第2話 エルフの里での成長期

「フィス! こっちだよ!」


 セイル? 私は三歳女児なのだからきちんとエスコートしてくれないと困るわ。などという内心のスマート然とした言葉とは対照的に、ぜぃはぁして息を切らした私は座り込んだ。

 あれから子供同士親交を深めるという意味で、時折、一緒に遊ぶようになったのだけど、相手は七歳につき体力差は否めなかった。風の精霊を使役すれば三歳児である自分の体を飛ばすことはできるけれど、飛んでいるエルフを見たことなかったので自重していた。


「むりぃ!」


 むりむり、かたつむりなのよ? 先を行くセイルに声を上げた私は大の字に寝転んだ。そんな私を見て、セイルは短めにした金髪をなびかせて風のように駆け寄ってきた。


「大丈夫?」


 心配そうに私を覗き込んでくるエメラルドの瞳がやけに美しい。子供の目はどうしてこんなに綺麗なのだろう。などと三歳児らしからぬ感想を抱いていると、セイルは私を引き起こして髪についた枯れ葉をはらってくれた。


「しばらくゆっくり歩けば大丈夫よ」


 そう言って私は右手を差し出した。手をつないでしばらく先に進むと、開けた場所に湖が広がっていた。木々から差し込む光で湖面に反射して静かに煌めいていた。美しいわ、さすが私の星。しばらく景色を堪能していると、セイルが話しかけてくる。偶然見つけた穴場に連れてきたかったのだとか。なんともくすぐったい感覚を抱き、頬にキスをして感謝の気持ちを伝えた。

 …って、やりすぎたわ。手を頬にあて、呆然としていたセイルをみて自分が三歳児であることを思い出した。


「帰りまで競争よっ!」


 誤魔化す様にして来た道を走り出すと、セイルはハッと我に返ると私の後を追って駆け出した。


 ◇


 七歳になるとエルフの一般的な文字を習い始めた。アカシックレコードで知っていた私は読み書きに不自由はしないので、直ぐに習得した振りをした。一般文字を習得したあとは、魔法陣などに用いるルーン文字を習った。これも同様だった。これで本が読める? そんなことはなかった。この時代、エルフに本は流通していなかった。数字や計算も習い始めたが、今更四則演算をしても単なる時間の無駄だったので、適当に五桁程度の数字を書き出して四則演算をしてみせると、基礎勉強から解放された。

 魔法は基本的には精霊魔法の使い方を教えられるのだけれど、じぃじやばぁばは精霊が見え、小さなころから周囲に精霊を従えていることを知っていたので、とりあえずできることを見せて欲しいといわれた。それではと安全なところで風を使って体を浮かせてみせると、魔法の勉強からも解放されてしまった。

 スペックは高いのよ、おーほっほっほ! と心の声で高笑いしていると、体力測定で長距離を走らされて仰向けに転がった。ぜぃはぁ…。


「フィスリールは勉強や魔法の時間も運動できるからすぐ体力つくぞ!」


 体育の教導はどこの星のいつの時代も脳筋だった。いくら他に教えることがないからって朝から夕方までみっちりなんておかしいわ。このまま何十年か鍛えられたらボディビルダーになってしまう。

 そんな熱血指導も15歳になると終わりを告げることになる。

 42.195kmを2時間で走れるようになり、同い年が居ないからわからないけれど、弓矢は走りながら三発同時でも二百メートル先の的に必中、剣もそれなりに鍛えられたわ。魔力の基礎練習も運動しながら行っていたから、いまではかなりの魔力量に到達していた。


「これで身体強化したら世界を獲れるんじゃないかしら?」


 そんなセリフを聞きつけた年長のエルフに稽古をつけてもらうと、まるで相手にならなかった。暇に飽かせて何百年と修練してきた剣客や弓師の前では、私は未だ生まれたばかりのかわいい子供だった。というより、


