はじめての人間社会

第6話 山間の街キース

 森で住むエルフに取って森林で野宿することに苦は無く、旅は順調に進み、南に向かって道沿いに魔導馬車を走らせ数日経過した頃、人里と思しき街が見えてきた。馬車から顔だけ出して外を見ていたフィスリールは、エルフの里では見られない家屋の構造を物珍しそうにキョロキョロとあたりの様子を伺った。


「ここはエルグランドに一番近い人里でキースという街だよ」


 魔導馬車を走らせていたパパは前を見ながらフィスに告げた。


「パパは人間の街によく来るの?」


 あまり人間の街の事を詳しく聞いたことがなかったフィスリールは、父親のライルの方を向いて聞いた。


「成人した頃に少し見回っただけで滅多に来ないかな」


 ふ〜んと、再び前方の街を向いたフィスリールは、次第に強まる糞尿の匂いに鼻を摘んで馬車の中に隠れた。


「くさ〜い! 家畜でも飼っているの!?」


「飼ってはおろうが、民家から汲み取った肥溜めがあるのじゃろう」


 慌てて風の精霊に換気をさせるフィスリールに祖父のカイルが答える。そうだった。そのためにトイレ用の糞尿処理ユニットを作ったのだわ。でも汲み取りとなると、そもそも思っているトイレの形はしていなそうね。鼻の感覚が麻痺してきたのか臭さを感じなくなってきたフィスリールは、またもや見通しが甘かったのではと頭を抱えた。

 祖母のファールは、魔導製品が溢れ近代化した今のエルフの里と同じにしたかったら、立て直した方が早いわねと、頭を抱える孫娘に笑いかけた。

 そうか、魔導製品の前に水洗トイレの陶器を普及させないと駄目だわ。まさか排水管も水が溜まって匂いが上がらないようにするS字ストッパーなしなのでは。いえ、その前に水管という概念がないのではないかしら。

 思っていた以上の状況に早くも挫折しそうになってきたフィスリールだったが、この時代の山間の街などこの程度のものである。


「いずれにしても私たちエルフは特に山間の街に寄ることはないわ。街から離れた山林の方が快適に過ごせるわよ」


 確かに。でもエルグランドに一番近い人里で疫病が発生したら困るわ。それに…


「ばぁば。王家や領主に魔導製品を届けたら、この街にも配られると思う?」


「配られないわねぇ」


 即答すると、人間は利己的な生き物だからと、ばぁばは何かを思い浮かべるように笑った。幼い頃にばぁばにお話をせがんで聞かされた人間の歴史は、常に搾取と略奪の繰り返しだった。七公三民、つまりは農業の収穫や商業の利益に対して70%の税を取った時代も珍しくなく、飢えから逃れるためにエルフの森近くまで隠れた畑を作ったりすることもあった。ただし森深くになるほど大型の野獣が出るようになるため、エルフと違って普通の人間は森を徘徊するフォレストマッドベアーやディープフォレストウルフの餌食になり、放置された開墾跡だけが残るのだそうだ。つまりは木が無意味に伐採されるだけで無駄なのだ。

 幸か不幸か、悪政が施かれることで人口が抑えられ、良政が敷かれると人口爆発で水質汚濁が進み、一定のタイミングで疫病が発生して人口が半減することを人間は繰り返していた。その繰り返される営みに周期性を見出せるほどの寿命を持たない人間は、そこから何も得ることができないでいた。


“歴史は繰り返す“


 これは、短命種である人間ならではの宿命だった。


「あまり効果はないかもしれないけど門のところまで寄って魔導製品を卸していきましょう。エルフの里に一番近いところくらい、どこよりも早く綺麗になって欲しいわ」


 ◇


 いつも暇にしていた街の北口を預かる門番は、森の奥から馬車が走ってくるのに気がついた。馬が引いているわけでもないのに自走している不思議な馬車は、森の奥に続く道から近づいてきて門の前で停まったかと思うと、滅多に見ないエルフが姿を見せた。


「こんにちは、人間さん」


 鈴を転がすような澄んだ声が、碧眼の瞳に紫がかった銀の髪をした美しい少女から聞こえてきたが、少女の脇に立つ金髪をしたエルフたちから発せられる圧迫感に返事を返せないでいた。


