第2話 可愛い恋人

あれ以来、天気予報は外れる事がなく、10日が過ぎた。

俺は、もちろんなんだか残念なような、でも、5歳も年上の人に俺に対して何かを求めている感じもなかった。


あの雨の日は、唯、俺が、そこに居たから…本当にそんな感じだ。

きっと、あのお姉さんに、もう会えないかも知れない…。

それなのに、俺は前日の夕方だけでなく、週間予報を、家族のいるリビングで、テレビを占領し、何かと忙しい朝さえ、天気予報はしっかりチェックしている自分がいた…。



けれど、恋とか、そんなんじゃなかった。

の男の子にはたまらない香水の香りや、仕草、溜息、と言う何とも言えない、奇麗な名前や、…あげればきりがないくらい、あのお姉さんは魅力的だった。


それでも、俺が普通の男子にしてみれば、『告っちゃえ』『ラッキーだったな』

みたいな妄想、奇跡、それすら心に湧いてこない。


何故なら、俺には、優那ゆなと言う、れっきとした彼女がいたからだ。


優那と付き合いだしたのは、もう6年も前になる。

あの妃花さんには到底及ばないが、まぁまぁの可愛さだ。

まぁ、俺の容姿も、人の事は言えないレベルだが。



でも、あの美人さんは、とても悲しい話を延々としていた。

何度も、何度も…。


あの時、俺をあの休憩所に座らせたのだって、俺がたまたまそこに居ただけの話だ。

でも、気になるんだ。

あの最後に少し歪んだ奇麗な顔の事。


(うーん…次の雨っていつ降るんだ?)

俺は、天気が雨なら会える、と思っていた。

最初に会えたのが雨だったから。


そして、ついに、その日は来た。



週間天気は晴れ予想だったが、今日は雨が降るらしい。

朝か、帰る時か、何だか疑問が多いけど、とりあえず、公園へ向かった。


(…いた…)


「おは…」

勇気を出して、挨拶しようとした俺の方を見て、明らかに怒った顔で俺を見た。

「あ…の…」

戸惑った俺の態度に、顔を背けた。

「あ…の…ひ、妃花さん…?」

「…なんで?…」

「え?」

「昨日も天気予報はずれてたでしょう?」

「え…あ…雨だけ…とかじゃなかったんですね…す、すみません…」

「ふ、」

「妃花さん?」

「うそうそ。怒ってないよ。ごめんね、ちょっとした意地悪だったんだけど…傷ついた?」

「悪寒は感じました」

「あはは、それはそれはすみません」


(こんな笑顔で笑うんだ…)


あの雨の日の、妃花さんの哀しそうな微笑みとは、程遠い表情かおをしていたから、俺はつい、とても静かで、哀しい笑顔を携えて生きて来たんじゃないかと思ってしまっていた。



「ねぇ、君くん、君くんには彼女、いるの?」

「え!?」

「やだ。そんなに驚かないでよ。誘惑なんてしないから。ふふふ」

(誘…惑…かとおもった――――――――――!!)

それが、俺の浅さだ。


「君くんは、その彼女の事、ちゃんと好き?」

「あ、はい」

「お、男らしいんだね、結構」

「え?」

「すぐに返事したからさ、本当に好きなんだなって、ちょっと思っただけ…」


「その子、可愛い?」

「あ、まぁ…」

「あ、今度は照れた!」


やっぱりこの人は、ちょっと意地悪だ。

人を怒らすまでは行かないけれど、ちょっと腹の脇をすぐられるような事を言う。


「妃花さんは、新しい恋人、作らないんですか?」

「新しい…恋人かぁ…。君くんてさ、少し変わってるよね?」

「何がですか?」

「普通こういう時、新しいとか言わない?10代だと」

「あ…すみません」

「あ、ううん。怒ってるんじゃないよ?素敵だなって思っただけ」

「素敵?」

「触れる人、関わる人、交わる人、みんな特徴のある人たちじゃない?その人達全員に正しく応対できる人はそうはいないよ?…特に私みたいな変人に…。でも、君くんは、年上の私に、うんと単純だけど、素晴らしいって呼び方をしてくれたの」


妃花さんに褒められた事はすごく嬉しかった。

けど、思ったんだ。

妃花さんは、その触れる人、関わる人、交わる人…みんなについていけなかったんじゃないかって…。

優しいのに意地悪で、泣き虫なのに、コロっと態度を変えて笑ったり…きっと…きっとだけど、辛いことが山ほどあったんじゃないかって…。


「どうしたの?君くん」

「へ…」

「何か考え事?」

「いや、何も」

「何も考えなくても…君くんは涙を流すの?」


(え……?)


