ?」

「それは仕方がないだろう」

 ノーカは元軍人として言った。顔、姿形を変え、特別な装置も無しに殺傷レベルまでの光線を発射可能、やろうと思えばスパイから破壊活動までより取り見取りだ。

 善意に期待せず、悪意に対抗するにはそれくらいしなければならない。

 もっと分かりやすい例ではワープ技術がその筆頭だろう、使えるのは生活圏の手前までで、首都圏、都市部の内側にはそれを防止する空間障壁が張られている。通常それを使うのは銀河間の暗黒宙域で、それ以外の銀河内は超光速移動までで、例外的に定点と定点を結び固定された酷く限定的な超空間高速道路ハイウェイのみがこれを許されている。

 でなければ転移戦術で部屋にいきなり爆弾が飛び込んで来るのだ。

 それと同じ理由で、強力な力をその身に宿す人種はそれに制限を設けられる。だからか、レナは頭後ろで両手を組み、座席のヘッドレストに寄り掛かった。

 そして気怠げな様子で、

「あ~あ、考えちゃうよなあ……都会の方が色々あって楽しいんだろうけど、なんか窮屈そうで。でもこんな田舎だとやりたいこともやれることもないし……」

 呟くと、亡羊ぼうようと、鬱屈とした溜息を吐き出す。

 思春期らしい、もうすぐ家族から独り立ちするであろうその悩みに、彼女は憂鬱な視線の先、宇宙の彼方を見つめる。


 その割すぐにあっけらかんと笑顔を浮かべ、今度は骨董品の運転手を見つめ、

「――ねえ、ノーカさんは将来の事とかどうやって決めたの?」

「……将来、か?」

「仕事とか住む場所とか、やりたいこと? やるべきことかな? ……そういうのをどうやって? ……そこでこう、自分の気持ちを? どう?」

 問われ、ノーカはこの土地に来た経緯を振り返り、いや、それ以前の人生のそれも含めて、

「……そうだな、……何も、考えていなかった、か?」

「……なにも?」

「ああ。自分に出来ること、出来たこと、それをその時その場で決めていた。考えても、深くは考えはしなかった。……ただ人の意見を聞くことは多かった。いや、聞かされることが多かったか?」

「ええ? 嘘でしょ?」

「……なにがだ」

「だってそんな……なんかノーカさん、自分の考えで突っ走る、みたいに見えたから」

「……なんだそれは」

 先の退役についても先人からの提案であったし、農業についても最初は役場の勧めで、始めてからは事業の方向性も師達の教えが大部分が占めている。

 もちろん、その中で自分なりに、向き不向き、効率や採算などを考え独自の方向性を持っているが。

 ノーカにとって将来は、自分でそれを決めたことと同時に、その都度その都度、自分の運命とも呼べる誰かがやって来て、その道に導かれた部分の方が大きい。

「……これでも、人の話は聞く方なんだがな……」

「それは知ってる――」

「そうか?」

「うん、そうだよ? それがノーカさんの良い所」

「……そうか?」

「それからね? ――多分ノーカさん、すごい純粋なんだよ。だから何も考えなくともポンポン自分のやるべきことが見えちゃうんだよ?」

「……いや、どうなんだそれは。……生きるということ以外、何考えていなかったのは確かだが」

 純粋――余計なものが無い、何も考えない。

 遠回しにバカと言われている気がするのは気のせいか、気の所為ではないと思うが。まるで心が綺麗と言われているようなそれよりはマシだと思う。

「うーん……、じゃあ、やりたいこととかなかったの?」

「……そうだな、なかったと思うが。……」

 ただ生きるというそれしか頭になかった。

 それはどうしてかといえば、これまでの人生、経緯として、選択肢の幅を得られない状況に常にあったわけだが。

 しかしどうか? 軍籍時代は食うに困ったわけではなかった。仕事はあり安全な寝床で寝れて、学識や一般常識を得て、使い道を思いつかない給金を丸々貯蓄に回していた、生活にも精神的にも余裕が無かったわけではないそれでも兵士であり続けていた。しかしそれは兵士という生き方にこだわりがあったわけではない。

