05話.[納得がいかない]

「帰るか」

「歩ける」


 忘れ物がないかしっかり確認してから昇降口へ移動して靴に履き替えた。

 別行動をする必要はないから待っているとすぐに先輩もやって来て落ち着けた。

 あのときの私は迷惑をかけたくないからまだ授業があると言っただけ、それだというのに結局甘えてしまった、なんてことになったら私がやっていられない。

 何度も言うけど歩くぐらいなら問題はない、体育だってやったうえで放課後まで乗り切ったのだから。


「明日までに治せるか?」

「分からない」

「俺から行くなんて言ったができればお前から来てくれた方がいい、早く治せよ」


 そう言われても十日ぐらいずっとこの調子だからどうなるのかは分からない。

 彼に会えば変わるかと思えばそうでもないし、いまだって普通に歩けるけどやはり怠い感じがする。

 病は気からという言葉があるから頑張ってなんてことはないというスタンスでやっているものの、疲れるばかりでいい成果は得られていなかった。

 幸いな点は前も言ったように莉杏には気づかれていないということだ。

 何回も大丈夫かと聞かれ、何回も大丈夫と答えるのは大変だから。


「お前、ダイエットとかしてねえよな?」

「していない、人生で一度もしたことがない」

「プールに行きたいとか言っていたからいま急に嫌予感がしたんだが、そうじゃないならよかったよ」


 途中のところで別れてひとり自宅まで歩いているときにお腹が痛くなって急ぐ羽目になった。

 腹痛は困る、頭痛よりもよっぽど怖い。

 放課後になっていれば好きな時間に好きなだけトイレに駆け込めるけど、授業がある午前中だとそうもいかない。

 漏らしたら楽しい学校生活が終わってしまうため、本気で治すつもりでいないとこれは駄目だ。


「よく食べないといけない」


 食欲がなくてもしっかり食べなければ初めての期末テストも頑張れない。

 テストで赤点を取ればなにもかもが終わるので、やはり変えるならいまだろう。

 とりあえず手を洗ってからご飯作りを始める。

 あっさりめの方が胃に詰め込みやすいから野菜多めのご飯となった。


「ただいま」


 十八時半頃に母が帰宅、後にするとまた少なめになりそうだからすぐに食べることにした。


「お、今日はいっぱい食べているね」

「お腹が空いたから」


 やはり量をさり気なく減らしていたことにも気づかれていたらしい。

 母は鋭いからときどき怖くなる、そのため、指摘される前にはっきり言ってしまうことにした。


「うんうん、夏なんだからそれぐらいがいいよ、無理はしちゃいけないけどね」

「気持ちが悪くなるわけではないから大丈夫」


 食べ終えたら洗い物をしてから洗面所へ。

 臭っても嫌だからしっかり隅から隅まで洗って湯船に突入。


「ふぅ」


 自然と言葉が漏れる、冬だけではなく夏も同じく気持ちがいい。


「りん、だけどひとつ駄目な点があります」

「もしかして離れていたこと?」

「そう、迷惑をかけたくないと考えて行動できるのはいいけど、黙って離れられたら上刈君達も不安になっちゃうと思うから」

「でも、上刈先輩にそういうことを言うとあの人は……」


 まあ、言っても言わなくても同じような結果になったということになるけど。

 でも、少なくとも今日以外の時間は迷惑をかけずに済んだのだ。

 どうやって過ごしていたのかは知らないけど、なにもこちらばかりのことを考えて行動しているというわけではないだろう。

 となれば、自分のしたいことをできていただろうし、上葉先輩もいるからいつものように楽しく過ごせていたと思う。

 全部私の想像だから合っているのかどうかは分からないものの、ん、少なくとも今日以外は絶対に迷惑はかけなかったと言える。


「もうひとり男の子がいたよね、その子とも離れてしまったの?」

「ん、あんまりふたりきりで過ごすということはないから」


 片方といるときは必ず片方がすぐに現れるからそういうことになる。

 先輩は私を上葉先輩から守るためにと言うよりも、私のことを出しておけば自然に上葉先輩といられるから来ていると思う。

 上葉先輩も素直になれなくてついつい悪く言ってしまったり、調節していてはいても物理的攻撃をしてしまったりしているけど同じだ。


「あんまり極端なことはしないようにね」

「ん」

「よし、それじゃあ上葉君と話してくるね」


 ん? あ、行ってしまった。

 お風呂に入っているときに会話をするというのはいつものことだけど、すぐに離れたのはそういうことなのだろうか。

 ふたりとも私は家は知っているからなにも違和感はない、ただ、父がいるのに母が若い男の子と話せて楽しそうにしているのは気になる。

 私といてくれていたのは先輩と仲良くするためでもあるし、もしかして私の母を狙っていたから……?

