第3話 不知の病。

 私は病気ですか。


 自分の感情がよくわからない私は、壊れていますか。



 うちのクラスには、私が黒い感情を抱いている子がいる。



 斜め後ろの席から、台パンのようなダンッと音がする。立て続けて教科書が落ちた音、キーンと金属の定規をたたきつけた音がした。

 耳をつんざくような音が落ち着く前に、笑い声が聞えた。


「あははは、ごめんなさい。あはは。」


 笑いながら手をひらひらさせ、それでも面白いのか机をたたきながら笑っている。


 半分以上の子が愕然とその子を見ている中で、私は、私だけは歯をギリッと噛んだ。

 周りの子はその子のことに夢中で、私のことなど目にも留まっていなかったみたい。よかった。


 私は席を立った。その子が落とした教科書も、ノートも、定規もすべて拾って手渡した。


「はい! 拾ったよ、どーぞ!」


 まるで一ミリも空気を読めていないように。まるでバカのように。まるでその事実を見ていなかったように、笑顔をして面と向かった。


 さっきと同じ笑い顔のまま、その子は教科書全部を手に取った。


「ありがとう。」


 そう言われて、クラスメートの目に映っているバカな私は、笑顔で「うん!」と言った。



 その子とは、もともとつながりがあった。

 去年、中一の途中で別れてしまったけど、仲が良かったと勝手に思っている。

 その子とは塾が一緒で、六年の冬に仲良くなった。塾の定期試験後の昼食の時間。前の席で食べていたのがその子だった。


 第一印象は背が大きくて、頭がいい。

 かかわっていくうちでわかったのが、あまり女の子と仲良くない事。理由ははっきりとわからない。

 それでも私とは仲良くしてくれたし、私としても普通の友達として接していた。


 衝撃の事実、とまではいかないけど、内心私もドキッとしたものだ。

 体が固まった、なんてもんじゃないけど、驚いた。


 先生が「ちょっと忘れ物したから自習してて」と言って教室を離れた隙にやったものだから、先生だって知らないはず。


 でも自らその事実をさらしていくのだ。その子は。


「先生先生! 今日私、ここにコンパスの針突き立てて……。」


「昨日帰ってから、シャーペンの芯で腕刺したんです!」


 なにやってんだ、って思うよね。

 頭いかれてる、って思うよね。

 頭のネジ外れちゃってんの、って思うよね。


 普通は。


 私は普通じゃない。


 だから私は、たったの一言で表せる言葉が胸の奥でぐるぐると渦巻いた。


「羨ましい。」



 その子がやっていることは、紛れもない自傷行為。

 それを私たちに見せてくる。


 周りの子が本当はどう思っているかわかんないけど、心底嫌な人もいると思う。


 自分で自分を傷つけることが、人に伝えることが、見せつけることがどれだけ楽しいかなんて、私の定規じゃ図れない。その子の定規じゃないとわからない。


 でも、人目を気にすることなく、好きな事をしている彼女の姿は、間違いなく私の瞳には輝いて見えた。

 自傷行為がしたいわけじゃない。むしろ、痛いのは嫌いだからしたくない。


 自分の今の感情を理解して、どうしようもない気持ちを緩和させるために他者に見せつける、ぶつけることができる彼女のことが、どうしようもなく羨ましかった。


 その精神、尊敬するよ。

 嫌味なんかじゃない。ただ単純に、ただ純粋にすごいと、そういっているんだよ。


 私は、私が思っていることがいまいちよくわかんない。


 怒られてむかむかするときもある。

 自分が思うようにならなくてむしゃくしゃするときもある。


 でも、意図をもってその感情を表に出そうと思ったことは一度もない。


 その子みたいに、モノにぶつかることだってない。


 私のストレスは、みんなが口から吐き出している重いようなものと天秤にかけてはいけないくらい、軽いから。


 だから私は、少しでも周りが明るくなるようにへらへらして、笑顔をつくって。

 怒りたくても我慢して。


「命ちゃんが怒ってるとこ見たことなーい。」

「笑ってるだけで暗いところを見たことがないから、私の中で命は人間じゃない。エイリアンにしか見えない。」


 そうだよ。

 気を使ってるからね。


 むかむかするのと同時に、嬉しくなる。


 周りが私の行動のおかげで笑っているところを見ると。

 周りが私の内側に気づいていない素振りを見ると。


 嬉しくなる。


 こんなことを思いながら生活している私は、病気ですか——?

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