フォース・オブ・ウィル
ゆう
チャプター1・観客視点(アナザー・ヴィジョン)
幕(まく)開(あ)きに、一筋の流星が闇を切り裂いた。
夜空に広がる満天の星たちが、まるでオペラを楽しむ観客の如く静穏に、眼下の摩天楼(まてんろう)を見下ろしている。
その大都市の名は『新東京都』という。
新東京都の中央には、街のシンボルでもある高さ一〇〇〇メートルの首都統括(とうかつ)センタービルが切り立っている。ビルは壇上に聳(そび)える六層もの城壁によって守られ、その壁に沿う形で円状に都市群が広がり、更にそれら都市群の外周全てを、高さ五〇メートルに達する堅牢(けんろう)な城壁が囲む。
一〇〇年前の【魔王討伐大戦(ワールド・ウォー・S)】時に築かれた城塞都市の名残を残す、日本の首都だ。
戦争は勇者一行率いる連合軍側の勝利に終わり、魔王の勢力は崩壊したが、勇者が倒したとされる魔王の遺体は未だ確認されていないため、万が一、魔王が生きていた場合を考慮した政府によって改修が重ねられ、終戦から一世紀経った今もその防御力を維持している。
科学による近代化と平和がもたらした富強(ふきょう)の色が都市全体を染めても尚、それら〝大戦の名残〟は、居住するおよそ一〇〇〇万の現代人に崇敬(すうけい)の念を抱かせる。
外周城壁の東西南北にそれぞれ一つずつ構える、タングステン製に改修済みの城門――その南門(サウスゲート)の〝外〟に、視点は舞い降りた。
南門を背に海と向き合う有明(ありあけ)埠頭(ふとう)には、船舶が接岸する岸壁(がんぺき)、物揚場(ものあげば)、広大なエプロン、貨物を荷役(にやく)するガントリークレーン、貨物の保管施設、貨物運送のための港湾(こうわん)道路などが整備されている。
意思能力(フォース・オブ・ウィル)を使った〝死闘〟は、そこで繰り広げられていた。
埠頭の上空。
銀を織り交ぜた紅(あか)と、霧のように尾を引く青緑(エメラルド)の閃光が闇を跳ね除け、絡み合うように飛ぶ。
――女性だ。二人の美少女が宙を舞い、激突の度に衝撃波を散らしていた。
警視庁第一方面公安部異能課(ウィルセクション)所属、幕明・M・鈴(まくあけ・M・りん)は、葡萄酒色(ワインレッド)のおさげを暴風に躍らせ、その背から生えた巨翼(・・)をV字型に狭め、眼前に構える金髪(ブロンド)の美少女へ砲弾の如く特攻する。音をも置き去る飛翔(ひしょう)にガントリークレーンのワイヤーが震え、操縦室の窓ガラスが風圧で爆(は)ぜた。
黒を基調とした機動隊出動服(ポリスユニフォーム)姿の鈴にとって、夜は周囲が保護色となって有利のはずだった。
しかし対する美少女は、青緑(エメラルド)に輝く群れ(、、)を足場に宙から宙へ飛び移り、その碧眼(へきがん)の煌きを残像に、鈴の攻撃を紙一重で躱(かわ)した。
鈴が打ち出した銀の拳が空を切り、金髪(ブロンド)のショートカットが衝撃波に荒(すさ)ぶ。
金髪(ブロンド)の美少女が素早く身を翻(ひるがえ)して群れ(、、)を密集させ、三角コーンのような形状をした【針(ニードル)】を放った。
翼を広げて減速――すぐさま回頭した鈴は、瞬速で迫る巨大な【針(ニードル)】に対し、銀光を帯びた左右の拳を弾丸の如く打ち込む。
「Never(ネヴァ)! Never! Never!!」
そう叫ぶ鈴の気合と共に繰り出される拳は更に加速し、幾重にも連なる銀の閃光となって、【針(ニードル)】を迎え撃った。
言うなれば打撃の壁。それに正面から激突した【針(ニードル)】が先端から噴霧(ふんむ)の如く崩壊。数瞬で全てが砕け散った。
「セイヴ! おとなしくお縄につきなさい!」
若々しく澄んだ声で、鈴が投降を促した。
再び交錯。銀、紅、青緑(エメラルド)の閃光が弾け、拳と【針(ニードル)】の競り合いが展開される。
「今投降すれば、ボコボコにぶん殴るのはちょっとだけにしてあげる!」
鈴の物騒な言及に、セイヴと呼ばれた金髪(ブロンド)の美少女が嘲笑で返す。
「理想(、、)の達成を目前にして、わたしが投降すると思う?」
そして、左手を虚空に突き出し、招くように自分の胸元へ引き寄せた。
「うっ――⁉」
鈴は背に気配を感じ、緊迫した表情で振り返る。
〝蜂〟だ。蜂が群がっている。青緑(エメラルド)に輝く〝群れ〟の正体だ。
いつの間にか鈴の背後に回り込んでいた〝青緑(エメラルド)の蜂〟が、彼女の背から広がる〝翼〟の根元に喰らいついていたのだ。
「アナタのコーティング(、、、、、、)は、その翼にも有効かしら?」
セイヴが勝ち誇ったように嗤う。
弱点を衝かれた鈴は苦悶に歯を食い縛る。蜂の群れに根元を食い破られた次の瞬間、竜を思わせる巨翼が赤い粒子となって分解し、闇夜へ溶けた。
途端、湧き立つような紅い輝きと揚力を失った鈴の身体が、眼下のコンテナ群――その屋根の上に墜落。
金属同士がぶつかり合うような音が響き、しかし鈴は見事に着地を決め、悠然と立っていた。
「そのしぶとさも計算済みよ?」
セイヴが上空から鈴を見下ろして、白い歯を覗かせる。
鈴が眉を顰(ひそ)めたそのとき。
コンテナ群の上空を覆うようにして展開する複数のガントリークレーン――それらの支柱が、群がった蜂たちによってボロボロと崩され、クレーンが魔物のように唸りながら鈴へと降り注いだ。鈴の翼を襲ったのは囮(おとり)。セイヴの狙いは、初めからクレーンだったのだ。
「やってくれるわね!」
鈴は悔しさに目を眇(すが)め、両の拳を頭上に構えた。そして呼吸を整え、気合の雄叫びと共に連打を放つ。
「Never Never Never Never Never Never Never Never Never Never Neveeeeeeeeeeeeer!! FACK OFF(ファックオフ)!!」
肉眼では捉えきれない鈴の拳が銀色に乱れ咲き、数トンに及ぶ鉄塊の霰(あられ)を次から次へと砕き、弾き、最後の一撃で完全に吹き飛ばした。
「――くっ!」
だがそこまでだった。鈴の体力(エネルギー)が限界に達し、その場に膝をついて倒れ込む。
青緑(エメラルド)の蜂たちを鱗(りん)粉(ぷん)のように纏(まと)いつつ、漆黒のショートドレス姿のセイヴがコンテナに降り立った。
「……悔しいけど、エネルギー切れみたい」
と言いつつ、鈴はセイヴの黒いヒールブーツの音を聴き、うつ伏せから頭を持ち上げた。そして目の前に立ちはだかる美少女との距離を測る。
「さすがのあなたでも、あんな翼まで出したうえにここまで暴れたら、長くは続かないようね」
セイヴが両の脚をそろえてしゃがみ、鈴の頭のすぐ側で囁いた。
「わたしは正しいことをやろうとしているの。どうして戦後の世の中が荒れてると思う? 運
命が不平等だからよ。映画みたいに、都合よく幸運が巡ってくることなんてない。そんな世界
で生きていたら、いつか心が壊れる。わたしは理不尽な世界を終わらせて、新しく平等な世界
を作ろうとしているだけ。なぜそこまでして邪魔するのかしら?」
セイヴが透明感のある声で問いつつ、鈴の胸ぐらを掴んで引っ張り上げる。
「――っ!」
歯を食いしばった鈴は片手をコンテナにつき、もう片方の手でセイヴの手首を負けじと掴み返した。
「あなたもこの街の闇を散々見てきたのなら、理解できなくもないでしょう? わたしと組まない? その能力なら、神父様(、、、)も歓迎してくれるかもしれないわよ?」
「お断りよ」
鈴は間を置かずにきっぱりと、セイヴの提案を蹴る。
「運命は不平等――そうかもね。でも、人の心はそんなにヤワ(、、)じゃない。人は自分で道を選んで、立ちはだかる運命を乗り越える力を持ってるの。大切なのは、自分で選んだ道を信じることよ。世界の良し悪しじゃないわ。だから、あんた達がやろうとしていることは、救済なんかじゃない。ただの偽善。押し付けよ」
「……そう。分かり合えなくて残念だわ。この一刺し(、、、)でお別れね。安心して? 邪魔されたとはいえ、その信念に免じて、楽に逝かせてあげる」
感情の無い人形のような目をしたセイヴが、白い手で鈴の頬をそっと撫でる。セイヴの背後に滞空していた蜂の群れから一匹が離れ、鈴の首もとへ飛んで来た。
低く唸るような羽音が、耳に不快感を与える。
「最後に、ひとついい?」
万事休すと諦めたか、鈴は顔を伏せて尋ねた。
「なにかしら?」
そんな鈴の顔を窺うように、首を傾げるセイヴ。
「あんた、月経は済んだ?」
「え、――え?」
セイヴがきょとんとした表情を見せた。
「冥土の土産に教えてくれたっていいでしょう?」
突拍子もない質問に目をパチクリさせたセイヴが、
「こ、この前過ぎたわ。次は来月くらいかしら?」
鈴の発言が予想の斜め上すぎて思考が追い付かず、聞かれるがまま答えた。
「そう。なら遠慮は要らないわね」
「へ?」
ドゴオオゥッ‼
瞬間、空間が揺らいで見えるほどの衝打音が轟き、セイヴの身体がトビウオのように吹き飛んだ。周囲を飛んでいた蜂たちがすかさず彼女の落下地点に急行し、クッションとなって衝撃から守る。
「はぐうぅ⁉」
それでも、鈴が放った衝打のダメージはセイヴの腹部から臓器へと響き、反撃の力を奪った。
一体どれだけ鍛えればそんな威力が出せるのか、理解できずにいるセイヴの前に、すっくと立ち上がった鈴が歩み寄る。
「警官を甘く見過ぎね。特に異能課(ウィルセクション)は粘り強いの。でなきゃ、街の人たちを守る仕事は務まらないし」
鈴は両の拳を握り合わせ、関節をパキパキと鳴らした。
「い、今までの、追い詰められたような様子は、お芝居だったってわけね……?」
セイヴがヨロヨロと立ち上がり、鈴の規格外の頑丈さに、さきほどの余裕を忘れて後ずさる。彼女の背後に集まった蜂が、空中で再び【針(ニードル)】の形を編成し始めた。
「まだ抵抗するつもり? よく考えなさい。もし投降を拒否したら、あんたが次の月経(アレ)まで能力を発動できないくらい、ボコボコにするけど……?」
「――⁉」
セイヴが何か言う前に、鈴は唱えた。
「【わたしの信念は揺るがない(スティール・フェイス)】」
その詠唱は、鈴が極めた意思能力(フォース・オブ・ウィル)を発動させるための、云わばスイッチ。
意思能力(フォース・オブ・ウィル)を操る者は、己の生命力をエネルギーとして使うことで、自分の【意思】を現実化し、超常的な現象を起こすことができるのだ。
鈴が唱えるや否や、彼女の拳――その表面が再び銀色の光沢を帯びた。
「それ以上近づいたら、この子たちが黙ってないわ!」
狼狽えたセイヴが、背後の蜂たちを示す。
セイヴの意思能力(フォース・オブ・ウィル)によって生み出された蜂たちが、直径二メートルを超える特大の【針(ニードル)】を完成させ、突撃体勢に入った。