 ……長時間入るのは危険だから出て拭いて着てリビングを覗いてみた。

 聞き間違えではなかった、確かにリビングに存在している。

 私に用があるなら「早く出て」などと言うだろうから二階へ戻ることにした。


「私には止められそうにない」


 母の我慢できる力に期待するしかない。

 浮気だけはやめてほしかった。




「ん……」


 テストはなんにも問題はなかったけど、依然として調子がよくなかった。

 だからお昼で終わっても毎日数時間は机に突っ伏してから帰ることになっている。

 ちなみにこういうことは初めてだ、毎年夏限定で弱るというわけではない。


「冷たい……」

「あ、ごめん、丁度置こうとした場所にりんちゃんの頭があったよ」


 あのとき顔を出さないで部屋に戻ったことを翌日に彼から怒られた。

 母とのことを聞いてみても「既婚者を狙うわけがないよ、それにりんちゃんのお母さんは巨乳じゃないしね」と徹底していた。

 母も父が大好きなようで私が一瞬だけでも疑ったことを悲しがっていたぐらいだったけど、仲良く話していたのが悪いと開き直っておいた。


「まだ駄目なの?」

「調子が悪い、まだ駄目」

「それって行くとか言っておいて上刈が行かないから?」

「違う」


 いっぱい食べていっぱい寝ているのに駄目なのだ。

 あのとき来てくれたのは複雑であり嬉しかったりもしたけど、そこに先輩は関係していなかった。


「仕方がないなあ、家まで運んであげるよ」

「歩け――上葉先輩は上刈先輩と似ている」

「ま、同じ上が入っている名字だしね」


 先輩のときと違って担ぎ上げられるのではなくおんぶだった。

 背中に引っ付いていると自分が妹だったらこうしてもらうのもありかもしれないなどと感じた。


「葉っぱを刈る、上葉先輩は刈られる側」

「はははっ、だから守るために言い合いになるんだろうねっ」

「ちゃんと言えば上刈先輩は分かってくれる」

「そうだね、上刈ならきっとそうだ」


 あ、学校にいるときも敬語をやめてしまったのは問題だ。

 最近は自分が決めたことをなにひとつとして守れていない。

 そういう細かいことには気づかずに駒田君も莉杏もいてくれているけど、なんかずるをしているようで気になっていた。


「貴一でいいよ、それか上葉って呼び捨てでもいい」

「それなら上葉で」

「そこまで徹底しているとちょっと寂しいけどね」


 彼からは本当に寂しそうな感じが伝わってきた。

 でも、あまりに急すぎて分からないから徹底? と聞いてみる。


「名前で呼ぶなら上刈がいい、そうでしょ?」

「違う、ただ、名前で呼ぶならもっと仲良くなってからがいい」

「そうなんだ」


 彼は家までではなく黙って部屋まで運んでくれた、のはいいけど、どうやらまだ帰るつもりはないようだ。

 ただ、ここでもう帰った方がいいとか言うと「上刈がいいんでしょ」とか言われかねないからやめておく。

 それより言わなければならないことはありがとうだ、少し前よりちょっと辛かったから本当にありがたかった。


「ありがとう」

「あっ、き、着替えなくていいの?」

「上葉がいたらさすがに恥ずかしいからできない」

「ち、違うよっ? 別に着替えているところを見たいからと言ったわけじゃないからねっ? 俺はただ、制服は窮屈で嫌だとりんちゃんが言っていたから……」


 部屋から出ていってしまったからその間に着替えることにした。

 汗はほとんどかいていないからお風呂前に着ても問題ない。


「上葉?」

「こ、ここにいるよ」

「もう大丈夫」


 とはいえ、部屋でなにか楽しいことができるというわけではない、それでもわざわざ一階に戻るのは違うから部屋に彼を連れ戻した。

 誰かが自分のために動いてくれるというのは当たり前ということではないからお礼がしたい。

