きずのはなし

 倉田は喫煙所の常連なのに煙草を吸わない。その事実を知ったのは何度か喫煙所で顔を合わせた後だった。無糖の缶コーヒーを片手に談笑する姿のどこにも違和感はなく、手に煙草がないことへ気づいた時にももう吸い終わったのかと自分の煙草を差し出したくらいだ。

「サンキューさっさ。でもいいわ」

「メンソール派?」

 なら残念だったな、自分のために一本抜き出したところで倉田はあっさり、

「俺、たばこ吸わんのよ」

 と言ってのけたのだった。

「……マジで言ってる? 倉田と顔合わせたの一回や二回じゃないけど、ここで」

「おん、マジ。何なら禁煙したんじゃなくて、今まで一度も吸ったことない。未経験、まだ青い果実」

「微妙に古い言い回し、今は触れないでおくわ。つか、じゃあ何で喫煙所にいるのよオマエ……副流煙が好きとか言っちゃう?」

「そんなマニアックな嗜好はねぇなーでも強いて言うなら、好きなんだろうな」

 何が、と聞くのは野暮なんだろう。色付きレンズの向こう側にある目はいつも通り細められていたものの、何となくの言いにくさが勝る。じゃあこれからもたっぷり吸い込みに来いよ、肺の奥から煙を吐き出したのは少し前の話だ。

 今日も倉田は缶コーヒー片手に椅子とは呼べない、喫煙所を他から分断するガラス仕切りの前にある出っぱりへ腰を落ち着けている。こちらの姿を見た瞬間厳かな顔で、

「これから雨降るよ、さっさ。たぶん一時間以内」

 まるで神からの御告げを話すかのように勿体ぶって声を出した。隣へ移動し、ガラスに背を預けて煙草を抜き出して火をつけるとマルボロ特有の匂い、それを一度大きく吸い込んでから、

「何、お告げ? どのアプリ様?」

 倉田の方を向けば勿体ぶりをやり返したことに気づいたのか、にやりと笑いながら人差し指を立て、左右に振りつつこちらを見る。普段から大袈裟というか、芝居がかった倉田だと妙に様になっていた。

「アプリじゃねーのよ、俺の古傷がそう言ってんの。さっさが来るちょっと前から痛みだしたし、雨雲、もうすぐだと思う」

「胡散臭いお告げだな。どこ痛むの」

 丁度入ってきた別チームのリーダーへ頭を下げてから視線を落とせば、見上げる視線と噛み合う。あ、缶コーヒーいつもと違うじゃん。微糖缶を飲みながら倉田は、

「右のふくらはぎ。高校の頃サッカー部だったんだけど、その時にやったんよな。もう何年前よって感じで普段全然意識しないんだけどさ、雨降る前だけ主張してくる。しかも最近急に」

「面倒な人間関係みたいじゃん、普段全然干渉しないのにこっちが連絡怠ると急にわたしを忘れないで、とかなるやつだ」

「うわー実感こもってそうやん、怖っ」

 けらけら笑った。今でも痛むような傷は小さくはないだろう、話題を間違えた気はしたがさらりと流れていったことに安堵してしまう。本当に気にしていないのか、こちらを気遣ったのかが気にかかるのは昔からの性分だったが、今は見ないふりをする。

 あまり吸わないまま灰にしてしまった煙草を灰皿へ押しつけ、もう一本吸おうかどうか考えた瞬間、倉田がさっさはさぁ、と話しかけてきた。次の煙草に火を点けながら気持ち身体をそちらへ傾けて聞く姿勢をとる。                                                                              

「高校で部活やってた? 俺、帰宅部に飲みかけの微糖をかけるわ。間違えて買ったから飲んでたんだけど、そろそろ限界」

「いらないからって押しつけようとすんな。残念ながら部活もやってたから、それはオマエのモンだ」

「うわーやらかしやん。待って、ワンチャン。俺にもう一度チャンスをくれ。何の部活か当ててみせっから」

 眉を下げて両手を合わせる姿に煙を吹き掛けて、あと一回だけなと念を押す。それでさっきの失言はチャラにしてくれ、心の中で呟いてからどんだけ微糖飲みたくないんだよと笑えば、いや単なる意地だから、缶を床に置いて顎へ手をやる。考え事をしています、とアピールする仕草にもう一度笑いが込み上げてきた。

「ヒントは? 文化系か、体育会系で言うと」

「体力使うけど文化系。走り込みとかやってた」

「それ本当に文化系か? えー美術部とか思ったけど、油彩ってそんな体力いるもんやったっけ……彫刻とか?」

「独り言のフリして反応をうかがっても無駄だぞー」

「バレてたか、流石さっさ」

 そろそろ、目で解答を促したところでようやく倉田が一際大きな声を上げた。リーダーの姿は既にない。

「合唱部!」

「ハズレ。正解は書道部でした」

「ウソやん! そんな部活あんの知らなかったけど」

「全国の書道部員へ向けて謝罪文書かせるぞ、オマエ」

 微糖の缶コーヒーを持ち上げて喫煙所を出れば、窓が水滴で埋め尽くされている。雨専門の天気予報士になれば、振り返って窓を指差すと倉田は転職はちょっと、とすまなそうな顔をした。

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