冬 懐かしい微笑

 年明け間近の冬は、あかぎれた指に冷たさを纏わせていく。

 山吹色の着物に赤い上着を羽織り、肩口までの短い髪を揺らしながら、今日も今日とて久紫の元へ向かう小春だが、その表情には近頃困惑が多くなっていた。


 秋に久紫を花街へ案内した帰り、悪酔いした彼を伸介に預けたのだが、それからというもの、どうも久紫の様子がおかしい。

 伸介に問いただそうと思っても、町に住む恋人の下にすら中々現れない放蕩者。捕まえることはもちろん、見かけることもほとんどなかった。

 ただ日にちだけが過ぎていく中、狭い島内では元より話題になりやすい久紫の変化は、小春を介さずとも他に伝わるもので、町ではある噂が流れていた。


 曰く、久紫と伸介はただならぬ仲なのかもしれない。


 噂になる理由は小春にも察せられた。

 どれだけ令嬢に騒がれようともなびかない、町外れに住まう久紫と、どこにいるのか狭い島ですら検討の着かない伸介。公に見えない部分が明確にある二人ならば、働く想像力はどこまでも突っ走っていくもの。

「……でも、伸介は生来の女好き」

 呟いて、幼なじみのにやついた笑みを思い出す。恋人を大切に想っている反面、小春にすら気安く付き合えという、しょうもない奴だ。

 そんなことがありえるものか。

 しかし、そこではたと思い当たり、ついでに足も止まる。

「でも、異人さんは“生きてる女人”はお好きではない。つまり……生きている殿方はお好き、なのかしら……?」

 女のような手や冷淡な異国の美貌からは察せられないほど、久紫の力は強い。もしかして酔った勢いで? と想像を巡らせて、ぶるぶる頭を振った。

「はしたないわ、小春。そんなこと考えては。もしそうだとしても、世話役の仕事はきちんとこなさなくては!」

 ぐっと拳を握って空を見上げる。

 今にも雪が降りそうな曇天は、木枯らしを一つ、小春に落とした。



 戸を開けて挨拶――後。

「ひっ」

 顔を上げれば件の二人が囲炉裏越し、向かい合う姿がある。

「……幸乃の娘……シャックリか?」

「よっ! 邪魔してんぜ」

 訝しげな黒い瞳の片眼鏡と、やけに明るい幼なじみに迎えられ、小春は無理矢理笑顔を引っ張り出した。

「し、伸介……寝坊の貴方が珍しい。いかがいたしまして?」

 尋ねれば、久紫と視線を交わし、気まずそうな苦笑を浮かべる。

 まさか噂は本当だった?

 訳ありな二人の様子に部屋へ上がることもできず、戸惑い立ちすくむ。

 問いただして、事の真相をはっきりさせたいところだが、違っていたら伸介はさておき、久紫はかなり不機嫌になりそうな……。

 悶々と悩む小春を他所に、その視界で伸介が動いた。

「あー、俺、用事あるから、もう帰るわ」

「ソウか」

 幾分残念そうな、久紫の縋る響き。

 「じゃな」と草履を引っかけつつ横を通り過ぎる姿に、我に返った小春は声をかけようとするが、

「幸乃の娘。悪いガ茶を頼む」

 そう言われれば、戸が閉まるのを見送るしかなかった。



 おずおず差し出した茶に、

「アリガとう」

 と言われ、小春はひくりと愛想笑いを返す。

 最近、久紫は礼というものを憶えたらしい。前までは何をやっても当然のような顔をされ、時折腹も立っていたものだが、これはこれで居心地がすこぶる悪い。何か、とてつもない秘密を隠しているかのような、付け加えられた柔らかな微笑みが恐ろしい。

