同僚ふたり
朝本箍
さくらのはなし
世の中というと、どこかで同じ様に勤務している誰かに申し訳ない気もするが世はゴールデンウィーク真っ只中だ。オフィスも有給を取得したメンバーがいないので閑散と、はっきりと言うなら自分と倉田のふたりしかいない。ゴールデンウィーク明けリリースの製品担当がこのふたりなのだから理解は出来ても納得はしたくない状況だった。
マウスやキーボードを叩く音が響くのにも飽きてきた頃、倉田が画面から顔を上げてそういえば、と話しかけてくる。同じく集中力が切れたらしい。目だけで先を促せば、
「この間めっちゃ綺麗な桜見たんだよな、どっかの駅近で。ぶわーっともう視界一杯桜で埋まるくらいでかいやつ」
と散って久しい花の話を始めた。取りあえず聞くか、手を止めてすっかり温くなった炭酸水をあおると只の水になっている。うえ。
「で、それ見て思い出したんだけどさ、桜の樹の下には死体が埋まっているって言ったの、誰だっけ。芥川?」
「言いそうだけどな、芥川。梶井だよ。梶井基次郎、檸檬爆弾のやつ」
「え、何それ物騒じゃん。テロリスト?」
知らないと薄黄色のレンズ越しに目をしばたたかせる間抜けな顔に、これ見よがしに眉根を寄せてやると、今度は口を尖らせる。表情も感情も豊かな顔は見ていて飽きない。笹木を「さっさ」と略すのだけは本当に勘弁して欲しいが、それを除けば好ましい同僚だった。
「もしかして常識ってやつ?」
「常識ってか教科書に載ってなかったっけ、本屋に檸檬置いてく話。それ書いたやつ」
「あー言われたらあったか……?」
今度は視線が天井をさ迷う。
「学年違うからなかったかも。じゃなくて、桜の樹の下に死体があったって話か」
「それニュースになるやつな。第一発見者とか言って容疑者扱いされんだろ。違くて、何で桜ってそんな物騒なのかなって話」
炭酸水を飲み干してしまった。窓からの日差しが傾き、デスクにパソコンの影を落とし始める。
だってさぁ、倉田も紙コップを傾けてから、
「桜の下で死にたいとかも聞いたことあるし、桜って派手なわりにそういうイメージなの不思議だなと思って。さっさもそう思うん?」
真っ直ぐにこちらを見つめた。服装自由の職場でも珍しい柄シャツがちらりとパソコン越しにのぞく。カラフルな幾何学模様かと思って目を凝らすと細かで鮮やかな花柄でいかにも派手好みの倉田らしい。そしてそんなシャツを着こなせるからこそ、桜を派手だと感じるのだろう。
「夜桜とか妖しい魅力があるし、すぐに散る儚さが死を連想させるんじゃねーの。梶井基次郎の作品だと、桜の爛漫とした美しさは死体を養分にしてると思わないと説明がつかない、みたいに書いてた気ぃする」
別に好きじゃないから、あんま考えたことないけど。一言付け加え、昔に一度読んだだけの記憶を掘り返しながら返せば、倉田はへぇと何度か顎を触りながら視線を飛ばして考えているようだった。桜と死体、何となくわかる気はするが倉田にはない感性なのかもしれない。
「俺も読んでみるかー檸檬テロリスト。タイトルは?」
「桜の樹の下には。そのまんま。確か青空文庫で読めるし、短ぇよ」
「さっさって意外に読書家だったのな、知らんかったわ。新たな一面」
「まだ見せてない部分あるんでよろしく」
そう簡単に全部見られてたまるか。顎を上げると確かにな、でかい笑い声が静かなオフィスへ響き渡る。じゃあ仕事するか、画面へ視線を戻したところでもう一度倉田がさっさ、と呼んだ。まだ何かあんの?、再び視線で答えると、
「桜って連呼してたら見たくなったから、今日の帰りにどう?」
「花見? 飲みに行くのはいいけどもう全部散ってるって」
その誘いは一ヶ月遅いんじゃないかと怪訝な顔をすれば、
「花がなくても桜は桜じゃん。桜の樹見て酒飲も、テラス席あるとこ知ってっから」
どや顔でとっとと仕事へ戻ってしまう。花のない花見とか聞いたことねー、大きめの独り言に、
「新緑見とか流行るんじゃね? インスタにタグつけてアップしようかな。もしくはツイッターとか」
キーボードを打つ手は止めず返事があった。それただの飲み会じゃん。言いながら予定が入ったことでこちらもキーボードを打つ手が心なしか早くなる。万が一バズったら何宣伝するかな、取らぬ狸の皮算用を始めた倉田にスターウォーズと提案したら、それはもう俺の手を離れてると真面目な顔をされた。オマエ、スターウォーズの何なんだよ。
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