秋 他愛ない暴露
(何故、わたくしはここにいるのでしょう?)
繰り広げられる馬鹿騒ぎに、小春は小さく息を吐く。
次いで左隣、酒をちびりちびり飲む、片眼鏡の男を軽く睨んだ。
久紫の師匠である喜久衛門が、幽藍島に来て最初にするのが、花街への顔見せだった。港と反対側の海辺にある花街は、本島のものより小規模だが、華やかさは負けず劣らず、色と毒に染まっている。
お遊び程度の時、喜久衛門は小春を伴っていたので、ここの姉様方とは旧知の仲。
ただし、場所が場所だけに、小春一人で尋ねたことはなかった。
(今思えば、なんて爺様だったのでしょう、喜久衛門様)
亡き人を悪く言うつもりはないが、できればこういうところとは縁遠い方が良かった。
道中、久紫の伴をしたせいで令嬢たちに囲まれ、どこへ向かうのかと問われた時、さすがに小春は答えられなかった。
なおも言い募る令嬢たちに対し、答えを授けたのは、久紫本人。
「花街」
絶句する彼女らは、久紫より小春の方を見て、信じられないと目で語りかける。
(わたくしとて、連れて行きたくて行くわけではありません!)
そう叫びたいところだが、望む久紫の手前、引きつった笑みで応対するしかない。
一人二人とはらはら離れていく、心外な目に安堵したのも束の間、
「いいなぁ、花街。……な、俺たちも連れてってくれよ。馴染みの姉さんとか、いるんだろう、小春?」
馴れ馴れしく肩を抱かれ、手で払うと非難の声。
向けば短く刈り込んだ頭の見慣れた顔がある。
お供を三人引き連れた、春野宮の問題児にして小春の幼なじみ、春野宮
品のないガラの悪い笑みに、小春は隠しもせず嫌そうな顔をした。
「伸介……貴方、まだ懲りてないのですか?」
「誰ダ?」
久紫の訝しげな表情に、はっとして紹介する。
「春野宮の分家の駄目な坊ちゃまです」
「かーっ! 兄貴らに比べちゃ駄目かも知れんが、幼なじみに対して酷くね?」
「酷いとはどちら様で? 恋人ほったらかしで花街ですか、良いご身分ですこと」
「ままま。硬いこと言うなって。いいじゃん、ちょっとくらい。若さを持て余してんだよ、俺ら」
遊びで構わないからさ、と親しげに肩を叩かれ、これをぱしんと払ってから、久紫の方を見る。
鼻を鳴らされた。
構わないということか。
伸介にも伝わったらしく、「よしっ」と拳を握る姿へ、にっこり笑って告げる。
「分かりました。でも、後でどうなるか……御覚悟なさい?」
「じょ、上等よっ!」
応じとは裏腹に、顔を青くする情けない幼なじみへ、小春は満足げに頷いた。
* * *
が、どういう訳か、当の幼なじみたちは目の前で、楽しそうに半裸で暴れ回っていた。姉様方が囃し立てるものだから、余計調子に乗って醜態を晒す始末。
喜久衛門贔屓の店の二階。窓を背に座っているのは小春と久紫、そして彼に酒を注ぐ太夫の三人。喜久衛門馴染みの太夫は、久紫に幾度目かの酒を注いだ後で、艶やかに口元を隠して笑う。
「小春ちゃんが連れてくる殿方に、こんな物静かな方、初めて。それに、お酒もお強いこと」
「……わたくしが同行しているのは人形師様だけですよ?」
色っぽい視線を向けられ、顔を背けて剥れてみせる。
「ふふふ、分かってるわ。でも驚いた……あの先生、亡くなってしまわれたなんて」
とっくりをそっと膳に置いてから、
「今度会ったら、絶対殴ってやろうと思ってたのに」
ぎゅっと拳を握る。
客に対するにはあまりに物騒な物言いに、小春は苦笑した。
「喜久衛門様、一体、何をされたんですか?」
「…………まあ、色々と、ね」
自嘲気味に笑んでから、太夫はとっくりを引っつかみ、そのまま飲み干してしまった。日頃の接待では決してやらないであろう行為の数々に、初めてのはずの久紫は文句も言わない。
(もしかすると、喜久衛門様ご贔屓の方々は皆様、同じご様子なのかしら?)
