冬告げの春

冬 幕開けの人災

 程なく病も落ち着いて、迎えた帰宅後。

 小春は母・絹江と、何故かさつきに囲まれ、何かを期待する眼差しを受けた。

 本当はこの人たちが親子なのでは? などと半ば呆れつつ、笑って首を振ってやれば、揃いも揃ってがっくり肩を落とす。

 とはいえ、真実、何もなかったかと言えば――……。



「幸乃の娘?」

 不意に掛けられたのは、名前ですらない呼称。聞き慣れた呼び声。だというのに、小春の胸は心の臓が飛び出るのではないかというほど激しく脈打つ。

 慌てて振り向けば、不思議そうな顔を柔らかな笑みに変えた久紫が言う。

「スマンが、茶を貰えないカ?」

「……はい」

 小さく返事をすれば、おや? という顔つきで近づき、

「また熱デモ出たか?」

 そっと額に手を当てられ、顔が赤らむのを止められず固まってしまう。

「少し熱い……カ? 気分はドウダ?」

 医者でもないのに覗き込む麗しい顔に、小春は真っ赤に顔を火照らせ、

「大丈夫です!」

 今度は元気良く返事をする。

 呆気に取られたように、「ソウか」と頷き戻る久紫から視線を逸らしては、煩い心音を押さえた。

 絹江とさつきに示したとおり、別段、看病の間に何かしらあったわけではない。

 小春と久紫の関係は、今まで通り、人形師と世話役のまま――だが。

(に、人形が恋愛対象ではないと知っただけで、何故ここまで!?)

 正直、自分の浅ましさが腹立たしい。

 可能性が一縷でもあると、久紫の行動一つ一つに、おかしな反応をしてしまう。

 いっそ休もうか。距離を置けば少しは冷静になれるかもしれない。

 そんな風に考えもしたが、こうなっては世話役自体を辞めない限り、想いを引きずり続けてしまいそうだ。

「それに辞める、なんて……父様に頼まれているのですから。無理に決まってます」

 ため息をつけば、カシャン……と高い音が後ろから聞こえてきた。

 驚いて振り返ったなら、いつの間にか久紫がおり――足元には湯呑み、だった物が散らばっていた。

 咄嗟に「動かないでください」と叫んで、破片を片付ける。

 茶が来ないのに業を煮やしたのだろうと、自分の気持ちに囚われていたのを謝るつもりで顔を上げれば、蒼白の片眼鏡がそこにある。

「や、辞めル!? ゆ、幸乃の娘……辞めタかった、のか……?」

「わわっ、異人さん!? 危険ですから動かないでください!」

 泳ぐ瞳に足が一歩退くのを、腕を引いて制止する。

 間に合い、怪我には至らずほっとする。

 だが、掴んだ腕の先は、もう片方共々、小春の両肩を掴み返してきた。

 自然に向き合う形に再び熱を感じる間もなく、

「辞めルのか? 本っっ当に、辞めてしまうノカ!? 俺に何か問題でも……いや、問題だらけだったカモしれないが」

 どうやら先ほどの独り言を聞かれてしまったらしい。

 妙な必死さを見て取り、後ろめたさから小春はついつい眼を逸らす。まさか「貴方への想いで仕事が手に付かないから」などと言えるはずもない。

 しかし逆効果だったようだ。

 途端に慌て出す久紫から、あーでもない、こーでもない、と妥協案にも似たおかしな提案が、次から次へと出てくる始末。しかもどれも支離滅裂。

 終いには「人形が恐ろシイのか? 人形を作るのを辞めヨウか?」と、それでは小春が世話役をする理由がなくなってしまう。

 ――と。

 くすくすくす……。

 そんな混乱状態を笑う声が聞こえて来た。

「小春。君って凄い人気者だねぇ」

 一瞬で引きつる顔を元に戻せず、声の方向を辿れば、戸口に見知った優男の姿。

 緩く結われた薄茶の長い髪は、それより濃い茶の上着に落ち、下には新緑の着物が覗く。ふんわりと漂い絡みつく香の匂いは、紛れもなく春野宮志眞のもの。

「…………誰ダ?」

 恐ろしいほど不機嫌な久紫の声を遠くに、木枯らしを持ってきた志眞を凝視する。

 身の毛がよだつ寒さに、小春は冬が嫌いになりそうな気分に陥った。



「ご高名な喜久衛門殿の弟子にして、ご自身もまた、ご高名であらせられる宮内久紫殿にお会いでき、春野宮志眞、光栄の極みに存じます」

 人好きのする笑みを浮かべたまま、居間で深々と頭を下げる志眞。

 鼻を鳴らして受けた久紫に、新しい茶入りの湯のみを渡せば、

「小春。私にも、おくれ」

 さも当然のように言われて腹が立つ。

「志眞様? どういった御用でこちらに?」

 苦い顔を隠しもせずに茶を渡せば、手を掴まれて隣に引っ張られる。仕方なしに腰を下ろしたなら、にこりと笑んで、

「この前来た時、約束したじゃないか。今度は宮内殿にお伺いを立てたい、と。一緒に行こう、と。でも君は仕事だっていうから、わざわざ来て上げたのに」

 一々苛立ちを募らせる、毒を含んだ物言いに、小春は心底呆れた風を装う。

「あらあら、それはご苦労様なことで。どうせならずぅーーーーーっと、お待ちになっていらっしゃればよろしかったでしょう?」

「本当、君ってつれないねぇ。私はこんなにも君を好いてるのに」

「熱っ!?」

 声に驚けば、囲炉裏の向こうで久紫が茶を零している真っ最中。

 慌てて立ち上がろうとするが、志眞の方が早く動き、久紫に手拭を渡した。

「大丈夫ですか? 大切な御身に火傷でも負わせようものなら、私は幸乃殿にどうお詫びをすれば良いか」

 引っかかる点はあれど、小春の知る志眞からは想像も出来ないほどの焦り。久紫の無事を確認したなら、安堵の息まで吐いてみせる。どう考えても裏があるとしか思えない行動に眉を顰めていれば、今度はこちらに手を差し出してきた。

