第7話 商業都市カサンドラ

 山間の街を通過してしばらくすると平野が見えてきた。精霊の悪戯か、道の両脇に広がる平原の草を薙ぐようにして風が通り抜けていく。しばらくして丘を越えたところで、眼下に外壁に囲まれた規模の大きい街が見えてきた。その街の両側に伸びる街道を馬車が行き交う様子が見てとれた。どうやら東西に伸びる流通の要衝ようしょうらしい。


「商業都市カサンドラだよ」


 物珍しそうに見える私を見てパパが教えてくれた。ここから東に向けて穀倉地帯が広がっており、市場で売買された農作物が西のガンドゥム王国境界の城塞都市や南の王都、南西の工業都市に供給されていくらしい。であるならば、ここまで来れば東のブレイズ王国の各都市や街に物を届ける物流基盤に乗るということだ。今回はここで魔導製品を受け渡しが行うそうで、王都から誰か人が遣わされてくる予定になっていた。


 丘を下ってしばらく道なりに進むと、東西の門と違って閑散としていた北門では門番が暇そうにあくびをしている様子が見えた。森の狩人として弓の達人であるエルフの視力は、人間より数倍優れているため、あちらからはまだこちらは視認できていないようだ。さらに進んで人間の目でも見える距離まで近づくと訝しげにこちらを見ているようだ。たまには山間の街に向けて商人が通ることもあるでしょうに、何かおかしいところでもあるのかしら?

 フィスリールはすっかり忘れていたが、普通は馬無しで馬車は走らない。エルフの街では魔導工学の普及で珍しくもなくなっていたが、門番が目を擦るようにして自分が見ているものが現実であることを疑うのも無理はなかった。王都に魔導飛行機で飛んで向かった先触れのエルフの使者に王宮関係者は驚愕したが、その場に居合わせることのないフィスリールが王城での混乱の様子を知ることはなかった。


 ◇


 門の前で魔導馬車を停めてパパが親書の返信に付いてきた王城発行の通行証を見せると、用意されているという宿への道順を説明を受けた後、問題なく通された。街の中央に向かって進む馬車の両脇を流れる中世のような街並みを物珍しく眺めていたフィスリールは、敏感なエルフの臭覚で糞尿の異臭を嗅ぎつけると、そそくさと馬車の中に顔を引っ込めた。山間の街よりはずっとマシではあったが、早く魔導製品を普及させて綺麗にしなくてはと心の中で誓った。


 中央区域に来ると指定された宿に着いたのか馬車が停められた。じぃじとばぁばに手を引かれるようにして馬車を降り、目の前の建物に入り王城の紹介状を見せると、広めの部屋に案内された。受け渡しは二、三日後と知らされた私たちは用意された濡れた布で顔や体を拭き取りベッドやソファーで横になり旅の疲れを癒した。


「パパはちょっと出掛けてくるよ」


 しばらくするとパパは森で狩ったフォレストマッドベーやディープフォレストウルフの毛皮を詰めた袋を携えて出掛けていった。人間は通貨を変えるから、エルフ側で人間の通貨を用意したと思っても、久しぶりに来たと思ったら旧通貨になっていて使えないことがあるそうだ。

 そのため、人間では狩ることが難しい毛皮を持っていき換金するのが手っ取り早いのだとか。手っ取り早い…確かに一射で2km先にいるウルフの目玉の中心を5頭まとめて正確に射抜ける成人エルフにとっては手っ取り早いのでしょう。私はまだ100mくらいじゃないと5頭一斉には無理だけど。

 じぃじにどれくらいしたらできるようになるのか聞いてみると、そのうち10km先で落ちる針の先でも風の精霊が導くままに射抜けるようになるから焦るでないと頭を撫でられた。そんな桁違いもいいところの距離に驚き、思わずこう叫ぶ私。


「10kmなんて物理的に無理に決まってるわ!」

「どれ、たまにはじぃじの弓の腕も見せてやろう」


 じぃじは窓を開け放ったかと思うと予備動作なく無造作に矢を放った。矢に風の小精霊が纏うのが見え、エルフの目でも見えないところまで飛んでいった。かと思うと、しばらく間を置いて、北門から鐘が一回だけ鳴るわずかな音がエルフの敏感な耳に届けられた。不思議そうにじぃじを見ると、北門にあった急を知らせるための鐘に向けて矢を放ったという。