「じぃじ、ばぁば! それじゃ人間さんが返事もできないでしょ!」


 少女が両脇を固める男女のエルフに言うと圧迫感が少し薄らいだ。門番には目の前のエルフたち以外は何も見えていなかったが、カイルの前には風の大精霊が、ファールの前には火の大精霊が控え、少しでも孫娘であるフィスリールに危害を加えようとする“前触れ“が感じられたら、一瞬で後ろの街ごと灰燼に帰すほどの魔力が込められていたのだ。

 仕方ないのぅ、と脇に立つ男エルフが側に立つもう一人の男エルフに目配せしたかと思うと、少女を後ろに下がらせ代わりにその男エルフが手短に用件を告げてきた。

 曰く、エルフの里で作った街の衛生環境の改善や生活に便利な魔導製品をわけてくれるというのだ。領主を呼んで来ようかと思ったが、すぐに出立するからといい、馬車から魔導製品をおろしてそれぞれ使い方を説明すると、そのまま街の脇の道を通って平野に続く道を下り去っていった。


「またね! 人間さん!」


 馬車から顔を出してこちらに手を振る少女に、訳もわからず手を振り返すと、少女は花が咲くような笑顔を浮かべた。


 馬車が見えなくなるまでボーッとして見送っていた門番だったが、周囲の静寂に我に帰ると、慌てて領主に知らせた。領主の館に運び込まれた魔導製品は優れた物だった。領主の館だけに設置されていた陶器製のトイレに設置すると糞尿は無味無臭になるまで完全に分解されたし、厨房から出される生ごみも同様に処理された。また、魔導レンジなるものでミルクを温めたり火を通すことなく調理をしたりすることができた。

 そして魔導ポンプを井戸に設置すると、労せずして水を汲み上げることができ、蛇口を捻ると管を通して遠くの場所や二階まで水を噴出させることができた。この体験的な仕掛けで水圧をかけて水を輸送する仕組みが人間に伝えられた。


「これは、お裾分けみたいなものなのか?」


 首を捻る領主だったが、何にせよ今の時代からは考えられない便利な道具をただでもらったのだから悪印象はない。そう判断した街の領主はエルフを見たら丁重に対応するように通達を出し、いくつかの魔導製品を都市と街を行き来する有力商人に渡し、うまく活用できるよう魔導製品に適合するように水まわりやトイレなどのインテリアの変更を依頼した。


「エルフの説明によると“ユニット”という単位で常に同じ大きさで作るとのことだったから、大きさや口径などを揃えて欲しい」


 つまりは工業規格を決めるということだったが、この時代ではまだ規格の概念がなかった。魔導製品の利便性や魔導ユニットの規格の考えを聞いた都から来ていた商人は、エルフの叡智に舌を巻いて声を張り上げた。


「領主様、これは画期的な商品ですよ! 是非、うちで扱わせてください!」


 エルフは平地の街に向かっていったことを話すと、商人は残念そうにしたが、領主の依頼を引き受けこの街の従業員に要件や今後街に卸す商品の調整を話すと、踵を返すように平地の都に向けて馬車を走らせた。


 平地に向かっていったということは、これと同じことを他の街でもする気でいるに違いない。わざわざ大きさや口径まで指定したというのだ。今後も継続して供給するつもりでなければ、そのような注意をするはずがない。であれば、それに適合する周辺商品は今後増えていくことになるだろう。


 商人の嗅覚が、今後発生する大商いの可能性を的確に捉えていた。


 ◇


「これで少しは改善する糸口になればいいんだけど」


 馬車の後ろ口から乗り出すように門番に手を振っていたフィスリールが馬車の中に戻ってそう言うと、


「それは人間次第じゃな」


 親書と同じように機会は与えたのだから、それを生かすも殺すも人間次第という。


(それはそうなのだけど、じれったいわ!)


 そんな内心を隠そうともせず、フィスリールは顔を曇らせた。


「そんな急がなくてもそのうち良くなっていくさ」


 そう息子に諭される孫娘の様子に、焦れるとか急ぐという感覚が完全に摩耗して久しいカイルとファールは微笑ましそうに目を細めていた。千年、二千年と言わず、ものの数十年、遅くとも数百年も供給していけば生活便利品は定着するだろう。そんなエルフ特有の時間感覚の前では、クルクルと変わる表情を碧眼の瞳に映す孫娘の様子は、小動物のように可愛らしい。


 そう。カイルとファールから見れば、未だフィスリールは二十歳の愛おしい幼子だった。

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