沖田宗次郎
千夜が来てから一年という月日があっという間に流れた。彼女の身元は、未だに分からずじまい。家が恋しい。だとか、親が居ない。そんな事も口にする事も無く、泣く事すら無い。記憶も戻っていない様子で、家族に馴染んできた彼女を複雑な表情で見つめる。
「ちぃ、髪結ってやるから来い。」
そう言えば、赤い結い紐と櫛を持って土方に渡せば、彼に背を向けて座る。
桜色の髪に櫛を通すのは、いつも土方であった。されるがまま、心地好さそうに目を瞑る千夜。
「歳三、まるで父親ね。」
そんな風にノブは言う。
髪結い紐を口に咥える土方は、何も言い返せないまま、千夜の髪を結い上げていく。
赤は、土方の好きな色。桜色の髪には、良く映えた。
「……よし。痛くねぇか?」
「うん!ありがとう。」
元気いっぱいに笑顔で言われれば、土方の頬さえ緩ませる。
(……可愛いな。本当。)
頭に手を置いて、土方は身仕度をし始める。
「としにぃ、どっか行くの?」
「あぁ。剣術道場に行くんだよ。」
「…………そっか。」
自分は、連れて行ってもらえない場所。それは、良く理解していた。表情が暗くなった千夜に、土方を見かねてノブに声を掛けた。
「ノブ姉。ちぃが着れそうな袴ねぇか?」
「そんな急に言われてもねぇ。
歳三が着てたモノなんて、とうの昔に処分しちまったしねぇ……。」
最年少だったのが歳三だ。小さな袴など残っておらず、買ってやりたいと思うも、土方は行商の金しか入ってこない。食うものだってノブに世話になってるぐらいだ。買ってやる事すら不可能だ。
「しょうがねぇ…。ちぃ、次は連れて行ってやるから今日は、我慢しろ。」
「…うん。」
「んじゃ、行ってくる。」
「行ってらっしゃい……。」
頭を撫で、家を出た。
一人試衛館へと向かう土方は、いつも隣を歩く千夜の姿を思い浮かべてしまうものだった。
**
カンカンっと、木刀の打ち合う音がする試衛館
半年程前から、ここに.沖田宗次郎という9歳の少年が入門した。家の事情で、口減しとして試衛館に預けられたのだ。
「おー、いたいた。やってるか?宗次郎。」
「……げ…土方さん。」
練習着を着て竹刀を持った宗次郎は、土方を見て心底嫌そうな顔をする。土方は、正式な試衛館の門人では無い。フラフラしている人。と、沖田宗次郎は位置付けていたのだ。
「げってなんだよっ!」
「……いえ。土方さんの、聞き違いですよ。」
と、シレッとした物言いで返されてしまう。
「聞き間違いの訳あるかっ!」
そう怒鳴ると。宗次郎は、勝太の方に逃げ背に隠れた。
「歳、やめんか。子供相手に……」
と、呆れた様に言ったのは、近藤勝太。後の新選組局長。近藤勇である。
「子供だろうが、大人だろうが関係ないだろ?」
そんな言葉を聞いて宗次郎は、土方さんは、大人気ない。そう思うのだった。
「あぁ。歳、あの子はどうした?」
「……あの子?」
首をかしげた宗次郎。だが、すぐに、井上が稽古練習を再開すると宗次郎に伝え、道場に戻らねばならなくなった。
「……あの子って、誰の事だろう?」
と、道場に戻る宗次郎が1人呟いたのだった————。
夕暮れ時、稽古終わりにふと、門を見たら土方の背が丁度見えた。よく、宗次郎の頭を撫でる土方。
————もう、帰っちゃうんだ…。
なんだか、寂しい気持ちになる。
だけど一瞬だけだと、ただ、さっきまで騒がしかったからだと宗次郎は、自分に言い聞かせる。
ドンッっと、宗次郎の体にわざとぶつかる兄弟子達。
「あぁ、悪りぃ。小さくて見えなかったわ。」
「……大丈夫です。」
ケラケラ笑う試衛館の門人。それは、1人、2人では無かった。
「なぁ、お前、捨てられたんだろ?」
言われたくない言葉を浴びせられ、
「ち、違っっ!!」
否定しようとすれば、一番胸が痛む言葉を投げかけられた。
「————口減し。」
ニヤリ笑った目の前の男に、何も言い返せない。
————僕は、本当に捨てられたのだから。
本当は、悔しいのに宗次郎は、どこか諦めていた。
人なんて冷たい。 自分の力で立たなければ
————誰も助けてなんてくれない。大人も助けてくれる訳ないんだ。
何もして居ないのに、殴られ、蹴られる。抵抗なんて言葉は、宗次郎の中には無かった。
終わった時には、宗次郎は、フラフラであった。胴着で隠れる場所ばかりを殴られ、激痛が走る。
「……痛っ!…」
アザだらけの体を見て、悔しさと悲しさでいっぱいとなる。
どうして、僕が…なんで?僕、悪い事してないのに…助けて……誰か…
頬を伝う涙。誰も助けてなんてくれない。誰も、僕なんて見ない。
僕なんて、生きてる事さえ、
————罪なんだ————
「……宗次郎?」
突然掛けられたその声に、宗次郎は、着物を急いで着なおした。
スッと開いた襖。
襖を開いたのは、近藤勝太。近藤周助、道場主の養子だ。
この人だって、僕が、イジメられてるって知ったら、道場から追い出すに決まってる。バレないようにしないと…
宗次郎は、痛む腕を着物の上からぎゅっと握りしめた。
「……どうした?腹が痛いのか?」
心配してるフリなんてしても、僕は騙されない。大人なんて、自分勝手な生き物。
僕を捨ててまで、姉さんは、幸せになりたかった————。あの男の人と……。この人も、どうせ同じ…
「宗次郎?」
「…はい。なんですか?」
冷たい声でそう言ったら、近藤さんは、笑ったんだ。
「一緒に、飯を食おう。」
夕餉の時間は過ぎたのに 、縁側に置いてあったのは、形の悪いおにぎりが2つ。
お腹は減ってる。手を伸ばせばごはんにありつける…
でも、手を伸ばしていいのか、わからない。おにぎりをジッと見ていたら
「…形は悪いがな、美味いぞ?」
ガハハッと笑う近藤。
なんで、僕に構うの?僕が哀れだから?
そんなに僕は、可哀想な子供なの?
近藤さんは、兄弟子達に暴力を振られているのは知らないのに、そんな事を思った…
だけど結局、形の悪い握り飯に手を伸ばして居た。決して凄い美味しいはずがないソレは、食べたら崩れるし、しょっぱいし、手は米粒だらけになるのに、手についた米粒一粒も残す事なく、宗次郎はペロリと食べてしまった。
その姿を、勝太は、微笑んだまま、ずっと見て居たのだった————。
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