そう言われて、ほっぺを触ったら、確かにその頬には涙がいた。


忘れてた…俺は感動しぃだった事を。


妃花さんのたどった道を、只、想像しただけだったのに、なんて脆いんだ…この涙腺は…。


「君くんは…本当にいい人なんだね…。そう言う人、私、もう一人知ってる」

「誰…か…聞いても良いですか?」


答えはわかっていた。

すぐに脳に直で伝わってきた。


「知ってるくせに」


妃花さんは哀しい微笑みを浮かべて言った。

意地悪を携えて。



「教えない」

「恋人さん…ですか?」


ハッとした。

そうだ…。

それは禁句だった。


だって、妃花さんは恋人がいなくなったと、初めて会った時、何度も、何度も、何度も…言っていたのだから。


「…今、しまった…って思った?」

「え…」


なんて意地悪…いや、強い人なんだ…。


初めて会った日は、何度も何度も恋人…がいなくなった、と涙をボロボロ零しながら、僕の中にまで涙の湖を築いて。

それなのに、『未だ恋人が好きか?』と言う失言をしてしまった俺に、こうして2回しか話していないのに、冗談にしてしまう。


その強さは、一体何処からくるのか…。

恋人を、多分…どんな形かは解らないけれど、失ってどれほど悲痛な想いをしてたかも解らないけれど、あの雨の日に、流した涙は、とても奇麗だった。


そんな事を考えていた俺に、妃花さんが言った。

「もしかして、同情してくれてるの?君くんは優しいんだね…」


そう言って、椅子から立ち上がると、俺の耳元でこう囁いた。


「ありがとう」


そして、

「じゃあまたね」

と言うと、公園から出て行った。

自ら孤独の底に降りてゆくような、浅い靴の跡を残して。



「おはよ!遥希!」


大学に着くと、俺より頭がいい優那だったが、俺と離れたくない、と言い、親に大反対されても、この大学に進んだ。

その大学進学に巻き込んだのは、俺の成績が、優那をも引きずり込んだと、たった19年しか人生を積んだだけの俺が、優那の未来をも奪ったと…それはそれは優那のご両親を怒らせ、これ以上ないくらい、嫌われていた。


「おう、優那、おはよう」



妃花さんと少し話し込んだせいで、大学に来るのが遅れた。

「遅かったね、もう1限終わっちゃったよ」

「ちょっと寄り道してきた」

「…何処へ?」

「ふ…お前が到底かなわない美人さんに会って来たんだよ」

「はぁあ??何それ!浮気じゃん!サイテー!!」

解りやすくヤキモチを焼く優那。

「お前、可愛いな」

「!?」

「…何?なんか変だよ?遥希」

「可愛いから、可愛いって言っただけじゃん」

「それが怖いの!」

真ん丸なほっぺを赤くして、照れくさそうに、でもまぁ悪くないな…みたいな顔をして、笑った。


背の低い優那の頭を、2回ポンポンと撫でると、ポー…としている優那に背を向けて、俺が歩き出した後ろから優那が嬉しそうに追いかけてくる足音を感じて、授業に向かった。


幸せの音だった。


何だか、いつもより優那が可愛く思えた。

それは、きっと妃花さんのおかげだ。

妃花さんは、俺の事を、男らしいと言ってくれた。

それだけで、今までだって、ずっと優那の事は大切にしてきたつもりだったが、もっと、もっと、愛おしく思うし、後ろから追いかけて来て、やっと俺の隣に立った優那が手を握ってきた。

可愛い奴だ…。


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