第10話 女勇者、騎士団長と和解する

「.......リ。.....ユー.......。ねえ...ユーリ?大丈夫?調子悪い?」


はっ、と意識が一気に戻ってきた。目の前にはきっちりと現在撮影中のドラマの衣装である学生服を着込んだ幼馴染がいた。何度も声をかけただろうにも関わらず、怒ることなく心配そうにこちらを覗き込んでいる。


「...ぁ、わり。ちょっとボーッとしてた。すまん.....」


「本当に大丈夫?調子悪いなら監督に言って帰らせてもらったら?僕言ってこようか?」


咄嗟に声を出したからか、出た声はひどくガラガラで覇気がなかった。いつもの俺と乖離している姿は更にメグの不安を煽ってしまったらしい。下がり眉をますます八の字に下げて、不安そうな顔をしている。


「ん、大丈夫だって。ちょっと眠くなっただけだし。そんで、何だっけ」


安心させてやるために少し声を張ると、メグは不安そうにしながらも浮かせた腰を下ろした。何となく居心地が悪かったので、空気を変えるために早々に話題転換を提案する。メグもこの空気は好まないものだったのか、快くその提案を受け入れてくれた。


「なら、いいけど...。うん、進路の話。僕たちもうすぐ18歳でしょ?ユーリは将来のこととか、どんなふうに考えてるのかなあって」


「将来?そりゃあまあ、俳優だろ俺たちは。え、お前違うの?芸能界やめる?」


「あ、いやいや。ちょっと考え中なんだ。ほら、ナギは大学に行くじゃない。俳優志望とはいえ、兄が高卒なのってこう...妹としてどう思うかなって。それに、大学生って忙しいでしょ?それなのに僕が今まで通り仕事してナギに家事を任せちゃうのは...学業に差し障るんじゃないかな。あの子には、楽しい大学生活を送って欲しいし」


そう言ったきり、メグは目を伏せてしまった。長い睫毛が表情に影を落とす。


メグには凪という双子の妹がいた。こいつが一等可愛がって大切にしている家族だ。メグからもよく話を聞いていたし、俺自身が何度か会ったこともある。ナギは、メグの妹のくせに生意気でやたらと俺に敵対心むき出しだが、兄に似て正義感が強く、真面目なやつだった。


別にあのナギならお前が高卒だろうが何も気にしないと思うけどな、そもそもナギは早く大学を卒業して就職することでお前に迷惑をかけまいと思ってるんじゃないのか。素直にそう思ったのでそのまま口に出してやるも、メグはううん、と唸ったきり。どうやら不安は氷解しそうにもないらしい。これは俺が考えるより余程根深い家族の問題みたいだ。


「一回家族会議したらどうだ?ナギも交えてさ。直接聞いてみたらいいじゃんあいつにも。お前は何でも考え過ぎ。自分のやりたいことをみんなに聞かせてやれよ。進路なんて家族で話し合って、それから決めればいーだろ」


「...うん.....。そうだね。ふふ、ユーリってばなんだかカウンセラーの先生みたい」


「そーか?こんなテキトーなアドバイス誰にでもできるだろ」


「それでもいいんだよ。ありがとう、ユーリ。父さんとナギに話してみるよ」


メグの顔にようやく笑みが浮かぶ。何故かその笑顔を見て、ズキリと胸が痛んだ。何故だろう、俺はメグの笑顔が好きだったはずなのに。今は心がざわついて仕方ない。メグに心配をかけないよう、違和感を隠して俺も笑みを浮かべる。


「じゃーな、メグ。後で今回の撮影の打ち上げパーティしよーぜ。7時に家まで迎え行くから」


「うん。楽しみにしてる!それじゃあ、また夜にね。ユーリ!」


あいつがくるりと背を向ける。メグは最後まで穏やかなまま歩いていく。俺の言葉通り、家族と話し合うために。最愛の妹のために、父親のために、家族の幸せのために。


そうして、あいつは__




「__!!」


ガバッと勢いのまま体を起こす。背中がじっとりと嫌な汗で濡れていて気持ち悪い。ひどく脳が動揺しているのか、中々息が整わない。身体のあちこちがじくじくと痛みを発しているが、あのデカスライムと戦っていた時よりはマシだ。きっと誰かが治療してくれたのだろう。体中を気怠さと吐き気が支配している。頭が熱い。


