チャプター2:スティール・フェイス







「――今日の巡回のペアだが……」

 翌朝。署の五階に位置する異能課(ウィルセクション)の事務所で、ニコラス署長が切り出す。

「マクレーン。お前は磨田と組め」

 鈴をミドルネームで呼ぶ癖の抜けない署長が、俺と鈴で相棒(バディ)を組むよう指示し、

「彼はまだ新人よ? いきなりわたしと組んだら危険だわ!」

 鈴はそう言って、俺がここへ来たばかりの新人という体で、危険な任務から庇おうとしてくれる。

俺としても、行く先々でドンパチ騒ぎに巻き込まれたりテロに巻き込まれたりする鈴と頻繁に行動を共にするのは正直躊躇われる。それこそ昨日は憧れのキャラクターに出会えておかしな精神状態だったから喜ばしいことに感じられたが、冷静に考えれば死と常に隣り合わせの状況なんだよな。当然、警察官の仕事に危険はつきものだが、鈴の場合はその度合いも頻度も半端じゃない。

 ――けどな。

 俺はそれでも、ほんの少しでもいいから、鈴の力になりたい。一緒に成長していきたいんだ。

「たしかに、俺はまだ新米の警官です。幕明巡査部長の足手まといになってしまうかもしれません。でも、もしチャンスを頂けるなら、全力で手伝いたいです!」

「よく言ったぞ、磨田。磨田はマクレーンと実戦経験を積み、マクレーンは磨田を巻き込まないために手加減せざるを得ない。つまり暴れて損害が増えるリスクが減る。一石二鳥だ。毎日5分置きに鳴る苦情の電話に対応してる広報課の身にもなってやれ」

 と、署長。鈴はぐうの音も出ない。そういえば昨日、署を案内してもらったとき、広報課にも挨拶させてもらったが、全員が目にクマを作って青褪(あおざ)めた顔をしていたのは、まさか苦情対応によるものなのか? 主に鈴の。

「了解!」

 何も言えなくなってしまった鈴に代わり、俺が答えた。映画では語られない、描き切れなかった知られざる一面を知った気分だ。署長としては、鈴と俺を組ませることで、彼女に加減を学ばせたい狙いがあるんだな。

「よし次だ。アクア、お前はピッグズと組め」

「また私の隣で屁をこいたら許さないわよ⁉」

 課長に指名された、水色髪の綺麗な女性警官(アクア)が、不満げにピッグズを睨む。

「やれやれ、水と油だぜ……」

 と、肩を竦めるピッグズ。彼も好きで屁をこいてるわけじゃないんだが、女性陣にはあまり印象がよくないみたいだ。

 そんなこんなで、異能課(ソウルセクション)の半数ほどが指名されて相棒(バディ)となり、午前中の巡回任務に就くのだが、

「マクレーンと磨田は残れ」

 俺と鈴だけ残された。

「昨日お前らがぶち込んだジャンベリクだが、奴が所属している犯罪グループのボスの出没(しゅつぼつ)場所がようやくわかった。ナイトラビットという名前のBAR(バー)だ。ボスはその店によく来るらしい。お前らでそこへ行き、ボスが次に現れるのはいつなのか聞き出せ。もしタイミングよくボスが現れたら、令状を叩きつけてやるんだ」

 おお、映画のシナリオが動き出したぞ! でも、早速困難の予感。

 ナイトラビットは、ダーツやビリヤード台を備えた、電飾の栄えるアメリカチックなBARで、表向きは夜から朝方にかけて営業している普通の店だ。

 一週間ほど前から続く張り込みによる調査と、とっ捕まえたジャンベリク本人の記憶を昨夜にリリィが読んだことで明らかになったのだが、実は昼間でも店は開いており、そこで秘密裏に様々な闇組織の取引が行われている。あえて白昼堂々と行うことで、逆に違和感を拭い去ろうという心理だ。その証拠に、店に訪れる組織の面々は皆私服で、来るタイミングもずらしている。

 という話を、俺はおさらいがてら署長の口から聞く。

「アクアたちの張り込みと、ジャンベリクの記憶を読み続けたリリィのおかげですね。彼女は大丈夫なんですか?」

 事の顛末を大体把握している俺があたかも知らなかった体で問うと、署長は首を横に振る。

「リリィは能力の酷使でぶっ倒れて療養中だ。ジャンベリクが往生際悪く抵抗しまくったせいだろう。元気が戻ったら礼を言っておけ」

 意思能力(フォース・オブ・ウィル)は、自身の生命エネルギーを燃料として消費することで発動する。酷使すれば疲労が溜まり、休まなければならなくなる。酷いときは高熱にうなされたりもする。強力な能力ほど疲労も強く、酷使に酷使を重ねればときには命も落とす。だから、使い過ぎには細心の注意を払わなければならないんだ。

「ボスの顔と名前は?」

「この女だ。名前はセイヴ・ランバート。最近になって現れた、新手の能力者だ」

 鈴の問いに、署長は一枚の顔写真を寄越した。

 漆黒のドレスに身を包んだ、金髪(ブロンド)の美少女。確か設定は十代後半だったはず。彼女はこの映画の後半に、港で鈴と一騎打ちを繰り広げる意思能力(フォース・オブ・ウィル)の使い手だ。

 映画のシナリオ通りに進めば、これから潜入するBARでセイヴと鉢合わせすることになり、お約束のドンパチ騒ぎが始まる。さらにその騒ぎのあと、今度はこの億世橋署がセイヴに襲われてピンチになる。

「すぐ折れちゃいそうな女ね」

「甘く見るな。こいつの身元も、能力の仔細もまだ不明だ。卑劣な手を使ってくるとも限らん。それとさっきも言った通り、磨田もいるんだ。もし戦闘になった場合はよく考えて動け」

 と、署長が鈴に釘を刺した通り、セイヴは手強い。

「署長、何を言っているのかわからないと思いますが、嘘偽りなく説明します。俺たちはここに留まっておくべきです。何故なら、セイヴはいずれこの億世橋署に姿を現すからです。だからこっちは、セイヴが自ら網に掛かるのを待つんですよ!」

 先に待ち受ける事態を言うべきか否か迷ったものの、やはり億世橋署の仲間たちが危険な目に遭うのは極力防ぎたい。

「そ、それは本当なのか⁉」

 と、署長が狼狽えるのも無理ないよな。

「これは映画なんです。映画というのは、決められたシナリオによって進みます。今俺が話した展開こそが、この映画のシナリオなんです。信じてください」

「――なら尚更先手を打って、こちらからセイヴを捕まえに行くべきだ! 億世橋署(ここ)には一般市民も大勢来るんだぞ。彼らの安全のためにも、セイヴが来るのを待つわけにはいかん!」

「た、確かに……」

 署長の意見は尤もだ。決められたシナリオを邪魔するようなことをしたらどうなるかわからないけど、一般市民が危険な目に遭うことは確か。それを防ぐためには署長の言う通り、BARでセイヴを逃がすことなく捕まえるしかない。

 本来の展開では鈴一人だけでBARに行き、結果、セイヴを取り逃がし、億世橋署の襲撃を許してしまうのだが、今は状況が違う。俺が鈴と一緒だからな。

 覚悟を決めるんだ、俺よ。鈴の足を引っ張ることだけは避けつつ、セイヴを捕まえるんだ。

 私服として用意してもらったカーキのシンプルなミリタリーシャツに黒デニム、それとスニーカーを身に着けながら、俺は自分に言い聞かせた。


   ★(スタァ)


 BAR・ナイトラビットに昼間に入るための条件として、一定以上の現金を所持している必要があるという情報を基(もと)に、車に乗った俺と鈴は銀行に寄った。

 そして先輩である鈴を待たせ、俺がATMから金を下ろす。

『紙幣を、お取りください』

 まるでアニメの声優みたいに綺麗なお姉さんボイスがATMから流れてくる。ちなみに使用している銀行のカードは総務課から借り受けた特殊なもので、一日に引き落とせる額に上限が無い。こうした現金案件のときにだけ使うものだ。当然ながら必要額以上の引き出しは固く禁じられている。

『紙幣を、お取りください』

 教育課程を終えて警察官になってまだ一年目の俺は、見たこともない量の札束に怯みながら、用意してきた銀色のケースに突っ込んでいく。周りに他の利用者がいないのは幸いだ。

『紙幣を――取れっつってんだろコラ! ぶっ殺すぞ!』

 お札の量が多くて取り出すのに手間取ったら、ATMのお姉さんボイスにキレられた。

「なんだよ! 失礼なATMだな」

 そういえばこっち(、、、)のATMはそうだった。取り忘れ防止策の一環で脅し機能が導入されてるんだ。鈴のやつも第二作目でATMにキレられて逆ギレして、ATMを引っこ抜いてぶん投げてたっけ。

「おかえり。ちゃんと引き出せた?」

 銀行を出た先、路肩にハザードを焚いて駐車中の車――トヨタ・70スープラに戻ると、運転席に座る鈴が聞いてきた。彼女の愛車だ。黒いボディのスポーツカーに葡萄酒色(ワインレッド)のおさげがマッチしてかなり目立ってる。黒のジャケットに白黒のボーダーシャツ、紺のデニムに黒のブーツという鈴の装いは、とても警察官には見えない。

「ああ、キレられたけどな。思うんだが、この街のATMはもっと利用者に対して敬意を払うべきじゃないか? あの態度は失礼が過ぎるぜ。問題にならないのが不思議だ」

「それもそうね。わたしも何回かキレられて、ムカついたからぶっ壊したことあるし」

 鈴は同意を示しつつ、車を通りの流れに滑り込ませる。

「既に破壊経験おありか……」

「きっと応対システムの設計者が頭おかしいのよ」

 わかってはいたけど、映画の世界(こっち側)はいろいろぶっ飛んでるな。早いうちに耐性つけておかないと、いちいち狼狽える羽目になるぞ。

「――ところで、作戦のおさらいだけど、まずBARの入り口で金の入ったケースを渡して中に入って、BARのマスターからそれとなくセイヴが店に来る時間帯を聞き出す。これで合ってるよな?」

 拳を使う(、、、、)ことになるのはわかっているが、一応確認する。

「ええ。でも万が一、そのセイヴって子と遭遇した場合は実力行使になるかもしれないから、覚悟はしておくのよ?」

「……ああ」

 次第に高まる緊張を紛らわそうと、俺は窓の外を流れる景色に目を向ける。

新東京都は外周を壁に囲まれ、中心部に統括センタービルが聳えている以外、町並みは基本的に実際の東京都と酷似している。東京の東側――二十三区の部分の外周を大雑把な円形にカットして、城壁で囲んだ感じだ。

