知らないお兄さん
しばらくしてから、千夜は、河原へと向かった。土方と出会ったその場所は、千夜にとっては、大事な場所となっていた。
土方と、剣術をするのもこの場所だし、夏には、河原で水浴びもした。たった一年、一緒に暮らした土方歳三との思い出は、記憶の無い千夜にとっては、全てが初めての経験ばかり。
「あーあ。剣術の稽古しようかなぁ。」
ノブ姉に声をかけ、家を出てきたものの、稽古をするか、迷う。長い竹刀を引きずりながらも歩く彼女は、誰がどう見ても剣術をする様な子には見えないだろう。どちらかと言えば、竹刀を遊び道具にしている子供。そちらのがぴたりと当てはまる。
1人で剣術なんてしても、強くはなれない。
ただ、竹刀を振り回すだけだ。百面相をしながら、河原へと足は勝手に動いていく。丁度、河原が見えてきた時の事だった。
「ちぃっ! !」
知らない声が向かっていた方向から聞こえた。そして、その声の主がこちらに駆けてくる。
だが、千夜には、それが誰だかわからない。知らない男の人が、千夜の肩に手を置き、笑みを見せる。はぁはぁと息を切らしたままでだ。
「…よかった…怪我ないか?
見つからへんかったら、どうしよう、思ったわ。」
肩に手を置いたまま、そう言った男の人。その表情は、安堵した様にも見えた。
「————お兄さん、誰?」
千夜の言葉に、彼の顔から笑顔が一瞬にして消え去った。
「なに、ゆうてん?烝やろ?」
「お兄さん、烝って言うの?」
キョトンとした少女。とても、嘘を吐いている様子には、見えなかった。
「…す、すまん。人、間違えたみたいや。嬢ちゃん、名前なんて言うん?」
「私?私はねぇ、千夜っていうの。」
間違ってない。間違うわけ無い。
桜色の髪に、碧い瞳。
彼女は…椿……
「俺はな、山崎烝言うんや。1人でなにしとるん?」
「剣術の稽古するの。」
「剣術?」
見れば自分の背丈と変わらない長さの竹刀を引きずっている。
「なんで、剣術なんか…」
「私ね、強くなりたいの。」
満面の笑みでそう言った彼女。
それは、今まで見たこと無い笑顔であった。
このまま、この子を自由にしてあげれば、あんな、辛い目にあわなくて済む。
————俺が、ココで守ったれば…
そう思った。だから、この子を連れ帰る様な事は、してはいけないと、そう思ったのだ。
「————剣術、教えたる。」
「お兄さんが?」
「せや。お兄さん、こう見えて強いんやで?」
「じゃあ、お願いします。」
ペコリと頭を下げた、小さな少女。この時、山崎烝は、心に誓った。
「…あぁ。」
————俺が、守ったる。
例、幕府を敵にしたとしても、ちぃ、お前だけは。この命にかえても、絶対、守ったる。
その後、千夜と話しをする山崎の姿が、河原にあった。河原に転がる大きな岩の上に2人で腰を下ろし、たわいない会話をしながら、今迄、何があったのかを聞き出していたのだ。
「ほんなら、土方歳三って人に助けてもらったん?」
「そーだよ。」
土方歳三?そいつが、ちぃを誘拐したん?
でも、身代金とか脅迫なんか来とらへんし… 。いっぺん、調べな、あかんな。
ゴソゴソ
「…って、さっきから、なにしとるん?ちぃ。」
山崎の服を触ったり、引っ張ったりしてる千夜
「烝、全部真っ黒!忍者?」
期待に満ちた目で山崎を見つめる千夜に、彼は、答えにくそうに口を開く。
「………。黒いと忍者なん?」
「うんっ!」
元気一杯に返事をされてしまった。
「俺は忍者じゃないけど、まぁ、似たようなもんやな。」
「…忍者……」
忍者に会いたかったらしい。落胆した表情になった千夜。彼女をそのままに出来ない山崎は、はぁっと息を吐き、懐から、なにやら取り出した。
「ほら、見てみぃ。ちぃ。」
「なに?それ……」
「クナイ言うんや。」
山崎が取り出したのはクナイ。
クナイとは、忍者が使用した両刃の道具。
サイズは大苦無と小苦無がある。
平らな鉄製の爪状になっていて、壁を登ったり、壁や地面に穴を掘るスコップとしての使い方や、武器にも使用されるなど、現代でいうサバイバルナイフに近い装備であった。
後部が輪状になっており、紐や縄を通して使用したり、水を張ってレンズ代わりにするなどの使い方もあった。
小型のものは手裏剣のように使われることもあり、「
「…クナイ?」
「せや。忍者が使ったりするんやで?」
自分の手にクナイを持ち、色々な角度からそれを見る千夜
「投げるの?」
その声に、山崎は千夜にクナイの持ち方を教えてみる。
「こう、持つんや。で、投げる。」
シュンッ ザクッっと音がして
「やったぁ!当たった!」
「………。はぁ?嘘やろ?木に刺さっとる…」
「烝、見たぁ?」
呆気に取られる山崎。初めて投げたのに、木に突き刺さったクナイを見て、千夜の将来が末恐ろしいと山崎は思ったのだった。
夕暮れ時、山崎は千夜と別れ、土方の行方を捜していた。
「…ちぃをほかってくなんて、何考えとるん?