今のは俺が見たゆめ、夢、ただの夢だ。何故今さらあんな夢を。そんなに前世にしがみついていたいのか俺は。


「うっ...」


気持ち悪い。背中を虫が這い回っているような怖気が走り、喉の奥に酸っぱい味が広がる。思わず重い体を動かしてベッドから離れ、部屋を出る。流石に室内で吐くのは不味い。


外に出るとまだ辺りは暗く、周囲は薄暗闇に包まれていた。せめて外のどこかに水場があれば。ふらふらと回廊を徘徊していると中庭に古ぼけた桶と錆びた蛇口を見つける。もういいかここで。そろそろ吐き気が限界に近付いてきていたのでちょうど良かった。まるで病人のようにその場に座り込み、桶を抱えて踞った。


「っう、ぇ、...は」


俺は一体どれぐらい寝ていたんだろう。分からないが、胃の中がすっからかんなせいか、吐き気にえづくのみで何か固形物が込み上げてくるような気配はない。胸が焼け付くような気持ち悪さは張り付いたままだ。体調が万全ではないせいか、目の前がちかちかしてきて視界が霞む。


夢から覚めたあの一瞬。俺に「ありがとう」と言って笑ったメグの笑顔が、惨たらしく殺された顔と重なった。あの優しい日々が塗り替えられていくようで、背筋が凍るような寒々しさに襲われる。あの時、あの時俺がもっとマシなアドバイスをしていれば。そもそもあの日、俺がメグを家に帰さずにそのまま連れ回していればきっと。違う、それでもナギは死んでしまうんだ。最愛の妹が居なくなった世界であいつに生きろと言うのはあまりにも酷すぎる。ああ、どうしてこんな事に。


「ひっ...ぅ、ッおえ"...」


ぼたぼたと酸っぱい胃液を吐き出す。いつの間にか両の眼からは涙が零れていた。もうすぐ18にもなる癖に情けない。なのにしばらく止まらなかった。今になって俺が世界で一番愛していた人が死んだという事実に、ひどく胸が痛くなった。なんで世界はいつもあいつに優しくないんだろう。あいつはずっと誰かのために一生懸命で、何一つ悪いことなんてしていないのに。


「.........なんて、どうせ言っても無駄か。神様なんて、居るだけで役に立たないもんな」


ぐっと力を込めて錆びた蛇口を回す。少してこずったが幸い水が通っていたようで、最初は錆色の汚水が流れたが、流しっぱなしにしていると普通の水道水が出てきた。桶と口を洗って蛇口を閉める。口を洗ったせいか先程よりまだ嫌な気持ちが和らいだ気がした。


体が楽になったので桶を片して立ち上がる。下ろしっぱなしで水に濡れてしまった髪を乾いた南国の風が通り抜けていった。アレーティアは暖かい気候だからか、夜も過ごしやすい。どうせこのままベッドに戻っても眠れるわけがないのでしばらく中庭を散策することにしよう。


中庭にはユリやアマリリス、ハイビスカスによく似た花々が咲き乱れていた。異世界の花はやはり俺たちの世界の花とは違うんだろうか。花なんかには興味も無かったのに、メグが花好きだったからかすっかり影響されてしまっていたらしい。ユリらしき花の白い花弁に鼻を寄せると、濃厚な甘い香りがした。自然由来だが相変わらず自己主張の強い芳醇な香りだ。


「.......アダム?」


花の香り巡りに興じていたら背後から声をかけられた。思わず振り返ると、銀色の猫耳とゆらゆら揺れる長い尻尾が目に入る。寝間着だろうか、シンプルなレースに縁取られたネグリジェを着たイザベラがそこに立っていた。その表情はポカンとしていたが、次第に赤くなったり青くなったりした後、こちらに駆け寄ってきた。