「エルフの寿命では鍛錬に終わりはないのだから、継続は力で基礎を終えたら自分で研鑽を積んでいくしかないのではないの?」


 そう尋ねてみたところ、


「やっと気が付いたか! 卒業だ!」


 などと答えられた。

 ある程度の基礎が身に付いた途中からは意味はなく、継続的な研鑽の必要性に自分で気が付くことがエルフの教育期間のゴールだという。気が付かず百年たったらどうするのかとぼやくと、教導官はニカリと笑って言い放った。


「百年でも二百年でも付き合うさ!」


 私は考えるのをやめた。


 ◇


 エルフのモラトリアム期間は長い。具体的には50歳にならないと一人前とは認められない。

 

「確かに長じたエルフには手も足も出ないかもしれないけれど、15歳になった私は身長も体重も身体能力も大人に近い。あと35年も何を準備するというの?」


 口を尖らせてそんなことをじぃじに漏らすと、


「軍隊に襲われたら、捕まってしまうかもしれないじゃないか」


 と過保護丸出しの返答が返ってきた。軍隊に襲われて多勢に無勢で後ろ手に縛られ、しょげるように耳を垂れている私の姿を想像したのか、この世の終わりのような顔をする。


「そうですよ、子供の頃に何度も聞かせたじゃないですか。あれは八百年前の事…」


 そう言って八百年や千数百年前に人族に捕まえらえたエルフの子(25歳と38歳)の長い話が始まった。25歳に38歳なんて子供じゃない〜と言うと、本当に小さい子を子供が少ないエルフが少しでも危険のある場所に放置すると思うのかと言われてしまった。確かに歩いていても、必ず誰か大人のエルフが構ってくれていた。あれは小さな子供が珍しいだけでなく、集団で保護していたのだと気がついた。

 ちなみにばぁばが話した八百年や千数百年前のいずれのケースでも、手を出した国ごと灰燼に帰すまで報復が加えられているのだけれど、どうやら人族の限られた寿命では歴史が風化する速度が早く、一千年弱もすれば過去のことはすっぱり忘れたように歴史を繰り返すらしい。悲しいわ。


“短命種である人間は一度理解したことを完全な形で後世に伝えることができない“


 これはアカシックレコードに刻まれた過去の星霊たちの記録を読み取っても、変えられない歴史的事実であった。例えば木の伐採により山全体の保水量が減ることで土砂崩れや洪水が起きやすくなることもだ。

 植林による持続可能な森林資源の利用を支配階級に理解させたとしても、今の文明レベルでは知恵を留められないのだ。


「でも人間の暮らしを見てまわりたいの」


 それでも星霊である私は諦めるわけにはいかない。体育の教導ではないけれど、何度忘れられても、千年でも二千年でも付き合うわ。

 そんな様子に内心を見てとったのか、困ったのぅとじぃじはパパとママに目配せして注意を促した。


 ◇


 二十歳になると身体上は大人と同じになっていた。同じというか、17、8歳で見た目は止まっていた。このまま千年、二千年と生きていく。それがエルフという種族だったが、私はハイエルフに先祖返りした存在。どれだけ寿命があるか今はまだわからない。


「ねぇ、セイル? 大人になったらどうするの?」


 唯一同じモラトリアム期間にある幼馴染に聞くと、そりゃ……と少し恥ずかしげに下を向き、今と同じく君の側にいるさ、と言った。

 ありがとう、と私が頬にキスをするとレイルは嬉しそうに微笑んだ。もう湖につれてもらった頃のレイルではないらしい。今では自然な親愛のやりとりとして成立していた。鳥の翼の両翼のように片方の翼を気にすることなく羽ばたける……そんな円熟の域にはまだ遠いけれど、長い時を共に歩ける人がいる今に私は感謝する。

 ひたすら鍛錬をして、魔力を鍛え、精霊魔法の練度と魔法陣や魔道具への造詣を深めていく傍ら、精神的にも徐々に成熟していくフィスリールであった。

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