 秋葉原ならぬ『夏葉原』にある億世橋署を出て、そこから俺たちは西へと移動し、新宿をモチーフにした『古宿(こじゅく)』というビル街に来た。オフィスやらテナントやらホテルといった様々なビルを抱えるこの街は人通りが途絶えることはなく、常に賑やかだ。そのビル街の外れにスラムじみた飲み屋街があるのだが、件のナイトラビットはその一角にある。

 十分ほど走ったところで鈴は大通りから外れ、車を路地へと進める。そこからは世界が一変。賑わいが消えた代わりに、得体のしれぬ視線や物言わぬ殺気といった、いかにもその道の人間御用達(ごようたし)らしい雰囲気を呈した飲み屋街が現れた。その飲み屋街の奥には、バスでも通れそうな広めのロータリーがあり、酒屋からピンク色の店までが輪を描いて連なる。

 鈴はこのロータリーの路肩に車を停めた。降りた先には三階建ての建物。地上一階は酒屋で、二階と三階は賃貸になっており、地下がBARだ。壁には、ナイトラビットと英語で書かれた小さな看板が見える。

 いくつもの視線を感じるが、ロータリーに人影はほとんどない。酒屋の前に椅子を置いて腰掛け、新聞を広げる中年男性が一人だけだ。

「一応、いつでも銃を出せるようにしておきなさい」

「了解」

 鈴がそう囁いた。俺はそれとなく新聞の男を観察する。そして気づいた。新聞に小さく穴を開けていやがる。

「――見張りだな」

「みたいね。でも今のところは平気みたい」

 俺は鈴と共に何食わぬ顔でBARの地下入り口へと向かう。男の方もそれとなく姿勢をずらして、新聞の向こうから終始視線を寄越しているが、何か仕掛けてくる様子はない。

 と、地下入り口へと続く階段から、緑色の毛をフサフサさせた犬の顔をした大男が出てきた。ライオン顔のジャンベリクとは違う種の獣人だ。黒いスーツにサングラスという身なりは、闇社会の傭兵を思わせる。

「BARにご入用ですか?」

 獣人は丁寧な口調で聞いてきた。人を食い殺しそうな低い声だ。

「ああ。マスターと話がしたいんだ」

 俺はそう言って、現金入りのケースを手渡す。

 獣人はそれを受け取ると、中身を確認することなく――放り捨てた(、、、、、)。

「この時間帯のご入店には特別料金を頂いていますが、些(いささ)か重すぎる(、、、、)ようですね。今のは仕込みの重さだ。煙幕か催涙ガスの類でしょう。日雇いの素人では騙される巧妙さですが、私はそうはいきません」

 くそ、ドンパチ騒ぎになったときのための仕込みに、重さだけで気付きやがったのか! 

「あら、残念ね。誠意を込めて用意したのに」

 だが、鈴は想定内といった様子で拳を握り合わせ、バキバキと関節を鳴らす。

「ではこちらも誠意を持ってお応えしなくてはいけませんね」

 俺たちの背後から、獣人とは別の低い声がした。振り向くと、そこには獣人と同じスーツ姿のハゲ頭がいた。

 これで二対二ってわけか。

「目には目を」

「髪の毛には髪の毛を」

「敵意には敵意を」

 と思ったら、さらに方々(ほうぼう)からハゲ、ハゲ、ハゲ。全く同じ身なり、同じヘアスタイルの男が、どんどん増える。そして『髪の毛には髪の毛を』ってなんだ?

「あんた達、ただのガードマンじゃないわね?」

「私たちはボス(、、)の手駒。ボスの命令の元、どの国の軍隊よりも優れた連携能力を有します」

 何かに気付いた様子の鈴に、リーダー格らしい獣人のガードマンが返した。

「っ⁉」

 俺は動揺を隠せない。何故なら、映画本編ではこんなシーンは無かったからだ。

 本来の展開だと、獣人が言った『ではこちらも誠意を持ってお応えしなくてはいけませんね』のセリフの後、場面は店内に切り替わる。それはつまり、鈴がこの獣人たちを倒したことを暗示しているんだが、まさかこんなやりとりがあったなんて!

 特典満載だったブルーレイにさえ収録されていない、カットされた未公開シーンか⁉

「栄治、向こうから襲って来たら構わず撃ちなさい。この街の法律なら正当防衛で処理できるから」

 と、鈴が俺に耳打ちした次の瞬間。

「ッ!」

 眼前の獣人――リーダーが襲い掛かってきた。ピッグズとは大違いの豪速パンチが宙を切り裂く。鈴が咄嗟に俺を突き飛ばさなければ、俺は一撃でKOされていただろう。

「ぐえ!」

 俺は受け身を取り損ねて背を打ち付け、よろめきつつ立ち上がったところへ別のガードマンの一撃を食らい吹っ飛ばされた。最悪なことに、その衝撃で腰に差していた拳銃を取り落とす。

 ハゲたちはこの一瞬の間に、鈴の身体能力が驚異的であることを見抜き、まず鈴を崩しに掛かる。正面から三人、背後から二人の計五人で彼女を囲み、一斉に手を伸ばす。

「――女にも容赦ないわねっ!」

 鈴は気配だけで背後の二人の位置を読み、肘打ちを見舞う。肘が二人のハゲの顔面に激突した瞬間、そこを支点に飛び跳ね、前方三人のうち二人に飛び蹴りを見舞い、勢いに乗じてバク宙を決め、正面から来たリーダーの攻撃を躱して着地。間に髪入れず足払いを繰り出すと、新たに左右から迫っていた二人のハゲごと、リーダーを転倒させた。

 そして鈴は起き上がりざまに背後のハゲに中段蹴り。左右から掴みかかる二人のハゲの頭を掴んでごっつんさせて正面に向き直ると、跳ね起きたリーダーの頬を銀の拳(、、、)で打ち抜き、隣にいたハゲにもその拳を食らわせる。

 ほぼ同時に頬を殴られる形となった二人の敵はこれまたほぼ同時にスピンしながら吹っ飛んだ。だが相手の数はまだ増える。

 円形のロータリーを囲む店と店の間――狭い路地から、出待ちしてましたと言わんばかりに続々とスーツ姿の男が現れ、ロータリーで戦う俺たちの方へと群がり始める。

 なんの! 悪いやつを止めるのが警察官! これくらいで降参なんてしないぞ!

 俺は雄叫びを上げた。そうして鈴の背後から攻撃を仕掛けようとしていたハゲに掴み掛かる。ちょうど鈴が振り返りざまにそのハゲにグーパンを叩き込み、グーパンを喰らって後方へ仰け反ったハゲの頭が俺の顔面にヒットして俺まで仰け反った。ちょっと鈴さん⁉ 俺を巻き込んでるよ⁉

 そのまま倒れた俺はすぐに起き上がって銃へ飛びつこうとする度、どこかしらから蹴りや打撃をくらい、まるで跳ね返りまくるピンボールみたいにジグザグに吹っ飛ぶ。時折ハゲを巻き込みながら。

「栄治! しっかりしなさい!」

 ぐえっ! とか ぴっ! とかって短い悲鳴を吐き散らし続ける俺に、鈴の喝が飛ぶ。

 そう言われても、身ごなしからして相手は格闘のプロみたいな連中だ。【マトリックス】の【ネオ】みたいな救世主的立ち回りは無理だっての! 鈴はスティールコーティングで身を守っているのか、打撃を受けてもビクともしていない。

「おりゃあああああああああああああああああああああッ!」

 鈴がロータリーに建つ錆塗(さびまみ)れのバス停のポールを引っ掴むと、軽々持ち上げて振り回し、尚も増え続けるハゲを片っ端から薙ぎ倒す。

 一体何人いるんだよってくらい大量発生したハゲが藁のように倒れていく。

「うげぇっ⁉」

 俺はというと、鈴のポールで吹っ飛ばされたハゲの一人に激突されてまたも転倒。ああもう!

さっきからこんなのばっかり! 七転(ななころ)び八起(やお)きどころじゃないぞ。意味違うけど!

 取り落とした銃のところまで一向に辿り着けない俺を度外視したのか、ハゲたちは全員で鈴へと殺到。一斉に彼女に飛び掛かり、その上に積み重なって鈴を生き埋めにしてしまう。

「鈴ッ!」

 俺が堪らず叫び声をあげた、次の瞬間。

「んんッ‼」

 ドゴォ‼ という、岩が砕け散るかのような轟音と同時に、鈴の上に積み重なっていたハゲの山が大噴火。鈴のバカ力(ぢから)で、数十人のハゲたちが吹き飛ばされたのだ。

「――っ⁉」

 倒れ伏して痛みに耐える俺は目を見張った。噴火地点――鈴が埋もれていた場所に、異様な気配が漂っている。そこに立っているのは紛れもなく鈴その人なのだが、彼女の身体を、赤黒い靄(もや)のような、オーラとでも形容すべきものが覆っているのだ。

 だが最も目を引くのは、彼女の背中から生えた、ドラゴンを思わせる大きな黒い翼。

 上半身の服が今の力技の衝撃で千切れ飛び、鈴の強靭な肉体が露(あら)わになっている。女性離れした彼女の上体を覆うのは、黒い大人びた肌着のみ。

 俺は鈴の赤黒いオーラと翼を知っている。あれは、彼女が本気を出したときにのみ発動する、鈴に備わったもう一つの意思能力(フォース・オブ・ウィル)だ。名前は明かされていないが、鈴が怪力なのはあの赤いオーラによるものだと言われている。

 まさかこの段階であのモード(、、、)になっていたなんて! てっきり埠頭でセイヴと戦うときにお披露目かと思ってた。

 俺が見つめる先で、起き上がったハゲたちが二度(にたび)鈴に飛び掛かる。

「鈴! 危ない!」

 俺は鈴の盾になろうともがくが、殴られるわ蹴られるわでダメージが蓄積していて、すぐには起き上がれない。

「Never(ネヴァ)! Never! Never!!」

 ハゲたちに対し、鈴は一層強化された打撃を気迫と共に見舞う。襲い来る男たちを片っ端から一撃で昏倒させていく。

「Never Never Never Never Never Never Never Neveeeeeeeeeeeeer!! FACK OFF(ファックオフ)!!」

 銀色の打撃が乱れ裂き、ハゲたちが岩にぶつかる水の如く玉砕。一人残らず撃破された。

 死屍累々(ししるいるい)たる光景がロータリーを埋め尽くす中、立っているのは鈴一人。

「――大丈夫? 栄治」

 俺に背を向けたまま、勇ましい見た目とはギャップのある澄んだ声で鈴が言った。

「あ、ああ。助かったよ。それにしてもすごい背中だな。着痩せするタイプってやつか? 大袈裟に例えると、【ジェイソン・ステイサム】の背中をちょっと華奢にしたみたいだ」