「――いい根性(ガッツ)ね」
と、薄く笑んだ鈴は 鋼(スティール)でコーティングされた両の拳をボクサーよろしく正面に構え、決め台詞を放つ。
「撃ちなさい。望むところ――」
ポピポピ♪
突然、携帯のラインの着信音が鳴った。
「なんだよ、いま鈴(りん)の決め台詞のシーンだったのに」
べッドに横になって映画を観ていた俺はため息を吐きつつ、充電器から携帯を取る。
俺が所属する千葉県警公安部の緊急連絡用グループラインだった。
『指名手配中の安倍十吾(あべのじゅうご)と思しき男性の潜伏情報あり。通話連絡を受けた者は速やかに対応されたし』
こういうことがたまにあるから、あえて携帯をマナーモードにはせず、常に手元に置いている。着信音が鳴ったらすぐに確認しなければならないからな。
安心しろ、俺。ここは千葉中央区だ。こんな千葉警察のお膝元みたいな場所に指名手配犯が潜伏してる可能性は低い。この八月のうだるような熱帯夜に通話で召集されるのは、不運にも潜伏先の近くの交番にいる奴だろう。
と、高(たか)を括(くく)って、明日のことを考える。明日は、この磨田栄治(すれたえいじ)二十歳独身の念願が叶う。いよいよ、待ちに待った映画が公開されるのだ。タイトルは、俺が今見ていた映画【フォース・オブ・ウィル】。その最新作。
警察学校における初任科生としての地獄の研修を俺が耐え抜けたのも、この映画の存在が深く関わっている。
父親が映画好きだったこともあって、俺は小さい頃から映画を観て育った。
そうして多少、映画を見る目が肥えていた俺に衝撃を与えた作品が、【フォース・オブ・ウィル】なのだ。
【ジャック・スレイター】のようにパワフル。
【ブラック・ウィドウ】のようにセクシー。
【ジョン・マクレーン】のようにダイハード。
【カットニス・エヴァディーン】のようにクール。
といった魅力を兼ね備える主人公を立て、アメリカの名高い映画監督=ジョージ・マクティアナンと、日本が誇るアニメ監督=宮澤駿明(みやざわはやあきら)がタッグを組んで制作したシリーズもの。
アニメ文化で人気のあるファンタジーや異能バトルといった要素を盛り込んで作られたこの映画は、日本、アメリカ、台湾、韓国、フランス等、アニメウケの良い国々を中心に注目を集め、世界的大ヒットの波に乗っている。
俺は特に、件(くだん)の主人公の美女をとても気に入っている。もとい尊敬している。俺が警察官を目指したきっかけも、スクリーンで活躍する彼女の姿を見たからだ。
その主人公の名は、幕明・M・鈴。
Mは父方のミドルネームを取っており、マクレーンという。
性格は純情可憐。芯が強く、持ち前の正義感は父親譲りで、困っている人を見ると放っては置けない。アクション映画でありがちな、何でもできる万能の超人ではなく、父親に似て何かと運が悪く、しょっちゅう事件に巻き込まれてしまう不幸な一面もある。でもめげずに戦い続けて、最後は必ず悪党をとっちめてくれる。だから一層応援したくなるんだ。
明日になったら、鈴にまた会うことができる。新しい活躍をこの眼に焼き付けるんだ。
今日が非番(ひばん)で、明日は公休(こうきゅう)というタイミングの良さにも感謝だ。神様、本当にありがとうございます。
テテテ・テテテ・テテテ・テテ・プルン♪
電話の着信音が鳴り響いた。
「はい、磨田(すれた)です」
「寺内(じない)だ。緊急連絡のラインは届いてるか?」
相手は同期の寺内だ。高校時代は柔道部の主将を務めたデカブツらしく、低くイカツイ声で話す。声優じみたイケボの持ち主だ。
「ああ。今見たところだけど――?」
「悪いが、安倍(あべの)の潜伏先はお前がいる独身寮からそう遠くないみたいでな。土地勘があるってことで、応援に行ってくれないか? 俺は別の案件で先輩と出なきゃならないし、そもそも今夜は浦安と柏の花火大会で、結構な人数が警備に割かれてるから、人手が少ないんだ」
神様、お恨み申し上げます。
「マジかよ⁉ 独身寮の他の連中も、夕方から一人として見かけてないんだが、もしかして花火大会に駆り出されたのかな?」
「かもな。急遽、当日に増員の指令が出ることなんてよくあるって話だし、どうであれ、連絡先を知っている奴の中で非番なのはお前くらいなんだ。済まんがこれも上からの指示でな。頼まれてくれ」
「――わかった。すぐに行く!」
仕方ない。映画鑑賞はお預けにして、俺は気持ちを切り替える。俺だけ仕事に駆り出されていないのはハブられてる感あって気持ち悪いし。
幕明・M・鈴に憧れて、頑張って警察官になったのだ。非番の呼び出しもこれが初めてじゃないし、いちいち嘆いていられない。
すぐに部屋着からサマースーツに着替え、身だしなみをチェックする。俺の背格好は平均でやせ型。さっぱりめにカットした黒い短髪。黒い目。薄く平凡な顔のほっぺを両手でパチンと叩いて気合いを入れると、間を置かず寮を出、クロスバイクに跨(またが)る。
そうして集結場所の千葉中央警察署に来た俺は、同様に召集された他の面々と点呼を取り、班長を務めるベテランの警部補から出動の概要を聞く。
《被疑者(マルヒ)》は安倍十吾(あべのしゅうご)、二十一歳。中肉(ちゅうにく)中背(ちゅうぜい)。自称超能力者で、情報商材をネタにした詐欺師(さぎし)。今までに五十人以上から総額三千万円近い金を騙し取ったらしい。そして酷いことに、こいつは《殺人(コロシ)》もやったという情報がある。わかっているだけで四人。いずれも犯行現場は室内で、テレビの側(そば)で切断された遺体の一部が落ちていたとのことだ。
《目撃者(マルモク)》と《周辺聞き込み(ジドリ)》からまとめた情報で、安倍は千葉中央区――それも俺がいた独身寮から徒歩十分の場所にあるアパートに潜伏している可能性が極めて高まった。故に、これから《逮捕令状(オフダ)》を引っ提げて《職務質問(バンカケ)》に向かい、本人と確認でき次第逮捕しようというのだ。
連続詐欺並びに殺人犯である以上、どんな武器を所持しているのかも不明だから、一切の油断は許されない。ということで集められるだけの人員を集めたんだろうけど、全部で六人は少ない。
警察学校を卒業したての俺にとって、殺人犯を相手に公務を執行するのは初だ。だから不安と緊張が拭えない。あと汗も。
万が一に備えて、制服の上から更に防弾チョッキを装着。拳銃も携(たずさ)え、いろいろな意味で汗だくになりながらも、俺を含めた六人は二台のパトカーで件のアパートに到着。新人の俺と三人の先輩が二階の通路に待機し、まずベテランの警部補と巡査部長が、安倍の潜伏先と思しき部屋のドアをノックする。
「――はい?」
静かにドアが開かれるが、チェーンを掛けているらしく、開く途中でガチャリと止まる。
通路から見守る俺には姿が見えないが、ドアの中から聞こえたのはテノール調の、若さを感じさせる男の声だった。
「千葉県警です。夜分に失礼。貴方(あなた)が安倍十吾さん?」
「…………」
警部補の質問に、男は黙った。
「どうした? 名前を聞いてるんだが?」
「……どうしてここがわかった?」
「近隣住民から目撃情報が多数出ていてな。その反応はもう認めているようなものだが、安倍十吾さんで間違いないな? 君に逮捕令状が出てる。理由はわかってるよな?」
「――ハハハ! そうだよ、僕が安倍十吾(あべのしゅうご)。超能力者さ。いつかこうなるとは思ってたけど、絶妙なタイミングだな! 運命は僕の味方だ!」
急に安倍が甲高い笑い声を発したかと思うと、チェーンが外されたのか、ドアが完全に開いた。そして、
「おいでよ。部屋の中も調べたいだろう? 僕の力(、)は完全なものになった! だから見せてあげるよ!」
と、楽し気に笑う安倍に促され、警部補たちが警戒しつつも入室していく。
「お前はドアのところで待機。通路を見張ってろ。奴が《単独犯(タンパン)》とは限らんからな」
先輩にそう言われ、俺だけは中に入らず、無人となった通路を見張る。けど、奴が言い放った【超能力者】や【力】というフレーズがどうも気に掛かり、夏虫や自動車が奏でる喧騒の中、室内の会話に耳を澄ます。中二病じみた言動から、件のフレーズに特に意味はないと捉えてもいいが、何か危険な武器を隠していないとも言い切れない。自信満々といった態度も不可解だ。《麻薬中毒者(ジャンキー)》かもしれない。
「――おい! な、なにをしているんだ⁉」
俺が警戒心を強めるや否や、中から警部補の大声が飛んできた。
「警部補! 一体なにが⁉」
俺は思わず中へ飛び込み、それ(、、)を見て言葉を失った。
ワンルームの内部――その壁際に置かれた五〇インチくらいのテレビがノイズまみれの映像を映しており、奴が――安倍が、テレビの画面に、自分の頭を突っ込んでいたのだ!
「――ッ⁉」
絶句する俺や先輩方(せんぱいがた)の眼前でテレビ画面が波紋のように歪み、安倍の頭が中へと入っていく(、、、、、、、、)。
「ま、待て!」
巡査部長がテレビの中(、)へどんどん入り込む安倍の足を掴む。
奴は感触でそれを察知したか、足を暴れさせる。
顔面に奴の蹴りを喰らった巡査部長が吹き飛び、部屋の中央に置かれていた丸テーブルに後
頭部を強打して白目をむいて気絶した。
「どうだ! 見たか? これが完全なる僕の力(、)! 誰も追って来れないだろうから、置き土産に教えてやるよ!」
とうとう両足も画面の向こうへ消えた安倍の声だけが、狭苦しいワンルームに響く。
「こっち側(、、、、)に来れるのは、今日、このテレビに映っているものと同じ映画を一回以上見た奴だけだ! ハハハッ! 今日だぞ⁉ 今日見た奴だけだ! 追いかけたいか? 僕を捕まえたいか? だったら今すぐレンタル屋に走るといい! この入口(、、)が閉じる前に映画を少しでも見ることができれば、僕を追跡できるぞ? ハハハハッ!」
声はそれきり途絶えた。
何なんだ⁉ 一体何が起こってるんだ⁉
俺も先輩方も、驚愕と困惑に言葉が出ない。
テレビのノイズが薄れ、元の映像が映し出される。それは見知った光景だった。つい最近も見た街の風景を映した映像に、俺はハッとなる。
「これ……」
「どうした、磨田。この映像で、何の映画かわかるのか?」
俺はどうやら無意識に声を漏らしたらしく、警部補がそう聞いてきた。
「はい。何回も見たことがあります」
そう。俺はこの映画を知っている。誰よりも知っている自信がある。さっき自室で見ていた、一番好きな映画だからだ。
タイトルは――【フォース・オブ・ウィル】。
「――まさか!」
俺はテレビに近づき、恐る恐る画面に触れた。すると、まるでゼリーに触れたかのような感触とともに画面がノイズに覆われて再び歪み、俺の指が中へと入り込んだ(、、、、、)。
マジかよ!
