夏 膝上の戸惑い

(これは、本当に布団の化け物ですね)

 囲炉裏端、闇からこちらを覗く布団の視線に、小春は呆れた苦笑を零す。

 手伝いの報告から、長雨の間、久紫がずっと布団を被ったままだとは聞いていた。

 まるで布団と一体化した化け物のようだ、とも。

 大袈裟な、と思った小春だが、夏の暑さもまだ抜けきらない日に、布団が囲炉裏端で丸まっている姿は、確かに化け物の名にふさわしい。

 しばらく惚けた様子の布団は、視線を囲炉裏に戻すと、くぐもった言葉を発した。

「シバラク、と言ったハズだが……?」

「十日も過ぎていれば、しばらく、で良いと思ったのですけれど」

 返せば面白くないと鼻が鳴らされた。

 他方を向いたと思しき様子に、小春は彼の視界の狭さを利用して忍び足で近づくと、一気に布団を剥ぎ取った。

「アッ!?」

 中から現れた久紫は眩しさに顔を顰める。

 やつれてはいない姿に内心でほっとしつつ、

「異人さん……。もしかして……眼鏡、失くされましたか?」

 小春の指摘に、非難の目を逸らし、左目を押さえる久紫。

 だが、小春が布団を持っていこうとするのには、慌てた声を上げる。

「アア、布団」

「駄目ですよ。このお布団は干さないと。湿気を吸って、すごく重いです」

 有難いことに、長雨を終えた空は快晴。縋る声を無情に払い、物干し竿に干す。

 風通しの良い久紫の家から、一歩出ただけで焼けつく陽差しに、夕方までには乾いてそうだと頷いた。

 そうして左目を隠してふてくされる久紫に、眉を寄せた小春は問うた。

「どこで眼鏡を失くされたか、覚えていらっしゃいますか?」



 渋々といった様子で案内されたのは、寝所。

 箪笥が数点と敷き布団があるだけの部屋の隅を、久紫が指差す。

「アノ、鼠の通り道だ」

 なるほど。久紫の言う通り、壁と箪笥の間に鼠が通れそうな隙間がある。

 覗けば、多少埃を被った片眼鏡が乏しい光を返した。

 とはいえ、取るにはさほど苦にならない距離である。

 首を傾げる小春に久紫は気まずそうに言う。

「腕が……通らなかっタ。道具を使ってもミタが、丁度届かナイ」

「でも、お手伝いさん方に頼めば――」

「……ドウやって?」

 心底困った、情けない顔が浮かぶ。

 そういえば久紫という人は、初対面の人間と話すのが苦手であった。

「……伸介は?」

「アイツは……言ったら笑うダロウ」

 ムスッとした表情に、ついつい頷いてしまった。

 小春の腕に道具の長さを足して、片眼鏡を救い出す際、もしかして、さつきが言っていたのはこのことなのだろうか、そんな風に小春は考える。

 久紫の世話役をいつもする自分は、特別な意味はなくとも、久紫にとっては身近な人間、気安い人間なのだろう。

 それはそれで嬉しい反面、淋しそうなあの背を思えばため息が漏れる。さつきの諦めがあろうとなかろうと、小春だって所詮、“生きてる女”なのだから。



 慎重に拭いて渡せば、頬ずりしそうな勢いで片眼鏡をつける久紫。

 小春は苦笑する傍ら耽った考えに、自分が未だ久紫に惹かれていると気づいた。

 なんて諦めの悪い。

 けれど、妙な清々しさを伴う想いは、捨てるのももったいなく――。

「ナァ、幸乃の娘」

「うぁっはい!?」

 あっさり機嫌の晴れた久紫に、惚けていた小春は素っ頓狂な声を上げる。

 これに小首を傾げながら、

「今日は夏祭りダッタか?」

「あ、はい、そうです。延長に延長を重ねて、ですけれど。……でも、異人さん、ずいぶんお祭りに御執心ですね?」

 考えもせずにそう軽口を叩けば、困惑と憤慨が入り乱れたおかしな顔。

「シュウシンというか……祭りは好きダ。……しかし、アレは人が多い。知らん奴バカリだと息が詰まル」

 初めて聞いた感想に、小春はやはり大した考えもなく、

「ではご一緒にどうですか? 最後は海に灯篭を流したりして、綺麗……で……」

 笑っていた表情が強張るのを感じる。

 一体自分は何を言っているのか、久紫の呆気に取られた顔が俯いたのを見て、赤らんだり青褪めたりしながら固まってしまった。


* * *


 祭り囃子が遠く、近くで鳴り響く。

 渡した林檎飴を頬張る久紫は、不思議な面持ちで尋ねてきた。

「舐めて食べルのか、食べて舐めるのカ、ドッチが正しい?」

「……あまり深く考えては負けな気がします」