 将来的にやめた方が良さそうになり、やめられるだけの物を持っていたからやめた。そして今は農業それにこだわらずに何でもやっている。

 やはり、生き抜くため、というそれで統一されている。

 こうして顧みると、将来の形が極めてシンプルで、それに合わせてその都度柔軟に対応しているだけだと思う。が――

 レナの言う、やりたいこと、必要に迫られて、のそれだけとは違う、人生の豊かさを求めて、ともいえるそれとはどうにも質が違う気がした。

 多分、これを貧しいというのだろうと。

 それはさておき、

「……レナはどうなんだ?」

「え?」

「……今、なにかやりたいことがあるんじゃないのか?」

 先程からレナが、本当に話したいことを臆病がちにしているよう見えた。

 

 ノーカがレナを気に掛ける気配漂わせた一瞬――

 一度だけのチラ見運転に、少女は目敏く、少女だてら女の笑みを浮かべ、

「……ん~、どうなのかなぁ? 本当にやりたいのか、実はそれほどでもないのか、今丁度お悩み中?」

「そうなのか?」

 はぐらかしたそれに、ノーカは、レナがどんな事を言ってもそれを否定しない気配を滲ませ、同時に、またはぐらかせるような問い掛けをすると、彼女は安心できるオトナへの気を抜く様な表情を浮かべ、

「……本当はね? 一つあるんだけど……う~ん……やっぱりよくわかんないだよね……」

「……なら、遊べるだけ遊んで、学ぶだけ学んでおけ」

 弱気であやふやな声に、ノーカはそれが最適解と寡黙に言葉を打ち切る。

 ノーカに分かることはただ一つ――時間は有限、ということだ。

 人生の中で取れる行動は限られる。その幅は知識や経験に人脈にと比例される。

 だが、やるべきことだけをやっていると、これが狭まる。ノーカにしてみればこの土地に来るまでの生き方がそれだ。

 必要とすることのみに注力していると、周囲にある他の物がまるで意味をなさなくなる。その所為で持とうとすれば持てたモノを、持とうと思えなくなる。

 これは人生の幅というのだろうか? 生まれ育った環境上仕方がないものもあるが、自分のそれはこれがひどく足りなかったとノーカは思う。

 もしかしたら心の豊かさとも言い換えられるかもしれない。

 その、ただ生きる以上の豊かさ――人それぞれ違う、それに出会う機会の多くはそこ・・ではないかと。

 ただ生きているだけでそれに巡り合えたのは、多分に相当運が良かったのではないかと思う、それか、生きているその場所そのものがひどく豊かか。だから――この何もない田舎、自分の手でそれをかき集めるにはそれしかなかろうと。

 それにレナは、困ったような苦笑を目元にジワリと浮かべる。

 言っていることは、自分の親たちと対して変わらないのだが、学識が無いなりの人生を注ぎ込んだ真摯な言葉は、親、大人達の、諦めや期待や不安、うわべが入り混じったそれとは違い、熱が籠って優しい気がした。

 子供扱いしているのに、子供扱いしてくれない。他人なのに、他人以上に、ひどく真面目で、 

「……ノーカさんて、なんか優しいよね?」

「……そうか?」 

「――うん。なんかお父さんぽい?」

「……まあ、これくらいの子が居てもおかしくはないか……」

「――おっさんだおっさん! アハハハ!」

 レナは頬を赤くするほど笑いながら顔を逸らす。

 それをノーカは、人を年寄り父親扱いして揶揄った挙句、見ていたら腹が抱えなければならない程捩よじれるのかと。

 ノーカはただ静かに溜息を吐き、自分と同年代の父親を持つ娘を乗せて、宇宙の真っ黒な田舎道を水色のピックアップトラック宇宙船で走った。

 


 