「な、何をしているんだ君は!?あれだけの大怪我でもう立ち上がって平気なのかっ?それに、ひどく顔色が悪いように見えるが...。こんな夜にそんな格好で出歩いていては風邪を引く。これを羽織ってくれ」


私のものでよければ、とイザベラの羽織っていた薄手のガウンを差し出される。これだけ気遣われるって、どれだけやばい顔色してるんだろうか俺。ここで断っても気まずいだけだからありがたくガウンを羽織る。不意にイザベラを見るとなんだかチラチラ俺を見て挙動不審気味だった。なんなんだこいつ。


「お前、どうした。トイレ行きたいなら行けばいいだろ」


「なっ!ち、違うっ!ただ、私はっ...。君が、いつもの覇気が無いから、余程具合が悪いのかと思って...」


「具合は悪いな。けど寝れる気もしない。だからああやって庭を散策してたんだが。もしかしてお前、俺が見えたからわざわざ出てきたのか?」


「う"っ...」


どうやら図星のようだ。ゆらゆらと揺れていた尻尾をピンッ!と伸ばして口ごもる。流石にそこまで分かりやすいと言及する方が大人気ない気がするな。まあ、眠たくなるまで付き合ってくれると言うなら願ってもない事だ。俺の気が済むまで話し相手になってもらうとしよう。


しばらく沈黙していると空気感に耐えられなくなったのか、イザベラが俺に取っ手のないカップのようなものを押し付けてきた。首を傾げると、更に彼女が手に持っていた籠からポットのようなものを取り出して中身を注ぐ。白いカップに赤く澄んだお茶らしき液体が注がれ、もくもくと湯気を上げた。


「なにこれ」


「そんなに警戒せずとも毒は入ってない。普通のルイボスティーだ。私が調合した」


俺が疑っていると思ったのか、イザベラは自分のカップにもお茶を注ぐと、ぐっとカップを呷る。別に疑ってはないんだけどな。


「へえ。意外と家庭的なのな、騎士団長様は」


「まあ、それなりにな。そのお茶は安眠効果があるから温かいうちに飲んでくれ。...というか、今更君に他人行儀になられると違和感がすごいな。いつも通り普通に接してくれ」


「他人行儀というか...俺は元々話が通じる人間にはそこそこ従う方だ。それに、もう今のお前を煽る必要がなくなったからな。余計な芝居はしない主義なんだ」


「なるほど?では最初からあの態度は私を乗せるための演技だったということか。勇者様は打算的だな?」


そうにやにやしながら見られたので、ちょっと不愉快な気持ちでカップを傾ける。この前の仕返しのつもりなのか、ゆらゆらと尻尾を揺らして得意げな表情だ。大人気ないなこいつ。


呆れながらお茶を口に含むと、少しの薬味感と爽やかな風味が鼻に抜けていった。なるほど、これはよく眠れそうだ。俺が飲み終わるのを待ってからイザベラが再び口を開く。


「どちらにせよ、君に感謝をしたかったんだ。今回のことで色々なものに気付けたからな。アダム、君のおかげだ。私は騎士として一番大切なものを忘れていたらしい」


「なにが?俺まだお前に何一つ言ってねーけど」


心の底からそう思ったので率直に言ってやるとイザベラはポカンとした表情を浮かべたあと、楽しそうに笑いだした。人の顔を見て笑うとか失礼なやつだな。一体いつ俺がこいつに説教をしたというのだろうか。イザベラはしばらく笑ったあと、穏やかな表情のまま続けた。


「それでも学んだんだよ私は。部下に対しての優しさのあり方とは、ただひたすら短期間で強く鍛えてやることだけではないと」


「分かったような顔してるけど、そもそもお前は根本から間違ってたからな。騎士団の脱退希望者数は多いのに実際の脱退者数が0なのだって、優秀なバランサーが居たとしか思えん暴虐ぶりだったぞ。.....無茶な鍛錬はするなとは言わんがお前は極端すぎ。誰もが皆お前と同レベルのことがすぐにこなせると思ってたろ」