 すすす……と離れて、こっそり様子を窺う。

 久紫は茶を二、三口含んでから、人形造りに取りかかり始めた。

 なんとも為しに息が漏れかけ、慌てて口を塞ぐが遅かった。

 気がついた久紫がこちらを見る。

 気が散ったと怒鳴られる――そう思って身構える小春だったが、

「ドウかしたか?」

「い、いいえ……欠伸が」

 そんな言い訳をすれば「ソウか」と人形へ戻される視線。

 信頼を得て、徐々にこんな風に変化するならば、小春もここまで気味悪がらずに済むのだが。



 久紫が花街で求めた資料とは、すなわち、姉様方の仕草だった。

 成果は、今こうして作られている人形を見れば分かる。

 どれも艶やかな質感の、美しい肌。綺麗な角度を保った姿勢。

 そして――表情。

 今までの硬質なものから幾分和らいだそれは、久紫にしては珍しく豊か。

 思い返せば喜久衛門も、花街帰りに造った人形は、質感が豊かになっていた気がする。

 仕事も滞りなく終わり、手持ち無沙汰になった小春は、雪乃の髪でも梳こうかと部屋奥の彼女へ腕を回し、慎重に持ち上げようとした。

 とはいえ、小春より雪乃の方が少し大きい。

 見た目ほどの重さはないにしても、引きずるわけには行かない相手、どうやって運んだものか苦労していると急に軽くなった。

 見れば久紫が雪乃の身体を持ち上げている。

「ドコに置く?」

「へ? あ、ああ、はい、窓の前でお願い致します」

 言えば運び、礼に対しては手を振って応え、また人形造りに戻る。

 久紫のこの一連の行動に、小春は妙な懐かしさを覚えた。

 その理由が知れず、首を傾げがてら項垂れる雪乃の髪に触れようとして、そういえばとその顔を仰向かせる。

 変わらぬ端整な微笑みの頬にある、小さな汚れ。

 染み付くものではないが、慎重に拭う。

 気にもせず微笑む雪乃に苦笑を浮かべ、

「綺麗なお顔が台無しよ……?」

 ――可愛いお顔が台無しよ?

 重なる声音。

 はっと顔を上げ、きょろきょろ辺りを見渡せば、何故か久紫と目が合った。

 些か驚いた表情に、自分の奇行を知り、恥じては頭を一つ下げる。

 そうして、逃げるように雪乃の顔だけを意識して見つめる。

 綺麗になった頬に手の平を当て、数度撫でると、微笑にくすぐったそうな色が浮かんだように思えた。

 また、懐かしさに囚われる。


* * *


 小春の幼い初恋が終わったのは、ある女性が喜久衛門と共に現れた時だった。

 陽気な爺様の後ろに控えた女性は美しい黒髪に、麗しい微笑みを携えた人。

 自分の恋心そっちのけで、小春は喜久衛門に言ったものだ。

「喜久じい様、今年でおいくつでしたか?」

「これこれ小春や、明らかに彼女を見ながら言うのはお止め」

 照れより困惑が先に立った、皺のまだ少ない顔。

 これを受けて女性はたおやかに袖口へ手をあて笑う。

「ふふふ。ありがとう、可愛いお嬢さん。でも私、喜久衛門様と十も違わないのよ?」

「…………老け顔?」

 今度はしっかり喜久衛門を見て言えば、当人は更に項垂れ、女性は更に笑った。

 彼女が喜久衛門を慕う様は、幼い小春でもすぐに分かった。

 この女性の華やかな微笑みは、気づけば喜久衛門以上に心を捉える。

 だからこそ失恋の痛みも知ることなく、にっこり尋ねられた。

「ねえねえ、お姉様は、喜久じい様のどこがお好き?」

 茶を多分に含んでいるのを見計らった問いに、囲炉裏端で喜久衛門が盛大に吐き出した。

 しょうのない人、と笑う女性は、膝上で己を見上げる幼い目に、

「全部、かしら?」

 悪戯っぽく笑えば、もう一度含んだ茶に喜久衛門がむせ返る。

 恨みがましげな視線を受け、きゃらきゃら笑っていると、女性が「あら」と小春の頬へ手を当てた。

「煤がついてるわ。ふふ、じっとして。可愛いお顔が台無しよ?」

 柔らかな布と優しく触れる指がくすぐったい。

 お返しに女性の頬に触れれば、女性もくすぐったそうな顔を見せた。

 笑う二人の様子に、仲間はずれの喜久衛門が情けない声をかける。

「なあ“――――”、小春、どちらでも良いから茶をおくれ」



「――、スマンが茶をくれ」

 喜久衛門に重なった声音に、我に返った小春は、

「はい、喜久爺様……あ、れ……?」

「…………俺は……師匠じゃナイぞ?」

 久紫がかなり不機嫌な顔つきになる。

 慌てて謝り、立ち上がりかける小春。

 だが、雪乃の頬へ手を添えたままであることに気づいたなら、急な動きで離れる訳にもいかず、すっかり気が動転してしまった。

 雪乃の姿勢を崩さないよう手間取っていると、

「イヤ、いい。やはり、自分でヤル」

 ため息をつきつつ立ち上がった久紫を、小春は申し訳ない気持ちと多少の腹立たしさをない交ぜにした目で見送る。

(仕事中に何をしているのかしら、わたくしは。でも、やはり、なんて……)

 暗に役立たず呼ばわりされた気がして、少し剥れた。

「喜久衛門様はそんなこと言わないのに」

 ぼそり口をつく言葉。

 と、窘めるような微笑に気づき、ふっと小春の顔が和らいだ。

「でしょう?“雪乃様”」

 思い出した名前には、小春の苗字に似ない響きが含まれる。

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