あの喜久衛門のことだから、久紫も同じように伴って花街に行ったりしたのだろう。平然と酒を飲み続ける様に、少しばかり同情の念を抱く。
と、突然倒れて小春の膳に飛び込む姿。驚き見下ろした膝の上には、仄かに顔を赤くした伸介の顔がある。
「……まあ、膳の上にあるということは、お料理なのかしら? 素敵。丁度お箸もあることだし? 作法に従って突き刺すのが良いかしら?」
冷ややかに見つめ、箸先を目玉に向けてやった。
「ちょ、怖っ! 何の作法だよ! いや待て、俺が悪かった!……じゃない、俺は悪くない! あいつらが――」
飛び起きて伸介が指差したのは、何事もなく踊り続ける半裸の集団。どれもほろ酔い加減で、伸介が転んだのも気づかない様子だ。
それでも言い繕おうとする伸介に、小春は大仰なため息をついた。
すると、くすくすと笑う声が太夫から漏れた。
「こ、小春ちゃん、大人気ね。さすが、恋多き女は違うわ」
「ごぶっ」
隣の久紫が吹いた。慌てて手拭を渡せば、困惑した顔が向けられた。
「コイ多き……女?」
嫌な部分に反応したものだ。
久紫の疑問符に顔を赤くした小春は、元凶の太夫に詰め寄った。
「姉様、何を藪から棒にっ!」
「おお、確かに小春は好きになる相手、多かったな。俺を筆頭に」
「違うわ! わたくしがお慕いしていたのは、貴方ではなく貴方のお兄様……あ」
まんまと伸介に嵌められた。
にやにや笑う顔を認め、墓穴を掘ったのを自覚する。
追い詰められた気分でいれば、騒いでいた中から一人二人と、顔馴染みの姉様が側に寄ってくる。
「なぁに? 小春ちゃんの恋愛遍歴の話?」
「そう、こいつが俺の兄貴、春野宮
「あー知ってるわ。確か……七番目くらいの好きな人よね」
「ナナ番目?」
信じられないという顔つきの久紫に、小春は顔から火が出る思いに駆られた。
よりにもよって、女を寄せつけない久紫の前で、こんな話をされるとは!
「げっ、初恋じゃなかったのか、あれ。だってあの時七つくらいだろ?」
「あらぁ? 知らないのね、貴方。最近は教えてくれないけれど、最後に教えてくれた時は丁度、三十回目の恋だったのよ」
「うへぇ……人を散々ぼんくら呼ばわりして、それかよ。そのくせ実ったって話は聞かないぜ?」
「まあ恋っていっても、片想いだけで全部終わらせてしまってるから」
片想いと聞いて呆れる伸介に、小春は未だ顔色を戻せない。
そんな様子を尻目に、興味が失せたのか、酒飲みを再開する久紫。
しかし、一度盛り上がった話は一人抜けたところで止まらず、
「すごいのよぉー? 小春ちゃん、好きになったら聞いてもないのに、捲くし立てるように喋るの。それなのに、一年も持たず違う人好きになって――」
「もう止めてください!」
両手を振って止めさせようとする小春を、からかうように笑う二人の姉様。伸介は興味深そうにふむふむ頷く。どこぞの学者を思わせる仕草が腹立たしいことこの上ない。
と、酒を注ぎ終わった太夫が思い出したかのように、会話に切り込む。
「でも小春ちゃん、確か初恋の人は二年以上も想い続けていたわよね?」
てっきり助け舟かと思ったら、予想以上の泥舟。
一番聞かれたくない遍歴に、小春は大慌てで手を振り首を振った。
「た、太夫!? 止めませんか、本当に。は、初恋の話なんて……わたくしした憶えありませんよ?」
「ええ。教えて貰った憶え、私にもないわ。でもすごく分かりやすかったから」
悪戯っぽく、けれど上品に微笑む美貌に、小春の顔がさっと青に変化する。
馬鹿騒ぎの一団と久紫以外の目には、先を促す好奇心が光り輝いていた。
口を開こうとする太夫を邪魔しようと、身を乗り出す小春を二人の姉様方が押し留める。
「小春ちゃんの初恋の相手は――」
ここでちらり、太夫が意味深な視線を久紫に向けるが、彼は全く気づいた様子もなく、酒を口に含み、
「宮内喜久衛門様、よね」
「っ――――!?」
「異人さんっ!?」
いきなり胸を叩いて苦しむ久紫の背を、顔を真っ赤にした小春が叩く。
その間にも後ろでは、驚愕の事実に楽しげな悲鳴が上がり、
「初恋で二年以上で宮内の爺様ってことは、出会ってすぐじゃない?」
「年の差あり過ぎよ?」
「加えてあげると、初恋が終わったのは違う人を好きになったからじゃないみたいよ。雰囲気で分かったわ。二番目の恋はそれから半年くらい経って――」
「太夫!!」
久紫の背を擦りながら非難すると、ぺろりと舌を出して「御免」と笑った。
「っゆ、幸乃の娘……」
呼ばれて久紫を見れば、うなだれる黒髪の合間から苦痛の表情が覗く。
この様子に、もう少し強めに叩いた方が良いかしら、と考えた矢先、
「イマの話、本当カ?……師匠が、初コイ……?」
(貴方もですか……)
途切れ途切れに聞かれ、こちらがうなだれたい気分に陥りつつ、小春はため息混じりに、一度だけ小さく頷いた。
後ろで「きゃあ、年寄り好き!」と指差される気配。
火照る顔は戻ることなく、いっそ泣きたい衝動に駆られながら、再度思う。
(本当に、何故わたくしは、ここにいるのでしょう?)
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