 ノーカは自分達が棲む惑星に到着した。

 黒い宇宙から電離層、成層圏を抜け、

 眼下、白い雲を下に抜けると、自宅とその土地周辺が見えて来る。

 ぽつんとダークグレーの屋根に、水垢が付いた白い木材の壁の我が家。

 周囲には農場と、巨大な艦船と巨大人型農機具を扱う格納庫。

 その隣には自信が営むジャンク屋の倉庫兼工房と。

 そして人サイズの農機具を置いた納屋。他にもこまごまとした農業施設と。

 徐々に大きく、広くなっていく、自宅前の芝生を刈り込んだ庭に水色の愛車を着陸させると、レナと共にジャンク屋のシャッターを潜った。

 そこで自分の仕事がてら――機械の工作と改造、修理、修繕のそれを教えた。

もっとも、彼女はもうノーカが持つ知識と技術のほとんどを扱えるので、バイトとしてのノルマを達したら自分用の惑星内移動用・浮遊二輪車の改造計画に取り掛かっていたが。

 そして程々に日が暮れる頃彼女を祖父母と両親の元へ愛車に乗せ連れて行った。


 レナの家は二世帯住宅だ。

 見た目、木造平屋のかやぶき屋根風の和風建築と、洋風二階建て赤レンガ風のモダン建築。それを継ぎ接ぎに接合して見た目だけで言うなら、どこかおかしな絵本の家、と言えなくもない。

 そこで両親、祖父母と共に暮らしている。その和風部分の玄関までレナを送ると、

「――あら、丁度いいから一緒にお夕飯食べて行きなさいな」

 ケンの妻、楚々と割烹着を着こなす銀色の肌の祖母マリが出迎え、そのお上品な口調で誘われノーカは、「はいこっちこっち」とレナに強引に腕を確保され、持て成しという名の元強引に中へと引っぱり込まれた。

 居間に入ると既にケンは大きなちゃぶ台の上座で、夕食前の軽い晩酌を一杯やっている。最初からそのつもりだったのか一瞬目を合わせるだけで顎で指図することすらなくちびちびと透明な酒をやり続ける。

 ノーカは、レナにその対面、席で言う下座に腕を組んだまま一緒に座らされた。

 それを待っていたかのように続々と、レナの母、セツコと共にマリが湯気も立つ料理をその両手で食卓の上に並べ出す。

 そこに仕事上がりの風呂上がりの父バンが、銀色モヒカン頭をタオル片手にガシガシ拭き、自分の娘と腕を組んで座る同年代のご当地犬を見て、

「てめえ、何堂々と娘に抱き着いてんだ?」

「――確保された」

 父親の喧嘩腰のメンチ切りにも動じず、ノーカは率直に言った、おまえの子供に逆らえないことを。

 この土地で最も年の近い男同士、バンもそこは理解し合い、無言でドカッと座る。

 伏せてあったコップをひっくり返し、自分に麦茶を注ぎ、ノーカのそれにも注ぎ。

 それを皮切りに、既に晩酌で肴をつまんでいるケンも一旦酒を止め、マリ、セツコ、レナと輪で囲んで円卓に向かい、レナの「たべよー」の合図でまもなく夕食を始めた。

 大皿から受け皿に、自分達の夫へ手慣れた様子で手製の料理を取り分けて行く祖母と母親、夫たちは自分で好きなものをと邪険にしながらも、箸で文句を言うことなく抓んでいく。それに習いレナもおままごとのよう演技掛った仕草でそれをし、ノーカに渡し、ノーカは口数少なく礼を言ってそれを有り難く口に運んだ。

 最中、彼女の両親から熱い視線――特に父から烈火如きそれを注ぎ、それと目が合うと、ノーカもこの十年、この食卓に呼ばれるときは大概これなのでもう慣れた黙々と料理を口に運んだ。

 すると、いつまでも幼稚な事をする夫にセツコは、その長い黒髪に、鎌のように伸ばした角を二本、額の両サイドで揺らして、

「――もう、異族婚は珍しくないでしょう?」

 火に油を注いだ。この家の中で、ノーカと同じく銀色をしていないその言葉に、それに手を出した男として、バンは、

「そういう問題じゃねえだろ……歳! 年齢!」

「あら、私達もそれくらいの歳の差よね?」

「……ああまあ、そうだな……」

 息子の主張を否定し、祖母マリが自分の夫とのそれをコロコロと笑ながら告げて来る。ケンは若干罰が悪げに目を逸らしているが、その歳の差は優に二十を越えていて、丁度レナとノーカ程の歳の差だった。