「……細マッチョって言いたいの?」

「い、いや、なんて言ったらいいか、その、かっこいいなと思って」

「なんだか複雑な気分だわ。車から替えの服を出してくるから、あんまりジロジロ見ないで」

 鈴は顔を赤らめつつ翼を消失させ、肩を竦める。こうなった(、、、、、)ときのことを想定して、着替えも用意してたのか。

 鈴の背から生じる翼(、)は暗い色で、蝙蝠のそれにも竜のそれにも見える、他人を威嚇するかのような厳めしい形状だ。見方によっては、魔王大戦で絶滅したと言われる魔族を彷彿(ほうふつ)とさせ、見る者にあまり良い印象を与えない。

なぜ彼女にだけ翼が出現するのかは明らかにされていないから、尚更異様(いよう)な存在に見られてしまう可能性もある。

鈴自身もそれをわかっていて、でもどうしようもないが故に、とっくに割り切っているんだろうけど、周囲から浴びせられる奇異の眼差しはやはり良いものではないはずだ。

「俺は好きだぞ? 鈴の翼」

 つい、口にしてしまう。

「そりゃあ、たまにびっくりされたり、恐がらせちまったりすることもあるかもしれないけどさ、だからって、君のことを嫌ったり、避けたりしてる奴は一人もいない。君の活躍は何度も見てるから、保証するよ」

 自分の姿形に、コンプレックスを抱えてほしくない。可能なら、むしろそのコンプレックスを誇れるくらいの気概を、鈴には持っていてほしいんだ。

「もしかして、慰めてくれてる?」

 鈴が苦笑交じりに振り返る。

「慰めとか、同情とかとはちょっと違くて、あんまり引きずるなってこと!」

「……余計なお世話。生まれつきなんだから、そのくらい自分でも考えてるわよ。あんたに心配される言われは無いわ」

 確かに、そうだよな。俺みたいなぽっと出の新人が言うべき台詞じゃない。まだ知り合って間もないのに、ちょっと踏み込み過ぎちまった。

「――でも」

 けど鈴は、自責の念を抱く俺を見つめて、赤らむ頬をもごもごさせ、

「ありがと」

そう言ってくれた。

「その、なんか済まん。踏み込むつもりはなくて……つまるところ、あれだ」

「――?」

 不思議そうに首を傾げる鈴。仕草がいちいち可愛い。

「鈴が翼を出さなくても済むように、俺がもっとサポートできるようになるから」

 鈴の可愛さに、俺は思わず顔を逸らす。

「……言ったわね? 男なんだから、自分で言ったことはちゃんとやり遂げて見せなさい? 気長に待っててあげる。千年てとこかしら?」

「すぐだな!」

 強がりを言う俺を見て、鈴はくすりと笑った。


   ★(キュン)


 白シャツを纏った鈴と共に、俺は地下のBARへと続く階段を降り、ドアの前に立つ。ちなみに現金入りのケースは回収して車に戻した。

「わたしがマスターと話をするから、あんたは店内をそれとなく警戒して頂戴(ちょうだい)」

「了解だ」

 俺は頷き、ドアを開けた鈴に続いて入店した。

 薄暗い中、暖色のランプで照らされた店内は営業時間外にも関わらず、テーブル席はすべて怪しい目つきをした男たちで埋まっていた。空いているのはカウンター席のみ。九つあるが、一番奥のカウンター席には先客がいた。

その先客は黒スカートにグレーのパーカーという姿。俺は奴の正体を知っている。パーカーのフードを目深(まぶか)に被っていて顔は見えないが、間違いない。セイヴ・ランバートだ。

 全員、俺と鈴が入った途端に会話を止めてこっちを睨んできた。この人数、それとこの空気感、……この店内には、一般人が出し得ない悪党どもの気配が満ち満ちている。本来の展開通りだ。

「鈴、カウンターだ。フードを被った女がボスだ」

 俺は鈴の耳の傍で囁いた。映画のままの展開ということは、俺の知るバトルまで秒読みだ。

 俺がいつでも銃を取れるように片手をフリーにすると、鈴は颯爽とカウンター席についたので、俺もそれに習った。

「……ご注文は何に致しますか?」

 ちょび髭を生やした小太りのマスターらしき中年男が、カウンターの向かい側から話かけてきた。ありふれたセリフだが、この店の場合は違う。『合言葉を言え』という要求だ。

鈴もそれを察して、しかしドンピシャなフレーズはわからないので、ハッタリを効かせた物言いで応じる。

「この中で、ヤクを売ってくれるのは誰かしら?」

「――あなた達、クスリ(、、、)が欲しいの?」

 鈴の質問に、パーカー女が反応した。冴えて潤いのある、綺麗な声だ。

「ええ。良い商人がこの店に来るって聞いたから、ぜひ会ってみたいの」

「外のガードをぶちのめしたのは、クスリのやり過ぎでイカれちゃったってことかしら? それとも、効果が切れたから、その憂さ晴らし? 暴力的禁断症状?」

 パーカー女が顔をこっちに向ける。特徴的な碧眼が、フードの影の中で淡く光った。

「っ!」

 呼吸の音で、鈴が息を呑んでいるのがわかった。鈴がハゲ男たちを丸刈り(、、、)にしたことを、セイヴは知っているんだ。

 俺はここで気付いた。あの連携の取れた男たちは、きっとセイヴの能力で操られていたんだ。それを鈴がフルボッコにして行動不能に陥れ、コントロールが効かなくなったことでセイヴに悟られたと見ていいだろう。

 セイヴが操る蜂の能力は、様々な種類の毒で刺した相手を行動不能にしたり、操ったりできる。使いようによっては、今のように外敵の接近を察知するセンサーの役割も果たす、利便性の高いものということだ。

「理由がどうであれ、そんなことをしたらここのボスが黙ってはいないわ。敵にクスリを渡すなんて論外よ」

 自分がボスなのを隠すために、あたかも他にボスがいるような物言いをするセイヴ。

「謝ってもダメかしら?」

「謝るのは自由だけど、あんまり意味は無いと思うわ。だってー―」

 鈴の問いに、セイヴの声音が残虐に歪む。

「あなた達がここから出ることなんてないもの」

 次の瞬間、BARのマスターらしきちょび髭の男が手元に隠していた拳銃を向けてきた!

 どこかしらでなにかしらの動きがあると読んでいた鈴が手近にあった陶器の灰皿をぶん投げ、それがちょび髭の顔面を直撃。それを皮切りに、周囲でジャカジャカと金属音が相次ぎ、数多の銃口がこっちへ向けられた。

「栄治!」 

 鈴が叫んで手を差し出してきた。俺がそれを素早く掴むと、銀に光る膜(、、、、、)が俺たちの全身を一瞬にして覆った。薄くも頑丈な金属の膜で物理ダメージを激減させる、鈴の能力の応用技だ。

「【スティール・コーティング】!」

 それ、さっきのロータリーでも俺に使ってくれれば良かったのに!

 そんな俺の思いを他所(よそ)に、野郎どもの一斉射撃が耳を劈(つんざ)く。弾丸がバチバチと体表にぶち当たる度、激痛が走る。

「いててて! 熱ッ⁉」

 鈴の能力のおかげで被弾しても死ぬことはないが、弾丸は体表に半ば食い込んだあとで弾かれていくから、それなりに痛いし熱い。

「ぴーぴー言わない! 男でしょ!」

 この程度の痛みには慣れっこなのか、鈴はほとんど意に介さない動きで近くにあったビリヤード台を盾代わりにひっくり返すと、俺を引っ張り込んだ。

 これじゃ、鈴をサポートできる警察官になるまで千年以上掛かっちまう!

 鈴は射撃が極端に苦手なこともあり、極力銃を使わずに拳でやり合うことをポリシーにしているから、遠距離攻撃ができるのは俺だけだ。

「そうさ男さ! 俺だって――ッ!」

隙を見て撃ち返そうと拳銃を引き抜いたものの、だ、駄目だ。とても撃てたもんじゃない。俺の銃は非殺傷弾とはいえ、よく狙って撃たなくてはならない。当たり所が悪ければ怪我じゃ済まないからだ。だがそれをやろうとすると、こっちが先に撃たれてしまう。

「ちくしょう!」

 映画の主人公みたく、敵が撃ってきてる最中に身体を出して撃ち返すなんて真似はできない。普通にこっちがやられるから!

 俺の左目は何の変化も見せないが、むしろ今回はその方がいい。例のスロー再生で弾丸の動きを見切ったとしても、飛んでくる数が多すぎて避けきれないからだ。無駄に目眩がして動き辛くなるよりは、発動しない方がマシだ。

 俺が動けずにいる横では、鈴がビリヤード台から転がり落ちたピンボールを引っ掴み、凄まじい膂力(りょりょく)で敵へと投げつけ、それが野郎どもの頭から頭へ幾度も跳ね返っては直撃を繰り返し、一度に数人を昏倒させる。

「えぇーいッ‼」

 俺も真似してピンボールを投げつけるが、狙いを外したうえに壁から跳ね返って自分のおでこを直撃した。泣きたい。 

 悪いことに、いつの間にかセイヴの姿が消えている。きっとドンパチのどさくさに紛れて店の奥へと消えたんだ。確かこのBARには地上へ出る裏口があったから、そこから逃げるつもりだろう。 

「しまった! セイヴに逃げられた!」

「今は目の前の敵に集中しなさい!」

 思わず声を上げる俺に、鈴の喝が飛ぶ。

「くたばりやがれえええええ!」

 そこへ、弾が切れたらしい野郎の一人がメリケンサックを握りしめて突っ込んできた。横倒しになったビリヤード台を飛び越え、俺に飛び掛かる!

「うおおおお⁉」

 寸でのところでメリケンサックを躱した俺のサイドから、今度は酒瓶を振りかざした野郎が向かってくる。俺はそいつの腕を取って、勢いを逆に利用して放り投げ、メリケンサック野郎にぶつける。

 鈴はというと、ほぼ全員の弾薬が尽きたのをいいことにビリヤード台から飛び出し、キューを槍みたいに振り回して野郎の顔面を強打。キューが粉砕すると共に野郎も沈む。

 掴みかかる巨漢を鈴が軽々投げ飛ばし、カウンター向こうの棚に激突させる。並べられていた酒瓶が爆ぜ割れ、大量の酒とガラス片がぶちまけられる。

 俺が彼女の戦闘に見惚れたのも束の間。野郎の一人が酒瓶を叩き割り、その割れ目の鋭利な部分をナイフのように振り回して襲ってきた。

「っ⁉」

 俺は咄嗟にカウンターにあったメニュー表を構えて酒瓶を受けるが、メニュー表は一発で切り裂かれた。手で突っ張らせるようにして構えてたもんだから、切り裂かれると同時に両手で万歳するみたいな格好になる俺。カッコ悪い!