ほんま、誘拐やったら、絶対許さへん!」
独り言をいいながら、土方の事を聞き回る。そして、ようやく土方歳三、本人を見つけた。
行商箱を担ぎ歩く彼。もう日は沈みかけているのに、帰る素振りは見せない。
山崎は、気付かれない様に後をつけた。
時折、薬を売り、また歩く。日は沈み人の通りは極端に少なくなる。
そんな中土方は、店に入っては、薬を売っている様子だった。
なんで、帰らへんのや?薬なん、もう売れへんやろに……。
山崎が疑問に思い、土方が店に入ったのを確認し、彼は、土方の入った店に入ってみる事にした。医者の格好をして————。
その店は、どこにでもある様な小さな居酒屋だ。店の中でも席を転々とし、会話をする土方。山崎は、少し遠くの席に座り、小料理を注文した。しばらくすると、横に土方がやって来た。
「…お?あんた、医者か?」
「あ?あぁ。」
相席なんて普通の時代、隣にどかっと座った土方に酒を一飲みしながら返事をした。
「なぁ、石田散薬。買わねぇか?」
こいつ、石田散薬ってのを押し売りしとるん?
こんな時間まで?
「あんた、コレ売り歩いとるん?」
「ああ。俺の実家で作ってんだよ。打ち身、切り傷に石田散薬ってな!」
店の中で、声を大にしないでいただきたい。
「そんな、金、必要なん?」
ポリポリと頭を掻く土方。
「…まぁ、ちょっと訳ありでな。あんた、この辺で行方不明になった5、6歳の女の子とか、そういう話聞かなかったか?」
「…さぁ?しらへんな…」
ちぃの事聞いて回ってるんか?こいつ…でも、金が必要だって言った。それは、何のために?
「そうか……。実はな、身元がわかんねぇ子を預かってんだが、手がかりがなくてよ…」
店の人に水を頼み、土方は、水を飲む。
「そうなんか。で?なんで、金が必要なん?」
「その子に、袴を買ってやりたくてな。」
「袴?女の子やろ?なんで、袴なん?」
「まぁな。剣術やりてぇって言うから、ほら、
普通の着物じゃ動きずらいだろ?」
じゃあ、ちぃの為に、こんな遅くまで薬を売り歩いてんのか?…こいつ……。
「買うたるわ。薬。」
「へ? 」
「せやから、石田散薬、買うたる。」
「本当か!?」
嬉しそうな土方を見て、山崎はニカッと笑った。
そそくさと、土方は石田散薬を取り出し山崎に渡す。
「釣、いらんから。」
金を出した山崎
「…でも、こんな大金。」
「ええて。その嬢ちゃんに袴こうたって?」
山崎が手にしていたのは、金色に輝く大判が一枚
「な?」
————あの子の事、頼むわ。土方さん。
そう、声が聞こえた。目の前の大判に目が点になった土方。ハッと我に返ったとき、医者らしき男の姿は、店の中には、無かった。名前なんて名乗って無い。
「あの子。」そう言った男。何が、どうなっているのか。手にある一枚の大判。
普通の身分の人が大判なんか持っていない。
小判に対し、大判も江戸時代を通して発行されていたが、大判は一般通貨ではなく、恩賞、贈答用のものだ。
そして、葵家紋が大判に刻まれていた。
この時、初めて土方は、千夜の正体を考えさせられた。自分の助けた子は、もしかしたら、自分の手も届かない程の身分を持った子かも知れない。
そう思いながらも、頭の端では否定する自分が居る。
————もし、
記憶が戻れば、ちぃは……。
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