 先輩にもまだできていないものの、せめていま一緒にいてくれている彼にぐらいはという考えが強くなる。


「お礼がしたい、上葉は私になにをしてもらいたい?」

「それなら俺は……」


 まだまだ母が帰ってくるまでには時間があるからゆっくり考えてくれればいい。

 固まってしまったから少しお掃除をしていたりして時間をつぶす、が、終わってからも微動だにしないままで困ってしまう。


「上葉――……そんなに嫌だった?」


 思い切り距離を作られてしまってつい聞いてしまった、なにかがなければこんな反応は見せないというのに私は馬鹿だ。


「ち、違うよ、俺としては早くりんちゃんが元気になってくれればいいんだ」


 今度はこちらが固まっていると「ほら、調子が悪いんだから寝ないと」と。

 大人しく言うことを聞いてベッドに寝転ぶと「きみのお母さんが帰ってくるまではいるよ」と口にしてこちらに背を向けて座った。

 学校にいたときまでは普通だったのにここに来てからはおかしい、名字呼びにしてしまったことが分かりやすく影響している形になるのだろうか。


「き、貴一」

「駄目だよ、自分が決めていることを守らないとね」


 ……こっちが動こうとした瞬間に普通に戻るのはやめてほしかった。

 どうしようもなくなったからこちらも背を向けてから目を閉じる。

 いまは先輩とか彼とか本当に関係がなかったのにこれだから納得がいかない。

 どうしようもなくもやもやして全く眠気なんかはやってこなかったものの、こちらにも意地があるからなにかを言ったりはしなかった。




「やっと終わった……」


 莉杏に隠し続ける日々が終わった、数日の登校日はあるけどそれ以外はゆっくり家で過ごすことができる。

 それにしても本当にこの夏は駄目なまま時間だけが経過したことになるな、と。

 それでも登校して立ったり座ったり移動したりしなくていいと考えるだけで天国みたいな時間の始まりだ、天国は知らないけど。


「りんちゃん、今日はなにか食べに行かない?」

「莉杏とふたりで?」

「素久は男の子の友達と遊びに行っちゃったからね、もう知らない」

「分かった、冷たい物が食べたい」

「それならお蕎麦とか冷やし中華とかだね、行こうっ」


 荷物を持ってから付いていこうとすると目の前に急に壁が現れた、その壁に顔面から激突して固まっていると「俺も腹減ったから行くわ」と。

 壁の正体は先輩でした~、なんてふざけていられるような強さはいまはない。


「あとなんか気持ちが悪い態度の奴も参加させてもらうわ」

「大丈夫ですよ、行きましょうっ」


 上葉か、正直に言ってあまり会いたくなかった。

 あんなことを言うぐらいならそういう理由を作らないでほしいとぶつけたい。


「り……んちゃん」

「なんだお前ら、喧嘩でもしたのか?」

「してない」


 喧嘩は、していない。

 あの日から今日まではいられていなかったけど、そういうことになる。

 そこまで雰囲気は悪くなかった、ただ、微妙な結果に終わったというだけで。


「じゃあなんでこの変態はこんな感じなんだ? 宮守は知らないか?」

「分かりません、それに巨乳巨乳って言う先輩に近づいてほしくありません」

「はははっ、はっきり言われてんぞお前っ」

「……やっぱり帰るよ」

「は? あ、いやまあ、別に行きたくねえならそれでいいが」


 駄目だ、絶対にそんなことにはさせない。

 いま止めなければ後悔しそうだったから調子が悪いのも忘れて物理的に止めた。

 上葉が来なければ行かないともぶつけて少し待つ、後ろから「いつの間にか進んでいたんだな」などと先輩が言ってきたけどいまはスルーをさせてもらう。


「……まだ調子が悪いんだ」

「言わないでほしい」