 真面目くさった答えに、そうかと頷き、また林檎飴に口をつけた。

 小春の考えなしの提案は思いのほか受け入れられ、現在二人は祭りの只中にいた。

 せっかくの祭りということもあり、小春は紺を基調とした花柄の浴衣、久紫は白が基調の浴衣にそれぞれ着替えての参加である。

 提灯や出店の明かりに挟まれ、買い食いを楽しむ中には令嬢たちの姿もちらほらあるが、彼女らは例の噂以来、久紫に近づこうとはしない。噂を信じているというより、噂を信じてしまい、久紫に冷たくした自分たちに負い目があるらしい。久紫本人は全く気にしていないが、それでもあしらう苦労が減ったためか、いつもより伸び伸びした表情に見える。

 と、知った顔が現れた。

 こちらに気づいて近づいてきた姿に、久紫は途端不機嫌を露わにする。

 けれど、相手はこれを平然と受け止め、

「こんばんは、小春さん、久紫様。申し訳ありませんが、瑞穂さんを見ていませんか? ああ、でもご心配なさらず。痴情の縺れというものですから」

 紺に蝶が飛ぶ浴衣のさつきが、辺りに気を配りながら尋ねる。

 まるで空気のような扱いに戸惑う久紫とは裏腹に、小春は首を振って答えた。すると、すぐに別の知り合いを見つけたのか、そちらへ走っていく。

「ドウしたんだ……アレは」

 肩透かしを喰らった呟きを他所に、小春はただたださつきの背を目で追っていた。


* * *


 もうすぐ灯篭が流されますよ。

 そう振り返った肩に、両手と額が押し当てられた。

 何事かと慌てる小春とは対照的な小さな声が届く。

「…………人に……酔っタ。気持ちがワルイ」

 覗いた顔は確かに青白い。

 困惑しつつも海岸を向く、閉じた茶店の外の椅子に誘導する。

 屋台の喧騒から離れた静けさに並んで座れば、くてっと左肩にかかる重み。

 瞬間、思い出されたのは、羞恥ではなく雪乃の恐怖。

 更に困惑して、けれど支えのない方へ傾けるわけにも、避けて硬い椅子に寝かせるわけにもいかず、仕方なしに自分の膝へ、久紫の頭を横にして置いてみた。

(……仕方なしに、です!)

 自分に言い聞かせ、傍目にどう見えるかなどは二の次と、赤くなりそうな顔を叱咤する。

「ウゥ……」

 その間にも呻く久紫の背を擦る。

「大丈夫だと思ったンダが……スマナい」

「いえ、わたくしも気づかずに申し訳ございません。あ、ほら、灯篭ですよ?」

 謝り返す小春の視界に明かりが一つ、流れていく。

 意識を別に移せば少しは楽になるだろうと示した先を、久紫はぼんやり眺めた。

 月明かりに映える美麗な横顔に、どうやら作戦は成功したらしいと一息つく。

 けれどまだ青い顔が仄かな赤みを帯びているのを見、熱でもあるのではと、そっとその額に手を置いた。

 己のと比べれば、若干熱いかも知れない。

 手測りのいい加減さに辟易し、離れようとした手は久紫の手に遮られた。

「……冷たイ」

 滑らかな肌の感触に戸惑いながらもじっとしていれば、重ねられた手が離れる。

 完全に預けられた頭の重みに、小春はなんだか呆気に取られてしまった。

 しばらくの間、遠くで揺れ流れる灯篭を追う。

 と、身じろぐような感覚を膝に、小春は今しかない、そう意識を戻した。

 こんな状態の久紫に、少しずるい気もするが、ここで言って置かなければ、言いそびれてしまいそうだ。

「異人さん――」

 呼べば応えとつかぬ返事。

「この前は、本当に申し訳ありませんでした」

 この格好では分からないかも知れない。そう思いながらも頭を下げると、首を振る様子が膝に伝わった。

 目を開け、小春は戸惑う。

 てっきり灯篭を眺めていると思った瞳が、気持ち良さそうに閉じているのだから。

「異人さん?」

 もう一度呼べば、音を嫌って顔を膝に埋める始末。

 額からずれてしまった手で、短い黒髪を一つ撫でてみる。

「んんっ……」

 子供のように甘える音が低く漏れ、小春はますますどうしたものか悩み、戸惑い、赤らむ。

 こんな姿、誰かに見られたら――。

 狭い島では噂の広がりが恐ろしく早いのを、久紫が来てから散々思い知った。碌でもない好奇の目を想像し、けれど、気持ち良さそうに寝ているのを起こして良いものか分からず。


 だからこそ、駆けて来た二つの足音に、小春は咄嗟に息を殺してしまった。

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