「栄治!」

 鈴が椅子をフリスビー放るみたいにしてぶん投げてきた。

「ひいッ⁉」

 俺は頭を抱えてそれを躱す。椅子は背後にいた酒瓶野郎に命中し、意識を奪った。

 鈴と将来結婚する旦那は【ロボコップ】並みに頑丈じゃないとやってられない! とかって思いながら、俺はまたも取り落としていた銃に飛びつき、

「全員動くな! 武器を捨てろ!」

 ようやく警察官らしい行動を取った。

 残った野郎どもが揃って両手を上げ、その場に両膝をつく。

「鈴! 大丈夫か⁉」

「平気よ。よく頑張ったわ、栄治」

 服をパンパンと叩きながら、鈴は野郎どもに横一列になるよう指示を出す。俺が鈴と一緒だからか、本来の展開と違う部分があるけど、かえってそのほうが安全で好都合だ。

「とりあえず、全員の所持品をチェックさせてもらうわ。抵抗したら背骨をへし折って頭をケツに突っ込むからね?」

 鈴の腕力なら割と簡単にできてしまいそうな脅しに野郎どもが竦み上がったときだった。

「ククククク!」

 どこかから、何者かの含み笑いが聞こえてきた。この声――ちょび髭のマスターだ。いつの間にか、奴も姿を消している!

「っ⁉」

 マスターの笑い声が響くと同時に異変が起きた。鈴の前に横一列で膝をついていた野郎どもが一斉に立ち上がり、各々が棚や床に転がっていた酒瓶を手に取ると、それを開けて頭からかぶったのだ。

 唐突な奇行に俺と鈴は唖然とするしかない。

「――頭をケツに突っ込まれるのはオマエらの方だ」

 と、マスターのほくそ笑むような声がしたと思ったら、カウンターの向こうにあったらしいガスコンロから火柱が上がった。とんでもない量のガス漏れでも起きない限り発生し得ない巨大な炎が突き立ち、上部の換気扇をも焼き焦がすかのような勢いで燃え盛る!

 今度は、酒をかぶった野郎どもが人形のようにくねくねとした動きで一人ずつカウンターを乗り越え、燃え盛る炎の方へ――。

「まずいわ!」

「おい! なにしてるんだ!」

 俺と鈴が連中を止めようとした瞬間、室内にあったテーブルや椅子がひとりでに浮き上がり(、、、、、、、、、、)、俺と鈴に次々と引っ付いて、圧迫してきた!

「うおおおおおお!」

 俺は床に滑り込むように身を投げ出し、それらから逃れようとするが、今度はカーペットが勝手にめくれ上がり、俺の両足に絡みつく! ついでとばかりにナプキンまで飛んできて、俺の両手を縛りやがった!

「な、何なのよこれ⁉」

 調度類に全身を挟まれて動けない鈴が呻く。

 やばい! これはちょび髭のマスターの意思能力(フォース・オブ・ウィル)だ! 本来の展開なら、ドンパチ騒ぎの途中でこの現象が起きるんだけど、その気配が全然ないからてっきり起こらないものと思い込んでた。

 身動きを封じられた俺たちの前で、野郎どもが一人、また一人と、火柱が噴き出すコンロの上に身を投げていく!

「ファイアアアアアアアアアアアア!」

「ふぁああィアアアアアアアアアアアアアッ‼」

 そして全員で雄叫びを上げつつ、積み重なって火だるまに!

「ああ! なんてこと!」

 鈴が悲痛の声を漏らす。

 酒という名のアルコールをかぶったことで瞬く間に全身が炎に包まれた野郎どもは、今度はバタバタとコンロ上から崩れ落ち、カーペットやらクッションやらに炎を燃え移らせ、次々に倒れる。あんな大火傷、早く病院に運ばないと命に係わるぞ!

 そうしてあっという間に、密閉状態の店の半分近くが炎で包まれてしまう。思い出したかのようにスプリンクラーが作動するが、炎の勢いは弱まらない。

 この現象は、マスターの能力とセイヴの能力を合わせたコンボ技!

「俺の【立て籠もり崩し(パニックルーム)】からは、誰一人として逃れられない!」

 と、マスターの勝ち誇ったような声。

 この店のマスターとセイヴはグルで、毎回こうして他の組織を招き入れ、麻薬に似せたただの枯葉と引き換えに現金を回収したのち、蜂の毒で記憶を消して帰すんだ。取引の途中で向こうが勘付いたり抵抗したりした場合は【パニックルーム】で始末するといった連携で金集めをしているってわけだ。

「これって、敵の能力⁉」

「ああ! 一定の広さを持つ室内でのみ発動可能なやつで、室内にあるものを何でも遠隔操作できる能力だ! 今俺たちを押さえつけてる調度がそうさ! でもって、野郎どもが奇行に及んだのは、セイヴの能力で操られたからだ!」

 俺は鈴に能力を説明しつつ、どうにかして椅子とテーブルによる拘束から抜け出す方法を考える。

「くっ! んんんッ!」

 鈴は全身に力を込めて、人外の圧力で密着してくる調度を押し返そうとするが、姿勢の問題で力が思うように入らず、うまくいかない。鈴のパワーでも抜け出せないなら、俺みたいなもやしなんてすり潰される他ないじゃんか! 絶対ヤダそんなの!

「俺がなんとかするから、翼は出さなくていい!」

 俺は必至に考える。意思能力(フォース・オブ・ウィル)は万能じゃない。どの能力にも得手不得手がある。だからマスターの能力=【立て籠もり崩し(パニックルーム)】もどこかに突破口があるはずだ。

考えろ俺! 考え出せ!

何度も見た映画だからすぐに対応策を考えつく自信があったのに、こういう切羽詰まった状況になると出てこなくなりやがる!

 しかもここで更に、カウンター向こうからグラス用と思しき布巾が飛んできて、俺の口を覆った。ついでとばかりに包丁まで浮かび上がり、その切っ先が俺と鈴の方を向いた状態で滞空する。いつでも包丁で攻撃できるという脅しか! 【スティールコーティング】がまだ効いてるとはいえ、包丁の先端がぶつかったら痛いに決まってる!

「もごごごごご⁉」

「栄治⁉」

 とうとうしゃべれなくなった。これじゃ鈴とコンタクトが取れない! 相手の能力をベラベラ解説する俺の口を先に封じたのは、敵ながら巧い手だ。

「さてはお前らサツだな? 外のイカした車は面パト(、、、)か? この街のサツは俺たち国民の税金で派手な車を配備しやがるんだな。金使いのよろしいことだ」

 と、マスターがどこかから聞いてくる。

 肉の焼け焦げる臭いと共にモクモクと黒い煙が漂い始め、次第に室内を満たしていく。このままじゃマズい! 呼吸困難になっちまう!

「そんな太っ腹の組織がこれ以上太くなる前に、無駄な贅肉(ぜいにく)をそぎ落としてやりたいところだが、ヤっちまったらヤっちまったで後が面倒だ。仲間を殺された蜂みたいに、別のサツが湧いて出やがるからな。命を助けてやる代わりに、警察手帳と有り金全部と車を置いていきな。ハジキもだ」

「――好き勝手言ってくれるじゃない、マスター。そっちがマウント取ったつもり?」

 この状況でも、鈴は冷静だ。

「ここまで正確な拘束ができるのは、わたしたちの居場所をきっちり把握してるからでしょう? 店の監視カメラは四隅にそれぞれ一個ずつ。その映像を常にモニタリングできるとすれば店の中。つまりあんたの居場所はカウンターの向こう! 居場所さえわかれば、こっちだって戦えるわ!」

 そ、そうだ、思い出した! 鈴の言う通り、マスターはカウンターの裏側に潜んでいるんだ!

「栄治」

「もごご?」

「あんたがわたしをサポートできるようになるって話、忘れてないからね? マスターはあんたに任せてあげる」

 鈴はそう言うと、再び全身に力を籠める。そして赤黒いオーラを身に纏い、背中から竜を思わせる翼を広げ、その衝撃で自身を拘束していた調度類の一部を吹き飛ばした。

俺の身体も一緒に。

「もごォ⁉」

 鈴の翼で調度ごと吹っ飛ばされた俺はカウンターを越えて棚に激突。半ば跳ね返るようにしてカウンター裏へ落下。その際、カウンターの裏影に隠れていたマスターと目が合い、

「く、来るなああああああ⁉」

「もごォおおおおおおおお⁉」

 おでことおでこが激突した。

 途端、意識を失ったマスターの意思能力(フォース・オブ・ウィル)が解除され、俺たちは拘束から解放された。

 そういえば、本来も鈴が今みたいに翼を使って調度を吹っ飛ばし、それを跳ね返らせることでカウンター裏に隠れるマスターを攻撃したんだった。その攻撃に利用するものが俺に変わっただけで、本来の展開通りだ。

「あんたが石頭でよかったわ」

 鈴がカウンターの向こうからこっちを覗き込んで、白い歯を見せて笑う。

「結局、今回も翼を使わせちまったな……次はもっとうまくやってみせるよ」

 言いながら、俺はその辺に落ちてたナプキンでマスターの両手を縛った。


   ★(ピカ)


 鈴が応援と救急車を呼んでいる傍で、俺は今後の展開を整理する。

「今のところちゃんとシナリオ通りに進んでるから、次は――」

 この店から逃げ出したセイヴはそのまま姿をくらますかと思いきや裏を掻いて、捕らわれたジャンベリクを逃がして利用するために、億世橋署に単身攻めて来るんだ。

「鈴、急いで署に戻ろう。セイヴが来るぞ」

 俺は電話を終えた鈴にセイヴの動向を話す。

「……本当なんでしょうね? 具体的に、いつ来るかわかるの?」

 鈴が俺を一瞥して、スープラのドアを開ける。

「時間帯まではわからないけど、今日の明るい内だ。未公開シーンも見てるからそこは間違いない。セイヴが攻めて来たときは外が明るかったんだ」

 俺はスープラの助手席に座りつつ答えた。

「なによその未公開シーンて。わたしの何が未公開にされてるわけ?」

「い、いや、特にやましい意味は無いぜ? この映画のテーマと対象年齢的に、ピンク色のシーンがあるわけじゃないし」

「いいわ。今回は信じてあげる。急ぐわよ! もう署に向かってるかもしれない」

ジト目で俺の顔を観察していた鈴は脱着式の赤色回転灯(パトライト)を屋根に取り付け、車を発進させる。

 そうして大通りに合流した俺たちだが、そこへ新たな敵が現れた。タイヤを鳴かせながら大通りに飛び出してきた数台の黒いセダンが、後方から鈴の車に迫る。

「鈴! 追手だ!」

「見えてるわ!」

 だがおかしい。本来、鈴が車を出してからすぐにシーンが切り替わり、何事もなく億世橋署へと戻ってるはずだ。

「知らないところで、いろんなことが起きてるってことか……まさに未公開シーン!」

署に戻る道中の描写は無かったから、もしかすると、その道中でこういった追手に絡まれていたということなのかもしれない。

「――あんたの予想と違う展開だったかしら⁉」

 言いながら鈴はハンドルを切り、前方の車を次々に追い越す。

「ああ! さっきのハゲたちもそうだけど、これも見たことがない!」

「先に待ってる出来事なんて誰だって見たことないわよ!」

 鈴の言はご尤もと思いつつ、俺はミラーを見る。サンルーフつきらしい黒いセダンの屋根からまたもグラサンを掛けたハゲが身を乗り出し、マシンガンを構えたところだった。

「まずいぞ! 銃だ!」

 言うや否や、無数の銃弾が飛んできた。鉛が空を切る甲高い音と共に、周囲のコンクリートが爆ぜ、弾丸の雨に周囲の車が巻き込まれる。

 鈴の愛車にもバチバチという被弾の音。

「もう! この車希少なのに!」

 鈴が苛立たし気にサイドブレーキを引き、スープラを一八〇度反転させた。そしてうまい具合に追手の一台=黒いベンツ・Cクラスと対面する形に。

「栄治、今よ!」

 鈴の言わんとしていることはわかる。まさに敵の車と向かい合わせになったこの瞬間、非殺傷弾入りの銃で撃てというわけだ。

 でも無理! 唐突なターンの遠心力で、引き抜いた銃が暴れてお手玉状態! 頼むから暴発しないでくれ!