「分かった、分かったから離してよ」


 来てくれるならそれでいい、それと食事に付き合うぐらいはいまの私でもできる。

 解散になるまでやり抜けば先程も考えたように天国みたいな時間が始まるのだ。

 冷たい物が食べられるお店は学校からは少し遠かったけど問題はなかった。


「りんちゃんは上刈先輩の横に座って、私はこの人を監視しておかなければならないからこっちだけど」

「なにもできないよ」

「当たり前ですよ、なにかしたら怒ります」


 巨乳でもないのに一緒にいてくれていることはありがたい。

 だからこそお礼がしたくてなにがしてほしいか聞いたのに多分あれは拒絶だった。

 しかもこちらが変えようとしたときにあれ、もやもやして当然だ。


「莉杏、上葉は優しいから大丈夫」

「でも、なにかあったからこの人はこんな感じなんでしょ?」


 いまの上葉の状態のときに莉杏にずばずば言葉で刺されたらきっと普段とは影響力が変わってくる。

 自分が色々なことで引っかかっているときに自由に言われたら嫌だからここらへんでちゃんと止めておくことにした。


「とりあえず注文しよう、後でちゃんと説明する」


 注文から食事まではスムーズだった。

 何故か彼女と先輩が仲良さそうに話していたのは謎だったけど、仲良くできていた方がいいから気にしないで味わった。

 お会計もまとめて済ませてくれたから外で渡して、嘘にならないように説明。


「別にお前だけ名前で呼ばれてねえというわけじゃねえんだから気にしすぎだろ」

「いや、どう呼ぶかはもう気になっていなかった、だけどりんちゃんの部屋にいたら落ち着かなくなっちゃって……」

「お前が?」

「うん、なんかね」


 あ、そういうことだったらしい、足りなかったのは話し合い、ということか。

 ただ、調子もそこまでよくなかったし、やはり貴一と呼んでからあれだったからちゃんとしようとは思えなかった。

 だけど莉杏には言わないようにしてくれたところは本当に優しい。


「りんちゃん、素久に会いたくなったからこれで帰るね」

「あ、またね」

「うん、また会おうね」


 よし、これであとはぐったりしつつ家に帰ればいい。

 お昼ご飯も食べられたからゆっくり寝るのもいいし、寝なくても寝転んでおくだけでかなり楽になる。

 お風呂に入る前に寝転ぶのは嫌だけど、最近の感じから仕方がないと片付けよう。


「今日はもう帰る」

「たまには俺も行くかな、上葉はどうする?」

「俺はまた今度でいいよ、それじゃあね」


 先輩はこちらを抱きかかえてから「あいつまだ変な遠慮してんな」と呟いて歩き始めた。

 移動速度も結構速くて、私専用のタクシーかもしれないなんて馬鹿なことを考えつつなすがままとなっていた。


「鍵」

「ん」


 この前の上葉みたいに部屋まで下ろしてくれなかったのは少しあれだけど。

 というか、これだと飲み物を渡せないから困ってしまう。

 でも、ベッドの上に運ばれてしまったせいで脳が動きたくないと求め始めてしまって……。


「飲み物……は我慢して」

「ん? 大丈夫だ、ここに買っておいたのがある」

「それならよかった」


 いつもならすぐに着替えたくなる自分がいないから相当だと思う。

 なんとなくそれすらも恥ずかしくて背を向けて目を閉じたらあのときと違ってすぐに眠気がやってきてくれた。

 せっかく明日から夏休みなのだからこのままでは嫌だ、調子が悪いならさっさと寝てしまった方がいい。


「母さんが帰ってくるまではここにいる、だからゆっくり寝ろ」

「ん……」


 彼と上葉に対するお礼はまた今度、いまは治すことだけに集中しよう。

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