「こういうことじゃ」

「じぃじ、すご〜い!」

「まだまだ息子には負けんわい」


 そう自慢げに話すじぃじに飛びつき、目を見開いて尊敬の眼差しを向ける私を見たばぁばは、


「エルフの長老衆に弓で勝てる者がいるものですか、大人気ない」


 と半ば呆れた様子で笑った。


 ◇


 王城から人が来るまでしばらく日があったので、パパが荷を見張って留守番しているうちに、じぃじやばぁばと一緒に街の様子を見にいった。人間の目からは17〜18歳くらいのエルフの少女と手を引く美男子、その兄や姉のような若い美男美女のエルフに見えるはず。皆、めずらしそうに振り返って見ていた。とはいうものの、特に荒くれ者に絡まれることもなく、案外治安が行き届いているねと言うと、ばぁばは笑って


「闇の精霊が少しでも邪なことを考えているものが居たら知らせてくれるので、さっきからじぃじが先に指弾で小岩を顎の先に飛ばして幾人も倒しているそうだ」


 気がつかなかったわ。風の矢と同じで見えないところで始末オシオキされていたのね。

 そんなやりとりをしているうちに市場まできた。東の穀倉地帯で作られているという小麦や大麦らしき作物が売られていたので、帰りの荷として少しまとめて買い込んだ。ある程度量があったので、宿に運んでくれるそうだ。エルフの森に帰ったら、山葡萄のレーズンで天然酵母を作って柔らかいパンを作ろう。メープルシロップを使ったお菓子も作れそう。あと、やがてドワーフ対策に必要となるかもしれないウイスキーを作るのだ。もちろん、魔導工学を応用してね!


「そういえばドワーフは見当たらないけど、どこに住んでいるのかしら?」

彼奴等きゃつらは南西の工業都市や鉱山で公害を撒き散らしとるわい」


 疑問を口にした私に、珍しく嫌そうな顔を見せてじぃじが教えてくれた。折角寿命がそれなりにあって公害のなんたるかを伝承する下地があっても、金属加工や鍛冶が好きで頑固でどうしようもないそうだ。困ったことね。


 そんな話をしながら市場を周り終えたあと、宿に戻る途中で商業ギルドに立ち寄った。パパによると皮を売った金貨を商会名義で預けておけば多少は王朝が変わっても通貨の変化に耐えることもあるらしい。折角だからとエルフと私の名をもじってエルフィール商会という名前の紹介を新たに登録し、主に取り扱う製品として魔導製品と毛皮と記載した。

 それにしても言葉も文字もどうしてエルフ語そのもので済むのか不思議に思って聞くと、エルフの先祖が人間に言葉や文字を伝えたのだとか。なるほど、確かにすぐ滅亡する人間の国の一過性の言語より、長い時を経ても変わらないエルフ語の方が、変わらない分、標準語として定着すると考える方が自然だわ。折角、マイナーな言語でもアカシックレコードから理解できる能力を持っていても、エルフなら無用だったのね。

 書類を提出すると魔導製品というのは何かと聞かれたので、簡単に山間の街で卸した製品を説明すると、特許を取らないのか聞かれたが、解析できない仕掛けをしている事、技術を公開するつもりがないことを伝えると、残念そうにしていたが、エルフィール商会名義で定期的にタダ同然で持ってくることを伝えると息を荒くしていた。


 ◇


 宿に戻って夕刻になって出された人間の食事は、エルフの舌には塩味がきつかった。保存を塩に頼っているからだろう。魔導冷蔵庫が普及すれば、多少は保存が効くようになるから、塩気も軽減されるかもしれない。でも塩味の効いたソーセージとか客観的に考えれば焼き立ては美味しいはずなんだけれど、種族差が出るということなのかしら。そこら辺は、人間の知り合いでもできないと、なかなか詳しくは聞けないわね。


「人間の友人を持つことは難しいのかしら……」


 ふと漏れた言葉に、じぃじやばぁば、それにパパも悲しいような困ったような表情を浮かべて私に諭すように言葉を紡ぐ。


「彼らは仲良くなってもすぐに死んでしまうんだ」


 それでも、友人関係として交友を持つこと自体は否定されなかった。寿命差から来る異種族の友人との別れ、きっとそれは、いつかは通るべき道だと考えているのだろう。

 もしセイルと同じくらい仲良くなった人間の友人がわずか数十年で死んでしまうとしたら、その時どんな顔をして見送ればいいのか、私にはまだわからない。


 そっかと、エルフにはキツく感じるソーセージを齧りながら呟いた。

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