春 起き抜けの爆弾発言
母や姉は未だ寝ているらしく、朝餉の支度をしても起きてくる気配すらない。手伝いも来ていないようだ。まだ朝早いのだろうか、そう思うものの開けた窓から差し込む陽は眩しい。
自分の部屋で寝なかったせいか、はたまた人の腕の中などという、経験なき場所で寝たせいか、すっきり目覚めない顔で黙々食事を続ける。
時折視線を感じて見れば、久紫の惚けたような表情と澱み過ぎた目にかち合う。
(……もしかして)
思えば半年間、久紫に対してはもう一ヶ月足した間、調理をしてこなかった。台所に立てば迷いなく、慣れた手順で進められたと思っていたのだが、以前と違う味付けがあったのかもしれない。
「お口に合いませんでしたか……?」
率直に尋ねれば「イヤ」と慌てて飯を掻き込む。
けれどしばらくするとまた、こちらを見る。
おかしな視線に、小春は己が珍獣のような扱いを受けている錯覚に陥った。
食べ終わり、湯呑みに茶を入れて渡せば、一口含み、表情を硬くする久紫。
「……………ソレで、イツまでココに居られる?」
(……はい? 何を仰って――)
途端、めまぐるしく思い出される、昨日の光景。
似た場面に出くわしては否定してきた内容を思い出し、何のことかを理解したなら、小春の頭は清々しいほど覚めきり、続け様、顔を真っ赤にして怒った。
「待ってください! 貴方もですか!? もう、皆様方、本当に情報に疎くてらっしゃる! あれから一ヶ月も経って、何故、わたくしが志眞様なぞに嫁いだという偽りが払拭されないのです!?」
久紫に怒鳴ったとて、関わり無き事。
しかし他から問われるより、慕う久紫の口からそう尋ねられては、さすがに平静を保ってなぞいられない。
「イツワリ……嘘、なのカ?」
「もちろん嘘です! もう、嫌……」
大仰にため息をついて痛む頭を抑え、へたり込む。
しばらくそのままじっとしていれば、まだ注がれている視線に気づいた。
はっとして、昨日散々久紫を捜していた要件を思い出す。
顔を上げ、かち合ったのは熱に歪んだ眼。
散々逃げ回っていた原因を前に怯みながらも、姿勢を正した小春は頭を下げた。
「あの時は何も言わずに帰ってしまい、申し訳ありませんでした。その後も尋ねてくださったのに、逃げてしまって」
「小春?」
近づく気配。頬に左手を添えられ顔を上げる。
久紫からの視線を受けつつ、その手を押さえて奇妙な感覚を覚えた。
離れて見れば痛々しい裂傷の痕。
「痕が……」
「手が使えれバこんなモノ、問題ナイ」
ふいっと拗ねるように顔が背けられた。
戸惑っていると、熱の籠もったため息が久紫から漏れる。
「……逃げたコトはもう、どうでもヨイ。ソレよりも、小春がいなくなってカラ大変だったんだ。家は燃えるシ、馬鹿げた縁談とヤラに付き合わされるシ……しゃもじもなくなって」
「しゃもじ……?」
「握り飯を作ロウと思ったんダガ」
「あ!? 返すの忘れてました」
短い声に逸らされた瞳が戻ってきた。
怪訝を映すソレへ弁明を図る。
「いえ、志眞様が異人さんのお宅に現れた時、絶対あの方、良からぬコトをしでかすと思ったものですから拝借していたんです。お陰で口への接吻を免れて――」
言った後で、次の日の久紫とのことを鮮明に思い出し、恥ずかしさのあまり俯いてしまった。対する久紫からは、考えるような声が届く。
「……ツマリ、あの男とは、ソノ……口づけを交わしていない、と?」
「あ、当たり前です! 何故あのような方と!」
いつだって人をからかう悪趣味な志眞を思い浮かべて、ぐっと拳を握れば、どういうわけか、久紫が口元を押さえてうなだれた。
その顔が赤くなっている。
「ナンてこった。俺は……ソウとも知らないで……」
次いで「スマない」と謝られた。
何のことかわからずに眉根を寄せれば、久紫から呻き声が聞こえてきた。
「アノ時は……アノ時の雰囲気は……俺の責任だ。ワルい。スマない」
謝り続けられて、小春はますます困惑した。
雰囲気とは何のことで、何を謝られているのかはわかるが。
あの時もすぐに「忘れてクレ」とまで言われて――忘れられなかったのは小春だ。
「異人さん、謝らないでください。あの、わたくし、その……嫌ではなかったわけですし、いえ、寧ろ嬉しかったくらいで――」
言いつつ、段々頭が真っ白になっていく。
徐々に赤らむ顔、火照る頬に混乱していれば、久紫の濁った眼が上がる。
あれほど散々恐れた眼。
だというのに、その瞬間、小春の中で変な覚悟が決まった。
ここまで来ては、もう言うしかない。
「ええと、その、わたくし、異人さんのこと……ずっと、お慕いしておりました!」
極悪非道の行いを白状した気分で頭を下げたなら。
「うえ、ちょっと押すなよ、お前ら!」
知った声のうろたえを合図に襖が倒れた。
茫然とした視線の先には、口を押さえた茶目っ気たっぷりの絹江。他、涼夏、伸介、手伝い連中が、襖を一番下に折り重なるようにして倒れている。
人の告白に聞き耳立てていたと気づくまで、さほど時間は要せず。
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