追伸 戯れの土産

 家に戻った小春たちを待ち構えていたのは、家族・手伝い・幼馴染の好奇を浮かべた微笑。笑顔のみで声は出さず、じっとこちらを揃って伺う様は、あまりにも気味が悪かった。頬の腫れも忘れてしまう光景に、小春はもちろん、先導していた久紫も引きつった顔になる。

「こ、これは……一体……?」

「はい! 皆様方、ご両人様のお帰りです、速やかに料理の準備を!」

 小春の問いかけには応えず、手を叩いて手伝いたちを動かす絹江。

 笑顔のまま一礼と共に退室していく姿を、なおも茫然とした面持ちで見送っていたなら、横合いから伸びた手にぐいっと顔を持っていかれた。

「まあ、小春さん! 酷い顔!」

 言いたいことはわかるが、多少なりとも傷つく台詞を吐かれた小春は眉を顰める。しかし、待たない涼夏は「冷えた布を持ってくるわ」と去っていき、やり場のない思いだけが残った。

「アノ女は……」

 そんな姉の後姿を不思議そうな顔で見つめる久紫。

 昨日会ったはずなのだが、酔い潰れていた際の記憶は曖昧だったらしい。

 やはりあの時は正気ではなかったのだと察する。察したは良いが、ついでに思い出した昨日の状況と、その後に至る現在の関係。

 妙な焦りを覚えてしまい、上擦った声が出た。

「わたくしの姉様です。名を涼夏と申します」

「姉。……………………………………………………似てナイな」

「…………」

 自慢の姉ではあるが、似てると言われても困るだけなので、黙っておく小春。

 久紫もそれ以上突っ込むことなく、騒々しく出て行った手伝いたちをいぶかしむ。

「デ、あれは、ドウしたとイウんだ?」

 答えの代わりに届く、くすくす忍び笑う声。

 顔を向ければ絹江が座るよう食卓の横に並べられた座布団を差し、己は席を立つ。

 珍妙な顔で揃って座れば、卓の横で胡坐をかいていた伸介が、ゲラゲラ笑いたいのを堪える素振りで、

「どうもこうも……前祝いだとよ」

「何の、ですか?」

「……いい加減、己の鈍さを自覚しろ。皆にゃとっくにバレてんだよ。お前や久紫が互いをどう想っていたのか、なんてな」

 ため息混じりに茶化され、小春はついつい久紫を見上げる。

 目を合わせれば狼狽えながら横に逸らされてしまった。

 つまり、周りはだいぶ前から小春や久紫の気持ちを知っていた、ということか。しかもこの反応を見るに、久紫自身は周りに己の想いが知られていることを知っていたらしい。

 一人だけ除け者にされた気分だ。

 羞恥か怒りか判別できない朱が小春の肌に差せば、久紫が気まずそうに視線を戻して頬を掻く。

 これを「熱い熱い」などとからかいながら、伸介が底意地の悪い笑みを浮かべた。

「まま、いいじゃねぇか。早い話、皆が祝福してくれてんだ。ありがたく思えよ?……と・こ・ろ・で。なあ久紫よ。お前、いつまでそうしてるつもりだ?」

「うん?…………ウァ……すまん!」

 謝りと共に軽くなり、涼しくなる肩。ここに来て小春は今までどんな姿で惚けていたのかを知り、顔を完全に真っ赤に染め上げた。

 堪えきれず、伸介がゲラゲラ腹を捩って笑う。

「た、大変だな、小春! お前も相当抜けてるが、コイツはお前以上かも知れん」

 ヒーヒー、呼吸困難に陥ったように笑い続けるのへ、

「あ、貴方に抜けているなど言われたくありません! 大体、瑞穂様のところへ戻らなくてよろしいのですか!?」

「全く問題なし! 今回ばかりは俺も瑞穂の傍にいたかったんだが、あいつがどうしても、お前らの面白い様を見て来いってな」

 ふっ、と「瑞穂」と呼んで優しく笑う伸介に小春は驚いた。

 放蕩者と名高い彼が、こんな風に誰かを想って微笑む日が来ようとは。

「…………小春、そんなに伸介が珍しいカ?」

 まじまじと見ていた耳に、不機嫌極まりない声が届いた。隣を見上げれば、不愉快を余すことなく浮かべる久紫。

 これを受け、いち早く反応したのは伸介の方だ。

「やや! 早速嫉妬か? この程度でそこまでくるとは先が思い遣られるねぇ。あんまり締めつけ厳しいと逃げられちまうぜ? なにせ小春ちゃんは恋多き女、だもんな?」

「伸介――ひぁっ!?」

「あらあら、何のお話かしら?」

 冷えた感触が頬に寄せられ、驚けば涼夏が布を宛がい寄越したところ。

 礼を言って受け取り、心地良い冷たさに頬を預ける。

「いやいや。涼の姐さんに似て、小春もモノにするにゃ手強いって話でさ」

「ふふふふふ。褒めても何もでないわよ? 第一、私より小春さんの方が手強いんだから。何せ、父様譲りの目利きの才が邪魔して、ね?」

 片目を閉じて寄越す涼夏に、久紫が眉根を寄せた。

「目利きの才?」

「そ。小春さんは人を見る目が厳しいから。利益ばかり考えて他を思い遣れない人は、ばっさり切り捨てる無情な子なのよ?」

「姉様!」

 顔を赤くする小春とは対照的に、久紫は苦い顔つきで考え込む節。姉と幼馴染のからかいを弁明しようと久紫を覗き込んだ小春は、これに気づいて首を傾げた。