「なにやってんのよ!」

「仕方ないだろ! もっと優しい運転してくれよ!」

 そうやってもたついてたら、ベンツ・Cクラスとスープラが正面衝突しちゃった!

 ガツンッ! という衝撃で、俺も鈴もダッシュボードとハンドルにそれぞれ頭をぶつける。

「ぴぎゃっ!」

「イテッ!」

 可愛い呻き声を漏らした鈴はまたサイドブレーキを引き、車の向きを元の進行方向へ戻す。

 真後ろにベンツ・Cクラス、左サイドにBMW・M4、右サイドにアウディ・A7という、ドイツ車に囲まれた構図だ。

「【スティール・コーティング】!」

 鈴が窓からボディにタッチして叫ぶと同時、左右と真後ろの三方向から弾丸の嵐が巻き起こり、スープラの窓ガラスやボディが次々に被弾。窓ガラスはコーティングによる防御でも耐え切れずに爆ぜてしまった。

「古いから車両保険だってほとんどつかないのにィ‼」

 鈴の悲鳴。

「奴らをとっちめて弁償させよう! 連中だって自賠責保険くらい入ってるだろ! 義務化されてるはずだ!」

「よくわからないけど、あんまり気の利いた保険制度なんて無いわよ!」

 そうでした。ここは映画の中の国でした。

 ガラスというガラスが爆ぜ割れ、暴風と共にその破片が降り注ぐ。

「ちょっとその銃貸しなさい!」 

 と、額に怒りマークを浮かべた鈴が、俺の手からベレッタをひったくる。や、やややばい! 鈴の怒りがMAXだ!

「ま、待て鈴! 射撃苦手なんだろ? だからいつも銃持たないんじゃなかったのか⁉」

「この距離で外すバカがどこにいるのよ⁉」

 そう言って、鈴は右隣のアウディへ銃を発砲。

 バスン!

 俺の股の間が爆発。シートの綿が咲き乱れた。

 え? いま鈴から見て右隣の車、つまり外側へ撃ったよね? なんで左隣の車内、それも俺の股の間に着弾してんの⁉

「――た、助けてくれぇええ!」

 血迷った俺は左隣のBMWに向かって叫ぶ。

「これ以上鈴をキレさせないでくれぇえええ‼」

 そんなの知ったことかと言わんばかりに、屋根上から弾をばら撒くハゲども。

 絶体絶命のピンチ! と思ったそのときだった。左サイドのBMWが突如コントロールを失ってスピン。ガードレールに突っ込んだ。


《観客視点(ザ・ヴィジョン)発動中》


 と、ここで俺の左目に例の能力が発動。別の視点からの映像が映る!

 後方から追い付いてきた一台のパトカーが、BMWに体当たりして姿勢を崩したんだ!

 そうして左サイドに並んできたパトカーに振り向くと、

「鈴! 栄治! 大丈夫か⁉」

 運転席から顔を出したピッグズが大声で呼ばわる。

「あなたの能力はここじゃ使用禁止だからね⁉ 私がやるわ!」

 助手席には水色髪の綺麗な女性警官。

 今朝の組み分けで一緒になった、ピッグズとアクアのペアだ!

 アクアは助手席の窓から大きく身を乗り出し、片手を耳の後ろまで大きく振りかぶった。

「【蜃気楼短剣(ミラージュダガー)】!」

 そう叫んだアクアは振りかぶった片手をこっちへ向け、まるで何かを投擲(とうてき)するようにスイングした。

 すると、一本のナイフが俺と鈴の眼前を通過し、右サイドのアウディ・A7から銃を構えていた野郎の腕を直撃。銃を落とさせた!

【蜃気楼短剣(ミラージュダガー)】。蜃気楼みたいに靄掛かった刃が敵の目を混乱させて軌跡を読み難くする、アクアの意思能力(フォース・オブ・ウィル)だ。

「――はぁっ!」

 弾むように明るい声を殴りつけるように発したアクアは、抜群のナイフテクニックで立て続けに投擲。幾本ものナイフが俺たちの目の前を通過してアウディの車内へ吸い込まれていき、

「ぎゃあああああああああああああああああっ⁉」

【蜃気楼短剣(ミラージュダガー)】で腕を負傷した運転手のけたたましい悲鳴と共に、コントロールを失ったアウディは正面を走っていたトラックの荷台に追突して姿を消す。

「これでも食らえ!」

 ゴツイ体格のハゲ野郎がベンツ・Cクラスのサンルーフから身を乗り出し、叫びながら何かを構えた。

 俺の左目が、野郎が構えた獲物にフォーカス。ろ、ロケットランチャーだ!

「やばいのが来るッ!」

 俺が危険を知らせるや否や、高圧ガスが噴き出したかのような甲高い音と共にロケット弾が飛来。俺と鈴が乗るスープラ、ピッグズとアクアが載るパトカー・クラウンの間を追い越し、十メートルほど先の地面に命中。

爆発と衝撃波に往来する車が数台巻き込まれて横転。

 歩道の通行人たちが一目散に逃げだす。

「っ! なんてものぶっ放すのよ!」

 爆砕されたコンクリートの破片が降り注ぐ中、目をひん剥いた鈴が咄嗟にハンドルを切る。

 ピッグズも鈴と反対方向にハンドルを回し、二台は爆発で生じた穴を左右に避ける形でやり過ごす。

 相手もなかなかのハンドル捌きで追跡を緩めることなく、距離を詰めてくる!

「栄治、迎撃お願い!」

 鈴に銃を返された俺は内心ほっとしたあとで油断ならぬ状況に緊迫する。心が忙しいよ!

「ちくしょう! なんて日だ! 映画じゃあるまいし!」

 いや、映画だったわ。

 スープラの後部ガラスは綺麗に割れてなくなってたので、俺は真後ろに振り向いて発砲。

 今度こそまともに対処したいところだが、気流とかが関係してるのかわからんけど、走行中の高級車って装甲車かよって思うくらい弾をはじいたり受け流したりする! だから拳銃くらいじゃ簡単には止められない!

 アクアの方も、蜃気楼短剣(ミラージュダガー)で敵の車のタイヤを狙ってるっぽいが、なかなかうまくいかないらしい。

 そして俺の左目も、やはりまだ目眩がひどい! 右目と左目で見えているものが違うから脳が混乱してるのか、発動しているうちにまた気持ち悪くなってきた!

 今にも吐き出しそうな俺の心境などお構いなしに、左目は敵が二発目のロケランをぶっ放そうとしている映像を映す。まずいッ! 直撃したら終わりだッ!

 俺の脳裏を死の文字が過った、まさにそのときだった。


「――相変わらず騒々しいな」


 鈴が運転するスープラ――そのボンネットに、黒ずくめの男が一人飛び乗ってきた。

 引き締まった長身を忍者のようなシルエットを成す黒衣で包み、同色の面頬を着けている。

「あ、あんたは!」

「鴉(・)……っ⁉ どうしてここに⁉」

 上空から、音もなく前触れもなく唐突に表れたその男に、鈴と俺は目を見開いた。

 男の名前は鴉春介渕(からすばるかいえん)。魔王大戦で人口が激減し、海外から多くの移民を招き入れた映画(こっち)の日本では少数派になりつつある、純血の日本人。

 警察よりも政府の内情に通じた秘密組織の一員らしいんだが、登場するのは今作じゃなくて、続編のパート2だったはずだ。

 面頬の奥でくぐもった低い声は抑揚が少なく、聞いてもすぐに忘れてしまいそうだ。

 こうしてボンネットの上に片膝をつかれでもしなければ、気配すらわからない。

 気配を感じさせず、記憶にも残させない。隠密行動のプロだ。

「道路で爆発が起こればさすがに目が行く。このまま放置しておけば俺の仕事にも支障が出そうだから、見に来てやっただけだ。……脅威は取り除いた。もう止めていいぞ」

「――は?」

 介渕に言われ、鈴はルームミラーを見る。そしてブレーキを踏んだ。

 どういうわけか、敵のベンツが停止していた。『なんで止めるんだ⁉』『わからねぇ。なんだかそんな気分になっちまって……』みたいなやり取りをしているのが左目(、、)で見える。今わかったけど、左目で見ている映像の音声は、左耳から聞こえてくる。片方の耳にイヤホンをはめて音を聞いてるような感覚だ。

 ピッグズたちの車は減速せず先へと進んでおり、俺たちと敵の車が止まったことに気付いて、かなり先の方で停車した。

「エンジンを切って、両手を上げて外へ出ろ」

 介渕はベンツの方へ視線を向け、そう指示を出す。すると、ベンツからスーツ姿の男が三人、言われた通りに出てきた。どいつも困惑した表情だ。

「いったい、何がどうなってるんだ? 介渕の能力か?」

 と、俺は鈴に囁く。介渕はシリーズ化されているこの映画のキャラクターの中でも、とりわけ多くの情報が謎に包まれている人物だから、俺にもわからないんだ。

「多分そうよ。あいつは、【意思能力(フォース・オブ・ウィル)統括委員会】直属の組織【八咫烏(やたがらす)】の一人。連中のことを知ってる人間は警察組織の中でもごく僅かで、わたしたちは精々名前と役割くらいしか聞かされてないわ」