 その前に、本人の意思、とノーカは思うのだが、

「どんなふうにくっついたの?」

「私がまだ病院で勤めていた頃にこの人が担ぎ込まれたのよ。もういい歳してるのにヤンチャして、怪我の面倒見て上げてたらいきなり告白されて口説かれて……もうどうしょうもないから、このまま私が面倒見て上げようってさせられてね」

「……おい、俺はそんなみっともねえことしてねえぞ?」

「そうですね? 同じ時期に他の患者さんから猛烈なアプローチを受けていたのみて、貴方は一歩引いた態度で、花やらなにやらを迷惑にならないよう影で送っていて……。奥床しいと思っていたら一体何が振り切れたのかみんなの目の前で――」

「――やめろ。……頼む、それ以上は止めてくれ……」

「うふふ?」

 お上品に唇を手の指先で隠しながら、当時を思い出すのかコロコロと笑う祖母に、叩けばまだまだ埃が出てきそうな顔をし酒に逃げている祖父だが、彼女の杯にしっとり透明な酒を注ぎ、祖母にもそれを薦め、その口をしっかり噤ませる。

 それはそれは美しい思い出を、独り占めして墓場まで持って行くつもりなのだろう。……多分、見えない所で、女達には漏れているのだろうが。

 そこでレナは、

「……じゃあお父さんとお母さんは?」

 やはり前例を叩くかと、純粋な子供の振りをしたそれに、

「そ、それは前にも話しただろう?」

「――グダグダよ、グダグダ。この人変な小心者で――」

「あ゛あ゛? おい、それはお前だろ!?」

「なに言ってるの? 肝心なところで舌を噛んだのに」

 いい歳してモヒカン不良ヤンキー頭の父はともかく、母の強固な笑みにこれは何かあるなと娘は察した。が、こちらからはその口を割らないと思い、

「ノーカさんは知ってる?」

「……詳しい事情は知らない。二人は幼なじみで、延々と腐れ縁の関係を続けて、不思議と縁が切れずにいたとは聞いた」

 配慮してぼかした。ノーカは一応二人の結婚の契機と詳細を知っているが、それが結構なすったもんだで一部その名誉を傷つけるような内容もある。

 そしてその間、「意気地なし」「テメエこそ誤魔化しただろう?!」と、聞こえる小声で罵り合う二人は、やれどっちが好きだのどちらが惚れただの先が後がと痴話喧嘩していた。


 ――しばらく放って。


 自分達の息子の恥部に、祖父母は我関せずと沈黙を貫いた。

 犬も食わない夫婦喧嘩を前に、ノーカが興味なさげにその娘に餌付けされるまま飯を食い続ける姿に、ふと逆上した父親が八つ当たり気味に、

「――おい! てめえ月幾らの稼ぎで年幾らだ!」

 逆説的に、予定・義理の息子となるそれの言及をした。認めるつもりか? とそれぞれ疑問に思いつつ、しかしその一言に、一家全ての目が静けさを帯びノーカを見据えた。

 これが家族か、と思いながら、ノーカはここ半年のそれを自前の脳で叩き出し、

「……大体これくらいだ」

 指で数字を一つ書き、その後にゼロの数を連ねる。

「――そんなにか?」

 農業、狩人部分は同業故の予測があったケンだが、副業として始めた狩人の宇宙ジビエ、宇宙のゴミ拾い、ジャンク屋・レストア業でときどき網に引っ掛かるお宝が、安定感は欠くが平均してそれを後押しする中々の業績だった。