「じゃあ小春、そろそろ行こうか?」

「は?」

「何だト?」

 言葉は違えど、異口同音に困惑を発せられ、志眞は心底嬉しそうに笑んだ。

「実は幸乃殿が君に用があるというんだ。私はその迎えなんだよ。なに、平気さ。宮内殿の世話なら、ほら――」

 志眞が指差したのを受けて、戸口から影がさっと消える。

 が、いつまでも外されない視線を知ってだろう、伸介と瑞穂、さつきが現れた。

「分家の彼らがやってくれるだろうから。ね?」

 にこり向けられる笑みを受けず、伸介のみ睨めば、ぶんぶん手と首を振る。どうやら志眞が連れて来たわけではなく、遊びに来たところを運悪く気づかれてしまったようだ。

 頭の痛い思いにかられてため息を一つ吐いた。

 いくら嫌いな志眞とはいえ、父・信貴の使い以前に、世話になっている春野宮本家の三男坊。無下に扱うわけにはいかず、だからといって、手なぞ取る義理もない。

 一人で立ち上がり、久紫の方へ向き直り――たじろいだ。

 裸眼と片眼鏡越しの眼に、複雑怪奇な光が宿っている。

 唯一判別出来たのは、もの凄く怒っているらしい、ということ。

「…………し、失礼いたします」

 逸らしつつ頭を下げれば、返事もない。

(何故こんな目に?)

 睨みつけた元凶は、すでに戸口で、にこにこしながら待っている。

「ほら、行くよ?」

 犬猫を呼ぶ甘い声に、どす黒い思いを抱えながら通りかかった戸口脇の台所。

 ふと、思い至る。


* * *


 帰ったら帰ったで、迎えた父の顔は「もう帰ってきたのか」と途方に暮れていた。意味を察して、感じた頭痛を払うように首を振る。

 これはつまり、志眞が面白半分に小春を呼ぶ役目を担ったのだろう。

 たぶん、いや、確実に、久紫の世話が終わった後でも良い用事であったはずだ。

 これを包むことなく、庭に出て興味もない木へ爽やかに微笑む姿へ近づき、刺を含ませて言えば、

「ああ、やっぱりわかるのか。さすがは小春」

「いい加減にしてください! 今回はわたくしではなく、異人さんにご迷惑が――」

「異人さん? それは……もしかして宮内殿のことかい? ふぅん……?」

 志眞がにやにや面白そうな顔つきになる。

 段々構うのも馬鹿らしくなり、背を向ければ掴まれる腕。

 以前のように抱きしめては来なかったものの、憤慨して「離して」と引っ張った。

 すると簡単に解放された。

 質の悪い冗談ともう一度向けかけた背に、楽しげな声音が被さる。

「小春? 良いことを教えてあげようか」

 どうせ碌でもないことと、それでも一応、胡乱げに振り返ったなら、今度は無遠慮に腕を引っ張られ、腰に手が這わされた。

 気持ちの悪さに身を捩るも、抵抗を物ともしない唇が耳元に寄せられる。

「君のお姉さん、治せる医者がいるんだ」

 吹き込まれた内容に、小春の頬が怒りで染まった。

 「嘘っ!」と叫ぶより先に、額を寄せる顔が哀れみを表す。

「まあ、信じる信じないは君の勝手、だけどね。でも、君の父様はこのことを君に伝えたかったんだよ?」

 驚きに目が開かれる。

 志眞の瞳に初めて真実を見て。

 そんな小春を楽しむように、腕を離れた手が頭の後ろに這わされた。

 近づく顔。

 唇に寄り添う感触は――――

「…………くっくっくっ……最高だよ、小春」

 久紫の家から失敬した、しゃもじに追い立てられて離れた志眞の顔を、この時ばかりはにこりと笑って出迎える。

「お褒めに預かり光栄ですわ」

 本当に口づけるものとは思っていないが、遭う度に重ねられる嫌がらせの数々は、警戒するに越したことはない。そうして思いついた準備が功を奏したなら、してやったりと、笑みの一つも浮かぶというもの。

 しかし、身体は密着したまま。

 油断なく動向を探る小春に対し、志眞は笑う視線を遠くへ投げる。

 と、一瞬笑みを濃くして、小春から手を除けた。

 これ幸いとすぐさま離れる小春へ、

「小春」

 熱っぽく呼ばれて、まだ何かあるのかと睨んだなら、志眞から遠い頬に手が添えられ、逆の頬をねとりとしたものが下から上にかけて這う。

 かっと熱くなる頭に、我を忘れて志眞を突き飛ばした。

「な、何を考えてらっしゃるんですか!?」

 怒りに叫べば、

「もちろん、小春のことを」

 微笑む姿に殺気を覚えながらも、力で適うはずもない。

 出来ることといえば、口を押さえてくつくつ笑う志眞から一刻も早く離れ、怖気の走る頬を洗うことのみ。

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