どんなカラクリかわからないけど、どうやら俺も安倍と同じことができるらしい。
『こっち側(、、、、)に来れるのは、今日、このテレビに映っているものと同じ映画を一回以上見た奴だけだ!』
脳裏で、安倍の声が流れる。奴は、同じ日に同じ旧作の映画を見た人間が、まさか自分を逮捕しに来た警官たちの中にいるとは思わなかったのだろう。
生憎だったな。ここに一人いるぜ。
「警部補、俺、入れる(、、、)みたいです!」
俺が振り返ると、警部補の隣に立つ先輩たちが恐怖と焦りで表情を歪めており、
「よせ磨田!」
「そんな得体のしれないモンに易々(やすやす)と触るな!」
と、俺を制止しようとする。
「お前たちはアパートを包囲しろ! 安倍は何らかの小細工でどこかに隠れているに違いない! 行け!」
そこで警部補が厳格な顔で指示を出し、先輩たちは血相を変えて飛び出していく。
「――磨田。本当に入れそうなのか?」
「……はい。今ならまだ行けると思います。奴の言っていたこの入口(、、)ってやつがいつまで開いてるかわかりませんが……」
警部補に聞かれ、俺は再度、テレビ画面に指を入れ込みながら答えた。
すると警部補は自身の手を伸ばし、画面に触れた。しかし、彼の指は画面の中へ入らない。
「お前にしかできないようだな……」
「警部補。何が起こるかわかりませんが、安倍の追跡を俺に任せてもらえませんか?」
「一人で行けるか?」
「――行きます! 行かせてください!」
「……よし。安倍の追跡はお前に任せる! こっちのことは俺に任せろ」
警部補が、ごつくて、それでいてあったかい手を俺の肩に置いた。
「磨田。警察官はな、犯人を目の前にした場合、自分がいかなる状況下にあろうとも動じず、気をしっかり持って行動を起こさなければならない。恐怖に勝つんだ」
恐怖に、勝つ……!
俺は拳を握りしめる。
「了解!」
まだ新米の俺を信じてくれた警部補に、俺は敬礼した。
必ず、警部補の期待に答えてみせるぞ!
俺は覚悟を決めて画面に向き直る。そして片手を画面に入り込ませ、肩、片足と、塀を跨ぐような要領で入れ込んでいく。
「気を付けるんだぞ? 奴を捕まえて、こっちに戻る方法を聞き出すんだ!」
「はい!」
俺は最後に警部補の顔を見て頷き、全身を画面の中へと飛び込ませた。
★
テレビ画面を通り抜けた俺は、得体の知れない不安に思わず目を閉じた。生温いゼリーの中に全身を沈めたかのような、妙な感触。それはすぐに消え去り、今度は身体が落下していく感覚に襲われて目を開いた。
「――うおお⁉」
俺は本当に落下していた。周りの様子が見えたのは着地するまでのほんの一瞬だが、どこかの建物内だとわかった。
次の瞬間。
「ひゃッ⁉」
俺は女の子の悲鳴みたいな音と同時に柔らかい何かの上に落下。視界がブラックアウト。顔全体をクッションのようなもので覆われて息ができず、
「――ぷは!」
呼吸のために顔を上げると、そこにはBカップくらいのお胸様(むねさま)がおわした。ぷにぷにとしたクッションみたいな感触の正体はこのお方(かた)だ。
どうやら夢でも幻でもなく、俺は安倍のアパートから別の場所に移動したらしい。
「どこを、触ってんのよぉおおおおおおおおおおおおお‼」
俺の顔に、お胸様の主様(あるじさま)のグーパンが炸裂。一応、防弾チョッキ込みで体重七十五キロ以上はある俺の身体がホコリみたいに軽々吹っ飛ばされた。
超痛い! なにこの展開⁉ B級のコメディ映画かよ⁉
俺は屋内から外の通りまで飛び、路駐してあった乗用車に背中をしたたかに打ち付けた。防弾チョッキがクッション代わりになったか、鼻からトクトクと血を流す程度で無事だった。
「ゲホッ! グホッ!」
血で呼吸が詰まるのを防ぐために俺は俯いて、鼻から喉に逆流した血を吐き出す。無事じゃないわこれ。
「夜間巡回やって、《職務質問(バンカケ)》手伝って、書類かいて、朝の登校整理やって引き継いで、あとは帰って寝るだけだったのに、今度はクソ脱走犯の逮捕に変態! ついてないわ!」
聞き覚えのある澄み渡るような声に俺は顔を上げる。俺がたった今いた屋内――何らかの理由で破壊された、道具やらコンクリート片やらガラス片やらが混在して滅茶苦茶の工具店と見える――の中からコツコツとブーツの足音が響き、一人の女性が姿を現す。
「署長、聞こえる? わたしがさっき吹っ飛ばした奴が店の瓦礫に埋もれちゃったみたいだから、あとで掘り返すの手伝って!」
細く引き締まった身体を、紺色を基調とした半袖シャツ・カーゴパンツの機動隊出動服(ポリスユニフォーム)で包む彼女は苛立たしげに、片手に握った無線機をバキバキと握り潰してる! なにかと不必要に物をぶっ壊しながら犯人をとっちめるやり方で彼女の右に出る者はいない。
「どうしたら天井から降ってくるのか知らないけど、今度やったら手加減しないわよ?」
葡萄酒色(ワインレッド)のおさげ。宝石(アメジスト)のように煌(きらめ)く紫の瞳。パーツの一つ一つが精巧に整った小顔を白い肌が覆う。美少女然とした若々しいその人は、しかし俺より一つ年上だ。
「――なに人の顔見て固まってんのよ。あんた所属は?」
「ッ⁉」
そのあまりの可愛さに呼吸すら忘れて見惚れる俺に、彼女が言った。
間違いなくあの人だ。俺の憧れ。警察官を志した俺の原点。
名前は、幕明・M・鈴(まくあけ・マクレーン・りん)!
この映画――【フォース・オブ・ウィル】の主人公!
「夢じゃない……⁉ あれもこれも、本当だらけだ!」
誰に聞くでもなしに、俺はそう漏らす。
「さてはあんた、戦い(、、)に巻き込まれて動転してるわね? もう、警官がこれくらいで……」
そう言って眉尻を下げた鈴が俺に手を差し伸べてくれた。
俺は鈴に引っ張り起こされながら、頭の中を整理する。
まず一つ、どうやら俺は本当に映画の世界に入り込んだということ。
二つ、不覚にも安倍(あべの)の姿を見失ったこと。
三つ、憧れのキャラクターである鈴と、面と向き合って会話していること!
四つ、鈴は警察官のフル装備姿の俺を同僚と勘違いしていること。
この映画の舞台は東京にモチーフを得ているだけあって、作中の警察官の制服も、実在する日本警察のものと酷似していることが理由だろう。
「――大丈夫だ。こっちこそ、急に落っこちて済まない。指名手配犯を追ってたんだ。俺が来る前にもう一人、痩せた男が落ちてこなかったか? 服装は確か、白い半袖のシャツに黒い長ズボンだったはずだ……」
と、俺は鈴に情報を求める。憧れのキャラクターとこうして対面できたのは確かに嬉しい。正直、言葉に表せないくらい興奮してる。けど今優先すべきは、警部補に託された、警察官としての任務だ。
「もう一人? もしかして、さっきそこの工具店から、『僕は勝った! 運命は僕の味方だ!』とかって叫びながら出てきた奴のこと?」
「そう! そいつだ!」
「ヤク中かと思って裏拳(うらけん)食らわせたらそこのお店の中に吹っ飛んだわ。まだ戦闘中(、、、)だったし、巻き込まないようにしたつもりだったんだけど」
……だそうだ。
鈴の話を聞いて合点(がてん)がいった。俺がテレビ画面を通って落っこちた(、、、、、)工具店は、何かが激しく
突っ込んで来たかのように大破していた。その原因こそ、鈴の裏拳を喰らって砲弾の如く吹っ飛んだ安倍に違いない。
で、その戦闘(、、)とやらが片付いて、鈴が様子を見に工具店に入ったところへ、俺がダイブしたという状況だろう。
つまり俺がやるべきことは二つ。まず工具店の瓦礫の中から安倍を発掘して身柄を拘束。次に元の世界へ戻る方法を聞き出して帰る。以上だ。
思わぬ形で決着がついたことに、俺は肩透かしをもらったような、安堵に胸を撫でおろすような、何とも言い表せない複雑な心境になる。そこで違和感に気付く。
「――戦闘(、、)って?」
鈴が口にした戦闘という単語に、だんだんと嫌な予感がしてきたのだ。
「びびって見てなかったわけ? 巨人(、、)をやっつけてたのよ。木でできたやつ」
と、鈴。この映画のジャンルは異能バトルアクションだ。そんな世界で活躍する主人公の鈴
が戦闘と表現するなら、それはもう――。
俺は周囲の状況を素早く確認する。眼前に広がる片側二車線の大通りで、往来していたと思われる多くの車が大破し、雲一つない青空へ向かって黒煙を上げていた。
大通りは、片や街はずれの【外壁】へ、片や高さ一〇〇〇メートルを誇る、針のような外観をした首都統括(とうかつ)センタービルが建つ都心部へと伸びている。
都心から少し外れているものの、周辺の建物は首都だけあって地上五階建てくらいのものがザラだ。歩道には人っ子一人いない。大破した車のドライバー含め、一般市民はみんなどこかへ逃げ果(おお)せていた。市民がいない代わりに、都心部の方向へ伸びる大通りを塞ぐようにして、無数のパトカーがバリケードを構築しており、その陰に大勢の警察官たちが隠れていた。
「ジャンベリク! 我々の戦力は思い知ったはずだ! これ以上ぶちのめされたくなければ、とっとと投降しろ!」
と、パトカーの向こうから拡声器を通じて、指揮を執っていると思しき警察官の野太い声が響いてきた。
もしやテロでも起こったのかと、何も知らない人が見れば思うだろう。
だが俺はこの光景を知っている。鈴の発言も含め、見立てが正しければ、【フォース・オブ・ウィル】第一作目にあたる冒頭のシーンと同じ状況だ。半袖の夏服だと涼しい点から見て、季節は春か秋。第一作目は秋の設定だったはず。
【外壁】の方角へ大通りを二十メートルほど行ったところに、一際酷い瓦礫の山が築かれていた。砕けたコンクリートやひん曲がった信号機、そして原型を留めていない車の群れが積み重なるその山は恐らく、鈴の言う戦闘によって生じたもの。他の警察官たちでは手がつけられず、急遽、異能課(ウィルセクション)のエースたる鈴が呼び出されたと見える。
「その巨人は、どうやって倒したんだ?」
と、俺は尋ねる。
「いろんなものを一気に持ち上げて投げつけようとしたから、懐に潜り込んで本気の一発を叩
き込んだわ。そうしたら失神して、持ち上げた物の下敷きになったところよ」
「……なら早いとこ掘り起こして《対異能用手錠(ウィルワッパ)》をかけた方がいい。でないとまずいぞ!」
「え?」
「その巨人は、また暴れだすって言ってるんだよ!」
鈴の説明を聞いた俺がそう警告した直後。
「幕明ェええええええええええええええええええええええええええええええッ!」
件の瓦礫の中から、猛獣が唸るかのような、ドスの利いた声が響き渡った。
そして、無数の木の根っこ――それも太くて長いやつが瓦礫の間から飛び出し、次の瞬間、
積み重なったコンクリートや車を吹き飛ばして、背丈およそ五メートルの木の巨人が現れた。
木の幹――もとい胴体は、電柱を束にしたみたいに太い!