 気分をすっかり害してしまったのか。

「久紫さん」

 けれど呼びかけに応えた久紫は、一瞬惚けた色を浮かべ、すぐさま微笑みを表す。

 嬉しそうなそれに己もつられて笑めば、久紫が何かしら口を開きかけ――勢いよく開いた襖に先を越されてしまう。

「小春さん! 久紫様! 酷くはありませんか!? 怪我人放ってお二人で――」

「あらまあ、さつきさん。相変わらず広いおでこね」

「ぶっ」

 荷物を引きずり現れたさつきは、出会い頭の涼夏の言葉に絶句し、伸介の噴出しへは睨みでもって応戦した。



 荷物から橙の物体をひっくり返して吐き出させ、「引き出物です!」と怒り肩で説明するさつきは、最後に手紙を四通、胸元から取り出した。

 投げやりに小春、久紫、伸介、そして涼夏へ配る。

「これは?」

「す・べ・て、志眞様からですわ!」

 「志眞様」を心底憎憎しげに吐き捨て、さつきはどすんっと腰を下ろした。

 気づいた手伝いが出した茶を、礼も言わずに、熱さを物ともせず、ぐびぐび飲む。

 とてもではないが、吊られた腕の理由を聞く雰囲気ではない。

 呆気にとられながらも、「説明は以上!」とばかりに沈黙し、こちらをねめつける視線に恐々手紙を開ける。



 手紙は二枚に分けられていた。

 まず一枚目は当たり障りのない、謝罪の言葉に彩られる。

 どう見ても志眞本人のものとは思えない、馬鹿丁寧な綴りには、膿の処分が滞りなく終わった旨が書かれていた。

 他の手紙も一枚目は似たような文面だったらしく、どれも眉間に皺を寄せている。

 これに苦笑しつつ、小春は久紫の持つ手紙だけ異様に枚数が多いのを知った。

 十は軽く越えそうだ。

 首を傾げながらも二枚目に眼を通せば、最初の一行に「追伸」と書かれていた。

 こちらは志眞本人そのものの、苛立たしい文面。

 本家にいた時の小春の様子を志眞視点で描き、自分がどれだけ小春を好いていたかが事細かに、からかうようにしたためられている。

 あの時の絶望的な思いを踏みにじられた気分で、怒りに肩を震わせた小春だが、最後の一文に、引き出物だというみかんの意味を知る。


 ――これで私との縁が切れたと君は思っているだろうが、それは大きな間違いだよ。私はねぇ、小春? 君の姉上の、あの素晴らしい投球に魅せられてしまったんだ。近い将来、私は君の義兄上になることだろう。楽しみにしてくれたまえ。


 不可解なあの瞳はそういうことだったのかと姉を見やれば、丁度読み終わったのか、手紙をたおやかな手つきで破いているところだった。

 暗い笑みを浮かべながら、

「……くたばれ、下衆が」

 聞き慣れない言葉にヒヤリとしたものが背筋を通る。

 伸介を見れば困りきった顔で、こちらに気づいて力なく笑った。

「将来私の下で働かないか……って。今は俺、瑞穂と子どものことで精一杯なんだけどな」

「あら、それなら余計にありがたい話ではありませんこと? こんなぼんくら使ってくださるなんて。意外に志眞様、情がおありでしたのね。瑞穂お義姉様のためにもお受けになってはいかが?」

「お前な」

 いつの間にか伸介の背後に回っていたさつきが、鼻で笑うように言う。

 これに驚いたなら、気づいたさつきに睨まれた。

「……なんですか、小春さん? 頬を張られたのがまだご不満? それは餞別と思って頂戴。わたくしから久紫様を取り上げたのだから当然――」

「いえ、お義姉様というのは、伸介を兄と認めて?」

 重ねて問えば、顔を顰めるさつき。

「……少しくらいはわたくしの潔さに敬意を払いなさいな。……それにコレが兄ですって? 冗談は止してくださいまし。瑞穂様は義姉と認めても、コレと血が繋がってるなど……考えるだけでもおぞましい!!」

「おい……」

 心底嫌そうな顔つきで退いたさつきを、伸介が困り顔で窘める。

 仲の良いこの様子に、小春は口元へ袖を当てて笑う。

 ――と。


びりびりびりびりびりびりびりびりびり――――!!


 突然久紫が、手紙の束を細かく、跡形もなくなるように破り捨てた。

 前触れのない凶行に、未だ手紙を破くのに夢中な涼夏以外、押し黙る。

 覗く久紫の表情は青筋のみならず、多岐に渡る感情がない交ぜとなって浮んでいた。全てに共通するものがあるとすれば、それは憤怒。

 小春の視線に気づいて笑もうとした久紫だが、こちらにもある志眞の手紙を見たなら、これも同じように破り捨てていった。

 あまりの憤慨ぶりに、かける声も忘れて見守る。

 「……小春」と呼ばれて返事をしたものの、引っくり返り掠れた音が出るだけ。

 それでも久紫は構わないのか、一転して柔らかな微笑みを向ける。

 途端、暖かいソレに小春の顔がぽーっと赤くなった――が。

「ドウして外道を殺めてはいけないのだロウな?」

 真心こもった物言いに、一体志眞は彼の手紙に何と書いたのか。

 小春はただただ青褪めるのみ。

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