 鈴は首を振ったあとで俺に向き直り、

「――ていうかあんた、どうしてあいつのことは知らないのよ?」

「映画には開示されてる情報とされてない情報がつきものだろ? 謎を残して終わるパターンもあれば、主人公の物語には直接関与しないって理由であえて伏せられたまま終わるパターンもあるんだよ」

「……随分とご都合主義じゃないの」

 この世界が映画だという事実を、さすがに完全には呑み込めていない様子の鈴がジト目を俺に向ける。

 そうしてやり取りしている内に、介渕は野郎三人を地面に伏せさせ、黒装束の袖から伸ばした黒い帯のようなもので身柄を拘束していた。

「――誰の命令だ?」

「セイヴって女に、サツの奴らを足止めしろって言われたんだ」

 介渕の問いに、野郎の一人がスラスラと答える。

「セイヴ……セイヴ・ランバートか?」

 そう呟いて、介渕は俺たちを振り返った。

「ええ。わたし達が追ってる《ホシ》の名前よ。裏方(、、)のあんたには関係無いでしょ?」

「無いといえば無いが、あるといえばある。俺もそのセイヴとやらを追っているんだ」

「どっちよ……調子狂うわね」

 介渕の意味深な物言いに、鈴は不機嫌そうな声を漏らす。彼の得体の知れない能力に全く抗えず、苦手意識を持っているんだろう。

「ぽっと出だろうと継承(、、)だろうと、能力を持つ者はすべて【バンク】の能力者リストに情報を登録する義務がある。能力を悪用した際にこちらが取り締まるためにな。だがセイヴという女はリストにない。今まで監視の目をどうすり抜けてきたのかわからんが、近いうちに委員会の意向を伝えて協力してもらう(、、、、、、、)必要があるんだ。そこのベンツの連中と同じように(、、、、、)な」

 野郎どもを拘束し終えた介渕はゆっくりと立ち上がる。

「あんたもセイヴを捕まえるつもりで動いてるってわけね。彼女が【ナイトラビット】から逃げ出したのを見てここまで追ってきたの?」

「その洞察力は認めるが、捕まえるというのは語弊がある。協力を仰ぎたいだけだ。こいつらの身柄はこちらで預からせてもらう。お前たちの命を助けたのと引き換えだ」

 手の内を明かさない介渕の物言いに鈴は鼻を鳴らす。

「よく言うわ。――もう行っていいかしら? ここで止まってるわけにはいかないの」

「ご挨拶だな。気まぐれとはいえ、助けてやったというのに」

「捜査への協力ありがとう。一応もう一度言っておくわ。セイヴはわたし達が捕(と)るから。ここから先は警察(わたし)の仕事。いいわね? 行くわよ、栄治」

 このまま放っておくと殴り合いでも始まりそうな空気に俺はソワソワしていたが、鈴が踵を返すのを見てほっとした。

「介渕だったな? 俺は栄治って言うんだ。礼を言うよ」

「待て」

 鈴に代わってお礼を言って去ろうとする俺を、介渕は呼び止めた。

「その左目(、、)、……お前の能力か?」

「え、どうしてわかったんだ?」

「左の瞳だけが青く光ってる」

「マジで⁉」

 鏡で確認しておくんだった。どうやら【観客視点(ザ・ヴィジョン)】が発動している間、俺の左目は瞳が青く光るらしい。それじゃ能力を使ってるのがバレバレじゃないか。 

「――うっ」

「どうした?」

 波のように寄せては返す吐き気によろめいた俺を見て、介渕は眉を顰めた。

「いや、車酔いしてるだけだ」

 本当は左右の視界の違いで酔ってるんだけど、俺はうまい具合にぼかして答える。自分の能力を知られることは、弱点を見抜かれ、対策をされ易くなるということ。だから無暗に他人に明かすものではないというのがセオリーだ。

「……そうか。呼び止めて悪かったな」

「――? いや、平気さ」

 今、妙な間があったような気がしたけど、今はそれどころじゃない。もう一度礼を言って、俺は鈴の車へと戻った。

「ピッグズたちには先に署へ向かってもらってるわ」

 と、無線機を片手に鈴が言った。


《観客視点(ザ・ヴィジョン)終了》


 という表示を最後に、俺の左目は通常の視野に戻った。発動するタイミングがランダムなうえ、大して特にならない情報を見せられて気持ち悪くなるという、なんとも扱い難い能力だ。

「あんた、セイヴのことは知ってるの?」

 機関は正常らしいスープラを再発進させ、鈴が言った。

「一応、彼女の能力と過去の話は設定資料集で読んだからな。今のうちに教えとくよ」

「ええ。できるだけ詳しく聞かせて!」

 鈴はそう言ってサイドブレーキを引き、車をドリフトさせて交差点を曲がる。聞く気あるの?

 俺は鈴の運転に恐怖しながらも、強敵セイヴについて話して聞かせる。

「まだ十八歳なの⁉ 確かに声は若いと思ったけど……けしからんわね」

 鈴、けしからんなんておっさん用語使うんだ。そこは初めて知った。

「セイヴはまだ未成年だけど、意思能力(フォース・オブ・ウィル)は強力だ。技術もセンスもずば抜けてる。映画のシナリオだと、彼女の能力で警察署の仲間がやられて行動不能になるからな。その混乱に乗じて、彼女は留置室にぶち込まれてるジャンベリクを逃がすもんだから、頭のキレもいい」

「参ったわね。署であなたの言い分を全部信じてあげていれば、こんな事態にはならなかったのかも……」

「仕方ないさ。俺が鈴や署長の立場だったら、きっと同じような反応しかできない。この世界が映画だなんて、完全に証明してみせることは難しいからな」

「――ここに来て、恐くないの?」

「まぁ、正直言うとちょっと恐いな、お前の運転。もう少し優しく運転してほしい――あ、そういう意味じゃない? ごめん、そんな可愛い笑顔で俺の銃抜かないで? お願いだからトチ狂わないで?」

 鈴の問いは、たった一人で別の世界に入って恐くないのか? という意味だった。

「元の世界に戻れるかわからないのは不安さ。だけど、これは警部補に託してもらった務めだ。憧れの鈴にも会えたし、むしろ光栄というか、喜びの感情の方が強いよ」

「そ、そんなにこっち見ないでよ。わたしは人に憧れられるようなタマじゃないわ。暴れん坊って言われるようなことしかしてない……」

「それが君の個性なんじゃないか。悪意があってやってるわけじゃないんだ。結果として暴れたような有様にはなっちまってるけど、皆はその辺ちゃんとわかってるはずだぜ? でなきゃ人気投票で一位になったりしないよ」

「わたし、人気一位なの⁉」

「そりゃそうさ。主人公だからな!」

「……そ、そう」

 こんな返し方でよかったのかわからないが、鈴は顔を赤らめ、運転に集中する。

 ぶっ飛んだ運転でかっ飛んだからか、バーを出て五分かそこらで億世橋署へと戻ってこれた。

 そして、早速異変に気付く。

 署の入り口の前にパトカーが止まり、その側にピッグズとアクアが倒れていた。

「――おい! 大丈夫か⁉」

 俺と鈴が駆け寄るが、二人は意識を失っていて反応がない。

「呼吸はしてるけど、妙ね。殴られたような跡は無いわ」

「きっとセイヴだ。彼女の能力で眠らされてるんだと思う。間に合わなかったか。――っ!」

 見れば、いつも正面玄関の両脇にいる立番(たちばん)も倒れ伏している。これはのんびりしちゃいられないぞ!

「蜂(、)に気をつけろ鈴。蜂がセイヴの能力の鍵だ。俺の読み通りなら、セイヴは留置室に向かいつつ、外敵対策に見張りの蜂を潜ませてるはず……」

 俺は銃を取りつつ足早に玄関へ近づき、中の様子を伺う。中にいる連中も意識がなく、至る所で倒れている。

「もう! わたしの【スティール・コーティング】なら蜂からみんなを守れたのに!」

 鈴は俺の肩に触れて【スティール・コーティング】を掛けながら、悔し気に言う。

「今まで取った分の遅れを、ここで取り戻そう!」

 俺は鈴と共に覚悟を決め、署内に突入する。

 署の地下にある留置室への階段には人影も蜂の姿もない。俺は階段の側で床にコーヒーをぶちまけて倒れる同僚――その手から転がったと思しきマグカップに手を触れた。

「まだ温かい。つまり、襲撃されたのはついさっきってことだ」

「なら今も地下にいるわね。とっ捕まえるわよ!」

 鈴はそう言うと階段を勢いよく駆け下りていく。

「突っ込むのは待て鈴! セイヴの狙いはジャンベリクの解放だ! もし奴の拘束をセイヴが解除してたら危険だぞ!」

俺は引き留めようとしたが、鈴はあっという間に階下へ消えてしまう。今の俺たちに蜂の攻撃は効かないが、ジャンベリクが放つ攻撃は威力が桁違いで侮れない。

 いつもなら冷静に物事を見極めてから派手に暴れるはずの鈴だが、【ナイトラビット】で一度取り逃がしているからか、ちょっと急(せ)いているように見える。

 仕方なく後を追う俺だが、得体の知れない違和感が脳裏を過った。

「……っ⁉」

 なぜ、見張りや妨害用の蜂が一匹もいないんだ?

 俺はその違和感の正体に、地下から轟音が聴こえたのと同時に気付く。

 大急ぎで階段を駆け下りた先――複数の留置室に一つの監視室、留置人用のシャワー室、そ

して物置などのドアが両サイドに並ぶ地下一階の通路に粉塵が渦巻いていた。

「――くそ!」

 空調が働いて粉塵が薄れる中、思わずそんな声を漏らす俺の視線の先で、二つの留置室の格子扉が壁ごと吹き飛ばされていた。

 更によく見ると、破壊されたドアの向かい側の壁に鈴がめり込んでる! 待ち構えていたジャンベリクの攻撃で吹き飛ばされたのか!

「鈴ッ!」

「来ちゃダメ!」

 駆け寄ろうとする俺を、鈴の怒声が止める。

「ゲハハハハハハハハハハハッ! 形勢逆転だぜェ!」

 破られた留置室の中から、青い毛むくじゃらの獣人が出てきた。その両腕は俺の胴体並みに太い木の姿へ変わっている。奴の能力は全身ではなく、身体の一部分のみを変身させることが可能なんだ。たった一撃で自分の部屋だけじゃなく、隣の部屋の壁やドアまで巻き込んでぶっ壊しやがった!