「――ついてないわ!」
瓦礫の山を崩して躍り出る、人型のずんぐりとした大木の巨人を前に、鈴がぼやいた。
あの巨人は、凶暴な性格の《脱走犯(ウサギ)》が意思能力(フォース・オブ・ウィル)で変身した姿。《脱走犯》の名前はジャ
ンベリク・デアリガズ。かつて鈴が刑務所にぶち込んだ、連続強盗犯だ!
これはまずい。非常にまずい。
俺はなんてタイミングでこの世界に来ちまったんだ!
「オレ様がこの程度で降参するとでも思ったか! えェ? 幕明ェ! てめェへのお礼参(れいまい)りは、まだ終わっちゃいねェんだぜェ⁉」
ズシィン! ズシィン! とコンクリートを踏みしめ、巨人と化したジャンベリクがこっち
へやってくる。
「無駄な抵抗はやめろ! もっとひどい目に遭うぞ⁉」
と、さきほどの野太い声の警官が警告する。あの人は鈴が勤務する夏葉原警察署の署長で、
名前はニコラス・ブランカー。鈴の破天荒ぶりを熟知する、もとい頭を抱えている苦労人だ。
「うるせェブランカァァァ! オレ様の強さはこんなもんじゃねェ! 幕明の次はてめェを
血祭(ちまつり)にしてやるからそこで待っていやがれェ!」
対するジャンベリクは全く従う様子がない。
「危ないから、あんたは逃げなさい。また騒がしくなるわよ?」
巨人から目を逸らすことなく、鈴が言った。
援護しろとも、さらに応援を呼べとも言わない。巨人化したジャンベリクの戦闘能力が警官
隊よりも高いことを知っているから、一人で食い止めるつもりなんだ。
これ以上犠牲者を出さないために。
俺はこの映画の展開を知っている。このまま鈴を放っておいても、彼女は勝つ。でも、この
戦闘で鈴は、自分の身体に一生残る傷を負うことになる。
俺の任務は阿部を捕まえて、元の世界へ連れて帰ることだ。
「…………」
俺の足が、動かない。
何を迷う必要がある? 俺よ。
警察官なら任務を全うするべきだ。警部補から任されたことをやり遂げろ。
ここは鈴に全部任せて、さっきの店の中から安倍を掘り起こして捕まえるんだ。
「……お、俺も戦う!」
けど俺は、鈴の隣に立った。鈴が負う傷は、映画の今後の展開になにか深刻な影響があるわけじゃない。つまり、俺が介入して鈴が無傷で勝つように計らってもいいということだ!
多分だけど!
「なにしてるの! 危ないって言ってるでしょ?」
鈴の言に、俺は首を振る。巨人との距離が十メートルまで縮まる。
女性が怪我してしまうとわかっているのに、それを放置するなんてこと、俺にはできない。
危険から仲間を守るのも、大事なんだ。
「大丈夫だ。お、俺も異能課(ウィルセクション)だから戦えるよ!」
当然、俺に意思能力(フォース・オブ・ウィル)なんて無いが、思わず勢いでそう言ってしまった。鈴が目を丸くする。
「あんたも? 見ない顔ね」
「き、今日から君のところに転属になるんだよ! し、署長が知ってるはずだ」
発言に説得力を持たせるためとはいえ、とんでもない方向に進んでる気がする。
「――いいわ。あんたの能力はどんなの?」
そう来るか。
「いくぜェええええええええええ!」
俺が返答に詰まったそのとき、唐突に俺と鈴の足元で亀裂が生じ、太い木の根が飛び出して
きた。
「離れて!」
鈴は叫ぶと同時、俺を突き飛ばす。そのおかげで木の根を躱した俺は受け身を取ってすぐさ
ま起き上がる。だが、俺を庇ったせいで反応に一瞬遅れた鈴が木の根に捕まり、縄で縛るみた
いにして身動きを封じられてしまった。
「鈴っ⁉」
「わたしは平気よ! もしできるなら、巨人の本体を攻撃して!」
木の根に持ち上げられた鈴の声が頭上から響く。
俺はホルスターから拳銃を引き抜き、木の巨人目掛けて発砲。
しかし、相手は大木(たいぼく)だ。銃弾を受けてもビクともしない。
「この期に及んでまだオレに銃を撃ってくる野郎がいやがるとはなァ! 学習能力が無ェのか? ァあん?」
木の巨人から、ジャンベリクの不敵な笑い声がする。過去の度重なる強盗行為で、奴は警官
から何度も発砲を食らうが、その都度ビクともしない巨体で返り討ちにしてきた。
お前に銃が効かないのは知ってるさ。俺が銃を撃ったのは、ジャンベリクの意識を俺の方へ
逸らすためだ。
俺は頭上を見遣る。ちょうど今、鈴が意思能力(フォース・オブ・ウィル)を発動し、持ち前の怪力と相まって見事に
木の根を引きちぎったところだった。
意思能力(フォース・オブ・ウィル)とは、意思の力のこと。能力を操る者の意思が他の物事に気を取られれば、その
能力自体に揺らぎ(、、、)が生じる。能力の効果が弱まったりするのだ。
ジャンベリクの意識が少し逸れて、木の根の力が緩んだとしても、大抵の人間であれば脱出
するまでは至らない。けど、怪力の鈴となれば話は別。
ジャンベリクは俺の行動に気を取られた。つまり、鈴を木の根で縛り上げるという意思が揺
らいだということ。その隙を見逃す鈴ではない。
この映画を何度も見て、各登場人物の意思能力(フォース・オブ・ウィル)を把握している俺なら、自分に能力が無くてもどうにか立ち回れそうだ。
「ナイスよ!」
路上にぴょんと降りた鈴に、俺は映画俳優みたいにかっこよく微笑もうとした。が、瞬間、
再び伸びてきた木の根に顔面を叩かれ、俺は竹とんぼみたいに回転して吹っ飛んだ。そしてさ
きほど背中からぶつかった乗用車の反対側に激突。衝撃で意識が飛ばなかったのは幸いだが、視界がぐるぐる回り、平衡感覚が麻痺。俺を呼ぶ鈴の声が遠く響いて聞こえる。
すみません調子に乗りました。やっぱり能力無しじゃキツイですわ。
この意識が朦朧とする感覚――見覚えがある。有名な戦争映画【プライベート・ライアン】
でミラー大尉が時折体験した、周囲の世界が漠然(ばくぜん)と自分を置き去りにして、聞いている音や見
ている光景がすべて遠い出来事のように刻々(こっこく)と過ぎ去る感覚に似ていた。
それだけじゃない。身体中が痛い。全身の臓器と血管を振り回されたような、今まで生きて
きて味わったことのないほどの激痛が俺を襲う。――う、動けない! これじゃ、ただ単に鈴
の足を引っ張ったようなものじゃないか!
「【わたしの信念は揺るがない(スティール・フェイス)】!」
俺を守るようにして立つ鈴が自身の能力名を叫び、気迫と共に銀に煌めく拳を繰り出した。
そして次々に迫りくる木の根を爆風の如く打ち飛ばす。
このままでは、映画のシナリオ通り、鈴はどこかで身体に深い傷を負ってしまう。
俺に、何か能力(フォース)があれば。
俺に、今の状況を打開できる意思(ウィル)があれば……!
「雑魚を庇って本気が出せねェか? 幕明ェ!」
「あんたをどう料理してやろうか考えてるだけよ!」
敵の挑発に強がりを返す鈴だが、防戦一方になっているのは新米の俺が見てもわかる。
俺は歯を食いしばる。
立て、俺。立つんだ! 鈴に加勢しろ! 千葉県警の意地を見せろ!
「う、おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
俺の左目に異変が起きたのは、自身に鞭打つ思いで雄叫びを上げたときだった。
《観客視点(ザ・ヴィジョン)発動》
左目にだけ、今自分が見ているものとは違う映像が映り込んだのだ。
まるで、両目を開けたまま、左目に望遠鏡を添えたみたいに、右目には今自分が見ている光景(、、、、、、、、、、)
が、左目には他の光景(、、、、)が観(、)えるのだ。
それは、本来であれば自分の立ち位置からは見えないはずのものが見える状態。小説で言うところの三人称視点。神視点(かみしてん)とも言う。
俺に言わせれば、まるで映画を楽しむ観客の視点だ。め、目眩(めまい)がする!
左右の目から得る情報に相違があると、遠近感がわかりづらいうえに、頭がクラクラする。
ここは一旦、右目を閉じて視界情報を半分にし、左目から観える光景に意識を集中。
左目に何が起きてるのかわからんが、パトカーで築いたバリケードに隠れている警察官たち
の、鈴に加勢できずもどかしがる表情が見える。次いで、木の巨人(ジャンベリク)の身体がドアップで見えた。
念じるだけで、左目の視点をズームしたり、上下、左右に動かせるようだ。まるで映画を撮
影するカメラみたいに。左目を軽く擦ってみたが、一向に視界は神視点のまま。
鈴と木の巨人(ジャンベリク)の激闘を見極めて隙あらば加勢しようにも、二人の動作が素早すぎて追うのが
やっとだ。
全身の痛みは少し引いたものの、未だ攻め倦(あぐ)ねる俺。そこで再び変化が起きた。
《スロー再生開始》
「――ふぁ⁉」
俺は思わず声を上げた。今度は《スロー再生開始》なる文字が、それこそヘッドアップディ
スプレイみたいに左目の視界に表示されたのだ。
同時に奇妙なことが起こった。俺が左目で観ている世界――その動きが、ゆっくり(、、、、)になったのだ!
凄まじい速度で攻防を繰り広げていた鈴と木の巨人(ジャンベリク)の挙動を、今は全部鮮明に捉えることができる。
鈴の右手側から木の根が襲い掛かる。だが彼女は左上方から振り下ろされた別の木の根に対応中で気付いていない。あのままではマズい! 喰らってしまう!
