春 変わりゆくもの。変わらないもの。

 瑞穂の実家はさつきの屋敷からさほど離れていない、町寄りに位置する。

 訪ねれば彼女の母に出迎えられ、寝所へ通された。

 寝そべる姿に驚き固まった小春は、襖が閉まる音で我に返った。

「……瑞穂様。……どう、されたのですか、そのお腹」

 不躾と思いつつも尋ねれば、頬を赤らめ、愛おしそうに己の膨らんだ腹を撫ぜる瑞穂。それだけで小春は理解し、脇に腰を下ろした。

「伸介と……婚姻を結ばれたのですか?」

「はい。さつき様の破談の後、ですが……」

「破談……? でも、それにしては日が経ち過ぎでは……」

 恥ずかしそうに俯く瑞穂は、ぽつりぽつりと経緯を話し始めた。

 婚姻を結ぶ前に瑞穂の腹には子が宿っていたそうだ。

 しかし身分違いと許されず、内々に処理しろと突き放された。

 そこへ起こった、久紫とさつきの破談。本家を交えての縁談の進みは、かなり良いところまで来ていたそうだが、土壇場で久紫が裏切った、らしい。

 その頃、瑞穂は屋敷を追い出されていたので、詳しいことは知らないという。

 だがこの縁談の場面に集っていたのは、忙しい合間を縫ってやってきた春野宮のお偉方。伸介とさつきの両親は、くだらない茶番につき合わせて、などと文句を言われ、詰め寄られたのだとか。

 ――聞いているだけなのに、はっきりとその場面が浮かぶのは何故だろう。

 そうして、打開が全く浮かばない両親に代わる格好で、伸介が宣言したのは自分と瑞穂のこと。反対していた両親は、別の婚姻話で溜飲を下げるお偉方を横にしておきながら、慌てふためき制止を叫んだという。

 これを「めでたい」と言って退けたのが、あの当主。身分どうのを口にしようものなら、鼻白みながら「古い」と一喝し、渋る両親を黙らせたらしい。

 その後はトントン拍子に事が運び、晴れて夫婦となったそうな。

「…………春野宮の御当主様は、一体どういうお方なの?」

 志眞と謀って小春を春野宮に取り込もうとしていた姿しか知らず、額を押さえる。

 そんな思うところたっぷりの小春に、瑞穂は何かを察してくすくす笑うのみ。

「それで、肝心の旦那様はどちらにいらっしゃるのかしら?」

 久紫の行方を聞くつもりだったが、腹の大きな嫁を置いて、どこぞに消えている男を非難する。

 しかし、これに瑞穂は苦笑して言う。

「お狐様たちのところですわ」

「お狐……?…………なっ!?」

 聞きなれぬ蔑称に首を傾けていた小春が、膝立ちになった。

 幽藍の娘たちは一部を除き、花街の姉様方を「狐」と呼ぶ。理由は唯一つ。好いた男共が大抵、一度はあの場所へ赴くからだ。

「何を考えているのです、あの愚か者は! は、花街になぞ、よくもこの状態の瑞穂様を置いて!」

 火でも吹きそうな勢いで怒り出す小春だが、瑞穂が困惑した表情を浮かべているのに気づくと、居住まいを正した。

「瑞穂様、呼び戻して参りましょうか?」

「いえ、良いのです。どういうご事情かは……察しております故。ところで小春様? この度はどういったご用件で幽藍へ?」

 瑞穂の険しい顔に眉を寄せ、少しの間、沈黙。

 のち、嫌な気分に苛まれ、青い顔となった。

 志眞は確かに根回しをしたと――。

「……もしかして、志眞様と婚姻を結んだと思っていらっしゃる……?」

「違う……のですか?」

 首を傾げられ、小春は幽藍の情報は本当に遅いのだと身を持って知った。

「違うもなにも……最初から姉様の治療目的でしたから。色々ややこしい目には合いましたけれど、姉様も無事、病から立ち直られ……いえ、何か違うような?」

 どう伝えたものか考えていれば、瑞穂から安堵の息が漏れた。

「そう……でしたか。では、人形師様にはお会いになられて?」

 考えから引きずり戻される。

 伸介への怒りに霞んでいたが、本来の目的は久紫の行方を聞きに来たのだ。全焼した家に驚き、破談に驚いた経緯を話せば、言いにくそうな顔で瑞穂は告げた。

「人形師様は、今、伸介様と共にいます。あの……お狐様たちのところに」

 聞いて納得し、「ありがとうございます」と微笑めば、妙な顔をされてしまった。


* * *


 あら小春ちゃん、と甘い声に呼ばれ、久紫の行方を尋ねれば苦笑いの太夫。

「なんていうか、ここに来て殿方を探す人なんて、怒れる女房様くらいなのにねぇ? 小春ちゃん、あの方をとっちめに来たわけじゃないんでしょう?」

 そんな風に迎えられ、瑞穂の妙な顔の正体を知った。

 判別した花街という場所に、安堵してはいけなかったのだ。

 特に、男を捜している、女としては。

 気まずく照れれば、にこりと微笑まれた。

「でも残念。先ほど出て行かれたわよ? 何と言ったかしら、あの短く刈り込んだ頭の……伸介様? 彼と一緒に、ね」

「どちらへ行かれたかは?」

「さあ?……最近根無し草みたいだから。家は全焼、頼りの幸乃は本島。ま、尤も一番響いたのは……っとと。これは言わぬが華かしら?」

 含みをもたらす笑み。そうしてまた、聞かれた。

「それで? 晴れて春野宮の奥方様になられた小春様は、あの方にどういった御用なのかしらん?」

「…………本当、情報の遅いことで」

 ここまで来る道すがらでも、知り合いから同じように詰問を受けた。

 いい加減説明するのも面倒で、短く、

「わたくしは幸乃のままです」

「あら本当? 良かった」

 説明すると、例外なく喜ぶ顔が返ってくる。

 何故ここまで皆に喜ばれるのかわからず、一礼して帰路を目指す。

 昼前に着いて散々歩き回り、結局、陽がとっぷり暮れてしまった。

 あまり深く考えず勢いで来てしまったが、ここは花街。

 色と毒に濡れた視線が、時折小春を通り過ぎてゆく。

 ねとりと絡みつくそれらに気味の悪さを感じ、足早に通り過ぎようとしたなら、後ろから何者かが被さってきた。

「っきゃああ――!?」

 振り解こうともがくが、やけに酒臭い圧し掛かる重みは、倒れないようにするだけで精一杯。何の冗談かと、腕を回す背後を振り向こうとすれば、肩にがくりとしなだれかかる頭。悲鳴が更に上がりかけ、

「小春……」

 名を呼ばれ、叫びを引っ込めれば、捜し求めていた片眼鏡の顔が、目を閉じ苦悶を浮かべていた。

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