「う"...刺さるな。確かに私は、今までずっと彼らが出来ないのは個々の努力不足のせいだと思っていた。それぞれができる限界を考えもしなかったな。昔の自分はできたからといって、皆に同じことを強制していた自覚はある。騎士団所属ではないが、私の弟がたまに遊びに来て脱退希望者を説得して回ってくれていたんだ。あの子がフォローしてくれるからとそこに甘えていた節はあった.....」


「けど自覚あったなら良いだろ。「知らないことなんて言われなきゃ分からない。俺たちだって、まだ知らないことがたくさんある。なのに、お前の中では『知らない』ってだけで怒る対象になるのか」.....って、昔俺に言ったやつがいた。お前を初めて見た時、俺と同じだと思ったよ。お前は才能のある人間だ。だから、才能のないやつの気持ちが分からなかったんだろ?」


話せば話すほど、イザベラと感情が同調していく感覚を覚える。俺たちはつくづくよく似ていると思う。一緒に戦っていて苛立ってしまうほど、イザベラはメグと会う前の傲慢だった俺にそっくりだった。全く人に理解を示さず否定ばかりを押し付けるくせに、プライドだけは一人前の高慢ちき。しかし実力が半端に伴っているからこそ誰もそれに口が出せず、タチが悪いことこの上ない。


本当はもっと普通に諭せばよかったのに、鏡合わせの自分を見せられている感覚が嫌でついつい荒いやり方をした。だがこちらが言葉で諭さずともこうして本質を見抜いてくる辺り、やはりイザベラは騎士団長に選ばれるだけあって人格者なのだろう。


「その通りだ。つくづく自分が嫌になる。君があのデカブツと戦っていた時にも思ったよ。私は戦っている最中に君に、『死んだらやり直しなど出来ない』と言ったろう。そのまま自分に返ってきたな、あれは。個々のレベルと合っていない無茶な鍛錬でもしも騎士たちが死んでしまったら、もうやり直しなど出来ないと分かっていたというのに」


「まあそう落ち込むな、自力でそこまで気付けたなら上々だろ。今日から気を付ければいい。次から俺も鍛錬参加するから、その時あいつらに謝るの付き合ってやるよ」


「君は本当に.......。はあ、やめてくれないかそういうの。噂のみで決めつけて、君をただの穀潰しだと思っていた私が嫌いになりそうだ...」


ぽんぽんと背中を叩いて激励してやると、何故かイザベラはますます背を丸くした。こいつは背筋伸ばしてる方が様になってるんだがなあ。励ませば励ますほど落ち込む様子なので俺は早々に切り替えた。安い励ましは不要ということだろう。


「君に教えられることがあるか不安なんだが。...まあいいさ。今の私が教えられることなんて知識と経験ぐらいだからな。今後は魔物の弱点を各々に教えながら、実践と講義を織り交ぜて総員の知識の擦り合わせを行わねばな。街の復興にも奔走せねばならない。明日から忙しくなりそうだ」


「おー、力仕事ぐらいなら手伝ってやるよ。朝起きた時に窓から見る景色が最悪だと気分悪くなるし」


薄暗闇の向こうから細く光が覗いているのか見える。もうそろそろ夜が明ける。早朝特有の清涼な空気を吸い込んで、大きく伸びをすると、イザベラがきょとんと不思議そうに首を傾げた。


「それはありがたいが...。アダム。君、明日は勇者の会合があるのでは?」


「.....は?」


いやいや初耳だ。イザベラも俺が知らされていないのを知らなかったのか、反対側に首を傾げてこちらの反応を見ている。


まあでも、あれから三日も寝たきりだったからなあ、と呑気に言う騎士団長を横目に、俺は遠い目ではるか遠くの景色を見た。アレーティアから見る朝日は海に反射して今日も美しく輝いている。ああ、朝日が眩しい。今ぐらい現実逃避をして何が悪いというのだろうか。


鬱々とした気持ちを抱えていると、一難去ってまた一難、ですね♪と俺の頭の中のイマジナリー女神が囁いた。ちょっと黙ってろお前ほんとに。


じわじわと更に面倒くさいことが目前まで迫ってきている気配に、俺は重いため息をついたのだった。






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