 レナはバイトがてらそれを知っていたので、どことなく自慢げだ。

 残る女性二人は、上品清まし顔であるが食卓の下で手をグッ! と握っている。

 その数が、個人で運送業を営む自身のそれを明らかに上回っていることで、バンは悲しき逆上をした。

「こんちくしょ~! あんな適当に働いてやがる癖に! 軍人なんて血生臭いことしてたのに゛っ!? ――ってぇなにスンだこの馬鹿!?」

 嫁が夫のマナーを弁えなさに本格的な拳骨を落した。

 そして、

「アナタなんて前歴糞の役にも立たないプロレスごっこでしょう?」

「ごっこじゃねえ! こちとら本物プロだぞ?! そういうテメエこそ地下――」

 夫が言い切る前に、ぺしんと平手打ちがその頬を打った。

 見合って見合って。

 そしてそのまま夫婦喧嘩プロレスが始まった。

 最初はそこそこ手加減を加えた軽い平手と、手加減だらけのデコピンの応酬だが、それが徐々にエスカレートして、ぺちん、ズビシ、びちん、ビシビシ、パシン、コンコンコン(頭をノック)、ドス(腹打ち)、むにぃ(頬抓り)、ドスッ(胃に)、バシッ(そこにあった雑誌で)、準備運動を終えたのか――ドゴン! バコス! ドゴス! ギシギシギシ! とやはり素人にしては夫婦揃って形の整った打撃と関節技が駆使され始めて、

「――てめえ何途中から本気で殴り掛かってんだ!」

「ちゃんと手加減してるわよ! アンタが弱すぎるんでしょう!?」

「なんだとおゴラあ!?」

 ノーカは食卓上、一通りの料理を既に口にし、食が進んだものを御替わりもさせて貰ったので、これ以上自分が居てもまたそれが燃料になりかねないと。

「すみません、そろそろ行きます」

 もう十分にエサは貰ったと、どことなく満足げなそれを。

 夫婦喧嘩をいつものテレビ番組ぐらいのノリで観戦していた家族は、餌付けが済んだご当地犬の様子に、

「おう、さっさと行け。その内また来いや」

「ごめんなさいね? いつも騒がしくしちゃって」

「いえ」

 一度、夫婦のじゃれ合いを見て、

「……本気じゃないとは分かります」

 ケンはいぶし銀に相好を崩し、マリはやはりコロコロと上品笑い――そして本格的になって来たプロレスに、二人して食卓を部屋の隅に避難させた。

 席を立ち、レナはノーカの手を握り、見送りがてら一緒に外まで移動した。



 窓から時折り、カッ! ピカッ! と光が溢れた。

 蛍光リングのような何かが割れたパリ~ンとした音が響いた。

 玄関を出たそこで、飛び道具を解禁し本格的な第二ラウンドが開始された様子だ。光線技飛び道具まで使用する夫婦の宇宙的痴話喧嘩に、愛車の前で、流石にその結末が気になるノーカだが、

「――大丈夫。いつものことだから。どうせこの後えっちなプロレスにも励むだろうし……」

「……そういうことは言わない方がいい」

「はいはい。あーあ、……でも私も早く結婚したいな~」

 レナはほんのちょっとだけ困った笑顔を浮かべる。それが今も仲睦まじい両親に対しての照れだとノーカは理解していた。

 そしてその視線の先が、すぐにノーカを見ずに、自然に宇宙に――その先にある、都会に向けられているのだろうと理解していた。夜空の星を眺めているのではない。

 家を出て行きたい本当の理由は、本物の将来――やりたいこと、仕事だけでなく、旦那を含めたそれを探している、夢見ているのだろうと、その様子から推察していた。

 この辺境に、それは無い。自分達が自分たちなりの生き方をするだけで手一杯の場所だ。

 仕事も、自給自足に毛が生えた、それぞれの家業や趣味の生業のみ。この星系内での社会経済として成り立っているのではなく、老人たちは年金暮らしで、若輩中年共は自分で作った物を外で売りさばいて生計を立てているか外で稼いでくる。

 彼女に本当に年の近い男もいない。

 最近やけに自分なんぞの傍にいるのも、近いうちに外に行く際に、あの父に子離れの免疫なり耐性なり付けさせようとしているのだろう。

 自分はその体の良い生贄にされているのだと思ってが、ノーカはそのことを黙っておくことにしていた。

 しかし、

ピピピピピ――シャリーン!

「ごめん、ノーカさん、お店に手ごろなガラス窓、あった?」

「……」

 とりあえず、また何かが割れる音がしたので、ジャンク品のガラス板、その在庫の確認と補充をしておくかと、ノーカは彼女の家の修繕も含め日程を立て、車に乗り込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る