第9話 魔導都市キース

「どうしてこうなった」


 領主は数年前とは別物になった近代化された風景を窓越しに眺めると気疲れして溜息をついていた。あの山間の素朴な街キースはどこに行ってしまったのか。エルフから魔導製品がもたらされるようになって数年、ここキースは魔導都市として商業都市カサンドラと密な物流が築かれていた。

 国中の貴族が求める魔導製品。それを扱うエルフィール商会と直接取引できるのは、魔導都市キースしかないのだ。商業都市というハブに比較的近い場所という立地も手伝い、キースは急速な発展を遂げていた。

 そうした急速な発展では、通常は街の水流の許容人口を越え、糞尿や生活排水による水質汚濁により疫病が発生して街が崩壊することも少なくなかった。しかし魔導都市キースではエルフィール商会の直接的なアドバイスの元、各家庭や商館に設置された魔導浄水機と魔導ごみ処理機、トイレの浄化ユニットの存在と、川への排水に念のため設置された浄水設備により、ほぼ純水の状態で下流に流されていた。今ではトイレにはウォッシャー機能まで付けられ、究極的な進化を遂げていた。

 さらには魔導レンジや魔導冷蔵庫、のちに作られた魔導エアコンの存在により、周りの木々を伐採することもなかったため、土砂崩れや地滑り、森の保水量の減少による鉄砲水、氾濫などが起きることもなく、労せずして常に最適な気温で暮らすことができるようになっていた。

 さらにモデルケースとして各家庭に水道が配管され、魔導ポンプにより蛇口を捻るだけで水が出るようになると、洗面所や台所だけでなく、浄水機能付き魔導お風呂のような温水循環も整えられるようにり、温泉リゾート地というわけではないが、この時代としてはひどく清潔な街並みへと変貌していったのだ。そして、これら全てが、魔素による持続可能エネルギーで実現できてしまうところがポイントだった。

 これを見た他の地方の領主や貴族家の家令は驚愕して自領でも魔導製品の適用を上申したという。


「凄まじいな、魔導都市」


 王宮から遣わされた査察官は、文明が数百年くらい進んでしまっていたキースの姿を見て思わず呟いた。今では王宮の誰もが、カサンドラから帰った使者が伝えた「エルフの長老の孫娘は綺麗好き」という冗談のようなセリフの本当の意味を理解していた。そりゃ我慢できるわけないと。一度でも最高を体感してしまうと戻れないのが人間という生き物だった。

 ある意味、フィスリールが人間の街に望んだ結果がここにあった。


 ◇


「なるほどのぅ……」


 魔導ドローン偵察機から送られる魔導都市キースの映像を見てじぃじは感心したように言葉を止めた。一昔前の人間の街からは考えられないほど清潔に生まれ変わり、川に戻される水も純水で、木が伐採されることもない都市周囲は綺麗なままだった。

 あれから何度も人間の街に出かけようとする私に、ママから訪問回数制限を課せられてしまったので、映像をアカシックレコードに遠隔地で記録し、エルフの里にいたまま映像を読み出しして魔導演算機の表示機能で映し出すことで魔導遠隔カメラユニットを作り出し、魔導ドローンと組み合わせることで魔導ドローン偵察機を作り出していた。この発明により私本人が現地まで行かなくても、人間の街並みを観察することができるようになっていた。必要は発明の母ね!

 アカシックレコードの未使用領域を利用しているだけだから、読み取りは別に一つだけとは限らないので、その気になればエルフの里全員が閲覧できる。そう、一種のテレビ放送の原型が完成してしまっていた。それも電波やケーブル無しで!

