たなばたのはなし

 朝からの晴天は夕刻になっても変わらず、オレと倉田がルーフトップビアガーデンを訪れた頃には雲ひとつない宵の空が広がっていた。この辺りは地上からの光で夜更けは訪れないが、それにしても今日は端までクリアに澄んでいる。

「これなら織姫と彦星も会い放題やな」

 倉田も腰を下ろしながら空を見上げ、首をぐるり回してから笑った。

「会い放題ってどんな状態だよ」

「おん? 天の川のどこにでもカササギの橋かけまくり、渡りまくりみたいな感じやないか」

「ふたりしかいねぇのにかけまくってどうすんだ」

 非効率だろと適当な発言へツッコミを入れてから、ビールをふたつ注文する。アルコールへの耐性が低い倉田もビアガーデンとなればまずはビールがいいらしい。息をつく間もなく運ばれてきたジョッキを手に、

「さっさ、今日は何に乾杯する?」

 倉田が口の端を吊り上げた。多少キザな仕草が似合うのは生まれ持った何とやららしいが、いつ見ても笑ってしまうのはそれ以上に抜けた部分が愛らしい日常を見慣れているからかもしれない。オレもジョッキを手にし、

「もちろん今日は七夕なんだし、織姫と彦星にだろ。一年ぶりの逢瀬に、乾っぱ、ふっ」

 倉田を見習ってわざわざ格好をつけてみたがどうにもこみ上げる笑いを抑えきれず、最後は笑い声になってしまった。薄色のサングラス越し、倉田は何やそれと目を細めてから、まぁいいかとジョッキをぶつける。流し込んだビールはキンと冴え、喉から胃までを一直線に冷やした。

 ジョッキを置くと勢いがついていたのか、黄金色の水面が大きく揺れる。消えていく泡。それを見てひとつ思い出すものがあり、そういえば、と倉田へ話を切り出した。

「今日って七夕だろ? 江戸時代には星映しして楽しんだらしいぜ。クラ、知ってるか、星映し」

 ビールと同じくまずは、で頼んでいた枝豆が運ばれてくる。倉田は莢を口に当て、んーんと首を横に振った。子供のような仕草も似合う気がするのは同僚の贔屓目、かもしれない。莢を口でしごきつつ、

「まずはタライに水を張って、夜空の織姫と彦星を映すんだと。で、それを揺らして、ふたりが出会うのを手伝うとか……あとはふたつの星がタライの水面に映れば願いが叶うとか、色々バリエーションはあるみてぇだけどな」

 思い出した知識をひけらかすと、倉田はジョッキへ手を伸ばしながらほぉと感心したような声を出し、

「何やちょっと背徳感あるな、それ。恋人同士の逢引を覗き見してるみたいな」

 まぁ手伝ってるならしゃあないか、そう言いながら目を意味ありげに細める。何考えてんだか。呆れながらもわからんでもない発想には同意して頷くと、倉田はジョッキを掴んだ手を小さく揺らして覗き込んだ。つられて覗き込んだ水面には星どころか、倉田もオレも見えない。揺れる黄金の水面。

「俺らじゃあんまり助けにならんみたいやな」

「ジョッキじゃ小せえんだろ」

 顔を上げたところでメニューが視界へ入った。倉田もオレの視線を辿り、同じものを見ている。

「……さっさ、この一リットルジョッキやったらもしかしたら」

「もしかしない」

 反射で答えてから、いや待てよと思い直す。

「いや、もしかするかもしれねぇな。よし、次はそれにする」

「あ、どうした急に。無理せんでええで、俺は手伝えんし」

「大丈夫だって。大丈夫じゃなくなったらオマエに送ってもらうから」

 眠り込んだらあとはよろしく。出来るだけ愛想よく微笑むと倉田はわかりやすく瞬きをして、

「……映り込んだら願いが叶うんやったっけ。さっさが眠らんようにお願いするわ」

「もっといいこと願えよ、明日休みになりますように、とかよ」

 それいいなと変わり身早く明るい顔をする倉田の上では微かに星が瞬いている。生まれ育った北の大地では七夕は八月が基本だ。また来月も会うだろう恋人達にもう一度乾杯をして、オレは一杯目のビールを飲み干した。

 さ、一リットル飲んでやろうじゃねぇか。

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