「少しは加減しなさい? ジャンベリク。煙たいわ」

 更に、落ち着き払った金髪(ブロンド)のショートカットの少女――セイヴ・ランバートが姿を現す。彼女の背には、蜂の大群が一塊になって滞空している。

 遅かった! セイヴは警察署の人間を蜂で一斉に襲って眠らせ、あえて見張りの蜂は置かず、留置室に侵入してジャンベリクの拘束を解き、この狭い地下空間に鈴が現れるのを待ち構えていたんだ。

 狭い場所の方が、相手を逃がさずに始末できるから。

「止めないでくれよ? ボス。念願のお礼参りが叶うんだ!」

 と、鋭い牙をむき出しにして獰猛な笑みを浮かべるジャンベリク。

「……あんたじゃわたしに勝てないってこと、まだわかってないみたいね?」

 鈴は壁にめり込んで脱出できない状態にも拘(かかわ)らず、不敵に言う。

「止まれ! 動くと撃つぞ!」

 俺は銃を構えるが、相手はまるで意に介していない。それもそうだ。セイヴは蜂たちが束になって弾丸から守るし、ジャンベリクは身体を木に変えれば弾丸をほぼ通さない芸ができる。

「栄治、あんたは上に行って、どうにかしてみんなを起こして!」

「残念だけど、それは無理ね。蜂の毒は、わたしが能力を解除しない限り、短くても丸一日は身体を蝕むの」

 大の字にめり込んだ壁から抜け出そうともがく鈴に、セイヴは冷笑を浮かべる。

 彼女の言う通り、俺が上に行ったところでみんなを起こすことはできない。

「――というわけだからよォ、そこのもやし野郎は相棒がぶっ殺されるザマを目に焼き付けろ」

 嗜好の獲物を前にした獣のように舌舐めずりをするジャンベリク。

 ――本来なら、鈴はこんなことにはならないはずなんだ。億世橋警察署に戻るタイミングがもう少し遅くて、セイヴたちに完全に逃げられてしまうから。

 それが、俺が下手に出しゃばって、鈴が敵を迎撃するのを手伝ったり、この先の展開について入れ知恵したせいで、鈴の行動に本来の展開とのズレが生じてしまった。

 落とし前をつけなくては! 俺があいつらを取り押さえるんだ!

「……っ! 来い!」

 俺は左目を閉じ、能力が発動するイメージを作る。これで本当に能力が発動する保証は無いけど、発動させるしかない!

「来い! 頼むから来い! 観客視点(ザ・ヴィジョン)‼」

 …………だ、ダメだ! 左目の視界はいつものまま! 能力が発動できない!

「そんなひょろひょろの形(なり)でまた戦おうってのか? あァ⁉」

 ジャンベリクが血走った目を俺に向け、木に変身した腕の片方を伸ばしてきた。

「くッ!」

 根っこのようにくねる木の腕をどうにか躱した俺だが、それがジャンベリクの狙いだった。

「そォらァ!」

 しまった! 俺の横を通過した木の腕――それをジャンベリクが思いきり横に振り、俺はそれに巻きまれた! 壁に叩きつけられる!

「ッ⁉」

 だがその寸前、奇跡が起きた。


   《観客視点(ザ・ヴィジョン)発動中》


《スロー再生開始》


 スローモードだ! これでジャンベリクの腕の動きがゆっくりに感じられるようになった!


   《分析開始》


 しかも今回はスローモードだけじゃない。新しく分析モードが発動したぞ!

 左目で相手の意思能力(フォース・オブ・ウィル)を見たら、そのステータスが表示されるようになっている!


《能力名=巨木の生成者(タイタン・ツリー・グロース)》

・攻撃性=8 能力が相手にダメージを与える力の度合いを示す。

・安定性=8 能力の性能が上下せずに安定する度合いを示す。

・持続性=2 能力の継続発動時間を示す。

・継承性=1 他人や物に対する能力の付与のし易さを示す。

・進化性=3 能力の進化のし易さを示す。能力は進化によってステータスが上昇する。

・影響範囲=7 能力の効果が届く範囲を示す。


 意思能力(フォース・オブ・ウィル)には6つのステータスがあり、各能力ごとにその数値は異なる。それぞれ得手不得手があるんだ。

 左目に表示された数値で思い出したけど、ジャンベリクの場合、伸縮自在な植物系の能力に強力なパワーが備わっている反面、持続性や、自分の能力を他人に施す継承性が低いという弱みがあるんだった。

 つまり、スローモードを使って奴の攻撃を避け続けて翻弄すれば、息切れを起こさせることができる!

 やるんだ、俺よ。そうして奴が疲れたところを取り押さえろ!

 まず、俺を壁に押し付けようとしている木の根を屈んで躱す。

ジャンベリクは俺が攻撃を避けるのを目視し、今後は伸ばした腕を上から下へ振り下ろす。

 頭上から迫る木の根を横へ転がって躱す。ジャンベリクが次の動作に入るよりも早く前進し、奴との距離を少しずつ詰める。

 ここでセイヴの蜂たちが動いた。蜂は木の腕よりも格段に速い。スローモードでも、目で動きを追うのがやっとだ。何匹かをぶっ叩いて落とすが、背後に回り込んだ蜂が首に取り付く。

 だが、幸いにも痛みは無い。鈴の【スティール・コーティング】のおかげで、蜂たちの針は俺に刺さらないらしい。


《能力名=グリーン・ホーネット》

・攻撃性=6

・安定性=7

・持続性=7

・継承性=2

・進化性=6

・影響範囲=⒑(MAX)


 左目にセイヴの意思能力(フォース・オブ・ウィル)のステータスが出る。さすがラスボス級とあって、継承性以外の

数値は総じて高い。確か映画の設定資料に載ってた能力ステータスは十段階評価だったから、資料通りの数値が表示されていると見える。

 まずいぞ。持続性はジャンベリクの【巨木の生成者(タイタン・ツリー・グロース)】以上だ。彼女を相手に息切れを狙うのは厳しい。

 俺は立て続けに襲い来る木の根を躱しながら、集(たか)ってくる蜂を叩き落とす。

「このもやし野郎、俺の攻撃を見切りやがる!」

 視界はスローだが、体感的にそう見えているだけで時間そのものがスローになっているわけではない。だから音声は少し後になってから通常の早さで聞こえてくる。

「なかなかやるお巡りさんね」

 と、セイヴ。

いいぞ、ジャンベリクを翻弄できている。このままもう少し近づいて、鈴を引っ張り出せるといいんだが!

 俺がそう画策していたときだった。


「――ククク。僕も入れてくれよ、お巡りさん」


 背後から聞き覚えのある声がして、俺は思わず振り返ってしまう。

「っ! 安倍⁉」

 通路に安倍十吾(あべのじゅうご)が立っていた。

 ジャンベリクが暴れた拍子にぶっ壊れた二つの留置室。その片方は奴が捕らえられていた部屋だ!

「なるほどねぇ、映画の知識を活かして、悪党を捕まえるヒーロー気取りで立ち回ってるわけか。楽しそうでなによりだよ」

 この状況下にも拘わらず、安倍は心底愉快そうに話す。

「――よそ見してんじゃねェええええええええ!」

 ジャンベリクの怒声と共に、俺は木の根に身体をさらわれて今度こそ壁に叩きつけられた。

「ぐぁあッ⁉」

 鈴のコーティングのおかげで潰されずに済んだものの、俺は全身を襲った衝撃と鈍痛に耐え切れず、壁に背をもたれてずるずるとへたり込む。

 ちくしょう! 安倍め、なんてタイミングで現れやがる!

「ククク。いいぞジャンベリク。そこのツインテールの女もやっちまえよ。彼女はBARでの騒動で体力を消耗してるから、今がチャンスだ」

 含み笑いを漏らしながら、安倍はジャンベリクたちの方へ近づいていく。

「言われなくてもやってやるぜェ! まずは拳でいたぶってやるゥ!」

 安倍の乱入などお構いなしに、ジャンベリクは鈴へ向き直る。そして、俺を壁に叩きつけた木の腕を一旦収縮させて元の人間の腕に変えると、その場で拳を構えた。

「――待ってジャンベリク。そこのお兄さん、あなたは何者なのかしら?」

 安倍の見透かしたような発言と、そこそこイケメンで只者ならぬ雰囲気に興味を持ったのか、セイヴが尋ねる。

「僕は君と同じ、意思能力(フォース・オブ・ウィル)使いだよ。自分の能力で世界をより良い方向に変えてやろうって言うのに、そこのお巡りさんに邪魔されて、ここに閉じ込められていたんだ。出してもらったお礼に、もし困っているなら力になるよ?」

「あなたの意思能力(フォース・オブ・ウィル)は、どんなことができるの?」

「未来を見通すことができる。この世界でこれから起こることがわかるんだ」

安倍の言を聞いたセイヴの目が細められる。

「……未来のことならなんでもわかるの?」

「なんでもとはいかないけど、君の身の回りに起こる出来事ならある程度わかる」

「未来が見えているなら、あなたはどうして捕まったの?」

 セイヴの冴えて潤いのある声が、次第に冷気を帯びるかの如く低められる。

「ここにいれば、君に会えると思ったからさ」

 嘘つけ! 鈴の裏拳で吹っ飛んでしょっ引かれたからだろ!

「はったりだとは思えないけど、まだ信用するほどでもないわね」

セイヴの殺気じみた気配は、十代の少女が放つものじゃない。

 汗を浮かべる俺だが、一方で安倍は尚も平然としている。

「――ヴァーデン・アイル・アクティング(、、、、、、、、、、、、、、、、)の在処(ありか)を知ってる。と言ったら?」

 安倍は勝ち誇ったような得意顔で言い、セイヴの目が僅かに見開かれた。

 ここでその名前を出しやがったか!

「……もし嘘だったら命をもらうけど、いい?」

「僕は君にだけは嘘をつかないよ。本当のことさ」

 用心深いセイヴは顔色一つ変えない安倍を訝しむように睨んでいたが、

「……いいわ。ついてくれば話くらいは聞いてあげる」

 そう言って悠然と歩き出した。

 俺たちが下ってきた階段の方へ。

【想征剣(ヴァーデン・アイル)】は、勇者が扱ったとされる剣の姿形をした意思能力(フォース・オブ・ウィル)のことで、かつての【魔王討伐大戦(ワールド・ウォー・S)】に、鍛冶職人であり意思能力(フォース・オブ・ウィル)使いでもある名工=アイルによって生み出されたという設定だ。

【想征剣(ヴァーデン・アイル)】は意思能力(フォース・オブ・ウィル)使いでその名前を知らぬ者はいないと言われるほど歴史的に有名な能力で、疑似継承(アクティング)は謂(い)わば、【想征剣(ヴァーデン・アイル)】の能力の一部たけを使用可能とする廉価版(れんかばん)。設定資料には、この【想征剣(ヴァーデン・アイル)・疑似継承(アクティング)】であっても、最強の意思能力(フォース・オブ・ウィル)の一角とまで書かれていた。

 さすがのセイヴもその名は無視できないみたいだ。

 俺が今いる世界は【フォース・オブ・ウィル】の第一弾。件の【想征剣(ヴァーデン・アイル)・疑似継承(アクティング)】が登場するのはもっと後になってからだというのに、安倍め、ストーリー展開を無視して無双する気か!