すべてがスローに見える(、、、、、、、)今こそ彼女を救うチャンスだと、俺は目眩の不快さに耐えながら、
鈴の身体を自分の方へ引き寄せる。今の俺は超高速で脳や神経が働いて、思考と反応の速度が増している状態と言える。
俺が鈴を引き寄せた瞬間、世界の動きが通常に戻り、たった今鈴の顔があった場所を木の巨人(ジャンベリク)の根っこが空振る。俺は鈴を引っ張り寄せた勢いのまま横っ飛びに身を投げ、追撃を避けるべく距離を取る。
今の一撃こそ、鈴に一生残る傷を負わせるものだった。
木の巨人(ジャンベリク)の足は文字通り木の根っこ。つまり人間みたいに速く走ったりできない。だから奴の攻撃範囲から出てしまえば時間が稼げる。
「大丈夫か⁉」
「――うん、礼を言うわ。今の、あんたの能力?」
不覚を取ったのが恥ずかしいのか、俺の腕の中で頬を赤らめる鈴。
「あ、ああ、そうさ。――敵の動きがよく見えるんだ」
理屈はわからんが、どうやら俺にも何らかの能力が発現しているとするのが妥当と考え、そう答えた。
「わたしのスピードでも遅れちゃったのに、やるわね!」
感嘆(かんたん)の表情の鈴と共に、俺は木の巨人(ジャンベリク)と睨み合う。
「それなりに動ける野郎を相棒につけたらしいが、オレ様が勝つことに変わりはねェ。まとめ
てぶっ潰してやる!」
と、木の巨人(ジャンベリク)は無数に生やした木の根をくねらせ、数多(あまた)の方向から攻撃するべく構える。
俺は右目を瞑って視界を左目だけに限定し、どうにか目眩を抑える。俺がいることで鈴の足
を引っ張ってしまっている分、俺がこの左目の能力で鈴をカバーすれば善戦できるはずだ。
「わたしがあいつの攻撃を弾くから、あんたは不意打ちに警戒して」
そう耳打ちして、鈴は俺の肩に触れる。すると、俺の肩から全身にかけてが銀色をした膜で
覆われ、次の瞬間にはそれが透明になり、服や肌に馴染んた。これは、鈴の意思能力(フォース・オブ・ウィル)=
【わたしの信念は揺るがない(スティール・フェイス)】によって、俺の身体の表面がコーティング(、、、、、、)された状態。鋼(スティール)の
膜で身体の表面を覆うことで防御力を高めたわけだ。
「くたばりやがれェええええええええええ!」
木の巨人(ジャンベリク)は言うが早いか、木の根をかなりの速度で一斉に伸ばしてきた。
「どりゃあああああああ!」
気迫と共に、鈴が銀に光る拳を打ちまくる。
鈴の拳の一撃は砲弾並みの威力を誇る。故に一発撃つごとに衝撃でコーティングが剥がれるから、その都度再コーティングを掛けている。だから鈴が打撃のラッシュを打つと、拳が銀に光って見えるんだ。
拳と根がぶつかり合い、激しい熱波が巻き起こる。ビリビリとした衝撃が地から伝わり、膨
大な運動エネルギーが絶えず生じて暴れまわる。
俺の左目が捉える視界が再びスローになる。この現象は俺の防衛本能に由来するのか、任意
ではなく、必要な状況で自動的に発動するようだ。
まさに今、鈴の足元から木の根が飛び出したところだった。鈴の足を狙っているらしい根が、
ゆっくりと伸びていく。俺はすかさずその根っこに飛び掛かり、鈴の足に絡みつく前に捕まえ
る――はずが、俺の方が捕まった。途端、《スロー再生》も解除。
「うわああああああ!」
しまった! 今度は俺が悲鳴を上げることに!
「っ⁉」
俺の悲鳴に思わず振り向いた鈴を、木の根がここぞとばかりに多方から襲う。
「――くっ⁉」
銀の拳や蹴りで次々に迎撃する鈴もさすがに全部は捌き切れず、とうとう手足を縛られてし
まう。
「ゲハハハハハハ! オレ様の力を見たかァ!」
木の巨人(ジャンベリク)が勝ち誇ったようにゲラゲラ笑う。
くそ! どうする⁉ このままじゃ鈴も俺もやられてしまう!
俺はこの映画本来の展開を思い出す。確か、鈴を縛り上げた木の巨人(ジャンベリク)は、これで念願だった
お礼参りを果たせると慢心し、鈴の身体の特徴をバカにするひどい発言をするんだ。
胸についての。
だが、俺が介入していることで会話が変化してしまい、なかなか本来の台詞を言わない。誘
導しなくては! 鈴には悪いが、奴が台詞を言うよう仕向けなければ!
「――済まない、鈴。俺たちはもうここまでらしい。残念だよ。きみのそのスレンダーなボデ
ィがもう見られなくなるなんて、残念の極みだ。きみのその滑らかな胸(、)とかもう、たまらなく
最高なのに」
「この状況でいきなり何を言い出すのよ⁉」
と、鈴が青褪(あおざ)めた表情で俺を見る。うん、絶対引かれてるわこれ。
「なぁジャンベリク、お前も考え直さないか? こんなスタイルのいいナイスバディな《女性(アカ)警官(ポリ)》なんてそういないぞ? 特に、その……胸(、)とかどうだ? 魅力的じゃないか?」
俺は鈴のドン引きの視線に耐えつつ、木の巨人(ジャンベリク)に問う。
「何言ってやがる? こんな貧乳のまな板娘(いたむすめ)なんざ、オレ様にはただの憂さ晴らし専用サン
ドバックでしかねェぜ!」
よし。作戦通り、奴にそれらしい台詞を言わせたぞ。
俺は鈴の方をチラ見する。鈴の目元に漆黒の影が差している。俺の左目に、『ゴゴゴゴゴ』と
いう擬容語(ぎようご)が映る。
「――今、なんて言ったの?」
と、鈴から漂うただならぬ殺気の気配に俺は歓喜しつつぞくっとする。
「てめェの胸は貧乳だって言ったんだぜェ? 平ら(たいら)だよ! クソ平らァ!」
「…………」
「おい、黙りこくってどうした? オレ様に敵わないのがわかって怖気づいたのか? お礼参
りはこれからなんだぜェ? 存分に楽しませてもらうから覚悟しやがれ! ぺちゃパイ女ァ!」
あの、木の巨人(ジャンベリク)? なにもそこまで言ってほしいわけじゃないんだよ? だってほらもう鈴ったら凄い殺気だよ?
どうしたものかと俺が挙動不審になっていると、
「――す」
鈴が何か呟いた。
「ああ? なんつったんだ? まな板(、、、)幕明ェ?」
その豹のような顔を大木の幹に浮かび上がらせたジャンベリクが、木の根で縛り上げた鈴を
自身の傍まで引き寄せた。
「――ぶっ飛ばぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁすッ‼」
俺が火をつけ、木の巨人(ジャンベリク)のアホが大量の油を注いだ鈴の怒りが超新星爆発。
大人の男の力でも全く千切れない太さの木の根を一瞬で引き裂き、鈴は残存する木の根の一本を掴んだ。瞬間、掴んだ木の根が銀色に染まり、その銀色が木の巨人(ジャンベリク)の全身を覆った。
「な、なんだこりゃ⁉ 何をしやがったァ⁉」
木の巨人(ジャンベリク)が狼狽えたような声を出すが、鈴は答えない。
これは鈴の能力【わたしの信念は揺るがない(スティール・フェイス)】の底力(そこぢから)。消耗が激しく、日にそう何回も使えないが、最大の意思で繰り出された【コーティング】は、相手の表面を防御するどころかガチガチに堅めて、身動きを封じることができるんだ。
「畜生ッ! 放しやがれェええええええええええ!」
咆哮する木の巨人(ジャンベリク)。
鈴は問答無用とばかりに、目の前にあった木の巨人(ジャンベリク)の顔に、銀に輝く拳を叩き込んだ。
「ぎやああああああああああああああああッ⁉」
鋼(スティール)で何重にもコーティングされ、堅く威力を増した鈴の打撃(アッパー)を顔面にもらったジャンベ
リクは、先ほどの威勢が嘘のような悲鳴をあげてロケットみたく真上に吹っ飛んだ。
鈴の本気の一撃で、奴の根の拘束が解かれ、俺と鈴は自由の身となる。
「はひぇぇぇ⁉」
と、鈴の殺気に曝された俺が腰を抜かして見上げた先で、鈴は空から降ってくるジャンベリク目掛け、腰だめに構えた両腕を超高速で繰り出す。
「Never(ネヴァ)! Never! Never!!」
それは、鈴が敵を極限まで懲らしめるときの気迫。
「Never Never Never Never Never Never Never Never Never Never Neveeeeeeeeeeeeer!!」
木の巨人への変身が解け、青く深い体毛、豹のような顔、筋骨隆々のライオンのような体格
という、本来の【獣人】の姿を現したジャンベリクは落下と同時に、鈴の打撃の嵐(ラッシュアワー)にお出迎え
され、タコ殴りにされていく。一度も着地せず、鈴の打撃で宙に固定されながら。
連続する重度の衝撃波(ディープインパクト)が大地震の如く道路に亀裂を広げ、周辺の建屋のガラスを砕き、支柱を歪ませ、倒壊させていく。
「――FACK OFF(ファックオフ)!!」
最後にとびきり強い一撃を受け、もはや意識も飛び失せたジャンベリクの巨体が宙を舞い、
先ほどの瓦礫の山に突っ込んだ。まさに木(こ)っ端微塵(ぱみじん)。
煮え立った怒りを完全燃焼させ、肩で息をする鈴は、無傷だ。
――やった。どうにかなったな。半径百メートル圏内の建物、戦いの衝撃波でほとんど倒壊しちゃったけど。
俺はさきほど背中を打ち付けた車のサイドミラーで左目の状態を見てみたが、特に異常はない。視界も通常だし、動きがゆっくりに見えるでもない。元に戻ったんだ。