 あとはブレイズ王国の人間自身が自発的に自領への魔導製品の適用と展開を考えてくれるでしょうから、ブレイズ王国における文明誘導は終わったと見ることができた。木々の伐採を止めることができたし川も綺麗にできた。ありがとうございます、ペコリと、エルフの里中の皆に放送で流した。でも…


「まだ東のブレイズ王国だけなのよね」


 世界はどうしてこんなに広いのでしょう。ここから西のガンドゥム王国への展開やエルグランド共和国に隣接する以外の国への展開、さらには別の大陸の人間に展開する術を、すぐには思いつかなかった。結局、星の一部の地域だけで持続可能な文明を築いても、全体として考えれば大差なかった。


 ◇


「フィスは急ぎすぎだよ」


 幼馴染のセイルに話すと、そう指摘された。


「そうかしら」

「十年足らずで一国できたなら、百年や千年も経てば何か国も同じように普及させることはできるでしょ?」


 人間の性質は大して変わらないのだ。一度体験させればすぐに欲しくなるだろうということだ。確かに急ぎ過ぎたのかもしれない。百年、千年と実績を積めば、噂は千里を駆け抜けるでしょう。旅人が魔導都市キースや、今後、ブレイズ王国で展開される様子を伝え聞けば、拡散するのはエルフからしてみれば時間の問題なのだ。大航海時代だって千年もあれば訪れるのだから、その時までに持続可能な魔素エネルギー利用が文明のスタンダードとして受け入れられていればいいわ。


「わかったわ、もう、くよくよと悩まないわ!」

「それでこそフィスだよ」


 セイルはそう言って、私の額にキスをした。


 ◇


 家に戻って急ぐことをやめたと祖父母や両親に話すと


「フィスも段々大人になってきたんだね」

「長く生きていると、急ぐとか慌てるという感覚が磨耗して無くなるからのぅ」


 ということらしい。明日でいい、一年後でいい、十年後でいい、それらを経て最後にはいつかでいいに変わるそうだ。


「ママもいつかフィスが大人になればいいと思っているのよ」


 それまでは……と、一旦言葉を区切り私をそっと抱き締めると、


「私の側にいてね」


 と続けた。どうやら人間の街に行き過ぎて心配をかけてしまっていたようだ。


「わかったわ、ママ」


 そう言ってママに抱きつくと、ママは愛おしそうに頬を擦り付けた。


 ◇


 それから十年くらい経った頃、西のガンドゥム王国は東のブレイズ王国に滅ぼされた。


 魔導製品を供与するにあたり、直接的な武器や兵器の供与はなかったものの、文明のレベルに大きな差が出てくると、清潔さを保つことによる基礎代謝の違いや、出生後の生存率の違い、疫病の発生率の違い、治水や農作物への給水による収穫量の差から、国力に如実に差が出てきてしまったのだ。

 この結末は、長老衆には当然の帰結として予測されていた。だが、エルフの幼子の機嫌を損ねないように気を使う国が残って、エルフを忘れた国が滅びることに何の問題があるのか。心優しい幼子は片方の国に偏らないように気を遣っていたが、長老衆の考えは必ずしもそうではなく、敢えてフィスリールには悟らせないようにしていた。


「国破れて山河あり……ね」


 いつか聞いた格言を思い出しつつ、魔導ドローン偵察機でガンドゥム王国の様子を映像で見ていたフィスリールは、戦争に敗れたとはいえ近代的な戦争のように、放射能汚染や化学汚染されたり地形破壊されたりしていない様子を見て胸を撫で下ろした。知的生命体の数が大幅に減ってしまったことは星霊としては残念だけど、全体で見れば立て直せる範囲だった。

 そう。思っていた手順ではなかったけど、支配階級がブレイズ王国の者に置き換わるだけなら、ブレイズ王国の人間の手によってブレイズ王国並みの魔導製品普及が図られていくことでしょう。期せずして西のガンドゥム王国への魔導製品普及に目処がついていた。

 やだわ、これでは都合の良い国が残るように誘導すればいいという結論になってしまうわ。そんな考え果たして許されるのかしら? いえ、何に許しを請おうというのか私自身もわからないけれど、酷く嘘寒く感じるわ。

 ぶるっと身を震わせて両腕で自分の身を抱いたフィスリールは急に人恋しくなり、魔導ドローンを回収するとライルやユミールの寝室に行って布団にくるまって訳もわからず泣いた。


 フィスリールは未だエルフの感覚では幼子だった。

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