「どぉりゃああああッ‼」

 ここで鈴が渾身の怪力を見せ、完全に嵌(は)まっていた壁を砕いて脱出した。

「いいぞ幕明ェえええええええ! そう来なくっちゃなァああああああああ‼」

 血走った目で雄叫びを上げるジャンベリクへ、鈴は銀の拳を打ち出す。


《能力名=わたしの信念は揺るがない(スティール・フェイス)》

・攻撃性=6

・安定性=9

・持続性=6

・継承性=⒑(MAX)

・進化性=4

・影響範囲=2


 鈴のステータスも設定資料の通りだ。数字だけを見ると攻撃性能はジャンベリクに劣っているけど、鈴が努力で身に着けた腕っぷしの強さと天性の運動神経が彼女の戦闘力を底上げして、結果的に互角かそれ以上の立ち回りを可能にしている。

 継承性が最高値なのも強みだ。そのおかげで、鈴は触れた相手にも自身の【スティール・コーティング】を施すことができるわけだからな。

 だが、壁に激突してめり込んだダメージが残っているのか、今の鈴はいつもよりも打撃のキレが悪い。

 このままじゃダメだ。小さい胸のことをイジって鈴をキレさせないと!

「俺様の勝ちだァああああああああああああああああああああああああああ‼」

「ぐぇッ⁉」

 俺が如何にして鈴の胸の大きさに触れようかと考える間に、ジャンベリクの拳が鈴の腹部を捉え、鈴は衝撃で俺の方へと吹っ飛ばされた。

「うぉっと⁉」

 咄嗟の反応でなんとか鈴をキャッチする俺だが、反動に耐え切れず背中から倒れた衝撃で、発動中だった左目の能力が切れてしまった。

 むにゅん。

 しかも良いことに、いや悪いことに、倒れた拍子に鈴を抱きかかえる俺の手の位置がズレて、

彼女の胸を掴んでしまった。

「――どこ触ってんのよ!」

「す、済まん! 不可抗力だぶぅッ⁉」

 このタイミングでおキレなさった鈴の肘打ちが俺の腹部に三十センチくらい食い込んだ。

 俺はこの瞬間、鈴の【スティール・コーティング】が解けていることに気付いた。今朝から今まで戦いっぱなしで、エネルギーを使い果たしたんだ!

「しぶてェ野郎だぜェ!」

 そう叫んだジャンベリクの木の腕が、頭上から振り下ろされる!

「鈴ッ!」

 俺は鈴を庇おうと動いたが、それは鈴も同じだった。彼女は俺を攻撃から遠ざけるために、その腕力で俺を大破した留置室内へぶん投げたのだ。

 俺は留置室奥の壁に激突。同時に鈴はジャンベリクの腕に上から押し潰されてしまった。

「ゲハハハハハハハハハッ! 思い知ったかァ!」

 ジャンベリクの咆哮が響く中、俺は床を這う。今度は床にめり込まされ、意識を失った鈴の下へ。

 そんな俺を、安倍が蔑むような目で見てくる。

「あのとき僕と取り引きしてくれていればそんな思いはせずに済んだのに。残念だねぇ?」

 言って、安倍は床に仰向けに倒れた鈴の首筋に指を当てる。脈を測っていやがるのか。

「ジャン、気は済んだ? 長居は無用よ。わたしはこれから神父様に集めたお金を渡さなくちゃいけないの」

「ああ、わかった。ところでボス、次はどこで暴れさせてくれるんだァ?」

 セイヴとジャンベリクの声が遠ざかっていく。

「――あんたがこの映画を本来のシナリオ通りに運ぼうとするなら、僕はセイヴの側につくまでさ。これで均衡が保たれるってものだろう? 幕明鈴はくたばった。これで僕の望み通り、この映画は終わらない。元の世界に戻りたいなら、僕の邪魔はしないことだね。黙って僕の能力の進化を祈るんだ」

 嘘だろ⁉ 鈴がくたばっただって⁉ そ、そんなわけあるか!

「お、お前の都合のために、他のキャラクターが傷ついてもいいっていうのかよ⁉」

 安倍は噴き出すように笑う。

「おいおい、勘弁してくれよ。たかが映画だぜ? 架空の物語に、架空のキャラクターだ。あんたは本気で深く感情移入するタイプだね? 一ついいことを教えてやるよ。共感性の高いお

人好しはサツの仕事には向かない。いざってときに犯人に同情して気を緩めがちだからさ。忠

告はしたからね? 次に邪魔をしたら、あんたの最期だ」 

 そう言い残した安倍は踵を返し、セイヴ達に続いて階段の方へと消えた。

「く、くそ……ッ!」

 みんな行動不能にされてしまった。完敗だ。連中に逃げられた。俺は全身を襲う痛みに耐えながら、鈴のところへ這うことしかできない。

「――鈴、鈴!」

 ジャンベリクに押し潰され、背中から床にめり込んだ鈴。しかしさすがは主人公とでも言うべきか、まだ息はあった。

「――うぅ、栄、治?」

 苦悶の表情で片目を開き、鈴は俺を見る。

「鈴! 大丈夫か?」

「安倍が首に触れる瞬間、その部分だけコーティングして脈の振動を抑えたから、なんとかやり過ごせたわ」

 なるほど、そうして死んだように思わせたわけか。

「でも、もう能力は発動できない。エネルギー切れよ」

「戦い続きだったからな。無理もない」

 意思能力(フォース・オブ・ウィル)は、文字通り意思の力だ。意思は無限に生じるものだが、能力の発動には体力も必要なんだ。つまり、体力という名のエネルギーが切れれば発動できない。しばらくの間休憩を取って、回復を待たなくてはならない。

「――あいつらは、どこ?」

「済まない、取り逃した。連中は勇者の剣(、、、、、)――その廉価版を手に入れるつもりだ」

勇者の【剣】――【想征剣(ヴァーデン・アイル)】を継承して扱えるのは、勇者とその血族のみ。でも、【想征剣(ヴァーデン・アイル)】には疑似継承(アクティング)と呼ばれる特殊能力があって、勇者またはその血族の者が認めた人間であれば、血族でなくても剣の能力の一部を継承して使用することができる。

「勇者の剣? ……まさか、伝説の意思能力(フォース・オブ・ウィル)の継承者が実在するってこと?」

 驚愕を漏らす鈴に、俺は頷く。

「ああ、一人だけいるんだ。本当ならもっとあとのシリーズで言及される話なんだけど、連中はきっとそこへ向かってる。その継承者に剣の使用を認めさせるつもりなんだと思う」

「……栄治、聞いて」

 意を決したように、鈴は言う。

「今この街で、事情が全部わかって動ける警察官はあんただけ。だからあんたが行くの。あいつらよりも先に剣を確保して、これ以上悪さをさせないようにするのよ」

 とんでもないことになっちまった。この映画の主人公がダウンして、代わりに俺が動かなきゃならんとは。

「……わかった」

 俺は鈴の目を見て頷く。これは試練だ。鈴のことを支える警察官になれるかどうかの。

 それに、償いでもある。俺と安倍がこっちの世界に乱入したことで、本来の物語を掻き回してしまってるからな。

「あんたなら、きっとやれる。ここまでわたしに着いてこれたんだから」

「君が何度も助けてくれたからさ。今度は俺が助ける番だ」

 俺は鈴を抱きかかえて立ち上がる。安倍に対抗して行動できるのは、奴と同じ現実世界から来た俺しかいない。

「ひゃっ⁉ ちょっと、わたしのことはいいから、早く行きなさいよ!」

「もちろんすぐに追いかける。けど疲弊した君を放置するわけにはいかない。相棒(バディ)だろ? 俺たち」

 俺が言って階段へ向かうと、鈴の顔が急激に赤くなり始めた。ほらな、疲れが顔にまで出てる。やっぱり放っておけないよ。

「……ひょろいように見えて、意外と力あるじゃない」

「これでも警察官だからな。筋トレは欠かさないようにしてるんだ」

「――あんたって、どうして警察官になろうと思ったの?」

 ふと、鈴が聞いてきた。激闘のあとで火照っているのか、体温も高めに感じられる。

「警察官になった理由、……か」

 階段を地上階へと昇る俺は、鈴に憧れたからと言おうとしたが、面と向かって本人に言うのはなんだか恥ずかしい。

「……自分をもっと強くして、悪者にひどいことをされてる人を守りたいと思ったから、かな?」

 それは決して、偽善でも嘘でもなく、格好つけでもない。鈴への憧れが警察を志すきっかけになったのは間違いないけど、この思いは後からついてきた、俺の信念みたいなものだ。

「わたしと一緒ね」

 と、鈴。

「――わたしの父親が警察官でね、その姿に憧れたからっていうのもあるんだけど、育ててもらう内に少しずつ視野が広がって、いろいろ学んで、そうしてあんたと同じ考えを持って、警察官になったの」

 なんだ、警察官を志す経緯も似てたのか。俺も鈴も、誰かに憧れて、自分も同じようになりたいと思ったところから始まったんだな。

 そう思うとなんだかおかしくなって、俺は笑みを溢してしまう。

「そこ笑うところ?」

「――いや、俺も似たようなもんだからさ。人に憧れてこの仕事を選んだって言おうとしたんだけど、恥ずかしくて言えなかったんだ。それがなんだか馬鹿らしくなっちまってな」

 一階のロビーに出た俺は、鈴を待合用の長椅子に寝かせてやる。他のみんなもまだ意識がない。やはり、セイヴを倒すか説得して、能力を解除させなければならない。

「栄治は、誰に憧れたの?」

 という鈴の問いに、俺はもう照れることなく答えた。

「君だよ。俺は鈴の活躍に憧れたんだ。学生の頃からずっと大好きでさ。やっぱり他の女には無い魅力があるんだよ」

 あれ? 今俺、言い方を間違えたな。『他の女キャラクターには無い魅力が』って言おうとしたのに、『他の女には』って言っちゃった。これじゃなんだか別の意味に聞こえやしないか?

 などと俺が考える目の前で、

――ボン!

 鈴の顔が熟れたトマトみたいに真っ赤になって、頭から湯気が噴出した。

 よかった。これで俺の語弊を招く言い間違いも恐らく聞いていないはずだ。――じゃなくて! 大変だ!

「鈴⁉ 鈴ッ!」

 ダメだ、呼びかけても揺すっても反応がない。両目がぐるぐる渦を巻いてるぞ! きっとかなり消耗しているんだ!

 俺は大急ぎでハンカチをすすぎ、鈴の額に乗せた。そして、

「――行ってくる。待っててくれ」

 と囁き、億世橋署の駐車場へと向かった。


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