推測だけど、さっきの異能的な現象(、、、、、、)は、俺が自分に力が欲しいと強く思ったことによって意思能力(フォース・オブ・ウィル)が発現したと捉えると合点がいく。この能力には、強い意思を抱いた際に発現するという設定があるんだ。俺が映画の住人という扱いになったとするなら、あり得ないことではないと思われる。
自分の意思で完全にコントロールできないのが難点だが、とりあえず命名(めいめい)しておこう。
名付けて【観客視点(ザ・ヴィジョン)】。捻りがないけど、一番的を射てる感じがする。
「――あんた、名前は?」
パトカーのバリケードから飛び出した警察官たちが、ノックアウトされたジャンベリクを拘束する様子を見守っていた鈴が、俺にそう聞いた。
「栄治。磨田栄治(すれたえいじ)だ」
「鈴よ。よろしくね、栄治」
俺は鈴と拳を突き合わせる。
これは、俺が思ってもみなかった、憧れのキャラクターとの異能バトルアクション。
その、ほんの始まりにすぎなかった。
★
今朝のジャンベリクの一件が片付いたあと、俺はとりあえず同僚という体(てい)で鈴が勤務する億世橋署警察署(おくせばしけいさつしょ)へとやってきた。建物の明るいグレーの外壁は塗装剥げもなく綺麗で、十一階まである建物は厳格な雰囲気を醸し出している。
崩壊した店から掘り起こした安倍(あべの)は辛うじて生きており、ラリったみたいにニタニタ笑っていたので、薬物使用の疑いでこの億世橋署へと連行されている。本当はすぐにでも奴を問い詰めて元の世界に戻る方法を聞き出したいところだが、その前に俺は鈴と一緒にニコラス署長のところへ呼び出された。
「マクレェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエンン‼」
ガシャアアアアアアアアアアアアアアアン‼
署長室の窓ガラスが、我らがボスことニコラス・ブランカート署長のあまりの声圧に堪えきれず粉々に爆ぜ割れた。
でも俺の鼓膜はちょっと痛いだけで破れたりはしてないから不思議。
「この間(あいだ)お前がぶっ壊した自動車一三〇台と高速道路とその他諸々(もろもろ)の件で委員会から噛み付かれっ放しだっていうのに、今朝お前がまたドンパチ騒ぎをやらかしたおかげで本部からはどやされるし、この億世橋署(おくせばししょ)が目の敵にされて治安は悪くないのに要警戒管轄地区(ようけいかいかんかつちく)とかいうレッテルを貼られて、監査(かんさ)が毎月入ることになって他の署から白い目で見られる始末だぞ! 一体どういう神経で仕事してやがるんだ⁉」
艶々の木製デスクに両の掌を打ち下ろして立ち上がり、この億世橋警察署一のマシンガンマ
ウスを炸裂させるニコラス署長。肺活量すごいな。
真っ黒な地肌に、ずんぐりとした一八〇センチの体格。映画のブルーレイ付属の設定資料集に書いてあったけど、剣道二段、柔道五段の肉体派で、太って見えるのは筋肉が肥大化しているからみたい。
「でっかい木が暴れてたからとっちめただけよ!」
署長の正面でぷくーっと白いほっぺをまん丸に膨らませて、そっぽを向く鈴。
「でっかい木以上に暴れてどうするんだ! お前は億世橋署の評価を地に貶めてる張本人だという自覚を持たんか!」
普通なら、こういう場面では怒声の迫力に竦み上がって何も言えなくなるところだが、鈴の
気持ちも署長の胸の内もわかってる(、、、、、)身としては、ついつい苦笑いで見守ってしまう。
「応援要請で呼び出したのはそっちでしょ? あの通り一帯を荒らしまくったのはジャンベリクよ? なんで全部わたしのせいになるのよ⁉」
「お前はどうしてそうも含みが伝わらんのだ! いくら凶悪犯を捕まえるためとはいえ、被害
を最小限に止(とど)める配慮を怠るなと言っとるんだ!」
鈴は、この映画でのアメリカ合衆国において名を馳せていたマクレーン警部補が、事件現場で拾って育てた養子だ。
彼女はリン・マクレーンという氏名で国籍を登録し、幼少期をアメリカで過ごした。署長が
鈴を『マクレェエエエエエン‼』とミドルネームで呼ぶのは、彼女の義父をしかり付ける時の呼
び方が染みついてしまっているからである。
「無茶言わないでよ。警官隊が束になっても敵わない相手を抑えただけマシってものよ。夜勤
明けに厄介事押し付けられた側の気もちょっとくらい汲んでくれたっていいじゃない。まぁデ
スクに座ってそのお腹をすくすく育ててる署長にはわからないんでしょうけど? もうそのお
腹、ピッグズとどっこいよ!」
「わしとあいつをデブ呼ばわりする気か⁉ 失礼な物言いを直せと何度言ったらわかるんだ!
全く態度のなってない奴だ! あのクソ豚野郎はさておいて、わしが纏ってるのは筋肉という
名の防弾チョッキだ! あのクソ豚野郎だってお前と違って、元爆弾処理班のエースという、
立派な肩書きを持ってるんだぞ! いつもいつも鼻歌まじりにブヒブヒ屁をこきながら菓子食
ってるだけだと思ったか! あいつはただの豚じゃない! 動ける豚としてちゃんと仕事はこなしてる! 街を守るどころかぶっ壊して回ってるお前とは違うわぃ‼」
ヒートアップしてガミガミしゃべるニコラス署長と、鈴の義父であるマクレーン警部補は親
友同士で、若い頃は《相棒(バディ)》として共にアメリカの地を駆け回り、凶悪犯と戦っていたという設定。
で、ニコラス署長はそのクソ真面目が幸いして出世。マクレーン警部補は現場に残って、親
友且つ、上司と部下の関係になったという話。【ムロイさん】と【アオシマ】みたいな感じだ。
十数年前、マクレーン警部補が訳あって殉職し、残された義娘(ぎじょう)の鈴が一人になった時、署長
はマクレーン警部補の墓の前で、
『お前の子は俺が陰で支えるから、安心して眠れ』
と言って、転属願いを出し、家を引き払いまでして、幼い鈴と日本人の妻を連れて来日したという経緯を持っている。【幕明 鈴】という名は、日本国籍を取る際、署長の奥さんの性を取って名付けたものだ。
でも、どうしてわざわざアメリカから日本――それも【魔王討伐大戦(ワールド・ウォー・S)】の傷跡を残す新東京都へ越して、鈴の名前を付け直す必要があったのかは明らかにされていない。
マクレーン警部補はとてつもなく危険な凶悪犯にやられて、その凶悪犯の魔の手が娘に及ば
ぬよう、署長夫妻が鈴を匿う意味合いで国を出たのではないかという憶測がネット上で議論さ
れていたけど、真相は署長に直接聞かないとわからない。
「――鈴。ちょっと大人気ないんじゃないか? ここは一緒に謝ろう。やっちまったもんはやっちまったもんだからな」
と、俺は後頭部を掻くフリで首を捻り、鈴にそう耳打ちする。
ニコラス署長は部下たちの手前、表向きは自分の立場上こうして怒鳴り散らしているけど、
陰ながら鈴を見守ってきた、情に厚い人なんだ。
「……バカオヤジ」
ボソッと言う鈴の態度がデカイのも、幼少期から続く関係に、上司と部下の垣根を超えた信
頼があるからだろう。
「「すみませんでした」」
鈴と俺は揃って頭を下げる。
「次に何かぶっ壊したら、弁償代はお前らのケチな給料から天引きするからそう思え! いい
か! わかったかぁ⁉」
「ファ⁉」
「鈴! ここは抑えて! わ、わかりました署長!」
俺は、額に浮かんだ血管が今にもキレそうな鈴を宥(なだ)めつつ、コクコク頷く。
――て、あれ⁉ 今『お前ら』って言わなかった⁉
ニコラス署長は肩で息をしながら、ふと俺を二度見。
「――ていうかそこの貴様は誰だぁああああああ‼」
あ、それここで来るんですね。大分時間差ありましたね。
「実は俺――」
俺は自分が映画の世界へ来た経緯を説明した。あえて包み隠さず話して、さっさと安倍の奴
に会わせてもらって引き揚げだ。鈴と別れちまうのは悔やまれるけどな。
「……こいつはどこかで頭でも打ったのか? よく見たら、今朝お前と一緒に戦っていた奴じ
ゃないか。さては激戦に巻き込まれて記憶がパーになったのか?」
あれ?
「今日から異能課(うち)に配属されるって話じゃないの? 署長が知ってるって彼から聞いたわよ?」
「わしは何も聞いておらん! ええい、リリィだ! リリィを呼んでこいつの記憶をどうにかしろ!」
……なんだか、思ってた反応と違う。俺の話をまるで信じてない。
俺の目が点になっているところへ、リリィなる人物が飛んできた(、、、、、)。細身で、身長一〇センチくらいの小人だ。
窓ガラスが吹っ飛んでるからドアを開けずとも署長室へ辿り着けるという状況になんの違和感も感じていないっぽい。やっぱりこの部署じゃ日常茶飯事なんだな、ガラス割れるの。
「署長、呼んだ?」
と、リリィ。金管楽器のような輝きを含んだ声は年端もいかない少女みたい。髪は桜の花のように薄いピンクのショートカット。背中から生えた半透明の羽は蝶のような形をしていて、
そこからは、たぶん鱗粉だろう――金色の光の粒がキラキラと宙に舞っている。
「このもやし野郎の頭を見てやってくれ。自分は違う世界から来たとかぬかしてやがるんだ」
もやし野郎って、……まぁ警察学校でもひょろいとかって言われてたから否定はせんけど、
署長も鈴に負けないくらい口が悪い。これじゃ鈴のこと言えないぞ。ていうか鈴の口の悪さは
署長譲りか?
「了解! あなた新入りさん? 見ない顔だね?」
と、リリィは『ぴゅるるるる』とかいう可愛らしい飛行音を発して俺の顔の前に来た。彼女
の金に瞬く瞳が可愛い。間違いなく本物だ!
