禁忌
リクエスト「頬杖、合図、おやすみ」で書きました。
ありがとうございました!
古来、酒の席では禁忌とされる話題がある。政治、宗教、野球。この三つは対立を生みやすく、アルコールで溶けかけた理性と組み合わさるとろくな結果にならないから、らしい。
今日からは四つめの禁忌をそこに付け加えたい。
唐揚げ。開戦の合図は日下からだった。
「唐揚げ、レモンかけちゃっていい?」
「……良くない」
倉田が、何かに気づいたようこちらを見たが言葉を発することなく目を逸した。オマエとは和解しているもんな。
「唐揚げにレモンは邪道だ」
ここが酒の席でなければ、飲んだビールがあと一杯でも少なかったら、選ぶ言葉はもっと穏やかだったに違いない。が、たらればはなく、ここは居酒屋で、ビールは確実に理性を浸蝕していた。
「あれ、笹木は唐揚げにレモンいらないタイプなんだ、知らなかった」
レモンを手にしたまま、同じく目元の赤らんだ日下が好戦的に微笑む。それは戦いを楽しむ戦士の顔だ。
「せっかくさくさくしてるのに、レモン汁で濡らすのが嫌なんだよ。だからかけないで、小皿に絞れ」
トンカツやコロッケなど、基本的に衣のついた揚げ物は出来るだけ食感を損ねずに食べたい。塩があればそれで食べるし、なければ必要最低限のトンカツソースで食べるようにしている。トンカツソースの粘度が高いのは衣への染み込みを遅くするためらしい。
なるほどと頷き、わかるよと言いながら日下はレモンとこちらを交互に見、
「確かに衣がふにゃふにゃすると残念だよね。だからこそ、僕はつけるんじゃなくて、かけたいんだよ。これだけの唐揚げにこんな小さいレモンのくし切りひとつ、変わらないと思わない?」
それに、息を潜めて続けた言葉にぐらり、何かが傾く音がする。
「笹木も知ってるだろうけど、ここの唐揚げは味が濃い目なんだよ。お酒に合うように……でももう酒はそんなにいらない。だろ? だったら少しでもさっぱり食べたいじゃない」
日下の言う通りこの居酒屋の唐揚げは、たまり醤油とニンニクへしっかりと漬け込み、衣にも数種類のスパイスを効かせたものであえて濃い目の味つけが売りだった。そして、ビールももうそろそろ定量だ。
今回はこちらの負けかもしれない。ちらりと倉田を見れば、そっちはそっちで別のものと戦っていた。日下も同じ方向を見て、あれ、と声を上げる。倉田は睡魔に負けそうな頭を頬杖で支えていた。閉じかけた瞼が時折跳ね上がろうとしては、震えている。
顔色も赤らんでいるだけで悪くはない。
「……取りあえず、これをどうにかしてから続きとするか」
「そうだね。まぁほとんど僕の勝利で決まりだと思うけど」
「言ってろ。おい、クラ、立てるか。タクシーでいいな?」
「……終わったん? 唐揚げ戦争」
甘い滑舌へ一旦停戦だよと告げ、大きな身体を日下とふたり抱えるようにして一度店を出る。足取りも酔客特有のふわつきはあるものの、いつもの範疇を出ていなかったので店前のタクシーへ押し込んだ。
「おやすみ。着いたら起きろよ」
日下が行き先を伝える間にも船を漕ぎ始めた倉田の肩を軽く叩けば、おう、ふにゃりと微笑んだ。大して飲めないのはこちらも一緒だが、倉田は特に弱い。それでも誘うこちらも、来るやつも物好きとしか言えない。
音もなく走り出したタクシーを見送り、日下と戦場へと戻る。アイツの分も守ってやらんと。
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