「や、やあ。栄治っていうんだ」
彼女もこの映画の主要キャラの一人で、主にサポート役。鈴とは仕事でよく行動を共にするし、プライベートでも一緒に買い物に行ったりする仲だ。
「わたしはリリィよ。ちょっとだけ、えいじの頭を覗かせてもらうね?」
ちょうどいい。リリィの能力(、、)で俺の言っていることが本当だと証明できる。
「ああ。頼む」
俺が頷くと、リリィは目を閉じ、深呼吸で精神を統一する。
「【あなたが想うあなた自身は幻に過ぎない(バニラスカイ)】」
リリィが唱えると、ピンクに発光する【糸】のようなものが彼女の額から発生し、それが俺
のおでこまで伸びてきて、そっと触れる。互いのおでこが、ピンクの【糸】で繋がった状態だ。
これが彼女の意思能力(フォース・オブ・ウィル)。他人の記憶を覗いて、嘘を見抜いたり、本人が自覚していない深
い部分に眠る記憶を読み取ったりできるという、手掛かりを探す側の警察官にはうってつけ
の能力だ。確か、催眠や幻覚を解いたりすることもできたはず。
「――鈴と一緒に戦ったなんて、なかなかやるじゃん」
目を閉じたまま、リリィは俺の記憶を読む。
「……どうだ?」
と、署長が問う。
「――ノイズがひどくてはっきりとはわからないけど、栄治は少なくともこの国の人間じゃない。誰か目上の人から、重要なことを託されて来たの? ……それが、安倍って人を捕まえること?」
何故かはわからないが、リリィは俺の直近(ちょっきん)の記憶――それも一部分しか読めなかったみたいだ。
「そ、そうなんだよ。まさにその通りだ。俺は警部補に言われてここへ来た。だから安倍の奴を連れて戻らなくちゃならない」
「ノイズとはどういうことだ? それではこのスレタとかいう若造の言い分をすんなり信用するわけにかんぞ? 確認の取りようがない」
「署長。リリィの能力はほぼ一〇〇パーセントに近い割合で、相手の深い記憶を読み解けるわ。そのリリィが読み切れないとなると、栄治はなにか他の能力の影響下にあって、記憶を失ってると考えるべきよ」
鈴が署長を宥める。なるほどそう解釈しますか。
署長がそうすんなり信じられないのも当然だ。俺だって半信半疑だし、目に見えないものは
基本的に信じない主義だ。けど、いざ映画の世界に転移した身になると、鈴のフォローがとて
もありがたい。
記憶を失くしたわけじゃないんだが、俺は安倍の能力によってこの世界に来た。ということは、安倍の能力の影響下にあることは確かだ。リリィが俺の記憶をノイズで深く読めないのは、それが原因なのかもしれない。
「お願いです、署長。安倍に会わせてください。俺が追跡していた奴と話せば、元の世界に帰る方法……というか、過去のことをもっと思い出せるかもしれないんです」
もうこうなったら記憶喪失の体(てい)で話を進めた方が無難と判断した俺は、そうお願いした。
★
「――帰れないよ?」
取調室(とりしらべしつ)。清潔感のある白い壁と床。長机にパイプ椅子が二つ。元の世界へ戻る術(すべ)を聞き出すべく、俺が安倍と向かい合って座り、鈴とリリィとニコラス署長はマジックミラーの向こう側――隣室で様子見という構図だ。極力会話に集中したいので、少しの間安倍と一対一で話させてほしいと言ったら許可してくれた。
「え、今なんつった?」
鈴の裏拳を顔面に受けたとあって、片頬が蜂刺されみたいに赤く腫れあがった安倍が発した
衝撃の一言に、俺は動揺を隠せない。
「帰れないって言ったんだよお巡りさん。まさかあのタイミングで、僕と同じ映画を見ていた
奴がいるとは思わなかったよ。残念だけど、一生ここで暮らしてもらうしかないね。僕はそのつもりでこっち(、、、)へ来たんだ。ククク」
サイド分けの銀髪に一重の目。鼻筋は外人のように高く、腫れさえ治ればそこそこのイケメンな安倍が静かに笑う。全体的に整った顔立ちだけ見ると、とても詐欺や《殺人(コロシ)》の常習犯とは思えないが、その実態は、他人の感情を理解する共感能力の無い悪党(サイコパス)だ。
一方の俺は平均的な身長に痩せ型の身体に平凡な顔だが、こんな奴に劣等感を抱くほど心は柔(やわ)じゃない。
「か、帰れないだって⁉ そんなわけあるか! お前がやったことじゃないか!」
俺は語気を強めるが、安倍は動じていない。
「ここから出たいなら、エンディングを迎える(、、、、、、、、、、)以外に方法はない。けどそれは叶わない。なぜ
なら、僕がいずれもっと強力な意思能力(フォース・オブ・ウィル)を手に入れて、この映画の主人公を始末するからさ。そうすればこの映画は成り立たず、話が進まない。つまりエンディングが無くなるんだ。だから帰れなくなるわけ。僕はこっちの世界に永住したいんだ。嘘はついちゃいない。だって、あんな夢も希望もない現実世界にいたら、生き殺しにされるようなものじゃないか」
「エンディング? 始末する? なにを言ってるんだ? 真面目に答えろ! お前なんかに鈴がやられるわけがない!」
この状況でも、完全に自分が有利だとでも言わんばかりに、安倍は俺に仔細(しさい)を話す。
「今はまだ無理ってだけの話さ。勘付いてるかもしれないけど、僕がここへ来るのに使ったのは、この映画でおなじみの意思能力(フォース・オブ・ウィル)だ。でも、完全なものじゃない。意思能力(フォース・オブ・ウィル)には進化性(しんかせい)ってステータスがあるのは知ってるだろう? 僕の能力はまだまだ進化する。だから今後、進化した能力によっては、あんただけ元の世界へ帰してやれるかもしれない」
俺は耳を疑った。安倍の言うことを信じるなら、意思能力(フォース・オブ・ウィル)はフィクションだけの話じゃないってことだ。
「意思能力(フォース・オブ・ウィル)⁉ げ、現実の世界に、実際に存在してるっていうのか⁉」
「無知な奴はほんと、見ていて滑稽だな。これまであんたらが見つけた死体あるだろ? あれこそ能力が実在する拠だよ。あれは僕と一緒に映画を見た奴をテレビ画面に半分入らせて、そこで時間切れで出入口が閉じたらどうなるか試したんだよ。結果は見たとおり、真っ二つさ。そうやって実験と練習を重ねるうちに、能力が少しずつ進化して、性能が上がった。まだ発展途上とはいえ、結構苦労したんだぜ?」
ニタニタ笑う安倍は俺の問いに否定をせず、手錠の填(は)められた両手をテーブルの上で弄(もてあそ)びながら、自分の犯した罪を遊びの一つみたいに話した。
「取引といこう。ここから僕を逃がせ。ここに閉じ込められていたんじゃ、僕の能力はいつ進化できるかわからないからな。僕を逃がして、僕の能力が自分の都合に添(そ)う形で進化することを祈れ。進化できた暁には、鈴の奴を始末する前にあんたの要望を叶えてやってもいい。そうなれば、あんたは元の世界へ戻れて、僕はこっちに留まることができるだろう?」
「俺がそんな取引に応じるとでも言うのか⁉ 自分の立場を弁(わきま)えろ!」
「真面目なお巡りさんならそう言うと思ったよ。まぁいいさ。いずれは出られることだし」
この舐め腐った態度、腹立つ野郎だぜ。
「――この映画の物語を最後まで進ませることができれば、本当に帰れるんだろうな?」
俺は安倍の無事なもう片方の頬に腫れを作ってやりたい気持ちを抑え、そう聞いた。
「僕がこれまでの実験で何度も試したから間違いない。僕たちがこの世界のどこで何をしていようと、映画の最後のシーンが終わった瞬間強制的に現実の世界に戻される。元居た場所にね」
と、得意げに安倍。
そうなると、すぐに現実世界に戻るというのは無理みたいだ。
「……お前が何を企んでるか知らないけどな、警察を甘く見るなよ? 俺が必ず、この映画を終わりまで進めてやるからな! そしてあのアパートに戻って、お前を改めて逮捕する!」
「いいねぇ、その挑戦的な目。覚えておくよ。いずれ決着がつくだろうから、それまでお互いにこの世界を楽しもうじゃないか。あんたの負け顔をちゃんと見たいから、それまではくたばらないでいてくれよ? この世界で死んだら、現実世界で死んだのと同じだからね?」
「鈴が言ってたけど、お前はこのあと薬物検査を受け、その結果が出るまで身柄を勾留されることになっている。結果が出るまでに四日。もし陽性であればそのまま逮捕。裁判をやって判決が出るまで億世橋署(ここ)の留置室で過ごすことになるそうだ。これ以上状況を悪くしたくなければ、妙な真似はしない方が身のためだぞ?」
意思能力(フォース・オブ・ウィル)が実在するって話と、帰れないという事実に気圧され気味だった俺は、態度を改めて釘を刺した。
「あんたも、自分の身元が証明できない今の状況をなんとかした方がいいと思うけどね?」
安倍の言葉に何も返せず、俺はとうとう汗だくになって部屋を出た。一度にいろいろな事が起こり過ぎて、正直パニックになりそうだった。
★
「お前の顔と名前を役所のデータと照合したが、すべての国でヒットしなかったのはどういうことだ?」
「今朝はなんで天井から降ってきたの?」
署長と鈴が詰め寄ってくる。今度は俺が取り調べを受けてるみたいな構図になっていた。
リリィのピンクの糸がまた俺のおでこに引っ付いてる。ちょっとひんやりしてくすぐったい。
「全世界の住人データに俺の情報が登録されてないですって? そりゃそうですよ別の世界から来たんだから! 天井から降ってきたのがまさに証拠! 普通なんの前触れもなく人が天井から現れるなんてあり得ないでしょ⁉ 【ジャンパー】じゃないんだから! 何なら俺も薬物検査します? 至って頭は正常ですけど、結果が出るまでここに閉じ込めますか?」
皮肉交じりに弁明する俺を、署長は訝しげに、鈴は困り眉で見つめる。
「そんなにこの世界が映画だと言うなら、証拠を見せてみろ。それができたら信用して、元の世界へ帰れるようになるまで、億世橋署で雑用をさせてやらんこともない。警察官としての技能は持っとるようだし、雑用係が嫌なら採用試験を受けさせてやってもいい」
お、署長から耳寄りな発言があったぞ?
「なら、署長の身の上話をしましょうか? 映画の設定資料も読んだので、いろんな裏話を知ってますよ?」
「な⁉ わ、わしの何をお前が知っとるというんだ⁉」
ここで署長が額に汗を浮かべ、狼狽えたような表情を見せる。別に疚(やま)しいことなんて何もしてないのに、劇中で時々見せるこの様子がかわいいって、ネットでコメントが付いてたっけ。
「あなたはいつも鈴を𠮟りつけてますが、実は誰よりも彼女のことを気にかけて、見守ってますよね? 親友にした約束を果たすために。でもあなたはツンデレな性格だから、誰にもそれを打ち明けたことはない。あなたのようなキャラクターは、僕たちファンの間で大人気です」
「な、なな、なにを根拠にそんなデタラメを言うか! わしはこの街を守るために身を尽くしているだけであってだな――」
「あと、奥さんの誕生日プレゼントを買うために内緒でへそくりを貯めてましたよね? 以前、奥さんの手料理を食べに久々に鈴があなたの家を訪れたとき、鈴にへそくりの封筒を見られて、外部に漏らすなと口止めしたことも知ってます!」
俺の言を聞いた途端、署長は血相を変えて鈴を振り向き、
「だ、誰にも言わない約束だったろうに!」
「誰にも言ってないわよ!」
二人でガミガミ言い始める。
「――ほんとうなんだね。……こことは違う世界があるなんて。なんだか複雑な気分になるね。わたし達はつくりもの(、、、、、)ってことでしょう?」
と、リリィがどこか元気の無い声で言った。
「それを言うなら、誰だって神様の作り物だよ。君は俺の前に実際にこうしているわけだし、会話もしてる。これはつまり、キャラクターにもちゃんと命が宿ってるってことだと思うんだ。大勢のスタッフとファンの愛情が注がれた映画だからな!」
「……わたしも、人気あるの?」
「もちろん! 君のフィギュアは新作が出る度に即売り切れて、オークションでプレミアがつくくらい人気だよ! 人気キャラランキングでも上位の常連!」
現実世界での評価を映画の中でキャラクター本人に話すなんて経験初めてだから、話していいものかよくわからんけど、【ダニー・マディガン】も似たようなことしてたし、何より、リリィの表情がぱぁっと明るくなったので良しとしよう。
「そうなんだ! 複雑だけど、でもうれしい!」
リリィは署長と鈴の方へ飛んでいくと、二人を宥めつつ聞いた。
「栄治を信じてあげようよ! 彼の左目の能力も気になるし、ここにいてもらった方がいいと思う! 試験を受けさせてみたらどう?」
見た目が小さくて愛着のあるリリィだからか、タメ口を利く態度にも拘わらずニコラス署長は甘く、
「……ええい! お前が新東京都の街を守るに足る人間か見てやる! 不適格なら即刻雑用専門にしてやるからそのつもりでいろ! おい、ピッグズ! この命知らずの新入りを見てやれ!」
と、俺に採用試験を受けるチャンスをくれたのだった。
★(ピカ)
ブリッ! ブリブリブリブリィイイイイイイイイイ!
「――ピッグズだ」
知ってますとも。今のオナラの音で、目を瞑っててもあんたがピッグズ・ダーニング警部補だってことがわかる。
空気を入れて膨張しているかのようにまん丸いお腹とお尻。身長一六〇センチ弱、体重百二十キロ超えの横にデカイ図体(ずうたい)を、取調室のドアに押し込むようにして現れたピッグズが、テーブルを挟んで俺の対面に座る。メキャキャ! とパイプ椅子の悲鳴。
「署長から聞いたかもしれねぇが、俺がお前さんの審査官を務める。既に警察官として働いてるってことだから基礎は省略するとして、今からやるのは異能課(ウィルセクション)へ入るための適性試験だ。言っておくが、異能課(ウチ)は億世橋署の中でもダントツの危険(ヤバイ)仕事を回される部署だから、血を見るなんてザラだ。そのへんの覚悟はできてるか?」
プゥ!
と、ピッグズはまた屁をこいて、鼻の上に載せた黒縁メガネの奥で目を細めた。白い肌をテカテカさせた、大福みたいな顔は真剣そのものだ。異能課(ウィルセクション)のナンバー2としての威厳が漂っている感じがする。
「覚悟はあんたが初登場する前からできてる。宜しく頼むよ」
本来であれば、相手は目上なんだから敬語を使って当然だが、この世界のやたらとアメリカチックな台詞回しの雰囲気に呑まれ、俺もそれっぽく答えてしまう。
「これも忠告しといてやる。俺に嘘は通用しねぇ。これからお前さんに能力を見せてもらうが、ちょっとでも自分をよく見せようとして盛った対応をしてみろ、すぐに見抜くからな?」
プゥウゥウゥ!
「今の俺の実力で、ベストを尽くすだけだ」
テーブルの傍らに立ち、手に持ったボードに何やら書き込む鈴を一瞬見た俺は、かっこいい感じの声を装って答えた。リリィは別の案件で相棒と一緒に出動したので、ここにいるのは三人だけだ。
「では始める。ケツの穴締めてよく聞け」
プゥッ! プゥゥウ!
「お前さんの意思能力(フォース・オブ・ウィル)はどんな能力だ? 詳しく説明しろ」
「本来なら見えないはずの光景を、まるで映画を見ているみたいに、左目で見ることができる能力だ。その名も【観客視点(ザ・ヴィジョン)】」
「その能力は自分の意思でしっかり制御できるのか?」
「……ああ。もちろん」
嘘です。
「どんなものでも見えるのか? 例えば、壁の向こうの光景は?」
「見える。遠く離れた他の場所の光景も見えるし、ものの動きをスローモーションで見ることもできる。相手の攻撃をゆっくり見ることで、それに合わせた対応が可能だから、この能力を使っている限り、俺に攻撃は当たらない」
まだ一回しか体験していないので確証はありません。そうであって欲しいと思ってます。
「ほぅ? そいつは興味深いな。試しにこの俺の豪速パンチを躱してみせろ」
そう言って徐(おもむろ)に上着を脱いだピッグズが立ち上がり、ものすごい大振りのパンチ、もといフックを打ってきた。急に都合よく能力が発動するわけもなく焦ったが、あんまり大振りだったので余裕で避けられた。
「――なるほど。少しはやれるみたいだな」
プスゥ。プスプス。
静かなる屁を放ち、ピッグズが椅子に戻る。メキャガキャッ! と椅子の悲鳴。
「モノを透過して見ることはできるのか?」
「俺の左目に、不可能は無いぜ?」
もうこうなったら、とことんやり切ってみよう。ここで採用されなきゃ、エンディングまで立ち回り辛くなりそうだし。
「栄治。俺に嘘は通用しないと言ったよな? ほんとうにできるんだろうな?」
プリッ。
や、やばい。小さな屁と同時にピッグズの目がカッ! と見開かれた。無言の殺気が漂い始めた気がする。
「あ、ああ。例えば、あんたの服の中も、その気になれば見える。所持している武器から、パンツの色までな」
彼の目力に気圧され、ついどもってしまう俺。
「……鈴の下着の色は何色だ?」
バキッ!
ピッグズが俺にそう質問した瞬間、傍らで記録を取っていた鈴のペンが、彼女の握力でへし折られた。
「そ、それは……」
無論、俺に鈴の下着の色なんてわからない。能力が発動していないからな。発動さえしてくれればいくらでもガン見するんだが。
「どうした? 早く言わねぇか!」
と、ピッグズが血走った眼(まなこ)を俺に向けた瞬間、
スパアアアアアン!
鈴の持っていたボードがピッグズの顔面を直撃して砕け散った。ピッグズの黒縁メガネも爆
ぜ割れ、複数の破片が彼の顔に食い込んで血が出た。
「ッ⁉」
俺は恐怖を覚えた。確かに、異能課(ウィルセクション)で血を見ることはザラみたいだ。
「――わからねぇのか? なら、残念だが実力不十分と見るしかないな」
プ~ゥウッ!
ピッグズが平静を装って試験を終わらせようとする。
俺は必死に記憶を呼び起こす。確か、映画の小ネタ集に、鈴の愛用している下着の情報があ
ったんだ。
「――そうだ! ライオンさんの可愛らしいパンツだ!」
どうにか思い出した俺はすぐさま答えた。
「……突き刺すにはどっちがやり易いかなー?」
鈴が、まるで無感情なロボットのように光彩を欠いた瞳で、砕けたボードの破片を手に取り、
その尖った部分を見比べてる。
「……いいだろう。磨田栄治、お前を合格とする。ようこそ、異能課(ウィルセクション)へ」
ブリブリブリィィイイイイ!
「地獄へようこそ、栄治。改めてよろしくね?」
と、鈴が両の拳を胸の前で握り合わせ、関節をバキバキと言わせながら微笑んだ。
採用試験に合格した喜びと同時に訪れた恐怖に、俺は引き攣った笑みを浮かべた。
★
下着の件で鈴から鉄拳制裁を受けたものの、まぁ何はともあれ、一先ず腰を落ち着ける場所を得られた俺。
「きゃーっ⁉ なにこれ! 誰か修理業者を呼んで! 応接室のドアに穴が開いてる!」
一件を終わらせて戻ったらしいリリィが、俺が面接のあとで鈴に殴り飛ばされてブチ破ったドアを見て悲鳴を上げてた。でも同僚たちはみんな揃って、『またか』とでも言いたげにため息をつく程度のリアクションしかしない。
見てる分にはコミカルだけど、輪に加わってみるといろいろヤバイなここ。
この日は夕方にかけて鈴たちに億世橋署を案内してもらい、日常業務のあれこれの教育を受けた。その後の話し合いで、身元が存在しない俺が携帯を持ったり、アパートの部屋を借りたりできないことを考慮してくれた鈴たちの計らいで、当分の間は風呂も完備する億世橋署に居候させてもらう形となった。電話は警電(けいでん)(警察専用業務専用通信回線)という長ったらしい名目のスマホを持たせてくれたので、何かあったときは鈴たちと連絡が取り合えるから一先ず安心だ。
あとは警察官としての公務をこなしながら、映画の物語が無事エンディングを迎えるまで待つだけだ。
俺がこの映画でこれから起こる事を前もって鈴たちに教えて、よりスムーズに話が進むよう仕向けることも考えたが、さすがにそこまで干渉するとどうなるか予測がつかないので、とりあえずは映画のシナリオ通り進むに任せることにした。
そうして、俺のイン・ザ・ムービー・ライフがスタートしたわけだが、
「……ここは?」
「物置よ」
その日の夜。鈴に寝床へと案内された俺は、目の前にある古びたドアを開けて絶句。場所は三階通路の途中。通路の左奥に目を向けると、そこには仮眠室なる表示の施された部屋が。
「よう、幕明! 今朝もお手柄だったなぁ!」
「いつもオイシイところ持っていきやがって、怪我とか無かったか?」
仮眠室へと向かうらしい男性警官たちが、ジャンベリクを捕まえたことで鈴に声を掛ける。
「あんた達が道を塞いでアイツを追い詰めたんでしょ? 手柄はみんなのものよ」
と、鈴は手を振って同僚を見送る。
「悪いけど、ジャンベリクの一件があって街の警戒態勢が強化されたから、夜間の巡回も増員されちゃって、仮眠室は満杯なのよ。さすがにあんた専用に割けるスペースは無いの」
なるほどな。鈴の大暴れはこういう細かな部分まで影響が出てるってことか。
元を辿れば、警戒態勢が強化されたのは、鈴が暴れすぎて被害が拡大したという部分もあるが、それでも鈴は仲間からブーイングを受けるどころか、ヒーロー的な目で見られている。これは、困っている人を決して見捨てない、自分の力を奢らない、手柄を自慢しないという、鈴の人間性が受け入れられてるからだと思う。
「明日、総務に布団を一人分用意できないか掛け合ってみるから、今夜だけ我慢してくれる?」
「わかった。むしろ雨風凌(しの)げるだけで全然マシさ。ありがたく使わせてもらうよ」
一瞬戸惑った俺だったが、鈴のような警察官になるには、まずは感謝の心を持つところからだ。当然、文句なんてない。
「わたしも今夜はここに泊まることにしたから、何かあったら異能課の事務所まで来て?」
「了解だ。お休み」
鈴と別れ、俺は物置の中にあったブルーシートを広げ、そこに横にならせてもらう。思ったほど埃っぽくない。これは普段から署内の『整理、整頓、清掃、清潔、しつけ』――通称=5S(ごえす)が徹底されている証拠だろう。
「……俺も、自分の部屋で習慣付けないとな、5S」
肝に銘じて目を閉じると、今日一日の記憶が蘇り、津波のように押し寄せてくる。
今日は俺の二十年の人生で、一番衝撃的な日になったことは間違いない。映画みたいにフィクションじみた出来事に自分が遭遇し、まさにその映画の中に入っちまったんだから。
しかも、平凡でもやしの俺に意思能力(フォース・オブ・ウィル)が発現ときた。異能課に身を置かせてもらえているのは、件の能力があってこそ。つまり、求められたときにすぐさま発動できる必要がある。
「……【観客視点(ザ・ヴィジョン)】!」
左目に意識を集中し、小さめの声で唱えてみた。
「…………」
だが、特に何の変化もない。意思能力(フォース・オブ・ウィル)には、能力者本人が意識して発動するものと、無意識に発動するものとで二種類ある。今みたいに能力名を唱えて発動するのは前者。後者はある一定の条件下でのみ発動するタイプで、自己コントロールが難しい反面、強力な能力が多い。
まだ推測だが、俺の【観客視点(ザ・ヴィジョン)】は後者ではないかと思われる。
「発動させる条件ってやつを早いうちに把握しないとな……」
映画の中とはいえ、警察官としての仕事は現実と変わらず厳しいものになりそうだ。
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